第15話 婚約者あらわる



 日曜日。止水は家で宿題をすませてから、店に行く。二階に上がっても、東温と沖豊はまだ来ていなかった。



「あの女の子、初めて見るな」



 イートインスペースの中央には少女がひとりで座っている。年齢は止水と同じくらいだろう。つり目で、あごの先がするどく、きりっとした顔立ちをしている。止水から見ても、とてもきれいな少女だと思った。髪の毛は止水より長い。止水の髪は胸より上の長さだけれど、その少女の髪は腰までのびている。



「あなたが止水ね?」



 少女が立ち上がって、止水に近づいてきた。止水はその少女を初めて見るのに、相手はなぜか自分の名前を知っている。ふしぎに思った。



「えっ? ええ」



 よく見ると、少女は着物を着ている。この世界の人間ではない、と止水は感じた。



「わたくし、東温の許嫁の印南譲奈いんなみゆずなと申します」



「ああ」



 東温には結婚の約束をした相手がいると聞いている。譲奈も時空ずい道からやって来たのだろう。



「東温は止水のことが好きだと聞いております」



「彼、あなたにそんな話までしたの」



 自分の知らないところで自分のうわさ話をされるというのが、止水は好きでない。東温の勝手な行動は困ると感じた。



「止水も東温のことが好きなのですか?」



「全然! そんなことはないよ!」



 止水は首をはげしくふって、否定する。けれども、東温には人間界に来てほしくないことはない。東温がこっちへ来るようになってから、毎日が楽しくもある。東温のおかげで、イツデモイマデモも経営の危機を脱出しつつあった。東温が人間界に来なくなったら、止水の心はさみしいだろう。



「そうなのですね。わたくしは東温の気持ちをこちらに向けさせたいのです」



 止水は頭の中で状況を整理する。譲奈は東温が好き。東温は止水に気がある。止水は東温をコンビニの売り上げを考える仲間以上に思っていない。



「東温の気持ちが譲奈さんに向いたら、私としても都合がいいかも」



 止水が譲奈にそう言ったのと同時に、東温と沖豊が時空ずい道から出て来た。



「東温!」



 譲奈は東温に抱きつく。



「譲奈!? なんでここに!?」



 東温はおどろいている。



「東温を追いかけてきたのです」



「止水、紹介する。こちらは――」



「ええ、本人から聞いたわ。あなたの許嫁の譲奈さんでしょう?」



「わたくしとの縁談が嫌で、人間界に行くなんて――東温はわたくしのどこがだめなのですか?」



 譲奈は東温に抱きついたまま聞いた。



「だめというか、譲奈は余の好みではないのだ」



 譲奈は絶世の美女だ。そんな譲奈をふるとは罰当たりな、と止水は思った。



「理由は、わたくしが東温より年上だからですか? 止水のような、同い年がよいのですか?」



 譲奈の目には涙がうかんでいる。



「年齢は関係ない」



「譲奈さんは何歳なの?」



 止水はあやかしたちに聞いた。



「余と止水より一歳上だ」



 東温が答えた。人間でたとえたら、小学六年生だ。



「それでは、東温の好みを教えてください。わたくし、がんばってあなた好みの女になります」



「余は自分に媚びる女は好かぬ」



 東温は譲奈から離れ、あさっての方向を向く。



「では、わたくしはあなたに媚びなければよいのですね?」



 譲奈は一歩も引かない。東温への思いの強さを感じる。



「だが、譲奈がそうしたところで、余は譲奈を好きにならぬ」



 東温は止水の肩を抱いて、自分のもとまで寄せた。



「余と止水がもう出会ってしまったからだ」



「ちょっと!」



 止水は両手で突き飛ばして、東温から離れる。



「そうですか……」



 譲奈はしゅんとなった。好きな人からことごとく相手にされない譲奈を、止水はかわいそうに思えてならない。



 その後、止水は譲奈とふたりで話す。譲奈を元気づけようと、彼女にぶどう味の炭酸飲料を買ってあげた。人間界へ初めて来た譲奈はペットボトルも初めて見るようで、止水はふたの開け方から教えてあげる。



「まあ、口の中がしゅわしゅわとはじけるような、ふしぎな味! けれども、おいしいですわ」



 譲奈はひと口飲んだだけで、目を輝かせた。



「東温が人間界に夢中になるのも、うなずけます。東温は好奇心旺盛で、目新しいものが好きですから」



「譲奈さんは東温のどこがいいの?」



 止水はたずねる。



「結婚するといっても、親が決めた相手なんでしょう? あっ、親のために東温と結婚したいとか?」



「いいえ。確かに東温は親が決めた結婚相手ですが、わたくしはそうでなくとも彼と人生をともに歩みたいと考えております」



「理由は?」



「東温はああ見えて優しいの」



 譲奈はにこっと笑う。



「わたくし、高いところがとても苦手なのですね。わたくしの家系で高い木や山にのぼれないというのは、落ちこぼれとされています」



「そうなんだ。人間の世界だと高所恐怖症といって、そういうものなんだと、まわりも理解してあげないといけないところなのに」



「それはわたくしが五歳、東温が四歳の時のことです。風邪をひいたわたくしを元気づけようと、東温がわたくしのために、わたくしだったらのぼれないような、高い山に咲いている花を摘んでくれたことがあったのです」



「へー。あいつにもそんないいところがあるのね」



 止水はそこにいない東温に感心しつつ、炭酸飲料を飲む。もっとも、東温は止水のためならなんでもしそうだが。実際、アイドルに大食いに、色々とやってくれている。止水にとって、そこまでしてくれる男子は東温が初めてだった。



「今の譲奈さんって東温のことを好き、好きって感じじゃない? きっと、その熱量が東温の気持ちを遠ざけているのよ。東温も自分に媚びる女性は好みじゃない、って言っていたじゃない」



 東温はなぜ譲奈でなく止水を好むのか。ふたりの決定的な違いはそこだと思った。譲奈は東温にぐいぐいと行くが、止水はまったくそうでない。



「でも、わたくしが追いかけなければ、東温はわたくしのことなんかもっと忘れてしまいます」



「人間界に来ても、追いかけなければいいのよ。彼の前でもきぜんとした態度でいてみて。東温だって、今まで積極的だった譲奈さんが急にそうじゃなくなったら、あなたのことがだんだんと気になる存在となるはずよ」



「やってみます!」



 譲奈はガッツポーズをした。



「ちなみに、譲奈さんはどんなあやかしの能力を持っているの?」



「わたくしは蛇女です」



 そう言われてみると、譲奈のつりあがった目や長い髪は蛇のふんいきを感じる。



「蛇女にはどんな能力があるの?」



「いろいろありますが、わたくしの目を見た者を動かなくさせる能力があります」



 さっそく、譲奈の能力はどんなものなのか、友高の体を使って実験してみた。譲奈に見つめられた友高の全身が固まる。譲奈があやかしの力を使う時、彼女の両目は緑色に光るようだ。



「すごいね、譲奈ちゃん!」



 これには友高も手をたたきながら、大声でほめたたえた。



「それ、東温にやってみたらどう? 彼を動けなくして、自分のそばに置いておくとか」



 止水は提案する。



「わたくしより東温の力の方が強いので、効かないのです」



「そっか、白狐はあやかしの中でも最強なんだっけ」



 思い出せば、東温と初めて出会った時、止水も彼の力で思うように体を動かせなくなったことがあった。



「それから、蛇女は自分の髪の毛をムチのようにあつかえたりもします。蛇女として生まれた女は、髪の毛をつねに腰のあたりまでのばしておかなければならないという、その能力のためのおきてがあるのです」



「へえ。だから、譲奈さんは髪が長いのね。その能力も見せて」



 止水が願い求めると、譲奈の長い髪は緑色の光につつまれ、友高のもとまでいきおいよく向かっていく。譲奈の意思によって、髪はどこまでものびるようだ。



「わっ!!」



 ムチとなった髪は、友高の肥えた胴体にからまる。しかし、すぐに外れた。



「わたくし、この能力はまだ上手にできなくて……」



 譲奈はハア、ハアと息を切らしている。



「譲奈ちゃんはまだ十一歳じゃないか。これからだよ」



 友高ははげました。



「東温はわたくしより年下でありながら、すでに白狐としての才能を開花しているんですよね」



 けれども、譲奈自身は納得していない様子だ。



「今のところ、閑田家が印南家と結婚して得られるものは、印南の名前と広大な領土だけ。わたくしの存在そのものに価値はありません。わたくし自身があやかしとしてもっとすぐれていたら、東温の気持ちも違っていたのかもしれませんね……」



 譲奈はできない自分に劣等感をいだいているようだ。東温に好いてもらえないのは自分が弱いから、と。止水は譲奈の境遇にせつなさをおぼえる。

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