第11話

「行きましょうかエルシャール嬢」

「はい……っ!」

固まった父と妹にわき目もふらず歩きだしたソレイユに手を引かれてエルシャールが一歩踏みだすと、ズキッとした痛みが右足に走った。

長い間、痛めつけられていた右足が思う様に踏ん張れず、動かした事で止まっていた血液が循環し、幹部が熱したフライパンを触った時の様に急激に熱を持つ。

そのままエルシャールは踏み出した格好のまま崩れ落ちそうになった。


「怪我はありませんか……?」


――倒れてしまう。

そう思い、咄嗟に目を瞑ったエルシャールの予想に反して痛みは一向に訪れない。

身体が傾いている途中で支えられたのだと理解する前に、小さな音と共にエルシャールの身体は簡単に持ち上がった。


「えっ!?」


一瞬の無重力状態に声を上げたエルシャール。

咄嗟に彼の首を掴んだのは防衛本能からなのか。

ソレイユはエルシャールを簡単に姫抱きにすると、茫然とする屋敷の人達を置いて、彼が乗ってきたらしい馬車まで無言で歩き始めた。

エルシャールは驚きすぎて馬車内に入って座席に降ろされるまでろくに抵抗も出来ないまま、気がつけばエルシャールを乗せた馬車はラビリンス家の前から動き出していた。


「さっきのは舌打ち……?」


――ぽつり。

と、静かな空間にエルシャールの独り言が響いた。

ハッと息を飲んでエルシャールが自分の失態に内心で焦っていると、馬車に乗り込んでからずっと無言のまま向かいに座り、窓の外を見ているソレイユが先程までの穏やかそうな雰囲気を一転させたのがわかった。

ラビリンス宅では絶やさなかった笑顔も今やすっかり取り払われて髪を乱したソレイユが低く笑う。


「聞かれていたとはな……」


デリスとの会話を強引に終わらせてからここに来るまで一度も話そうとしなかったソレイユの突然の豹変にエルシャールは目を見開いた。

ソレイユの原作ですら見た事もない表情が答えだった。


エルシャールは突然変わったソレイユの態度に嫌な汗が背中を伝うのを感じていた。


下手に動けば良くない事が起こりかねない。

そんな強敵のソレイユにエルシャールの手札は残り少なくなっていく。


――何事もなく助けてもらったお礼を言うか、それともこの状況の説明を求めるべきか。

それとも……

どちらを選んでも最悪の事態を招きそうな手札を前にエルシャールは頭を悩ませ、そして選択した。


黙っていよう。

予想がつかない出来事に対して、エルシャールは無言で時間がすぎるのを待つことにした。

酒におぼれて暴れる父も、紘子が大人しくしていれば手を出してくることもなかった。

下手に動けば予想がつかない悪いことが起こる。

そう確信めいた考え方を持つエルシャールは馬車に揺られるがまま微動だにせず事の行き先を待っていた。

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