第3話 出張販売の成果は



 次の日の朝。友高は早起きして弁当や惣菜を作った。今日からはじめる出張販売のために、多くの従業員をかり出している。店はいつになく大いそがしとなった。



 午前八時を過ぎた頃、東温と沖豊は二階のイートインスペースに到着する。この日は水曜日。止水も学校へ行く前に、彼らと会う。



「では、売ってくる」



 東温は弁当やおむすびを大きなふろしきで包む。そのふろしきは彼の特別な力によって浮いた。沖豊もサンドイッチをふろしきに包み、持っていこうとする。



「私も学校に行かなくちゃ」



 ランドセルを背負っている止水が言う。沖豊によると、あやかしの世界にも学校や塾のような教育機関はあるらしい。高貴な身分の東温はそうしたところへは通わず、家庭教師がつきっきりで勉強を教えているそう。



「余とじいやは昼過ぎにまたここへ来る」



 そこで東温たちと別れた。止水は結果が楽しみとなる。



 午後三時過ぎ。止水は学校の授業が終わると、一目散に店へと寄った。十分ほど二階でなにもせずに待っていると、東温と沖豊があやかしの世界からやって来る。



「『こんなにおいしい食べ物は初めてだ』と、朝市で完売するほどの反響だった」



 東温の報告に、止水と友高は「わあっ!」と感激し、手をたたいた。



「お代をもらってきたぞ」



 東温は大きな袋を床に置く。



「わあーっ!」



 思わず叫んでしまうほど、止水の感情が高ぶる。それは袋の中を見ないでもわかる、かなりの大金だ。友高は早起きして弁当を作ったかいがあった、というような顔をしている。



 東温は袋を開け、ひっくり返した。小銭がはでな音を立てて床に落ちる。



「……えっ?」



 止水はそれを見て、拍子抜けした。その中の一枚を手に取ってみる。東温が持ってきた硬貨はどれも見たことのないデザインやかたちをしていた。



「こ、これがお金?」



 考えてみると、あやかしと人間とで文化が異なるのだから、流通している通貨が違うのは当たり前だ。



「一りょうはあるぞ」



 なにも知らない東温は得意げとなっていた。



「一料ってなに?」



 止水はわなわなと肩をふるわせ、聞き返す。沖豊もそのお金がこの国では使われていないことに気づいたようで、はっとした。すぐさま東温に説明する。



「これじゃ、日本のお金に換金することもできないじゃない!」



 止水はショックを受けた。



「……す、すまぬ」



 東温は気まずそうに悪びれる。



「ちなみに、一料は日本円に換算するといくらなの?」



 止水はたずねた。沖豊はそろばんをぱちぱちとたたく。近江屋さんっていつもそろばんを持ち歩いているのか、と止水は思った。



「およそ十三万円でございます」



「そんなに売れたの!」



 その事実には止水だけでなく、友高もびっくりとする。これがうまくいっていればビッグビジネスだったのに、と。



「でも、競合他社がいないところでうちの商品を売り込む、という着眼点は悪くなかったよね。ひとすじの光が見えてきた気分だ。気長にやろう」



 友高はポジティブだった。



「止水と友高殿、少しのあいだ、ここで待っていてくれ」



 東温は沖豊を残して、時空ずい道に入っていく。彼は三十分ほどで戻って来た。行った時は手ぶらだったのに、かなりの大荷物だ。



「お金のかわりとまではいかぬが、あやかしの世界の米や野菜を持ってきた。使ってくれ」



 その手みやげは東温なりに考えたおわびのしるしのようだ。



「ありがとう。助かるよ」



 これだけあれば、一家三人、二週間は食べる物に困らないかもしれない。



「わが国の豊穣な土と清らかな水で育ったものだ。味のよさは保証する」



「あやかしの世界の農業はすべて有機農業でごさいます」



 沖豊が補足説明する。



「お父さん、有機農業ってなに?」



 止水は友高に聞いた。



「化学肥料や農薬を使わずに栽培する、ってことだね」



「へえ! 安心で安全なお米や野菜が当たり前のように食べられるなんて、あやかしの世界はいいなあ」



 止水はそれを自分たち家族だけで食べるのはもったいないのでは、と思いはじめる。



「お父さん、この野菜を店で売ったら?」



 子どもながらに案を出した。自然のめぐみを生かした野菜をほしがる客がいるのでは、と。



「仕入れ値はなしでかまわない」



 東温もつづけて言う。売れば、得た代金はすべて店の利益になるということだ。



「そうしたいけれど、産地をあやかしの世界だって表記するわけにはいかないから、売ることはできないかも」



「友高殿、それはどういうことだ?」



「この国には法律があってね、国民はそれを守らないといけないんだ。それに、東温くんたちとしても、自分たちの存在を僕たち以外の人間に知られるわけにはいかないんじゃない?」



「そうね。あやかしの世界が知れわたったら、日本中が大さわぎになるわ。マスコミが二階の時空ずい道に押しかけるかも。うちの店としても迷惑よ」



 止水はそれを想像する。いやだ、と思った。



「ならば、この国のものということにして売ればよい」



「国産ということにすると、うそをついたことになるね。それは産地偽装といってね、罪に問われるんだ。あやかしの世界の野菜は外国産、といってもいいんだろうけれど――」



 東温は販売に気がのらないようだ。



「まあ、ここは売らないのが間違いないか」



 最初に言い出した止水も意見を変える。



「あやかしの世界にも法令はあるが、人間の世界はもっとややこしいのだな」



「規律が秩序を生むんだ」



 友高は世の条理を説く。



 店にとっていいアイデアが生まれても、それが実現できるとは限らない。アイデアを出すより、実現させる方がむずかしい。止水は商売の大変さを知る。働く父の大変さも。



 その日の夜のはじめ頃。澄村家の食卓の席にはあやかしの世界の野菜が使われた料理がならぶ。炊いた米も東温にもらったものだ。



「あら、このごはん、すごくおいしいわね。野菜もふだん食べているものより上質だわ」



 世利果はとても気に入ったようだ。店に立ち入らない世利果にはあやかしの存在を教えていない。米や野菜は知人にもらった、とだけ伝えた。隠したいわけではなく、説明がむずかしいので、東温たちと直接会った時に教えるつもりだ。



「あーあ。これが店で販売できていたら、かなりの利益になっていたのに。うちのお店の売れ筋商品になっていたかも」



 止水はぼやく。実際に食べてみて、あやかしの世界の食べ物は人間界のよりおいしいと感じていた。



「ん? 止水、どうしたの?」



 世利果がたずねる。



「なんでもない。まあ、お父さんの言うように、地道にやるしかないかあ」



 東温は明日もこっちへ来て、店のやり方を指導してくれるのか。今度こそうまくいくといいが。止水は食べながら思った。

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