第5話 毎日を繰り返す

 もちろん、科学が発達していないのだから、当然、何も分からないだろう。

「日本の発展のために、自然環境を犠牲にしてもかまわない」

 というくらいには感じていたかも知れない。

 それが、日本という国をダメにするだけではなく、世界の滅亡を早めるということで、ひょっとすると、

「ノストラダムスの大予言」

 を反映しているのかも知れない。

 そんな大予言というものは、

「1999年7月」

 と言われていたが、考えてみれば、あの予言書自体が、

「暗号のようなもので作られている」

 といってもいいだろう。

 だから、ノストラダムスが、

「明確に書いている」

 ということは、

「裏がある」

 とも言えなくもない。

 それを考えると、

「額面通りに読んではいけない」

 ということになるだろう。

 だからこそ、

「実際に、その時何もなかった」

 ということで、

「よかった」

 と思っている人もいるだろうが、中には、

「含みのあることなので、これは違う時期を指示しているんだ」

 ということを信じている人も一定数いるだろう。

 しかも、

「世界の破滅」

 というものにつながら発想は、今に限らず、あるではないか。

 例えば、

「環境破壊」

 という問題である、

「異常気象」

 をもたらし、その中でも問題となっているのが、

「地球温暖化」

 である。

 その影響は多岐にわたるといってもいいのではないだろうか?

 一つには、夏の暑さである。

「高温多湿」

 であり、

「熱中症」

 と呼ばれるものが出てきて、日本であれば、30年くらい前までは、

「夏が最高でも、33度行けば最高だ」

 と言われている時代があったのは、

「今は昔」

 ということになってきたのだった。

 だから、

「猛暑日」

 などと言われるものがあったのかどうか分からないが、気が付けば、

「35度以上は、猛暑日」

 と呼ばれるようになり、いつしか、

「連続猛暑日、何日」

 とまで言われるようになったではないか。

 何と言っても、

「一日の最低気温が、30度を切らない」

 というものである。

 最初に35度を超える暑さの日でも、午前中は、まだまだ30度を超えることはなかったのに、今では、

「一日の中で30度を下回ることはない」

 というのだ。

 それを考えると、どれだけの異常気象なのかということが分かってくるというものだ。

 そして、

「地球温暖化」

 というものの、一番の問題は、

「南極の氷が解ける」

 という問題である。

 暑いと、当然氷は解けるというものだ。

「南極というところは、大陸で、そのほとんどが、氷でできている」

 ということだ。

 地球の温度が上がってくれば、南極の氷だって解けるというもので、そうなるとどうなるかというと、

 海水の表面が上がってくるということだ。

 そうなると、

「地表の高さは変わりないのだから、海の表面が、10センチ上がれば、人が住める範囲がかなり狭まれるということであり、海辺に家を構えている人は、少しずつ、生活ができなくなる」

 ということで、

「時間が経てば、水没してしまう」

 じゃあ、家を建て直せばいいじゃないか?

 というかも知れないが、どこからそのような土を持ってきて、埋め立てる形にして、さらに家を建て直すかということになる、、

 一つの海辺の街で、一つの市に、2000世帯があったとすれば、一体どれくらいの家を建て直す必要があるというのか?

 それを考えると、実に難しいことである。

 まず、埋め立てるにしても、

「どこから土を持ってくるか?」

 ということになる。

「山から持ってくればいいえはないか?」

 と簡単にいうかも知れないが、それだけの土地を埋め立てるのに、

「どれだけの山を崩す必要があるか?」

 ということになる。

 それは、自然災害と言われる、

「鉄砲水や、土石流をもたらすことになるかも知れない」

 何と言っても、自然にできていたところを、

「人間の都合で崩すのだから、その後を、コンクリートか何かで加工しておかないと、自然災害の宝庫になってしまうだろう」

 ただ、そうなると、さらに問題がある。

 というのは、

「勝手に自然の形を変えてしまうということになる」

 ということである。

 例えば、山に住んでいた動物たちは、どうなるというのか?

 ということである。

 そうなると、生存範囲がほとんどなくなり、絶滅してしまうことになるだろう。

「人間様が生きていれば、他の動物などどうでもいい」

 というようなことを平気で考えている、

「バカ」

 もいるかも知れないが、普通に考えれば、

「自然の摂理」

 というものを壊すことになり、

「人間が生きていくために摂取しなければいけない食料が、なくなってしまう」

 ということになる。

 逆に、人間にとって有害な生物を、退治してくれていた動物を、人間が絶滅させてしまったらどうなるか?

 ということである。

 つまり、

「自然界における摂理」

 というものを崩してしまうと、人間には、どうすることもできない。

 犯してしまうと、二度と元には戻すことがっできない過ちというものは、自然界にはたくさんあるということになるのだった。

 それを考えれば、

「人間は今まで分かっていなかったから、自然破壊を続けてきたのか?」

 あるいは、

「分かってはいるが、自分たちの世代では、直接被害がないから、自分たちの時代をいかに快適に過ごすかということだけを考えて、分かっていて敢えて、行ってきたということなのか?」

 ということである。

 もし、後者であれば、許しがたいことであるが、今の自分たちは、果たしてどうだろう?

 一部の人間は、何とか未来に希望を残すというような活動をしていて、宣伝もしているが、それが、社会全体からすれば、どれくらいなのだろうか?

 そもそも、危惧を与える政府だって、かつては、後者だったことだろう。

 政府に、

「そんな当たり前のことが分からないなどありえない」

 ということであり、

「日本という国冴えよければ」

 と考えていたかも知れない。

 というのは、

「世界では、分かり切っていることであっても、自分たちの今というものを考え、世界レベルで考えることのできない」

 という、いわゆる、

「精神的な発展途上国」

 であれば、かつての日本のように、

「他の国であったり、未来のことまで考える余裕などない」

 に違いないということである。

 だから、

「持続可能な、何とか」

 ということを世界的に言われているが、結局は、

「各国の温度差」

 ということで、

「何とか頑張っている国もあれば、足を引っ張っている国もある」

 というのだ。

 頑張っている国は思っていることだろう。

「これだけ頑張っているのに、計算通りにはいかない」

 ということで、下手をすると、

「ここまでやっても、目標にはほど遠い」

 と感じるようになると、

「何をやっても無駄なんだ」

 ということになり、そのうちに、一番最初に辞めることになるだろう。

 それまで一番頑張っていたところが、早々に手を引けば、他も、

「ああ、あそこがやらないのなら、俺たちが頑張ってもどうしようもない」

 ということで、

「最終的には、空中分解する」

 ということになるだろう。

 そうなってしまうと、

「我々にとって、何をどうすればいいのか?」

 というのは、もう、誰も考えなくなるのではないだろうか?

 考えてみれば、

「俺たちが今考えていることだって、過去の人間のツケを、今払わされているというわけで、これは本当に理不尽だ」

 ということになるのだった。

 過去というもの、そして、現在があって、未来に続いていく。

 現在だけが、どんどんずれていくので、

「過去が増えていき、未来はどんどん減っているのだ」

 というのが、普通の考えだろうが、果たしてそうだろうか?

「ひょっとすると、未来の限界までくると、そこが、もう一度、過去に戻るのかも知れない」

 とも思えた。

 それが、

「世界のリセット」

 ということで、」

「ノストラダムスの警鐘と言えるのではないか?」

 ということを考える。

「世界のリセット」

 という発想は、

「聖書」

 の中にあるではないか。

 聖書の中でも代表的な話として伝わる、

「ノアの箱舟」

 という話である。

「それは、聖書だけにいわれることではないか」

 という人もいるかも知れないが。実は、この、

「ノアの箱舟」

 と呼ばれるような話は、いろいろな神話や、他の宗教の話にも、似たようなものが出てくるのだ。

 それを考えると、

「宇宙人のようなものがいて、それが、世界各国えで、その話を伝えたことで、残っているということなのか?」

 それとも、古代人は、現代人に比べて、知能が発達していて、現代人に想像もつかないようなことを考えることができる中で、

「箱舟伝説」

 という話は、各人種ごとに考えられる話として残っていることなのだろうか?

 少なくとも、現代人に対して、

「これは警鐘だ」

 ということで印象深く感じさせる話なのだから、そこには、

「遺伝子なるものの存在が蠢いている」

 といっても過言ではないだろう。

 もし、宇宙人的なものがいて、彼らには。

「地球人のかつての興亡というものが見えていて、今の人類が、何度目の人類なのか?」

 ということが分かっているのかも知れない。

「地球人というのが、どのようなものであるか?」

 と考えてのことなのか。

 それとも、

「地球人も、自分たちと同じ大きな種族の中の一つ」

 という考え方なのかも知れない。

 人間は、地球上において、

「地球以外の星に、知的生命体がいたとすれば」

 などというSF的な発想を抱くのだろうが、人間というものは、そもそも、

「自分が一番偉い」

 と思っていることから、

「他の星に、地球人を上回るような知的生命体の存在を許せない」

 と思っていたとしても、無理もないことだろう。

 だから、昔のSF特撮番組なので、地球侵略に来る宇宙人の中には、

「自分たち以外の知的生命体の存在が許せない」

 ということで地球を侵略しようとする宇宙人もいた。

 彼らからすれば、

「ただ、存在が許せない」

 ということであり、他の宇宙人であれば、

「奴隷として利用しよう」

 と考えたり、

 あるいは、

「考え方が違えば、衝突することになるから、それを避けるために、相手を滅ぼす」

 ということである。

 これは、今までの人類の歴史に、たびたびあったことではないか。

「知的生命体の存在自体が許せない」

 というのは、明らかな、

「民族主義」

 であり、

「ドイツ民族だけがいればいいんだ」

 という、ホロコーストの、

「ナチスの再来」

 を思わせる。

「奴隷として利用する」

 というのは、一番多いパターンで、

「古代のほとんどの帝国」

 であったり、かつての独立宣言後のアメリカであったりと、

「人種差別から来る、奴隷制度」

 というものは、一番人間が安易に考えることだといっていいだろう

「考え方の違い」

 というものはどこにでもある。

 それをいかに扱うかということが問題になるわけだが、

「民主主義」

 の場合は、

「多数決」

 という方法で解決する。

 ただ、そうなると、少数派は切り捨てられるという懸念があるだろう。

「社会主義」

 ということになると、すべてを平等と考えるのだが、その前に、最初から敵対勢力は排除するという、

「粛清政策」

 から入って、そこからがスタートになるという、これも危険な考え方であった。

「時間を繰り返す」

 という発想は、今に始まったことではない。

「確かに、時間というものを、どの時点で考えるか?」

 と思えば、

「誰か一人の人に狙いを定めた」

 としても、

「その人のどの時代」

 ということを考えると、

「次元という発想に似ているのかも知れない」

 と感じる。

「一次元」

 というものを考えた時、それは、

「点と線」

 という世界になるだろう、

 ただ、この時、

「点も線も同じ次元だ」

 と考える理屈としては、

「二次元というものが、平面」

 という理屈であり。

「三次元というものが、立体だ」

 と考える。

 だから、基本的には三次元までなのだろうが、そこに考え方として、四次元というものがでてきたのだ。

 それが、

「時間軸」

 というものであり、

 時間軸がどこでどのように捻じ曲がるかということで、成立するのが、

「時空を飛び越える」

 という、

「タイムマシン」

 という発想であろう。

 よく言われるのが、

「メビウスの輪」

 のように、捻じれによって、

「交わることのない線が交わる」

 ということであれば、

「三次元の世界」

 という発想から考えて、

「四次元というものは、交わることのない平行線が交わるのと同じくらいの信憑性なのではないだろうか?」

 ということである。

 つまり、

「交わることのない平行線というものを証明できれば、タイムマシンの開発におけるヒントくらいは、分かるのではないか?」

 といえるのではないだろうか?

 そんなことを考えると、

「四次元というものがどういうものなのか?」

 と考えることは、

「時間というものに、限界があるのだろうか?」

 ということに関わってくるような気がする。

「基本的に、時間というものは、その限界はない」

 と自分では思っているが、そのことを誰がいかにして証明できているのだろうか?

 と考えるのだ。

 実際に、証明できていたとして、それは、

「時間をずっと回り続けるから、限界というものがない」

 という理屈になるのではないか?

 と考えるのであった。

 四次元というと、まず思いつくのが、

「タイムマシン」

 というものではないだろうか?

 タイムマシンというと、

「「まずは、時間を飛び越えて、その場所に現れる」

 ということであり、基本的に、

「場所を移動することはできない」

 と考える。

 そうなると、何が問題になるかというと、

「今からいくその場所のその場所が、キチンと自分が存在できる場所なのか?」

 ということである。

 例えば、極端な話であるが、飛び出したその場所が、

「火葬場の、火葬される場所だったら?」

 と考えれば、恐ろしくて、飛び越えることなどできないだろう。

 または、未来であれば、どうなのか?

「この地球が存在しているか」

 ということすら分からないだろう。

 ということである。

 それを考えると、

「タイムトラベルをするのであれば、最低は、自分が行き着く先がどうなっているかということを、キチンと把握できなければ、まずいけない」

 ということである。

 近未来の、例えば、数時間後などであれば、そこまではないかも知れないが、何が起こっているのか分からない。

 下手をすれば、空き地だと思っていても、そこに、車が飛び込んでこないとも限らないのだ。恐ろしくなってしかるべきなのに、あくまでも、タイムマシンというものを簡単に皆考えすぎなのではないかと思うのだった。

 だから、タイムパトロールであったり、時空警察の存在を、

「信憑性がある」

 として考えるのだ。

 もし、タイムマシンというものが開発され、それが、今のパソコンのように、一般に普及するとなると、

「免許制になるかも知れない」

 と思う。

 時間の規定に対して、ある程度分かっていないといけないというどころではなく、

「満点を取らないと、免許がもらえない」

 というレベルになるだろうか。

 ただ、それも少しおかしな気がする。

「その時の問題が、自分にとって、簡単、難しいということによって、不公平が出てくるのは否めない」

 それを思うと、

「満点でなければいけない」

 というのは、不公平であり、もしそれを公平にしようとすると、

「試験は一度だけではなく、数回行う」

 という必要があるだろう。

 そもそも、その日の体調のようなものというものが影響してくるということであるので、そのあたりも、いろいろ考慮する必要があるだろう。

 ただ、タイムマシンというのは、何が難しいのかというと、今まで、

「三次元までを常識と考えていた人が、四次元になった時点で、まったく違うものが自分のテリトリーに入ってきた時、いかに理解できない部分を自分で納得させることができるのか?」

 ということが問題なのであった。

 だから、スペースアニメなどでは、ワープを行った場合、どこに出てくるかということをきちんと計算してワープを掛ける。

 ワープというのは、一種の

「瞬間移動装置」

 というもので、

「タイムマシン」

 とは、あらゆることで、

「対称となる考え方を持っているものだ」

 ということである。


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