第27話 後日譚

 ヴィクトリア女王陛下、永眠から二か月。

 ペルケトゥム研究所、研究員作業室。そこではそれまでと変わらない、言うならオリビアが部屋に少しなじんだ程度の空気が流れていた。


 エドワードはデスクに向かって本を読んでいたその時、思い出したかのように何の前触れもなく声を上げた。


「私来週、隣国に行く予定があるので把握はあくよろしくお願いします」


 室内にいた、オリビア、ベス、サミュエルは声の主の方へ顔を向ける。


「珍しいですわね。いってらっしゃいませ」

「ふーん、どうぞ楽しんできて」

「何しに行くの?」


 多種多様な受け答えにエドワードは小さく笑いをらした。


「お付き合いしている方のご両親に挨拶を」


 ベスは唯一動いていた手までを止めた。そしてガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。


「……は? エドワードって付き合ってる人いたの?」

「一か月ほど前からですけど……父の紹介で」

「うわ、俺エドワードが貴族出身だってこと忘れてた」


 サミュエルまでも少しショックを受けた表情をして言う。裏切られた、と言わんばかりの表情にエドワードはぎこちない笑みに変わる。


「彼女、ヴァイオリニストなんです。以前に数回、コンサートでお会いしたことはあったんですよ。それこそ、私が指揮をした初めてのコンサートにもいらっしゃいましたし」

「なにそれ、イチャイチャしちゃってむかつくんですけど」


 ベスが嫌味を言うと、まるで効いていないかのようにエドワードは照れる。


「ほぼお見合いみたいなものですが……確かに仲は悪くないですね。でも、オリビアさんやサミュエル君は大学で出会いがあるでしょう?」

「オリビアはどうなの? 今までどんな人と付き合ってきたとか」


 ベスが興味津々そうにたずねる。心なしか、サミュエルまで真剣に耳を傾けているような気がする。オリビアはたいした話はできませんが、と前置きをした。


「村の高等教育学校に通っていたときに、お一人だけ。一年ほどお付き合いさせていただきましたけれど」

「意外だわ。でもすごく普通と言うか、理想と言うか。……うらやましいわね」

「付き合ってた人いたんだ……」


 サミュエルはわずかにショックを受けている。


「サミュエル君はどうなんです? 大学に女性の友達も多いんですよね」


 エドワードがサミュエルのために話を逸らす。サミュエルは気を取り直すと、少し苦い表情をした。


「俺は、授業さぼるようなろくでもない女性しか寄ってこないからさ」

「可愛らしい方多いですわよね」

「いや、あの人たち足の露出多すぎでしょ。かわいいのはいいけど下品なのは好きじゃないんだよね」


 少しうんざりした口調で愚痴ぐちる。


「もうちょっと品があって、淑やかで、大人な人の方が俺は……」


 サミュエルはそっとオリビアに視線を寄せる。オリビアは首をかしげて「そうですのね」とあっさり返した。ベスとエドワードはサミュエルをあわれに思う。


「ベスさんも協会主催のパーティーにたまに出席されますよね?」


 矛先変換にエドワードが頬杖をつくベスに問うた。ベスはその姿勢のまま首を壊れた人形のように縦に動かす。


「行ってるわよ、科学協会のね」

「そんなものがありますのね。知りませんでした」

「定期的に科学協会が若い人向けのお見合いパーティーみたいなものを開催してくれるのよ。趣味や分野が近かったら仲良くなるのも早いだろうし、って協会の方が招待状を送ってくれるの。でも、あたしちゃんのセンスについてこられる先進的な奴はまだいないようね」

「芸術家から伴侶はんりょを見つけた方が早いかもね」


 鼻で笑うベスにサミュエルがかけた言葉は刺さったようで、その発言にベスは目の色を変えた。


「それどういう意味?」


 ベスがデスクから身を乗り出したタイミングで、部屋の扉が三度ノックされた。ベスは問い詰めを遮られたことに知多内をこらえながらも、四人はそちらの方に注目する。扉に一番近いエドワードが立ち上がると扉を開いた。


「所長、どうかしましたか?」

「アルカがオリビアとベスに用があるって」


 出入り口で立っていたノックの張本人であるヴェロニカは、室内から目的の二人を見つけると名指しした。


「何の用って?」

「さあ。わたしは伝言を頼まれただけなのよ」


 ヴェロニカの受け答えに、オリビアとベスは互いに顔を見合わせた。






 コツコツと軽く扉を叩くと、中から半分上の空らしい声が聞こえてきた。


「アルカ様入っていい?」

「ああ」


 扉を押し開くと、デスクを前にして眼鏡をかけているアルカが座っていた。アルカは手の中の万年筆を置くと、ぐいと伸びをする。


「たいした話じゃない。二人ともそこに座ってくれ」


 指さされたソファに二人は腰を下ろした。

 眼鏡を外すアルカは脇に置いていた一枚の紙を取り出すと、「まず、ベス」と呼んだ。


「国から国民と認められた。十年かかったが、良かったな」


 ベスは立ち上がると差し出された紙を受け取り、一言一句を逃さないように目を動かした。


「これ、本物?」

「もちろん本物だ。無戸籍むこせきから取得するのは難しい。大学入学時も卒業時も認可は下りなかったが、今回のソルマラキア光るキノコの論文がよかったみたいだ。これでひと段落だな」

「なんだか、すごーく現金なんだけど」

「そういうものだ。優秀であればなんでも認められる。ひとまず、おめでとう」

「ありがとう、アルカ様」


 ベスは紙一枚を受け取ると嬉しそうにその紙を抱きしめた。ゲネシス王国にいた十年の証明なのだ。ベスが再び腰を下ろすと、次はオリビアを呼んだ。


「オリビアは工場についてだ」

「はい」

「仮の経営者を紙面上ではボクの名前にしていたが……正式の名前は変えることになった」


 オリビアはえっ、と口だけを動かす。


「正式な経営者はヴェロニカにしておいた。本当はこの研究所の名で登録したかったが、この研究所自体は随分古くからあるからな。あまりそういう許可が下りない。そして残念だが、ボクの名前も使えない。ボクは国に戸籍がないからな」

「そうなんですの?」

「ああ。昔養子になったときに一度取得したが、四代目の国王がボクに会いに来てからどうやら戸籍が無くなっているんだ。国はボクを王室の人間としてカウントしているということだろうな」


 アルカは後半不満げに唇を尖らせたが、オリビアはに落ちた。


「わかりましたわ」


 状況を理解したオリビアはすんなりと頷く。それなら仕方ない。


「安心すればいい。ウェストン一族の経営の腕は確かだ」


 オリビアは同意する。アルカの生まれる前からペルケトゥム研究所は続いている。それはウェストン家の多大なる功績だろう。信頼も大きいのでありがたく頼らせてもらおう。


「話は終わりだ」


 アルカは区切りを告げると、椅子の背もたれへ大きく体を傾けた。


「疲れた。ここ数日ドタバタと……」

「お疲れ様ですのね」

「きみたちが随分仲良さそうにしているのはほほえましいが」


 ベスは立ち上がると、お茶の用意をするためにと言って部屋を出る。

 アルカは机に頬杖をついて息を吐いた。最近、義肢がきしむ音がひどい。オリビアはアルカの腕に目を向けた。

 オリビアの視線に気づいたアルカがもう一度ため息をついて細めた目で天井を見上げた。


「しばらくメンテナンスをしていないんだ。ネイサンが亡くなった日からだから……もう十年になるのか」

「その方、機械工学を専攻しておられたのですわよね」

「そうだ。オリビアと同じだな」


 アルカのつぶやききにオリビアは意を決した。


「あの」


 アルカは伏せかけた目をうっすらと開く。


「なんだ?」

「そのメンテナンス、わたくしがやってもよろしいでしょうか?」


 アルカはぱっちりとその目を見開いた。そして数度瞬きがされて、うるおいを取り戻した瞳が輝いた。


「できるのか?」

「大学一年の時、実習で何度か機械を触りました。時計やラジオなら治せますし……。あ、でも精密せいみつ機械ですわよね。すみません、やっぱり」


 オリビアが断ろうとすると、アルカは遮った。


「いい練習になるんじゃないか? 別段、失敗したところでボクがどうにかなるわけじゃない」

「本当ですか?」

「ああ。いつでも準備ができたら呼んでくれ」


 オリビアは顔をほころばせると大きく頷いた。

 ちょうどいいタイミングでベスが紅茶を淹れて持ってきた。白いティーポットとティーカップを三つ。ベスは一つをアルカの机に置いて、紅茶を注ぐ。


「ちょっと蒸らしすぎたかも。苦かったら我慢してね」


 アルカは一口飲んできゅっと口を閉じた。


「ちょっと渋いが悪くないぞ」

「それよくない時の反応だよ、アルカ様」


 オリビアもいただくが、かなり渋いかもしれない。まずくはないが、茶葉の量が少し多かったのだろうか。そう考えながら、もう一度カップに口をつける。


「そういえばエドワードが来週隣国に行くって」


 ベスが先ほど研究員作業室で交わした会話をアルカに話す。アルカは斜め上を見上げて、脳内にゲネシス王国周辺の地図を開いているようだった。


「何しに行くんだ? 珍しいな」

「彼女の両親に挨拶するんだって」

「エドワード、結婚するのか。少し早いか……まあ、貴族なら妥当だな」


 アルカは脳内に浮かぶ地図を眺めたまま、ふんふんと頷く。エドワードは今年で二十二歳。貴族一家の息子、ましてや長男ならおかしくない。


「結婚されるのかはわかりませんが、お父様のご紹介だそうですわ」

「両親と仲良くできているようで何よりだな」


 アルカの浅い反応にオリビアとベスは二人首を傾げた。


「あんまり興味なさそうだね」

「気になられませんの?」

「ん? ああ、こういうことに関わると碌なことがない」


 アルカは遠い昔を思い出したのか、苦い表情を見せる。


「外から来た女性はボクのことを嫌がるんだ。当たり前だが、好きな男の側にずっといた女性なのかもよくわからない人、と言うのはかなり厄介視される。わかりやすく言うなら、自分の付き合う男性に年上の幼馴染の女性がいると考えたらいい」

「それは……ちょっと抵抗がありますわね」

「その上、その女性はちょっとよくわからない人で、得体も知れない。だというのに彼は女性と親しく接している」


「こういう話をする時にアルカさまの年の項を感じますわ」

「ね。こういうの興味なさそうだけどちゃんと知識と経験があるあたりが」


 少し失礼な二人の意見だが、アルカは何とも思っていなさそうに足と腕を組んだ。


「だからボクは研究所の所長になる人が男だった時、必ずと言っていいほど研究所を離れていた。中にはこの見た目だというのに恋愛対象として見てくるやつもいるからな、結婚して子供ができるまではしばらくどこかに出かけていたんだ」

「よく外国へ旅行されていたのはそういうことでしたのね。ご苦労様ですわ」

「十何回も繰り返せば慣れるさ。旅行も悪くないしな」


 アルカは不意に視線をあたりに巡らせた。あごに手を添えて指先で輪郭りんかくをなぞる。何か思い出したかのように椅子を座りなおすので、オリビアは瞬きをした。


「大学のローブ、今日受け取りじゃなかったか? もう行ってきたのか」


 オリビアは少し間をおいてから、はっとして立ち上がる。


「忘れておりましたわ。行ってまいります!」


 失礼しますと、一言を添えてオリビアは勢いよく扉を閉めた。

 扉が締め切られると、黙って話を聞いていたベスは、紅茶でのどをうるおしているアルカに目を弓なりにして笑いかけた。


「あたしちゃんはずっとアルカ様のそばにいてあげられるからね」


 左手でツインテールの毛先を触りながら、締まりない顔で言う。


「ベスもそう冗談言ってないで、早く伴侶はんりょを見つけなさい。もう二十六だろう」

「やだ、そんなことしたらあたしが一人になっちゃうじゃん」


 しん、と二人の間に沈黙が落ちる。ベスは依然として笑顔を崩さない。沈黙の間のうちに、アルカはベスの言葉の意図を知って、カップが手から滑り落ちた。かちゃん、と耳を塞ぎたくなるような音を立ててソーサーに収まる。幸い割れはしなかったが、アルカの表情には亀裂きれつが入っていた。


「……なにをしたんだ?」

「自由に生きてって言ったのはアルカ様だからね。大変だったな、科学協会のパーティーであたしの研究手伝ってくれる人必死に探してさあ。……でも思ったより早くできたのは僥倖ぎょうこうと言っていいよね。これを四百年も前に一度完成させたアラン・エイヴリーさん、やっぱすごいよ」


 アルカは立ち上がると、ベスのドレスの袖をまくり上げた。そこには赤い小さな注射痕ちゅうしゃこんが残っていた。薬物中毒ではない。それなら青く痣になっているはずだ。それは痕も小さく、プロの仕事だった。


稀代きだいの発明家さんに追いつくのに数十人がかりで五年だってさ。……はじめの人間の実験体はあたし。アルカ様の最初の仲間の座を他人に渡すわけにはいかないからね」


 アルカはベスの腕から手を離した。


「本気なのか」

「当たり前じゃん。あたしはアルカ様に恩があるの」


 十年前、アルカは貨物船に乗って逃げ出してきたベスを拾った。そのアルカの行動にはあまり理由はなくて、けれどその行動一つがベスの人生を変えた。ベスがあと何年生きられるのか、成功するのかはわからないが。

 アルカは少しだけ引きつった口角を持ち上げる。


「そうか。頑張ったな」


 成功は祈ってやれないが、ベスを拾った身としての言葉はかけるべきだ。それはごまかしの一言だ。


 アルカのぎこちない表情から意識を逸らしてくれるように、廊下が足音で再び騒がしくなる。控えめのノックから顔を出すのはオリビアだ。

 オリビアは渡し忘れていたとびながら紐綴ひもとじの一冊をアルカのデスクに置いた。


「今度こそ、行ってまいりますわ」

「気を付けて」


 半ばベスから気を逸らしたい感情で、オリビアに見送りの言葉をかける。大人びて見えるが、二十代らしい慌ただしさを見せるオリビアは、彼女はそのまま部屋を後にした。そして、すぐにベスも一冊の内容を察したかのように立ち上がった。ベスも長々と自身の研究について話すつもりもないらしい。


「あたしちゃんも作業室に戻るね」

「ああ」


 アルカの返事の直後にぱたん、と扉が空間を断絶した。アルカの書斎はいつも通り、静かなものになる。空気一つ揺れ動かない、不動の空間に。


 窓から差す日光を背に、アルカは動揺を隠しながらその本の表紙に手を伸ばした。次第にリズムよく指の影が文字を追い始める。そして一ページ、一ページとめくる指が止まることはない。ただ、捲るたびにアルカはため息をついた。


 ソウウルプスの美しい伝承をつくりだしたのは、誰よりも馬鹿で浅はかな女性のもの。アルカはそれにれこんで、知らずうちに帰郷していた。


 馬鹿はもう一人いた。


 アルカはぴたり、ととあるページの一文に指を這わせると、肩を震わせて自虐じぎゃく的に笑みを浮かべる。


「……王室にははた迷惑な女性しかいないわけか」


 アルカは天井を仰ぎ見て、そのまましのぶようにそっと目を伏せた。

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