第4話 地球の未来

 特に時代が、

「高度成長時代」

 と言われる時は、確かにいろいろなものが、出てきた。

 いわゆる、

「三種の神器」

 と言われるもの

「テレビ」

「冷蔵庫」

「洗濯機」

 と言われる、電化製品であったが、確かに便利であったが、出始めの頃というと、とにかく高くて簡単には手が出ないものばかりだった。

 それでも、それを揃えることがトレンドとなったりして、さらに、世の中が次第に豊かになってくると、それまでの、

「都会と田舎の立場が逆転する」

 といことになってきたのかも知れない。

 というのも、

「もはや戦後ではない」

 と言われるまでになった日本であったが、その前はというと、

「決定的な物資の不足」

 というものがあった。

 というのも、戦争が終わってみれば、都会と言われるところは、ほとんどが焼け野原になってしまっていて、住宅も物資もまったくないというような状態だった。

 戦争中から物資は不足していた。

 食べ物もまともになく、戦争継続のための、武器弾薬も付属していることから、家庭の金属を、国に、供出しなければいけないというほどになり、しかも、

「お寺の鐘」

 なども、徴用されることになるのだから、

「罰当たり」

 を通り越しているといってもいいくらいであろう。

 そんな時代であったが、戦争が終わってみると、田舎の農村は、空襲にも遭わず、何とか、

「自給自足」

 ができるくらいになっていたので、都会から、田舎に、

「食料を分けてもらう」

 ということで、毎日のように、出かけていく人が後を絶えない。

 とにかく、当時は、

「ハイパーインフレ」

 と呼ばれていて、お金の価値が、

「あってない」

 というようなものだった。

 つまりは、

「紙屑同様」

 といってもいいくらいで、

「金では、食料を分けてもらえない」

 ということだったのだ。

 だから、家にある着物であったりを、売りにいくのだが、それもなかなか思ったほどの食料にはならない。

 田舎の人も足元を見たりする。なぜなら、それだけ、たくさんの人が毎日のように、物々交換を申し出てくるのだから、もう、交換してもらうものも、増えすぎて困るくらいになるだろう。

 そうなると、立場は完全に田舎の方が強いというもので、それが、その時代の特徴だった。

 だが、そのうちに、

「もはや戦後ではない」

 と言われるようになり、経済も落ち着いてくると、それまでのような、

「物々交換」

 などしなくても、普通に仕事で稼いだ金で、物資が揃うようになってくると、都会の機能はどんどん発展してきて、特に、

「朝鮮戦争の特需」

 にて、

「奇跡と言われた、戦後復興が叶ってくるのだ。

 そうなると、インフラの整備が問題になってくる。

「ライフラインの充実」

「交通網の整備」

 など、いろいろやりことは絶えずあるのだった。

 そうなると、人手不足ということになり、今度は、田舎から、都会に子供が就職してきたり、さらには、大人も、労働力として、出てくることになったりする。

 それが、学生の、

「集団就職」

 というものであったり、大人の、

「出稼ぎ労働」

 というものだったりするのだ。

 学生の、

「集団就職」

 というのは、大企業が、人手不足を補うのに、田舎の学校を出た生徒を一定数雇い入れるということで、

「一から育てる」

 ということで、その後にある程度確立してくることになる、

「終身雇用」

 であったり、

「年功序列」

 と言われるものの、基礎になったことであろう。

 逆に、田舎にとっての、

「一家の長」

 と言われるような人が、

「出稼ぎ」

 ということで、都会に出てくるのは、

「半永久的な就職」

 というよりも、当時のインフラ整備のための、一種の、

「日雇い人足」

 と言われるような人材で、特にインフラ整備として、高層ビルであったり、鉄道網の充実、これは、新幹線開業に繋がるもので、さらには、道路にての、

「高速道路の建設」

 というのも、急ピッチであった。

 だから、

「人材はいくらいても困らない」

 ということだ。

 それが、

「高度経済成長」

 というものを支え、

「「やればやるほど、儲かる」

 という時代でもあった。

 特に、1950年代後半から、60年代に掛けては、景気の良さ、悪さというものを繰り返しながら、徐々に、世の中が発展していったのだ。

 その間にいくつかのイベントを通り過ぎていく。

 それが、

「東京オリンピック」

 であったり、

「大阪万博」

 だったりするのだった。

 特に、オリンピックというと、

「戦後復興のシンボル」

 ということで、日本を世界にアピールするには、絶好の機会だったのだ。

 そのために、

「外国に、いいところを見せなければいけない」

 ということで、表向きには、インフラの整備や、経済成長というものをアピールし、逆に、それまでの戦後の名残として残っていた、

「バラックであったり、差別の象徴でもあった、部落問題などを、何とかしていくということも問題だったのだ」

 といえるであろう。

 しかも、当時の問題として、

「なんといっても、風俗などの、夜の街というのは、見せられないもの」

 ということで、潰れていきかけた存在だった。

 何とか、影で営業を続け、尊属はしていたが、その後も、その対象となる街で、何かのイベントが行われるということになると、

「風俗などが中心になって、摘発を受けるような厳しい状況になっていく」

 ということが、当たり前のようになっていくのだった。

 それでも、性風俗などでは、

「トルコ問題」

 といって、名前を変更しなければいけない時代に入った時、

「風俗営業法」

 というものに守られ、それまで、グレーゾーンの中で、影ながら肩身の狭いような思いで営業をしていたものが、法律で縛られるということになるが、守られるともいえて、

「市民権」

 というものを持った、れっきとした業界として確立されることにもなったのだった。

 しかし、

「東京オリンピック」

「大阪万博」

 などというのは、さすがに規制が厳しいものとなっていたのだが、インフラ整備というのは、でかせぎを募らせ、とにかく、

「人材確保」

 というのが、第一だったのだ。

 そのため、今から思うからなのかも知れないが、その暮らしは、決していいものではなかったといってもいいだろう。

 都会に出稼ぎにきても、ホテルのようなところであったり、マンションのようなものが完備しているわけではない。

 労働者が暮らすところは、大広間みたいなところに、たくさんの人が押し込められ、その中で、まるで、

「ウナギの寝床のようなところ」

 であったり、

 または、木造の二段ベッドのどちらかが、自分のいるスペースということで、荷物を置くと、

「どこに寝るんだ?」

 というほどの狭いところに押し込められるというわけだ。

 夏の暑さや、冬の寒さは、想像を絶するようなものだろう。

 ただ、そうでもしないと、田舎での農業だけではやっていけない時代になった。

 モノが豊富に揃ってくると、農作物を都会に売るといっても、その価格は、

「戦後」

 とは、価値がまったく違っていただろう。

 戦後であれば、

「闇物資」

 ということで、いくらでも、高価なものとなったであろうからだった。

 時代は、そんな、

「とにかく、今日一日を生き残ることができた」

 というほどの、毎日が必死になって生きていた時代ではなくなった。

 あの頃は、いつ、

「栄養失調で倒れても無理もない時代」

 ということで、

「死んだ人がいても、その人にかまっている場合ではない」

 ということだったのだ。

 それでも、何とか、

「奇跡の経済復興」

 が行われ、イベントにて、日本の復興を、アピールできるようになると、時代は、かつての、

「波乱万丈の毎日」

 というものから、今度は、

「平凡な毎日」

 を求めるようになったのだ。

 毎日のように、朝から晩までという、労働時間の中で、月給というものを貰い、そこで、生活をする、

 結婚して、家庭ができれば、子供が生まれ、生活ができるようになる。

 そんな時代が出来上がってくると、時代は、

「モノがあふれる時代」

 となってきた。

 すると、高度成長時代を通り越してみると、今度は、その反動としての、いろいろな社会問題が起こってきたりする。

 かつての

「部落」

 であったり、差別問題などの解決に向けた

「同和問題」

 であったり、

 物資を供給するという意味での、工場における、産廃物や、それらの処理により問題となってきた、

「公害問題」

 などという深刻な問題が出てきたのだった。

 特に、

「水俣病」

 や、

「四日市ぜんそく」

 などという地域を指定した問題であったり、

「イタイイタイ病」

 などという、よく分からない問題などの、いわゆる、

「四大公害問題」

 というのがあった。

 それは特に、

「そうなることが分かっていて、それでもやっていた」

 という、

「確信犯的なところがあった」

 ということが問題だった。

 それと同じもので、

「カネミ輸送事件」

 であったり。

「森永ヒ素ミルク事件」

 などという悪質なものが後を絶えなかった。

「バレなければいい」

 あるいは、

「黙っていればごまかせるだろう?」

 などというそんな浅はかな考えだったのだろうか?

「今ほど法律が充実していなかった」

 ということなのかも知れないが、逆に今充実しているのだとすると、

「そんな時代があったから、今がある」

 ということになるのであろう。

 そんなことを考えていると、

「中には、そんな問題となる企業であったり、行政も罪は大きいのだろうが、そのような問題とは別に、社会は次第に落ち着いていたといえるだろう」

 ただ、問題は、このあたりから、また、貧富の差の激しさが見え隠れしてきたことで、それでも、

「一般基準の市民は、安定した生活を手に入れた」

 といってもいいだろう。

 毎日が、同じような生活で、たまに、飲みに行ったりするという楽しみがあるのが、密かな幸せということになるのだろう。

 だから、よほど、

「金持ちになりたい」

 という野望を最初から抱いている人でもなければ、毎日の平穏な毎日がありがたいと思えるいい時期だったに違いない。

 この時代における充実感は、

「それだけ、世の中が安定してきた」

 ということであり、逆に、

「それだけ、一人の力でどうにかできるということはない」

 といえるだろう。

 戦後であれば、

「闇市」

 であったり、

「闇物資のブルーカー」

 などと言われる商売をしていると、

「当時は何でも手に入ったりして、そこから、いくらでも会社を大きくすることができた」

 といえるだろう。

 しかし、一旦、社会が落ち着いてくると、

「闇」

 というものを個人でできるということはなくなり。当時できてきた、

「反社会的勢力」

 によって、世の中が成り立っていたのかも知れない。

 そういう意味で、戦後から続く、ある程度までの時期には、世の中には、

「必要悪」

 なるものが、たくさんあったのではないかと思うのだ。

 だから、高度成長時期の後に訪れた、

「安定期」

 というものは、それまでの、

「急速な発展」

 というものがない代わりに、

「毎日の充実感が当たり前のようになる時代」

 であり、ある意味、

「理想の時代だった」

 といってもいいだろう。

 そういう意味で、

「今日が、昨日の延長」

 といえるような日々が、これほど大切だったのかということになるのだ。

 子育てにおいて、

「明日は、今日よりも少しでもいい日にする」

 ということが大切だということを言われるが、それはあくまでも、

「成長期」

「思春期」

 と呼ばれる時代だから、言えることなのである。

 もっと言えば、

「そんな毎日が、子供のルーティン」

 であり、成長が止まり、大人になると、そこから先は、

「安定した毎日」

 を送ることになる。

 つまりは、

「子供の頃に、成長期を当たり前のように過ごしていると、後に控えている安定した毎日を送ることができる」

 ということだ。

 安定した毎日を送るというのは、

「上り詰めた先に見えるものだ」

 といってもいいだろう。

 だから、

「10代から先は、どんどん、毎日が早くなってくる」

 と言われるようになる。

 というのも、それだけ、

「一日の重さというのが重たい」

 ということであり、ただ、それだけ、毎日同じ生活だといっても、

「寸分狂わないわけではない」

 といえる。

「自覚している成長にいたっていないということから、平凡な毎日に見えるだけで、実際には、増えてきているものは、着実に存在している」

 ということになるのだろう。

 それが、自分にとっての、

「平凡な毎日だ」

 ということである。

 そんな毎日を過ごしていると思っているのは、錯覚であろうか。

 ただ、人がいうには、

「毎日を無難に過ごしてるから、毎日があっという間に感じるのさ」

 ということであったが、

「本当にそうだろうか?」

 と感じるのは、今年、大学2年生になる、桜沢という男子だった。

「今までは、確かに、大学受験の時など、毎日のように、追い詰められながら勉強をしていたので、その日一日一日が、置いて行かれないようにしようという感覚で、いっぱいだった」

 と思っていた。

 しかし、それ以降、その時のことを思い出すと、

「アッという間だったのだ」

 ただし、その時の、

「はじまり」

 というのを、今から思い出すと、結構前のようなことに思え、自分の中で区切った場面での

「終わり」

 というものを考えた時、

「結構最近のことではないだろうか?」

 と感じるのだった。

 というのは、その前に感じた。

 その時期が

「あっという間だった」

 ということと、完全に、矛盾しているではないか?

 それを考えると、

「自分が感じている感覚は、最初に感じていた遠さに違いがあるのだろう」

 ということであった。

 遠くに見えている星を、星全体として見る時の感覚と、星の一番近いところと、遠いところを線で結んだ時に見える感覚は、まったく違っているのだ。

 それはきっと、

「宇宙空間」

 というものが、錯覚に満ちているからなのかも知れない。

 星自体が皆、

「空という平面、いわゆる、プラネタリウムのような壁のようなところに映し出された映像のような錯覚から、感じているのかも知れない」

 と感じるのだった。

 元々、

「地球は動いておらず、天体が動いている」

 という考え方だったものを、ガリレオが、

「命を張ってまで証明した地動説は、今では当たり前のようになったが。当時は、本当に、罰当たりな発想だったに違いない」

 といえるだろう。

 そもそも、空も星お距離まで分かるようになると、一つの空という布をかぶせたようなものではなく、

「隣に見える星も、まったく距離が違っている」

 ということになるのだ。

 もっといえば、

「今空で輝いた星も、今から数千年前に光った光が届いたのであって、今、存在しているかどうか分からない」

 ということだ。

 つまり。

「その星が光った光を地球で見るには、あと、数千年かかる」

 ということになるのだ。

 その星のことは分からなくても、この地球が存在していない可能性は、かなり高いことだろう。

 それが、

「自然破壊により、地上に、生物が存在できなくなってしまったか」

 それとも果たして、

「核戦争」

 というものによって、滅んでしまっているか?

 どちらにしても、

「人間の手による、自業自得の滅亡の可能性は、限りなく間違いないレベルに近いといっても尾いいだろう」

 それを考えると、いまさらのように、

「持続可能な。庵とか」

 などと言われているが、

「時すでに遅い」

 といえるのではないだろうか?

 地球というものを、

「我がもの」

 と考えるか、それとも、

「地球というものがどうなろうと、人類には関係ない」

 という思いからなのか分からない。

 昔の人間ならともかく、今の人にとって、

「自分たちが死ぬまでに何もなければ、あとのことはどうでもいい」

 という人が圧倒的に多いということであろう。

 特に、日本政府の、

「お偉い方」

 というのは、皆そんな感じで、今の時代ですら、

「俺がよければそれでいい」

 としか思っていない。

 要するに、

「票を入れてくれる人だけを大切にすれば、自分は安泰だ」

 ということになるのだ。

 それが今の時代の政府であり、口では、

「子供たちに自分たちの借金を負わせてどうするか?」

 と言っているが、結局は、

「自分の利害と一致した」

 というその時だけ、やつらは、声を大にして、自分の正当性を訴えるだけであった。

 そんな政府なのだから、いくら。個人や、環境団体が口をそろえようとも、政府が、

「国家規模」

 でモノを言って、世界共通の話題にしないと、

「いくら日本一国ががんばっても、結局、どうなるものでもない」

 ということになるのだった。

 それを思うと、

「今までの時代の政府が何もやってきていないので、こうなってきた」

 ということだ。


      

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