第32話 里帰り

 エルランディア皇国の北の端。極寒の地には、小さな村が点在している。その中でも特に町に憧れているかのような賑わいを見せる栄えた村、パッカス村は初等教育から高等教育までがそろっている。そこではゲネシス語教育やエルランディアの歴史、数学を少しと哲学。そして放課後活動で科学を学ぶ。下手なゲネシスの教育よりもしっかりとしていた。村の教育にしてはずいぶん発達していたのだと、サミュエルが知ったのはゲネシス王国にやってきてからだった。


 だからか、パッカス村は意見がはっきり二分していた。両親の言うこともわかる。きっと両親も未来の伴侶を連れてこいなどと、あまり言いたくないはずだ。両親は村からの目を気にしている。勉強に没頭していたサミュエルがゲネシス王国へ行きたいと言ったのを許可したのではなく、両親がサミュエルをより勉学に没頭できる環境に向かわせることについて考えていて、良い運が巡ってきただけだろう。偶然、両親とサミュエルの意見が合致しただけだ。

 サミュエルはそんな風に考えてもいる。


 犬ぞりは村の入り口手前で速度を落とした。森を切り開いて作られただけの道とも言えない道を駆けて三時間。レンガ造りの門が顔を見せている。犬ぞりは三台に分かれて乗ったので、各そりのマッシャーに運賃を払うと、それらはすぐに引き返していった。

 ざくざくと雪用でない靴で雪道を踏みしめて歩くと、思ったより労力と時間がかかる。が、無事入り口をくぐった。


 門には恥ずかしくも、両親が迎えに来ていた。


「おかえりなさい。ここまで大変だったな」


 父親がサミュエルにねぎらいの言葉をかける。サミュエルはぶっきらぼうに答えた。


「遠かった。疲れたよ」


 久々の父親の顔は少しだけ老けて見えた。たった一年見ないだけでずいぶん老いている。そしてそれは母親もだった。


「寒かったでしょう。家に案内します」


 母親はしわの増えた顔に笑みを浮かべて、実家の方角を指さした。

 村の主要な道は軽く雪かきされて歩きやすいようになっていた。久々に実家に帰ると、家はかなり大きいように見えた。ゲネシスの郊外の屋敷はもっと大きいのだろうが、二階建ての一軒家は久々に見ると思った以上に迫力がある。何よりもその主張の強い煙突が懐かしい。


「すごい。どの家にも後進国では見かけないような、立派な煙突がついている。雪国の特徴だな」


 アルカは鼻の頭を赤くして白い息を吐いて言った。


「ゲネシスでもう少しまともな防寒具を見つけてこればよかった」

「そうね。ちょっと寒すぎる」


 サミュエルがふと呟くとベスも同意した。

 とはいえ、ゲネシスで立派な防寒具を見つけるのは困難だった。この町ででも揃えられるならそうするべきだろう。


 母親は家を開けると、温かい室内へと招いた。懐かしい実家は暖炉の薪と、冬の匂いに包まれている。ふいに部屋の角に目をやって、今日はクリスマスイブだということを思い出した。生木のトウヒに銀メッキや陶器のオーナメントが飾られている。そしてもちろんその頂点には金メッキの星が乗っていた。立派なクリスマスツリーだ。

 木に見とれていたのはサミュエルだけでなく、アルカもだった。アルカはどちらかと言えば、木の種類やオーナメントの素材に興味があるようだが。


 他の三人は勧められた席でグロッギをもてなされていた。グロッギはサミュエルも好んで飲むこの時期にぴったりの飲料だ。懐かしい自分専用のマグにグロッギがなみなみ注がれて、テーブルに置かれる。母親は自分の好みをまだ覚えてくれていた。


「これは?」


 席に着いたアルカが白いマグを手袋越しに包んで、赤紫の湯気が立つ液体をのぞき込む。


「グロッギっていう飲み物ですよ。ホットワインの一種で、白ワインでも作れます」

「おいしいですわ」

「それはよかった。白ワインでも作れますから、そちらは夕食時に出しましょう」


 オリビアの調子にサミュエルは思わずほっとした。

 それで、と一息ついた一行に父親が切り出す。


「紹介してもらおうかな」


 サミュエルは少し身構えて、背筋の伸ばした。

 研究所で一番世話になっているアルカと、その弟子エドワード。それから生意気で癖のあるベスに、最近やってきたオリビア。


「オリビアとはお付き合いさせてもらっていて」

 サミュエルが視線を泳がしながら、オリビアに目を向けた。しかしオリビアはなんでもなさそうにさらりとでまかせを言う。


「秋ごろに研究所の方に新しくやってきたわたくしを、優しくサポートしてくれました。大学も久々で慣れないのですが、彼のおかげで何とかなっていますの」


 復学はホリデー明けからのはずだが、サミュエルにはそれが事実かのように聞こえた。


「あらあら」

「いいお嬢さんじゃないか、サミュエル」

「はは」


 複雑だ。サミュエルは乾いた笑いしか出なかった。こうもうまくいってしまうなんて、なんともうれしくない。うまく騙せているオリビアについても、騙されている両親についても、一言いいたい気分だ。


「それにしても、ペルケトゥムの箱舟と噂されていた人は、本当に子どものような見た目だ」


 父親は下手な話題転換をする。

 アルカは特に怒る様子を見せることもなく、マグに口をつけた。


「これで四百年というから、さぞかし大変だったでしょう」


 父親の言い分に、アルカは飲む手を止める。


「珍しいな。そう言ってくれる人は多くない」


 アルカは少しだけ目を見張った。


「そりゃあ、ずっと子供の見た目だと何かと苦労するでしょう。人によれば騙しだと怒る人もいるだろうしなあ」


 四百年生きているという時点でほぼ騙しのような話だが、サミュエルは確かにと思う。自分や周囲の人間はアルカについてそう言うことはなかったが、ない話ではないだろう。


「サミュエルはサミュエルに成るべくしてなったみたいだな。柔軟な父上だ」


 アルカはグロッギを気に入ったようで、軽くマグを空にした。もう少し飲みたそうにマグの底を見つめる様子に、母親は笑う。


「お腹がいっぱいになってしまいます。サミュエルから聞きましたよ、プディングが大好きなのだと。大きい型を買って作ったので楽しみにしていてください」


 アルカは目を輝かせて立ち上がった。


「大きな型! 楽しみにしてたんだ」

「はい。アルコールが苦手だとも書いてあったので、一週間ほどだけ寝かせておきました」

「気が利くじゃないか。それは期待してしまうな」


 アルカに褒められて母親は困ったように照れる。


「ここの気候に合わせてナッツと砂糖を多めにアレンジしているんだけど、大丈夫かしら」


 サミュエルに母親が小声で問いかけるが、サミュエルは首を横に振った。


「アルカ様は甘いものが好きだし、ナッツも好んでつまむからちょうどいいんじゃない」

「そう。ならよかった」


 ひと段落すると、父親が重そうに腰を上げて言った。


「ここまで寒そうな格好をして来たが、寒くなかったかな」

「いや、寒かったよ」

「だろうな。防寒具をいくつか貸すから、町に買ってきなさい。その帰りに図書館にでも寄ればいい」


 サミュエルに頷いた父親は奥の部屋からいくつかコートや手袋、耳当てのついた帽子、それからブーツを出すと、手書きの地図を渡してくれた。準備万端、家から出て行こうとするとサミュエルの腕が掴まれて、地図の紙の上から数枚の札が乗せられる。


「いや、持ってきてる金で払うから」

「親の前では子供でありなさい」

「……」


 サミュエルは返す間もなく、家を追い出される。来た時より二倍の質量になって、外に出てみると全く寒くない。いや、出ている分はもちろん凍ってしまいそうなほどだが、それ以外の布に包まれた部分は安心感があった。

 ただ、みんなその場でサイズが合うものを身に着けてきただけなので、見た目はちぐはぐだった。


「とりあえず街に出ようか」


 誰の反対意見もなく、薄く雪の積もった道を歩き始めた。


 サイズとデザインのあったものを購入し店を出ると、サミュエルは手書きの地図を取り出して、図書館の方角を確認した。かつてどの道を通って図書館に向かっていたのか朧気だったのだ。

 アルカはサミュエルのその様子を見てぽつりと呟く。


「気の利くご両親だ。もっと里帰りしてやった方がいい」

「急に何ですか」

「ボクが今こういう研究をしていることを、前もって手紙で伝えてくれたんだろう。だから図書館の場所も教えてくれているわけだ。サミュエルが場所を忘れて行き道に迷ってもいいように」


「褒めるのと同時に、俺のこと貶してますか?」

「いいや。まさかたった一年帰っていないだけで、図書館までの道をすっかり忘れているとは思わなかっただけだ」

「それ貶してますよね?」


 サミュエルが再び尋ねるが、アルカはしらばっくれてそのままマフラーで口元を隠した。答えるつもりはないという意思表示だ。

 サミュエルはアルカが自分の両親のことをこれほど褒めるとは思わなかった。なぜだか自分まで褒められているような気がして、サミュエルもまたマフラーでにやける口を覆い隠した。






 図書館内は人が少なく、皆自宅でクリスマスを堪能しているようだ。けれども図書館は温かく、今日も誰かの手によって稼働している。


「風がないだけで随分寒さが和らぐ、と思っていたら普通に開館しているな」


 アルカはオペラハウスほどもある高さの天井を見上げながら、ぽつりと呟いた。


「エルランディアの歴史はこっちです」


 サミュエルが指す方向へぞろぞろと足を進める。静かな図書館内で、カーペットと靴底がこすれる音だけがぼんやりと響く。

 いくつかの書物を手にしながら、ざっくりと歴史をたどりながら伝説や伝承をかき集めていった。専門でない人もそろって本をデスクに積み上げて、ページをめくる。五人で手分けしてもそこそこの時間が奪われる量を頑張ってさばいていく。


 ふいにアルカが、がた、と音を立てて椅子から立ち上がった。手にはいつの間にか万年筆が握られていて、ポケットサイズのメモ用紙に走り書きがなされている。


「人形の森?」


 正面に座っていたエドワードが読み上げるが、アルカは構わず棚の方に駆け寄った。口を魚のようにぱくぱくと動かしながら、何かを探している。


「あった」

「何をですか?」

「地図だ」


 アルカはばさばさと見つけたという本をテーブルに広げて見せた。確かにそれらはエルランディア皇国の地図で、しかしながらサミュエルが見慣れないような古いものが多い。


「ずっと探していたんだ。陶器の人形の原点を」

「さっきの陶器義肢の技術者に聞けばよかったんじゃないですか?」


 サミュエルがぶっきらぼうに言い放つと、アルカは首を横に振った。


「それが、それらしい人たちにどこの出身か、と聞いても教えてくれないんだ。ただ皆口をそろえて人形に囲まれて育ったというんだから、どんなメルヘンチックな村なんだろうと思っていたんだ。そうしたらこの書籍に人形であふれた村のスケッチが載っていた! どうやら人形の森……クインヘイムと言うらしい。ここでクリスマスを過ごしたらすぐにそこへ向かおう」


 アルカは一息に言い切った。よっぽどこの発見がうれしかったのか、頬を紅潮させて肩まで上下させている。


「そ、そうですね」


 エドワードが言葉を絞り出した。

 その傍らで、サミュエルが顎に手を添えて地図をまじまじと見つめる。サミュエルはこの村の場所がここからあまり遠くなさそうだというのに、大して話を聞かないことに違和感を覚えていた。


「サミュエルはこの村について何か聞いたことはないのか?」


 アルカに話題を振られて、サミュエルは首を横に振った。


「全く。父さんか母さんなら何か知ってるかもしれませんけど」


 サミュエルのぼんやりとした反応にアルカは首を傾げる。


「そうか」


 アルカと同じようにサミュエルもまた首を曲げた。

 隣の村だというのに、その村が人形の森と呼ばれていることも、クインヘイムという名であることも知らなかった。普通であれば自然と耳に入っている範囲の話であろうに。


 妙な二つ名も相まって、サミュエルは背筋に寒気が走ったような気がした。










ここまで読んでいただきありがとうございます。


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次回:メリークリスマス!

明日22:00~投稿予定

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