一章 帰郷のご提案

第30話 帰郷のご提案

サミュエルへ


 村を旅立って一年が経ちました。元気に楽しくやっているでしょうか。

 家を出て以来、お前は一通も連絡をよこしません。

 母さんは私たちがお前に言いつけたことを忘れているんじゃないか、と心配していました。私はサミュエルを信じてやれと言っていますが、こちらとしても久々に顔が見たいです。

 勉学が忙しいのはわかるが、せめて近況きんきょうくらい教えなさい。

 そろそろ訪れるウィンターホリデーにでも、同僚どうりょうたちを連れて帰ってくることを待っています。


父より



追伸 練習したクリスマスプディングを用意して待っています。母より






 サミュエルは久々に自身の名の母語ぼごつづりを見た、と思った。少し拙いゲネシス語で、エル語の読めない郵便屋に配慮はいりょしたのだろう。

 送り主の名から嫌な予感しかせず、手紙を開くことをためらった。そしてそうでないことを祈りながら開いてみたが、やはり思った通りの内容だった。


「……」


 サミュエルは手の中の手紙をくしゃりと握りつぶして、目の前の机に突っ伏した。ウィンターホリデーまであと一週間もない。

 サミュエルは自分の育った村に帰ることが憂鬱ゆううつというわけではなかった。いや、広義に言えばそれは嘘になるが。サミュエルが嫌がっているのには、父の手紙の一文が強く関係している。


──母さんは私たちがお前に言いつけたことを忘れているんじゃないか、と心配していました。


 忘れるはずないだろう、とサミュエルは心中で悪態をつく。

 サミュエルは一家の長男で、そもそも村を出ることも反対されていた。下には五人の弟と妹がいるが少し年が離れているので、つまるところサミュエルは後継あとつぎだ。幸運だったのは、父親の職業が農家ではなかったこと。農家であればすでにゲネシスにつことを許されず、今頃牛臭うしくさ厩舎きゅうしゃわらをかき集めていただろう。


 サミュエルは大学進学にともなって、一つの条件を与えられていた。


 それは、大学卒業までに伴侶はんりょとなる女性を見つけ、連れて帰ってくること。

 父の文章を見るに、サミュエルはウィンターホリデーの帰郷には、妻候補を連れて帰らなくてはいけなさそうだ。さもなくば、さっさと村のどこかの娘との結婚を取り付けられて、大学を離れざるを得ないことになってしまう。


 サミュエルはひたいを抑えたまま顔を上げた。目の前のスチール棚の柱にメッキされた銀に自身の顔がゆがんで映る。前髪が変にうねって不格好になっていた。突っ伏したせいだ、サミュエルは片手で前髪をでつけながらため息をつく。


 もう少しだけ顔を上げると、眉を下げた笑顔を作るオリビアが首をかしげてきた。

 この人を連れて行けば、両親も喜ぶだろう。オリビアに目立った欠点はない。料理もできるし、手先が器用なので刺繡ししゅうも心得ているし、田舎育ちの箱入りとはいえそれなりに世の中を見据みすえている。特に他の女性らとは違って多少の機械の故障なら直してしまえる。優しい風に見えるのに、その実しっかり者で……。


 サミュエルはそこまで考えて、ハッと顔を上げた。


「は!? 違う!」


 思わず声にあげて自身を否定する。

 椅子から半分立ち上がった姿勢になって、サミュエルはやっと脳が覚めたような気がした。


「……」


 何を考えていたんだ自分は。徐々にさきほどまでの思案が恥ずかしくなって耳が熱くなる。


「さっきからうるさいんだけど、なにやってるわけ?」


 サミュエルの百面相ひゃくめんそうする顔──位置からして背中しか見えないはずだが──について文句を言いながら、ベスはデスクをつついた。サミュエルの陰からオリビアが顔をのぞかせてベスと目を合わせる。


「どなたからか、お手紙をいただいているようですわ」

「ちょっとオリビア、言うなって!」


 サミュエルがオリビアを止めるがそれはもちろん間に合わない。ベスはおもちゃを見つけた子供のように顔を輝かせて、それから嫌な笑顔を作った。


「うわぁ、ラブレターだわ」

「違う! それは本当に違うから」

「じゃあ、誰からよ」


 サミュエルは黙り込んだ。

 ここで父親から、と真面目に言えば確認したいから見せてくれとせがまれるだろう。そうしたら、察しのいいベスは文章から何かを感じてしまうに違いない。かといってラブレターだと嘘をついたら、このまま数日からかわれるのは目に見えている。

 サミュエルは揺れる天秤の上で、仕方なく父親を選んだ。


「……父さんからだよ。そろそろ家に帰って来いって」

「嘘ついてない? 見せてよ」

「はあ? なんで他人に家族の手紙見せなきゃいけないんだよ」

「いいじゃん、ちょっと確認するだけ。お父さんからなら、見られて困らないでしょ」


 ベスは素早く椅子から立ち上がると、サミュエルの肩を掴んでデスクに広げていた手紙に目を通した。

 気づかないでくれ。それは無駄な祈りだったようで、ベスは「うわ」と声を上げる。


「これはやばいじゃん。今から彼女探しするの?」


 やはりベスは察しがよかった。この察しの良さを今なら呪う。


「……まあ、いい感じにその場しのぎの協力があればとは思うけどさ」


 不機嫌を示すように頬杖をつくと、ベスが目の前でスカートをひるがえしながらその場でくるりと回ってみせた。


「どう?」

「絶対むり」

「はあ? あたしほどよくできた人間はいないわよ」

「スープすら自力で作れない伴侶なんかいるか」


 サミュエルはどうしようもない感情の矛先をベスにぶつけた。ベスはサミュエルの様子からそれを察しているので、同じように食って掛かったりしない。

 サミュエルは大きくため息をついて椅子に腰を下ろす。


 まったく困った。

 ベスも面白いおもちゃはうまく鳴ってくれないと、手紙をサミュエルの机に置いて自身の席に戻った。


 空間の沈黙がサミュエルを居心地悪くさせる。ペンを持つのも煩わしくなって貧乏ゆすりを始めたとき、そんな空気を一掃するかのように作業室の扉が開け放たれた。扉は受け取った力のまま壁にぶつかり乱暴な音を立てる。


「博物館前のケーキを手に入れたぞ!」


 外出用でレース多めのドレスに身を包んだアルカが頬を紅潮こうちょうさせて薄い胸を張る。その腕にはパゴタ傘がかけられていてケーキの箱はない。

 代わりに後ろから顔をのぞかせたエドワードが皆に見えるように箱を掲げた。


「博物館の前って、『メゾン・ド・シュクル!?」


 箱に書かれた文字は確かにそう読める。ベスは驚いた表情のまま、エドワードに駆け寄り箱に手を伸ばした。


「その隣に新しく紅茶専門店が出来ていたので、揃えてきました。私は紅茶を淹れてきます」

「ではわたくしは、ティーセットを用意してまいりますわ」


 箱をベスに預け背を向けたエドワードと一緒に、オリビアが作業室を出ていく。アルカはむすっとしたサミュエルに目もくれず、箱を開くベスの隣で目を輝かせていた。


 サミュエルは一人取り残されたような感覚に、より口をへの字に曲げる。

 アルカが気づいたのは、オリビアがセットを手に「ケーキを食べるんですから気を直してください」とサミュエルに語り掛けた時だった。それもまた、子供扱いを受けているようで釈然としないが、サミュエルは選ばれることのなかったモンブランを手に取った。粒の小さい砂糖が粉雪のようになってモンブラン白い山を作り出している。


「どうしてそんなに美味しそうじゃない顔をして食べるんだ。食べたくないなら寄越せ」


 アルカはシナモンの効いたタルトタタンにフォークを突き刺しながら言う。

 サミュエルは手を伸ばす彼女に拒否を示すため皿を引くと、割って入るかのようにベスが口をはさんだ。


「サミュエルはお父さんから届いた手紙にずっとやきもきしてるのよ。ねえ、サミュエル?」


 ベスはいやらしい笑みをサミュエルに向ける。サミュエルはあえて答えなかったが、ベスがデスクの上に置いたままの手紙を取り上げてアルカに手渡した。


「……ベス」

「怒らないでよ。アルカ様なら何か解決策が浮かぶかもよ」


 アルカは手紙を受け取ると文字を目で追い始めた。きょろきょろと動いていた目が止まって、手紙はそばに放られた。アルカは再び砂糖漬けのりんごを口に運び始める。


「別に好きに帰ってくれていいぞ。親御さんも心配だろうしな」

「そうじゃないってば。アルカ様、ここに書いてある『約束』っていうのは『帰ってくるときには必ず未来の妻を紹介しろ!』っていうこと」

「未来の妻? 研究者は生涯しょうがい結婚しないやつもざらにいるぞ」

「俺の育った村は研究者とか関係ないから。それに俺は長男なんだってば」


 アルカとベスの問答にサミュエルはしぶしぶ口をはさんだ。


「『同僚も連れてきたらいい』って書いてある。ボクも久々にエルランディア皇国こうこくに行く用があるぞ。あ、母親がプディングを練習したとも書いてあるじゃないか。ボクの好物だ」


 サミュエルは肩を落とす。

 彼女は行くつもりしかなさそうだ。

 ひたすら半口サイズのモンブランを口に運び続けていると、アルカは名案を思いついたかのように人差し指を突き立てた。


「オリビアにその役を担ってもらったらいいじゃないか」

「は!?」


 アルカの案に全員の視線がオリビアに集まる。オリビアは目を丸くしたまま、ブルーベリーのチーズケーキを咀嚼そしゃくする。


「サミュエルのご両親もオリビアなら文句を言わないだろう。しとやかでしっかり者で礼儀正しい。完璧だ」

「いや、そんな大役。それに嘘を吐く協力なんて申し訳ないしさ」


サミュエルが慌てると、ベスが眉を曲げた。


「あたしの時と断り方違くない?」

「うるさいな、ベス。今は黙ってて」


 アルカはサミュエルの断り文句に「そうか?」と首を傾げると、オリビアの意見を訊いた。

 オリビアはきょとんとした表情のまま小さくうなずく。


「詳しく事情は分かりませんが、お手伝いできることならおっしゃってください」

「ほら、協力してくれるみたいだぞ。それにボクは久々の雪国を楽しめるわけだし。一石何鳥かわからない。ウィンターホリデ―が待ちきれないな!」


 アルカは誰よりも浮ついた調子でケーキの最後の一口を口に入れると、行儀悪くも紅茶を飲みほした。そして元気よく立ち上がる。


「詳しい予定が決まったら教えてくれ、サミュエル。ボクは旅行の準備を始めるとする!」


 騒々しい調子でアルカは部屋を出て行った。

 もうだめだ。腹をくくるしかない。

 サミュエルの皿の上には半分残ったモンブラン。いつもならすぐになくなってしまって、ケーキはなぜこんなにも小さいのだろうとなげくのに。


 サミュエルは申し訳なく思いつつもオリビアに目を向けた。視線の合ったオリビアは、表情に笑みをたたえて「サミュエルさまのためになるなら」と優しいことを言ってくれる。


 しかしながらやはり、誰もが待ち遠しいはずのウィンターホリデーがどうしようもなく不安で憂鬱ゆううつだった。













ここまで読んでいただきありがとうございます。


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次回:陶器義肢屋さん

明日22:00~投稿予定

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