第19話 イザベル王妃という人物

「オリビアさん。本を一度外に出しませんか?」


 セルバンテス邸、エドワードとオリビアはほこりのかぶった書庫で、ぞうきん片手に掃除を行っていた。一人では到底とうてい手を動かす気になれなかった書庫には、まだ確認していない様々な書物がある。これから数年、オリビアはウーヌスに滞在することになるだろうから、片づけをしてから家を空けたかった。


「そうですわね……本のほこりをはたいてから廊下に積みましょう」


 エドワードは数冊をおおう埃をはたきで払うと、持ち上げて廊下へと運ぶ。


 数刻前、オリビアとベスはこっそり緊急会議を開いていた。


「エドワードが勘のいいことを言い出した?」


 オリビアは首を縦に振る。


「ええ、アルカさまに聞かれてまずいこともあるかもしれません」

「アーサー二世の日記の話、エドワードにはしてないのよね」

「はい」


 ベスは少し離れた場所で眼鏡の女性と会話するアルカを横目で見る。


「じゃあ、あたしはアルカさまと一緒に、あの人から話を聞いてくるから。オリビアはエドワードと一緒に行動して」


 オリビアは慎重しんちょうに頷いた。


「気を付けてくださいませ」

「わかってる。できればそっちも、エドワードから喧嘩の原因を聞いてきて」


 かくして、オリビアはエドワードと共に行動することとなり、ぎこちない空気感の原因を探る役にも任命されたのだ。


「わたくし、水を替えてきますわ」

「ありがとうございます」


 オリビアはにごった水の入った金属バケツを持ち上げると、洗面所に向かった。

 初等学校教員の女性がまとめた記録書は今オリビアの手元にある。彼女は伝承に興味があるのではなく、明星みょうじょうについて調べるにともなってその話にだけ詳しくなっていたようだ。

 天文台は盲点もうてんだった。天文と神話はたまに関連付けられる。今頃、アルカとベスは天文台で彼女から話を聞いているのだろう。


 オリビアはれた手を拭うと、バケツを置いて洗面所から抜けた。

 そっと足音をひそめてリビングへと向かう。リビングには例の本がぽつんと置かれていた。そのすぐ側にはラッピング用の秋らしい小麦柄の紙。これも祭の屋台で購入したものだった。


 オリビアは本を手にすると、指先でページをめくる。





 街が今以上に明るく、発展の心を強く根差していたころ。

 とある女性がソウウルプスの人たちに言いました。


「明け方、東の空にひときわ強く光る星が現れます。あちらは理知りちつかさどる『あかつき兄星せぼし』です」


 女性は外から学びを得た人でした。街の外で得た知識はソウウルプスの人にとって何よりも高尚こうしょうなものでした。誰もが彼女の話に耳を傾けました。


「別の時期には夕方、西の空に同じように強く光る星が現れます。そちらは慈愛じあいを司る『黄昏たそがれ妹星いもぼし』です。その二つの星は双子の神なのです」


 二つを生活の指針ししんとすればよいでしょう。

 女性は言いました。人々は素直にうなずき、それからそれらの星を道標として穏やかな生活を送っていました。


 ある時、どちらの星も姿を見せなくなります。人々は不安になりました。

 教会に向かい、女性にその意味を訪ねました。人々にとって、女性は預言者のような存在になっていました。

 女性は落ち着いてこう言いました。


「二つの星は双子の神なのです。疎遠になった兄弟に会いたいと思うことは自然でしょう」


 街で一番賢く、賢者と呼ばれた男性が、女性の呼び声で姿を現します。


「双子の神が見えない時を『逅星こうせい』と言います」


 男性の言葉に人々はしかと耳を傾けました。


「双子は人々の見えない場所で再会を喜んでいるのです。心から人々を見守っているからこそ、神々にもこういったときが必要なのです」


 男性の教えに女性は深くうなずきました。人々も頷きました。

 そして、街の人々は日頃の感謝から双子の再開を祝おうと取り決めます。


 それが今の『秋恩祭』として伝わっているのです。

 いつからか、この男女が双子の化身と伝わっているのは別の話です……。




「オリビアさん?」


 オリビアは自身を呼ぶ声にはっと我に返って、手の中にあった本を閉じた。

 リビングの扉を後ろ手に閉めると、廊下の先に立つエドワードに微笑みかける。


「ごめんなさい、遅くなりましたわ」

「屋台で売られていた本を読んでいたんですか?」


 エドワードのするどい核心かくしんをついた発言に、オリビアは言葉を詰まらせる。


「……そうですわ。実は気になってしまって」

「伝承もせてあるってあの人もおっしゃっていましたし、気になるのは仕方ないですが。一言ひとこと言ってください。私は本をすべて出し終えましたよ」


 エドワードの少し呆れたような様子に、オリビアは慌てる。


「お早いですわね……! ありがとうございます」


 洗面所に寄ってバケツを持ち上げると、先に書庫へと戻るエドワードを追いかけた。

 確かに書庫は本を廊下に出したことで、すっきりとして今までより部屋が広く感じられた。

 エドワードは床に無造作むぞうさに置かれたぞうきんを手に取ると、オリビアの持ってきたバケツの水に浸して絞る。そしてせっせと棚の上の方から拭き掃除を始めた。オリビアも同じように正面の棚を拭き始める。


 静かだった。

 開けた窓から風がたまに吹き込む程度で、賑やかしい祭の声は全く聞こえなかった。

 力を籠めないといけないような汚れもなく、作業はスムーズに進む。

 オリビアは一度汚れたぞうきんを洗おうと振り返った。それはエドワードも同じだったようで、振り返るタイミングが少し気まずさを覚えるほどにはそろっていた。


「……」


 二人は何も言わずに、再びぞうきんを絞って互いに背を向ける。


「オリビアさんって、変な人らしいですね」


 先に口を開いたのはエドワードだった。我慢大会を開いているわけではなかったが、互いに会話を始めるきっかけを探り合っていた。


「どなたがおっしゃっていましたの?」

「サミュエル君が」


 唯一ウーヌスに残っている同僚をオリビアは思い出す。


「わたくしは普通ですわ」

「私にはそれを判別する方法はありません」


 エドワードは話をちぎってしまう。自らが始めた会話をすぐに終わらせてしまった。しかしそれは、二人ともちょうど拭き掃除を終えたからだった。


「本を戻しますか」


 オリビアは頷く。

 先ほどの話なのにすっかり忘れていた。廊下に並べられた多くの本。腰を痛めてしまいそうだが、いたかたない。

 文句を言う前に二人は手を動かした。


「あっ」


 どさ、とオリビアはしびれはじめた腕から本を落としてしまった。古いものなのに。中には紐でじられただけの書類もある。


「大丈夫ですか?」


 エドワードの義務的な心配の声に反応しながらも、落とした本の角がつぶれていないか、書類に折り目がついてしまっていないか慌てて確認する。幸いにもそれらは見つからなかったが、オリビアはあるページをあたかも見せるように落ちた書類を手に取った。


 どうしてそう落ちたのか、それは頻繁ひんぱんに開かれていたページだからだ。紙にくせがついている。

 すぐには読めない古語で書かれたそれは、土地の売り渡し書類のように見える。詳しくはわからないが単語だけを拾うと、この土地はセルバンテス家に譲る、そんな内容に思えた。


「あの、エドワードさま」

「なんですか?」


 本を棚に収めていたエドワードがオリビアに視線を寄越よこす。


「これ、読んでくださいませんか?」

「古語ですか?」

「おそらく」


 エドワードは手を払うと、オリビアの持つ書類に顔を近づけた。


「……『ソウウルプス市役所は土地所有権限をイザベル・エイヴリーからセルバンテス家に受け渡すことを求めます。セルバンテス家は土地所有者を速やかに決定次第、ソウウルプス市に報告をお願いします』。


契約書みたいですね。オリビアさんの先祖がこの土地を買ったときに交わされたものじゃないでしょうか」


 すみに書かれているのはA.N.十二年の表記。教会ができて間もない時だと思われる。


「……イザベル・エイヴリー……?」

「よくある名前ですね。いまこそめったに聞きませんが、四百年ほど前ならエイヴリーという名字は多くの人が使用していたものですし。私が知っている数百年前の芸術家にもエイヴリーさんはたくさんおられます」

「イザベルはどうですの?」


 オリビアはその名を何度も指の腹でなぞる。エドワードはあごに手を添えて、斜め目上を見上げた。


「イザベル、ですか? 私は四百年前でイザベルと言われたら二代目国王の王妃しか思いつきませんが。そういえばあの人の婚前の名字もエイヴリーでしたね」

「イザベルと言う名前は当時珍しかったのですの?」

「私の基準は芸術家になってしまいますが……そうですね。そもそもあまりメジャー名前ではなかったと思いますよ。イザベルが王妃になってからも、人々は神聖な名前として名づけを避けたでしょうし」


 思ってもみない風に点と点がつながり始めた。地主であったことが今になってこういった風に貢献こうけんしてくれるなんて。しかし、あまり考えたくない内容だ。


「……すごく助かりましたわ。エドワードさまはさすがですわね」

「言われるほどでもありませんが」

「いえ、そんなことありませんわ。……引き留めてしまいましたわね。片づけを続けましょう」


 オリビアは勢いよく立ち上がると、棚に迫って必要以上に意気込みながら仕舞しまってゆく。エドワードはオリビアのその背中を見ながら言った。


「サミュエル君の言った通りかもしれません」


 オリビアが振り返ると、エドワードは棚に向かっていた。ゆっくりと本を並べている。


「変な人の話ですの?」

「はい」


 何か探っていることを勘づかれてしまったのだろうか。オリビアは悟られないように、と心の中で繰り返す。


「オリビアさんはよく私のことを褒めます」


 オリビアは本を持ち上げる動きを止めた。


「……そうでしょうか? 不愉快でしたか」

「いえ、私には褒められるほど何も持っていないと思うだけです」


 エドワードは首を横に振る。


「そうですの? 芸術にお詳しいですし……わたくしの知り合いの中ではアルカさまの次に古語が読めますわ。歴史にも精通なさっておられますわよね」

楽譜がくふの文字はすべて古語と決まっています。その延長で小さいころから古語を教わってきたので、人より読めるってだけです。……実生活では何の役にも立ちません」

「でもほら、今役に立っていますわよ」


 オリビアは音楽に詳しくないため楽譜の文字が古語であることを今初めて知ったが、幼いころからずっと目にしているエドワードからすれば、これはたいした能力でもないと思っているのかもしれない。


「私は皆さんみたいに数式を見て意見できるほど賢くありません」


 オリビアは顔を上げる。


「身なりも、飛び出してきた日に持ってきたもので、自分の稼ぎでは高級テイラーに出向かうのは贅沢ぜいたくです」

「それはわたくしもそうですが……」

「私を形作るのは両親の教育のたまものと、周囲の環境だけです。自分で何かを掴めたことがない」


 エドワードもオリビアも作業の手はいつの間にか止まっていた。オリビアが積み重なった本に力をめると、エドワードは思い出したように動き始めた。


「だから、私が何かを言ったところで何かが変わるわけでもないですし、変えることができるとも思いません。私が知っていることは辞書を引けばわかることで、私が理解しようとすることは皆すでに分かっていることです」

「何をおっしゃっていますの?」

「そう、言ったんです」


 エドワードはやっとオリビアと目を合わせた。


「アルカ様に」

「……。なんて返されましたの?」

「『意思のない弟子はいらない』です」


 アルカは随分ずいぶんな言葉不足だ。エドワードの卑屈ひくつっぷりに嫌気がさしたのかわからないが、そんな人間にかけるべき言葉とは思えない。けれど、アルカの言うことには頷けた。


「……弟子をやめるときは研究所を去る時だ。そう決めていました」

「会話を交わそうとしなかったのは、音沙汰おとさたなく消えるためと言うわけですの?」


 エドワードは黙って、オリビアに背を向けた。これ以上会話は望まないということだろう。


 オリビアはそれを肯定とは受け取りたくなかった。












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次回:収穫

明日22:00~投稿予定

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