第6話
「不本意だけど、この身体の持ち主の為ね……」
今は家出してしまったのだろう元の持ち主であるエルシャール。
もしも彼女の魂が戻ってきたときの為にも、エルシャールが死ぬ未来は避けたい。
エルシャールが戻りたいと思っているかは兎も角として、当面の間、紘子はエルシャールとして生きるしかない事に不安そうな溜息をついた。
♢♢♢
「遅かったな、エルシャール」
そう言ってデリスは口髭を撫でつけながらエルシャールの名前を柔らかい声で呼んだ。
(表立ってはいい父親として振舞っているようね……)
恐らくソレイユが居なければ小言の一つや二つ、いや拳が飛んできていたのだろうことは、デリスが口髭を触る癖でエルシャールは見抜いていた。
機嫌がよくない時の、手癖である事を。
「ええ……少し準備に手間取ってしまって、申し訳ございません。 ソレイユ様、お父様」
ソレイユが来てから遅れて部屋に入る事になったエルシャールはそう言って謝罪の言葉を述べると、自己紹介をして慣れないお辞儀をした。
胸に手を当ててスカートの裾をつまんで頭を下げる。
漫画ではよく見ていた動作も、身体が覚えているのだろう、頭で考えるよりも先に動いて卒なくこなす事が出来た。
なぜかエルシャールよりも先にデリスの隣に座っていたサンドラから鋭い視線で睨みつけられていることにはもう疑問を抱くこともなかった。
ソレイユが今からでもサンドラを選びたくなるように仕組んでいるのはデリスだった。
エルシャールは時間も守らない出来の悪い娘であることを言外に示す父はソレイユには見えない角度で冷たい視線をエルシャールに向けていた。
「初めまして、エルシャール嬢。」
そう言って立ち上がったソレイユは、エルシャールの近くに歩み寄ると、膝を折ってエルシャールの手のひらに唇をそっと当てた。
―ーソレイユ・ウェンドリア
『私だけが知っている物語』の中で、ヒロインを巡って三角関係を形成する辺境伯伯爵。
最後までセージュを想い、独り身を貫いた男が何故かエルシャールを目にとめるとにこやかに微笑んでいた。
「……?!」
青い瞳に、プラチナブロンドの髪を持つ国一番の美丈夫。
涼しげで厳格そうな唇が笑みを浮かべただけで、サンドラは倒れ込みそうになって傍にいたメイドに支えられているのが視界の端に映った。
エルシャールが前世で読んでいた漫画と瓜二つのソレイユ。
絵で見るよりも動きがある分、ソレイユの姿は魅力に満ち溢れている。
その佇まいも名前も『私だけが知っている物語』のソレイユと何も変わらない。
それなのに、なぜか彼はセージュに向けていた微笑みをエルシャールに見せていたが、エルシャールはそれどころじゃなかった。
(やっぱり『私だけが知っている物語』に転生してる……??)
漫画の世界では描かれていなかった出来事が突然始まり、エルシャールの脳内は混乱していた。
本編で描かれていたソレイユはセージュに出会うまで恋をした事がない男だった。
セージュに出会ってからもそれは変わらずストーリーが終盤を迎えてもずっと一途を貫いた男。
いつもセージュを一番優先して動くソレイユが一体なぜ自分の目の前に居るのか。
――本編にはこんなシーンはなかったはず。
そう思ったエルシャールの背筋にぞわりと、悪寒が走る。
この世界、何かがおかしい。
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