レトロコアの迷夢
松山なえぎ
序章
第1話_青い入り口
「なんだろう?あれ」
買い物袋を肩にかける女性、
「どうしました?佳流さん」
「あれ。向こうの方に青い光みたいなのが見えるの」
建物と建物の間にある細い道の先に、青い光が見えると風架に伝える。風架は疑問を頭に浮かべながら、隣に立って路地を確認した。
彼女の目にも、小さな青い光が二つ映った。
「なんでしょう…?………というか…」
風架は路地の壁や地面、曇り空に目をやる。
(この路地…あんなに光が届かない場所でしたっけ…?)
不審に思いながら路地の奥を見つめていると、佳流が左足を出して、自宅までの帰路から外れようとしていた。
慌てて止めると、彼女はなんとも好奇心に満ち溢れた子供のような瞳で「気になるじゃん!」と訴えかけてきた。
満面の笑みで言われてしまい、押しに弱い風架はそれ以上引き止められなかった。
「お祭りでもやってるのかな?この路地ってどこに出るんだっけ?」
先頭に立ち、壁に買い物袋を擦ってしまわないよう気をつける。佳流は両手で袋を抱えながら、風架に尋ねた。
「さあ……入ったことがないので分からないです。あ、でも…」
「でも?」
「この両脇にある建物の裏に建っているのは大きな図書館です。ですので、おそらく行き止まりに当たる…か、と……」
頭の中で街の地図を描くために俯き、顔を上げた。視界に映ったのは、佳流のみ。先ほどまではっきりと見えていたはずの建物の壁やパイプ、ゴミバケツなどが、全く見えなくなっていた。
まるで全て黒いペンキで塗りつぶしたかのように真っ黒で、地面すら認識できない。
佳流もこの異常な光景にすぐ気付いたようで、大きな目をさらに見開いている。
「え……⁉︎」
「…な…なんで…ど、どこ?ここ…」
振り返って、さっきまで自分たちがいた道路を確認する。しかし背後も同様に真っ暗で、道も建物も、お互いの姿以外何も見えなかった。
風架は無意識に佳流の手を握る。佳流も手を握り返した。
混乱しながら暗闇を見回すと、あの青い光だけが小さく光っていることに気づく。その光は先ほど見た時よりも大きい。
「………」
「…佳流さん、あの光が向こうに見えるということは、私たちはこちら側から来たということです」
「…そ、そうだね…!」
「戻りましょう」
風架の冷静な判断で、二人は光に背を向けて歩き出した。互いの手をしっかり握り、ゆっくりと進む。
しかし、歩けど歩けど暗闇が続くばかりで一向に何も見えない。
立ち止まり、振り返る。そこには米粒ほどの大きさの、青い光が二つあった。
どれくらいの時間だろうか。二人は長いこと青い光を見つめ、目を合わせる。
そして覚悟を決めたように、繋いだ手を強く握り、二つの青い光に向かって歩き始めた。
***
青い光の正体は直径30センチほどの丸い提灯だったようだ。前方の斜め上に浮かんでいる。
風架は妖しい提灯を見つめ、未だ何も見えない暗闇に息を呑む。
「ごめんね、ふーちゃん」
「え?」
佳流からの突然の謝罪に、戸惑って聞き返した。佳流は眉を下げ、申し訳なさそうに微笑んだ。
「私が行ってみようよって言ったから……こんな変な…怖いところに来ちゃった」
「そ…そんな謝らないでください。きっと街の
「うん……手、絶対放さないからね」
そう言って自身の手に力を込める。強く繋がれた手に、先程まで感じていた恐怖が少しだけ和らいだ。
おそらく、手のひらから風架の震えを察していたのだろう。佳流はいつものように、陽だまりのような笑みを向け、前を歩く。
あと数歩で空中に浮かぶ提灯の真下に来る、その時、微かな物音が耳に届いた。それは二人の足音と似た、布の上を歩くようなこもった音。
いち早く足音らしき音に気づいた佳流が立ち止まり、手を引かれる風架も必然的に動きを止める。
静寂の中、小さな、しかし確かに大きくなっているその足音に集中する。
呼吸が荒くなるほどに心臓は速くうるさく鳴り、無意識に二人は身を寄せた。
「ようこそレトロコアへ、御新参者様方」
暗闇からぬるりと姿を現したのは、小学生ほどの背丈の子供。
大型の肉食獣に睨まれているかのような緊張感の中で現れた小さな子供に、風架は腰が抜けて尻餅をつく。
目の前の子供は紙で顔を隠し、右手には青い提灯、左手に長方形の長い紙を携えた風変わりな風貌。いかに背丈の小さいと言えど、不気味であることに変わりはなかった。
子供は腰を抜かした風架に気を留めることもなく、左手に持つ紙を確認する仕草をとる。
「一度しかご説明いたしません。御新参者様は次から次へと参りますのでひとりひとりに時間を割いて差し上げることはできません」
前置きの後、一方的に話し始めた。
「ここはレトロコアというあらゆる世界と繋がる世界にございます。レトロコアには
紙で顔を隠しているのに、まるで文字が見えているかのようにつらつらと〝レトロコア〟と〝夜市〟について説明した。
佳流は一旦の中断を申し入れたが、子供の耳には届いていないようで、さらに言葉を続ける。
「レトロコアでは十一の掟が存在してございます。
一、レトロコアの民、客商人は、いかなる理由があろうと貴族に危害を加えてはならない。貴族を害することはレトロコアに反すること、そして夜市を害することと同義である。
二、7歳以下の子供は夜市での売買の一切を禁ずる。
三、我楽多市では41万以下の品物を売ること。
四、我楽多市では露見しない限り嘘を黙認する。ただし客もしくは
五、奇貨市では41万1以上の品物を売ること。
六、奇貨市ではいかなる嘘も許されない。
七、夜市では売買の済んだ商品について争い事を起こしてはならない。
八、夜掟の守人は客商人を正当な理由なく傷つけてはならない。違反した場合は掟破りとして処罰の対象となる。
九、非品物の品物化は先手必勝とする。いち早く捕らえた者にのみ所有権が認められる。
十、他者の品物を奪い取ってはならない。
十一、自身の育った世界と異なる世界に行ってはならない。買い取った獣も同様である。
掟破りは問答無用で処罰され、供市に出されますのでご注意ください。お帰りになる場合はトンネル街道を進み向かい風をお探しください。それでは、十一の掟をゆめゆめお忘れなきよう」
長いセリフを噛むこともなく、息継ぎをする様子もなく、素顔を隠した子供は話し終えると踵を返し、暗闇へ消えていった。
取り残された風架と佳流は開いた口を閉じられず、子供の消えた暗闇をしばらく見つめていた。
一体これは、なんの祭りなのか。なんの冗談だろうか。
(レトロコア…?夜市…?……なに、なにが………)
混乱する頭を落ち着かせるために、子供の言っていた事を何度も
すると佳流が、風架を立ち上がらせて笑いかけた。
「なんかよく分かんないけど、多分お祭りがあるんじゃないかな!今のは演出だったりしてさ!」
ありえないことだ。暗闇の中、お互いの姿だけがはっきりと確認できていることが。提灯が浮かんでいることが。路地の先にこんな空間を作り出すことが。
だが、ありえないと分かっているが風架は頷いた。ただの祭りの演出であってほしいから。
二人は手を握りなおし、震える足で一歩、踏み出した。
目の前に広がった景色は、思い描いた祭りとは程遠い。
それは枝や根を触手のようにうねらせて地面を歩く大木。それは人の形をした中身のない包帯。それは頭部が〝鼻〟の小柄な生物。
どうやら彼女たちは、奇々怪々な異空間に足を踏み入れてしまったらしい。
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