第2話_助けてください

 右を見ても左を見ても、すれ違うのは、追い越していくのは、まるでフィクションの中の〝生き物〟たち。人間に近い容姿の者もいるのだが、彼らが人間ではないと本能が気づく。


 一歩、また一歩と身体は後退していき、ドン と誰かにぶつかって止まる。心臓が肋骨を突き抜けてしまいそうなほどに驚き、慌てて振り返った。

 真後ろに立っていたのは、招き猫を思わせる陽気な顔をした白猫。着ぐるみのように身体も顔も大きく、そのサイズ感がより不気味さを醸し出していた。



 二本足で立つ白猫は、その大きな頭をぐるりと傾けて二人の顔を覗き込んだ。


「ご、ごめんなさい…!」


 咄嗟に謝罪するが、白猫はうんともすんとも言わず、風架ふうか佳流かなれを見比べている。

 力が抜けてしまわないように耐えることで精一杯で、逃げることすらできず俯く。ただひたすら、ぶつかってしまった白猫が離れていってくれることを願う。



「アナタの方が肉付きよくて、大変に美味そうだ」




 肉付きがいい。美味そう。

 白猫から発せられた台詞がどういう意味なのか、毛並みの整えられた猫足を見つめながら考えていると、隣から悲鳴が聞こえた。


 それが佳流のものだと気づいて横を見た時には、そこには誰もいなかった。



「ふーちゃん…‼︎」

「…佳流さん…⁉︎」



 佳流は白猫の手元にある大きな檻に入れられていた。


「二匹まとめて捕らえてやりたいが生憎、手持ちの檻はこのひとつだけ。ヒヒヒッ!ついてくるならセットで売りこんでやるよ?しかしまぁアナタ方、かなりの弱種と見受けられる。禽獣きんじゅうとしては売れないかな」

「…ふーちゃん逃げて‼︎」



 己の危機を察知した佳流が、咄嗟に風架に叫ぶ。


 ガシャンと揺れた檻の中に佳流の姿が見える。ようやく思考が追いつき、風架は白猫に駆け寄った。


「……か…返してください……かな、佳流さん…!佳流さんは売り物じゃないです!出してください!こんなの冗談では済まされない…‼︎」


 しかし、白猫はニヤついた目を一切動かさず、縋る風架の頭に手を置いた。



「返してくれなんて、おもしろい冗談を言うね。ここは夜市。強い者が売って買って笑い、弱い者が売られて買われて死んでいく」


 柔らかい猫の手で強く突き放され、風架は数メートル先の地面に倒れ込んだ。

 手のひらや膝から血が流れるが、構わずに佳流の元へ走る。



 痛みと恐怖で涙が溢れてくる。

 そういえばあの奇妙な子供が何か言っていた。掟を破るとウンタラカンタラと。

 何か言っていたが、今はとにかく佳流を取り返して、安心できる場所まで逃げたい。その後これからのことについて考えよう。掟についても後でいい。




 風架は檻へと手を伸ばした。

 白猫の口がわずかに開き、鋭い牙に唾液の糸が絡む。


 風架の手が先に佳流に届くか、白猫が口を開くのが速いか。







 次の瞬間、風架の眼前に何かが出現した。運動神経も反射神経も悪い風架はそれに気づけず、かなり強くぶつけてしまってその場に倒れた。

 意識はかろうじて保っていられたが、鼻の奥や鼻骨が痺れたように痛んだ。


 鼻を押さえる手を離し、流血の確認をする。案の定血が出ているようで、制服のシャツやスカートにぼたぼたと血が染みていく。




 なにが起きたのか全く理解ができず、とりあえず顔を上げる。


「…惜しいなぁ」


 少し低い声で白猫が反応していた。

 風架と白猫の間に入るように、誰かがそこに立っていた。少し顔を上げた程度ではその者の顔を窺い知れず、さらに見上げる。すると口内に血が流れてきた。



「ふーちゃん!ふーちゃん大丈夫⁉︎鼻血出てるから上向かないで!」

「…かな、れ、さん………かなれさん…返して……」


 右手で鼻を押さえ、ふらつきながら立ち上がって檻に近づく。



 しかし、歩いていたはずの自身は急に宙に浮き、視界がぐらりと揺れた。


「え…待って!ふーちゃん!連れて行かないで‼︎待ってよ!返して‼︎お願い…!連れて行かないで‼︎」

「っ…!はなして……」


 乱入した何者かに抱えられたようで、風架は弱々しく抵抗する。だがそんな抵抗も虚しく、叫ぶ佳流に強制的に背を向け、遠ざかっていく。

 白猫はため息をつき、佳流の入った檻を引きずって奇々怪々の中に消えた。



 見知らぬ異空間で奇妙な白猫と何者かにより、風架と佳流は離れ離れとなった。



  ***




 血を止めるために鼻を押さえつつ、自身を抱える腕から逃れようと身体を捻らせる。しかし一向に脱出できる様子はなく、おまけに未だに何者なのか確認できないために恐怖が拭えない。


 ここはどこなのか。周囲にいる奇天烈な姿の生物はなんなのか。

 自分はこれからどうなってしまうのだろうか。佳流は無事なのだろうか。


 そんな不安が、涙となって流れ出る。




 すると、急に風架を連れ去る者の足が止まった。前方に顔を向けると、そこにはおきなの面を身につけた謎の人型生物が立っていた。

 人間に近い容姿をしていても、こんな不気味で怪しい場所で出会う翁面は、怖がりな風架にとっては気味が悪くて仕方がない。



「その者は?掟破りか?」



 誰の声なのか、おそらく風架のことについて話しているのだろう。

 その時、風架を拘束していた腕が解かれた。


「うぅっ!」


 急に拘束を解かれ、準備ができていないためにそのまま地面に打ち付けられた。なんとか両手をついて顔面の強打は避けられたが。




 風架は慌てて顔を上げ、自分を連れ去った者の姿を一目見ようと捜すが、既に人混みの中に消えてしまったらしい。それらしい人物は見つけられなかった。




「お前様、違反者ではないのか」


 座り込む風架に声をかけた、翁面の青年。先ほどの声の主は彼だったようだ。

 誘拐犯(仮)はひとまず忘れることにして、目の前に立つ翁面の青年を警戒する。だがすっかり足に力が入らなくなり、逃げることもできなかった。


 手負いの子猫のように震える風架に、翁面の者は首を傾げて尋ねた。


「私に何か用事があるのか?」



 幾分か、先ほどの白猫より話が通じそうな印象を受けた。


 風架は鼻血と涙に塗れた顔で青年を見上げ、考える。

 目の前の青年はもしかしたら白猫と知り合いかもしれない。誘拐犯(仮)を追い払ってくれたのかもしれない。もしかしたら優しい人物かもしれない。話を聞いてくれるかもしれない。

 どうせ足が動かないのなら、逃げることもままならないのなら。




「たすけて……っ…助けてください…!」




 風架の言葉に、翁面の青年は傾けた首を戻した。

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