第21話 さよなら、東温
東温たちとの別れまで、後四日。東温たちが色々とやってみても、時空ずい道は裂け目ができているままだ。そればかりか、丸かったトンネルは、全体的にゆがんできている。見ているだけでぞくっとするような、まがまがしいふんいきがただよっていた。止水は東温たちがここを通っている時に彼らの身になにか起こったらどうしようと心配するが、彼らはこの日も無事にやって来る。
「東温たちが人間界に来ることができるなら、私があやかしの世界に行くことはできないの?」
止水は疑問をもつ。トンネルはどちらの穴からでも行き来ができるものだと。
「可能ではありますが、いちどあやかしの世界に足を踏み入れた人間は、二度ともとの世界へ戻ることができません」
沖豊が答えた。
「……そうなんだ」
止水は東温たちの住む世界を見てみたいと思っていたが、がまんする。
明くる日の朝。自分の部屋でランドセルを背負った止水は、そこから出る前に、一枚のメモを見た。
「……」
そのおぼえ書きには今年の夏休みに東温たちとしたかったことが書かれてある。海水浴にスイカ割り、花火大会で打ち上げ花火を見るなどなど、夏らしいことを思いつくだけ書きとめていた。夏休みはまだだけれど、今からやれるだけやろうかとも考える。だけど、彼らとの別れの前にむりやりこなしているようで、それは違う気がした。開催の日にちが決まっている花火大会以外はやれなくもないけれど、夏休みにやらないと、止水の中で違和感がある。
止水は叶わない夢にしがみついてもしょうがないと思い、メモをぐしゃぐしゃと丸める。そして、学習机の横のゴミ箱にぽいっとほうり込んだ。
放課後。止水は今やりたいこととして、東温たちとある場所へと向かう。住んでいる地域からずっと遠いそこへは、東温の力を借りて行った。
「ここは遊園地よ。老若男女、たくさんの人が訪れるの」
止水はその場所について説明する。
「東温坊ちゃま、ここは遊具がたくさんある施設です」
沖豊がよりわかりやすい言葉に変換した。
「おお、そうか。余の屋敷より広いな」
「お父さんは一年中休みのない仕事をしているから、家族でおとずれたこともなくて」
遊園地で遊ぶことは止水の昔からの夢だった。時空ずい道の問題はいったん忘れて、全力で楽しむことにする。
まず、三人はジェットコースターに乗った。止水たちを乗せたローラーコースターがレールの上を急降下でかけ抜け、時にカーブで曲がったり一回転したりする。
「きゃあー!」
怖いけれど心地いい、止水は日常では味わうことのないスリルに叫ぶ。そのとなりで、東温は目を丸くしていた。初めての体験に心がついていかないようだ。
次に、おばけ屋敷へと入る。廃墟をテーマとした建物の中はまるで迷路のようだ。客の恐怖心をよりあおるよう、うす暗く、ひんやりとしている。大きな音やぶきみな映像、あやしげなからくりが行く先々で止水たちをおどろかせた。
「きゃーっ!」
止水はそのたびにびっくりして叫ぶ。
「ん? ここはあやかしが働いているのか?」
東温はどんな作り物のおばけを見てもびくりともせず、ただふしぎがっていた。
「全員人間よ。幽霊になりきっているの」
「そうだ! それだ!」
「えっ、なに?」
出し抜けに大きな声を出す東温に、止水はなにがなんだかわからなくなる。
「あやかしたちが正体を隠してこのような施設を経営すれば、人間を最高におどろかせるだろうし、繁盛するに違いない!」
東温は新しい商売をひらめいていた。止水は少しくらい怖がってよ、とずっこける。
おばけ屋敷を出た後、止水たちはいったん休憩もかねてレストランで食事することにした。屋外の席で、ハンバーガーセットを食べる。
「次はどこに行く?」
少しの間休んだことで、止水は体力を取り戻した。三人の中でいちばん張り切る。
「あっ、わたくしは疲れたので、そこのベンチで休んでいます。後はふたりで楽しんでください」
沖豊は自分の肩をとんとんとたたきながら、近くのベンチまで歩いていった。止水と東温は沖豊と別れて、まだ行ったことのない場所を目指す。
「今日のじいやはおかしいな。じいやは年寄りだけれど体力はあるし、こういう場所が好きな方なのに」
東温は「うーん」と低い声を出している。止水はそこで沖豊の本当のねらいに気がついた。沖豊は止水と東温をふたりきりにしようと、気をきかせたのだろう。疲れているように見えたのも、演技のようだ。
止水と東温はメリーゴーランドやコーヒーカップに乗る。
「おお、これは実に愉快な遊具だな」
東温はどちらも気に入っていた。
「うわあー!」
止水もめいっぱいはしゃぐ。
三人は日が暮れる前に、遊園地を後にする。
「楽しかった!」
止水は初めての遊園地に大満足だった。
時空ずい道の消滅まで、後二日。状況は変わらない。止水は東温たちとの別れを覚悟していた。
その夜。止水は早々と自分の部屋のベッドで寝ていた。
「止水、起キテ、止水、起キテ」
室内で、目覚まし時計のアラームとは違う声がする。止水はその音に目を覚ます。
「……ん?」
窓をこんこんとたたく音もしている。止水は部屋の窓を開けた。
「東温!」
そこには東温がいる。ここは家の二階で、のぼるような木もないけれど、あやかしの力によって浮いていた。
「会いに来たぞ。窓をたたくだけでは止水が起きなかったから、護符を使った」
「止水、起キテ、止水、起キテ」
宙に浮く護符から音がしている。さきほどの声のみなもとはここからだったようだ。
「厳重な警備の屋敷を抜け出すのは大変だった」
「そうまでしてこんな夜に私の家まで来るなんて、なんの用?」
止水はまぶたをこする。
「遊園地に行ったことで、止水をより楽しませる方法を思いついたのだ。今からふたりで遊ぼう」
東温は一瞬にして白狐の姿になった。止水は彼の背中に乗る。
「うわあー!」
東温は止水を乗せて夜の街をかけ回った。夜でも通行人がいたり、車やトラックが走っていたりするけれど、護符の力によって、だれも止水たちに気がつく者はいない。
止水のような小学生が夜に遊ぶのは危なく、よくないこととされている。まじめな止水は夜に保護者の同伴なしに出かけたことはなく、親や学校の先生からの教えをきちんと守っていた。
今、自分はいけないことをしている。後ろめたいけれど、やめられない。気がとがめるからこそ、わくわくとした。東温もそれがわかっているから、あえてこの時間帯を選んだのだろう。この気持ちは遊園地で体験するもの以上だ。どんなアトラクションより自分を楽しませてくれる東温はすごいと、止水は思った。
次の日の夕方。東温たちとの別れまで後二時間とせまっていた。
時空ずい道が消えてなくなる前に、止水と東温は店から近い河川敷の堤防を歩く。こうして東温とじっくり話すのも最後だろう。
「余はこうして止水と歩いているだけで、とても幸せな気持ちだ」
東温は別れを感じさせない、晴れ晴れとした表情をしていた。
「できるなら、こんな日々をずっと送りたかった」
「……」
止水はなにも言わない。本当は彼に言いたいことは山ほどあった。
「余は止水と過ごした日々のことを生涯忘れぬ」
東温の一途な思いに、止水は目から涙が出そうになる。昔からだれかに自分の泣く姿を見られるのは嫌だった。しかし、それよりも、自分が今ここで名残おしそうにすれば東温を余計に辛くさせてしまう、という思いが強い。後味の悪い別れだと、これからの人生、東温が前を向いて歩いてはいけないだろうと。だから、止水は東温に涙を見せるわけにはいかなかった。自分が気丈でないことが相手にさとられないようにと、下を向く。
「余は人間界に来れなくなっても、向こうの世界で、ずっと止水のことを思って生きる」
東温の宣言は、止水としてもうれしかった。けれど、彼がそう思うのはよくない気がしている。東温にはこれから自分のいない人生で幸せになってほしい。彼がいつまでも自分の存在に縛られて生きることを、止水は望まなかった。だけど、本音では東温が他の女の子を好きになってしまうのは嫌で、彼のとなりにいるのは自分であってほしい。止水には互いに反対の関係にあるふたつの思いがあった。
「生まれ変わったら、その時こそは一緒になろうぞ」
「そうね」
止水はこっそり涙をふいて、笑顔でうなずく。いつもの調子で「なにを言っているの」とは言わなかった。次の人生のことなら、すなおでいられている。
「……なんて、本当は来世なんてどうでもいい。今、余は止水と一緒にいたい。たったそれだけなのに、どうして叶わぬのだ」
東温は「うっ、うっ」とむせび泣いていた。ふだんの彼は喜怒哀楽の表情をあまり顔にあらわさず、多少のことではくじけない。止水も、東温がここまで弱っている姿は初めて見た。
午後六時になる十五分も前に、止水と東温は店に戻る。
二階のイートインスペースには沖豊だけがいるはずなのに、そこには譲奈もいた。
「譲奈さん!」
止水は彼女のもとまでかけ寄る。
「先日はここへ当分来ないかのような別れ方をしたのに、また来てしまいました」
「いいの。あなたにまた会えてうれしい」
「わたくしも時空ずい道の修復の手伝いにきました。東温と止水の力になりたい」
譲奈の両目は緑色に光っていた。彼女の長い髪が重力に逆らうように、宙に浮く。
「東温と止水が生涯会えなくなっても、わたくしは東温をもういちど好きになったりしません。東温の不幸はわたくしの不幸」
「譲奈さん……」
本来ならば東温と結婚するはずで、彼女自身もそれを強く望んでいた。そんな譲奈の口から出た言葉。止水は胸にじんとくる。
「正直、東温があなたと出会って『あなたさえいなければ』と考えたことがないと言えば、うそになります。あなたがいようがいまいが、東温のわたしにたいする気持ちに関係ないとはわかっていたのに、それを認めたくなくて……。止水、いちどでもあなたを悪く思ってしまったこと、謝ります」
「ううん。いいの。譲奈さんがそう思うのは当然よ」
「わたくしには人だけでなく、万物を動かなくする力があります。ここはわたくしの能力が使えるかと。その力を蛇髪にありったけ込めます」
譲奈は目をかっと開き、長い髪に能力をそそぐ。そして、髪で亀裂の部分をふさぐ。
「ううっ……!」
その間、譲奈は苦しそうだ。たとえるなら、つな引きで自分より強い相手と対戦しているようなものだろう。譲奈は歯を食いしばって、必死でこらえる。
「あっ!」
はげしい戦いの末、譲奈の細い体はいきおいよくはね飛ばされる。そのうえ、時空ずい道は彼女が能力を使う前となにも変わっていなかった。
そうこうしている間にも、時空ずい道はどんどんと荒れていく。それはまるではげしく、強いいきおいで立つ波のようだ。
午後六時二分。時空ずい道が閉ざされるまで、後一分もない。
「東温坊ちゃま、早く行かなければ、二度とあやかしの世界に戻れなくなってしまいます!」
先に時空ずい道へと入っていった沖豊は叫ぶ。譲奈も沖豊の背後に回っていた。しかし、東温はその場を離れようとしない。後ろをふり返って、止水を見ていた。
「東温、行って! あなたには帰る場所があるのよ」
止水は東温の背中を強く押す。その弾みで、東温は時空ずい道に吸い込まれていった。
「止水ーっ!」
東温は手を差し出して、大声を発する。本当は止水と離れたくない気持ちが体ごとあらわれていた。
「東温!」
止水も右手を差し出して、大きな声で名前を呼ぶ。けれども、ふたりの手が触れることはなかった。
午後六時二分十七秒を過ぎると、 時空ずい道はあとかたもなく消え、そこにはただの白い壁があるだけとなる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます