第16話 東温と譲奈のデート



 次の日も、譲奈は人間界にやって来た。人間界の子どもが学校でならい学んでいることに興味があるとのことで、止水は彼女に算数の教科書を見せる。その後で実際に問題集を解かせてみた。



「譲奈さん、すごい! 満点!」



 止水が採点したところ、それはすべて正解している。



「あやかしの世界と勉強の内容は変わらないようですので。止水がわたくしの一歳下となりますと、これは去年学んだことになりますから、間違えるわけにはいきません」



 譲奈は得意げに言う。年上の譲奈は先輩のようでありながら、同級生のようであった。止水は学校の上級生に譲奈がいたら楽しかったかもしれないと感じる。



「お、ふたりで勉強か?」



 そこへ東温がやって来た。



「……」



 譲奈はぷいと、そっぽを向く。



「な、なんだ」



 東温は譲奈の態度に動揺していた。止水はその調子、と思う。



 ただ、それで本当に譲奈の恋がうまくいくのかはわからない。押しても引いても、東温が譲奈になびかない可能性もある。それだと、東温の気持ちが自分から離れないようにと、止水が譲奈にわざと彼女のためにならないアドバイスをしているようにも見える。止水は焦った。



 ふたりの心の距離が縮まりそうな方法を考える。



「そうだ。東温、あなた、譲奈さんとふたりでデートしなさいよ」



 すぐさま東温に提案した。



「でーと、とはなんだ?」



 東温はきょとんとする。そういえば彼はあやかしだったな、と止水はそこで思い出した。



「ふたりで外に出かけるってことよ」



「止水も一緒ならいいぞ」



「いいえ。人間の私がいたら意味ないの。あやかしのふたりで人間界の町を歩いてくれる? その後、心で感じたことを私に聞かせて。あやかしならではの着眼点は、店の売り上げを上げるヒントになるかも」



 それは、うその理由だ。東温を納得させるとなると、店をだしにするしかなかった。



「止水がそう言うなら、やろう」



 さっそく東温と譲奈は外を散歩する。店がある商店街をぶらぶらと歩き、商店街近くの河川敷を往復して、また店まで戻ってくるというルートだ。



 止水と沖豊は三メートル後ろから東温たちの様子を見守る。遠くからでもふたりの会話が聞こえるよう、沖豊が護符を使う。ふたりが買い物したくなった時のために、東温には財布も持たせている。



 東温と譲奈は美男美女でお似合いだった。親の決めた結婚相手だとしても、たいていの男なら美しい譲奈をよろこんで自分の妻として迎え入れるだろう。そうしないのも東温くらいなはず、と止水は考える。



「わたくしはこうして東温と横ならびで歩けるだけで幸せです」



 東温のとなりで、譲奈はほほを赤く染めていた。



「そうか? 幼なじみの余と譲奈が散歩するなんて、いまさらだろう。譲奈はもっと大きなことに幸せを感じた方がよいぞ」



 東温はまったく調子を合わせようともしない。



「……」



 譲奈は口をつぐむ。



「あちゃー。東温ったら、なんてデリカシーのないやつなのかしら」



 止水はあきれる。



「仕方ありませぬ。東温坊ちゃまの心は止水さまにありますので。これが止水さまとの散歩でしたら、東温坊ちゃまも幸せを感じていたでしょうねえ」



 東温が生まれた頃から彼につかえている沖豊は、だれよりも東温の気持ちを理解していた。



「東温、見て! あそこに大福が売っていますわ! わたくし、あれが食べたい!」



 譲奈は商店街にある和菓子屋を指さす。



「おっ、ふたりで同じものを食べるというのは、デートらしくていいかもしれない」



 止水はその展開にわくわくとした。



 ふたりは塩豆大福を買った後、店の前のイスに座ってそれを食べる。



「この大福、すっごくおいしいですわ! あやかしの世界にだって、これほどおいしい大福はないでしょう」



 譲奈はその味に感激した。



「あそこの店の大福は評判がいいもんね」



 護符を通してそれを聞いていた止水は、譲奈の言葉に同感する。



「これは確かに美味だが――余は友高殿の作るおやつの方が好きだ」



 東温ははっきりと言う。



「あちゃー。お父さんの娘としてはうれしい言葉だけれど、それは今言うべきことじゃない。東温ってば、どうしてそこで『うん、おいしいね』って同調してあげられないのかしら」



 止水から見た東温とは、協調性がなく、本音と建前を使い分けられないというものだ。もしも止水が彼の教育係なら、他人の気持ち、特に女心を理解できるよう徹底的に教え込む。



「譲奈さまは東温坊ちゃまを運命の相手と思っているようですが、ふたりの相性はよくないのかもしれませんね……」



 沖豊はそう結論づける。



「ふたりが結婚したとしても、そりが合わず、ずっとこんな調子でしょう。果たして、それが本当の意味で譲奈さまの幸せになるのか――」



「……」



 止水は言葉が出ない。なにをやってもふたりがうまくいかないとは、まだ思いたくなかった。



 東温と譲奈は商店街を抜けると、河川敷の堤防のいちばん高い部分を歩く。そこはただ通行したい人だけでなく、ランニングや犬の散歩などの目的を持った人などもよく利用している。



「東温、見て。あそこ、みんなで走っている」



 譲奈は川表、河川敷の川の水が流れている方を指さす。そこを男子高校生の集団が走っていた。おそらく、陸上部の部員だろう。



 譲奈が人間界の様子を見てはしゃぐ、その時だった。彼女はうっかり足をすべらせる。



「きゃっ」



 このままだと譲奈は法面、堤防の斜面の部分を転げ落ちてしまう。そうなれば、彼女の体は無傷ですまないだろう。けれども、遠くから見ている止水にそれを防ぐすべはなかった。



「譲奈、大丈夫か?」



 東温はあやかしの力を使って、譲奈の体をふわりと宙に浮かせる。東温によって、譲奈は難をのがれた。



「ええ」



 許嫁に助けられた譲奈はうれしそうだ。



「東温、わたくしがまた落ちないよう、手をつないでくれませんか?」



 東温に向かって、手を差し出す。



「そうだな。譲奈はあぶなっかしい」



 東温はしっかりとその手をつなぐ。ふたりはふたたび歩き出した。はたから見ると、相思相愛の恋人のようだ。



 その時、止水の胸が針を刺したようにちくりと痛む。



「えっ、今の胸の痛みはなに?」



 止水は自分でもわからなかった。本当に針が心臓を刺したのではないかという恐怖すら感じる。



「近江屋さん、護符で健康状態を調べることってできる?」



「病気を治したりなどの高度なことは医者でないとできませんが、診るだけならわたくしでもできますぞ」



 すぐに止水は沖豊に自分の心臓を診てもらう。



「念のため、他の臓器も診てみましたが、止水さまの体はどこも悪くないようです」



「そっか。針に刺されたと思ったんだけれどな」



「うーん、止水さまの体内に、針はおろか、異物はなにもないようです」



 体に異常はないと知り、ほっとするけれど、奇妙でもある。さきほどの胸の痛みはなんだったのだろうと。



 夕方、東温と譲奈の散歩デートは終わった。



「東温、どうだった?」



 止水は聞いてみる。



「悪いが、妙案は浮かばなかった。店から近いこともあって、河川敷で食べ歩きを流行らせるとよさそうだと思ったが、ゴミが少し落ちていたから、そうするとゴミがもっと増えそうだなと。人間は道徳心や倫理観がある人間ばかりではないのだろう?」



「あ、ああ。そのことならいいの」



「幼なじみの譲奈と歩くと、新鮮さに欠けて、この世界の町並みもあやかしの世界と変わらなく感じる。余は止水がいてこそだ」



「東温って、いかに自分がめぐまれているのかに気づくべきよ。譲奈さんはあんなにきれいな女性なのに。譲奈さんと結婚したい男性は、あやかしの世界にもごまんといるはず」



「それは合点がいかない考えだな、止水。止水は顔がきれいな男となら、だれとでも結婚できるのか?」



 東温の返しは止水の心をぎくっとさせた。「そうよ」と、首をたてにはふれない。



「譲奈さんは見た目だけじゃなくて、性格も優しくて、しおらしくて、すてきじゃない」



「だからこそ、譲奈には余より彼女を大事にあつかう男がふさわしい気がしてならないのだ。余も、譲奈にはいつも顔色や機嫌をうかがわれているような気がしてならない」



「東温、あなた、四歳の時、謙奈さんのために高い山の花を摘んできてあげたんでしょう? 男の子というのは、その気がない子にそこまでしてあげないはず」



「それは余なら高い山の花を摘めるはずだと、自分の力を試したくなっただけだ」



 譲奈にとっては特別な思い出も、東温からしてみればとりとめのない出来事のようである。



 止水は譲奈の気持ちを考えると辛く、痛々しく思って、心が大きく動揺してしまう。けれども、東温が心変わりしなさそうなことに、どこかほっとしてもいた。そして、譲奈の恋がうまくいかないことを望んでいるようで、そんな自分を嫌いになりそうになる。

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