浮気しない? と彼女がいった

ネプ ヒステリカ

浮気しない? と、彼女がいった

 H氏が結婚して数年が経った頃。

 若い女性を伴って課長が係の部屋に来た。

「この間辞めた彼女の代わりに来て下さったアルバイトの松田さんです」

 と、紹介した。

「よろしくお願いします」

 と、ペコリと松田さんは、頭を下げた。

 目の大きな、小柄でかわいい人だった。

 H氏の隣席で、事務の手伝いをしてくれた。

 年齢も近く、彼女は、H氏に気軽に話しかけてきた。

 H氏は、彼女と話すのを楽しんだ。

 既婚で、小学生の子供がいると、彼女はいった。

 H氏が、

「早くに結婚したのですね」

 というと、

「彼とは、高校生の頃からの付き合いで、大学卒業前に、勢いでつい……」

 松田さんが、恥ずかしそうにいいた。

「幼馴染みと結婚って、素敵ですね」

 H氏がいうと、

「そんなこと、ないです。新婚の新鮮さがありませんでした」

 と、いって松田さんは、コロコロと笑った。

 かわいい人だと、H氏は思った。

 松田さんの胸は大きかった。背筋を伸ばして立っていると、よけい胸が強調された。また、座るとき、重そうな胸を、机に乗せるようにしたので、目のやり場に困った。

 意識しないようにしても、気になる。

 見てしまうと、胸に気を取られるから、H氏は、彼女と話すとき意識して胸を見ないようにした。

 部屋にだれもいないとき

「松田さんのおっぱい、大きいね」

 ポツリと課長が言った。

「そうですね」

 と、H氏は悪事を共有したと、いたずらっぽく微笑んだ。

 ある日、階段の踊り場で松田さんと話していたら、なにかを出そうとして、彼女がすこし身体をよじった。

「これね」

 と、いいかけたとき、ブラウスの胸元ボタンがはじけ飛んだ。

「キャ!」

 と、叫んで、胸を押さえ、彼女は、かがみ込んだ。

 ブラジャーに収まりきらない、いまにも飛び出しそうな胸が見えた。

 H氏は思わず目を反らした。

「ごめんなさい」

 そういって松田さんは、階段を駆け下りていった。

 しばらくして、職場に戻ってきた彼女の胸元で、安全ピンが光った。

 どこかで調達したのだろう。

 女性のネットワークは、恐ろしい。

 眼が合った。

 見ないでか、だれにも言わないでとウィンクで彼女が合図した。

 それでもその日は、気が付くとH氏は、松田さんの胸を見ていた。

 だれかに気付かれたらと、H氏は慌てて目を反らした。

 それからしばらくH氏は、照れくさくて、松田さんと眼を合わさないようにした。

 彼女は、気にしていないようで、変わらず話しかけてきた。

 その度にH氏は少し照れた。

 業界の簡単な会議に行くことになった。

 一人でも良いようなものだったが慣例で、二人で行くことになっている。

 課長の指名でH氏は、松田さんと行くことになった。

「松田さんの家は、Hさんと同じ方向ですね。Hさんの車で行って、気にせずそのまま直帰して良いですよ」

 と、課長がいった。

「わたしも直帰ですか」

 Hさんがいうと、

「当たり前ですよ。そんなに忙しくないですし、Hさんも直帰してください」

 課長がいった。

 松田さんと並んで会社を出た。

 二人きりの車内にH氏は、少し緊張した。家族以外の女性と車に乗るのは、久しぶりだ。

 車を走らせているあいだ、松田さんは、なにも言わなかった。

 会議は、あくびを噛み殺すのに困るほど退屈だった。

 会議が終わったのは、4時。

「早く終わりましたね」

 と、松田さんがいった。

「この会議は、いつも報告と説明だけだから、こんなものです」

 H氏は、いった。松田さんを前にしてなぜか、緊張した。

 社外で話したことがないからだろうと、H氏は思うことにした。

 緊張している自分がひどく恥ずかしい。

 気付かれたらどうしようかとH氏は思った。

「帰りましょうか。課長もいっていたことだし」

 H氏がいうと、松田さんはコクリと頷いた。

 車に乗って、シートベルトを付けるときH氏は隣に座る松田さんを見た。

 松田さんは、考え事をしているような遠い目で前を見ていた。

 緊張しているとは、見えなかった。

 国道を走っていたとき、松田さんがポツリと、

「浮気しない?」

 と、いった。

「えっ!」

 とっさのことで、H氏は、なにもいえなかった。

 頭の中は、職場の仲間。家族のことが巡った。

 のどがカラカラになった。

 少し考えるように、間を空けて、

「冗談ですよ。気にしないでください」

 松田さんが、いった。

 H氏は、なにもいえなかった。

 松田さんも、なにもいわない。

 気まずい空気のまま松田さんを家の近くまで送った。

 松田さんの真意が分からない。

 あらぬ妄想が膨らみH氏は、壊れそうな気がした。

 松田さんがパートタイムの仕事を辞めたのは、それから一週間も経たない。

「今月辞めるって、ずっと前から決めていたことよ」

 H氏の耳元で松田さんがささやいた。

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