第16話 サミュエルの仮面

 四年前に通っていた、オリビアの知るウーヌス王立大学とは少し様相ようそうが変わっていた。というのも、オリビアの在学中は校舎の一斉いっせい補修工事のため白いシートにおおわれて大部分が見えなかった。内部も一部の教室が使えず、授業によっては外の施設の会議室を借りたこともあったので、入ったことのない場所がある。

 中央校舎の正面の庭にあるベンチに腰掛けて、オリビアは一人を待っていた。


「……」


 オリビアはその姿を見つけてすぐ、軽く手をかかげた。目的の人物は予定を忘れていたような素振りで表情をくずす。なんといっても彼は学友たちと一緒に歩いていた。


「予定あったの忘れてた。ごめん、昼食はパス」

「予定? あ、あそこで手振ってるお姉さん?」

「研究所のね、それじゃまたあとで」


 男女混じった数名で構成されたグループから明るい金髪だけが抜け出してくる。


「楽しそうでしたわね。昼食の予定がありましたの?」


 駆け寄ってくるサミュエルにオリビアはたずねる。申し訳ないことをした、とどこかで思う。

 オリビアの表情に、サミュエルは首を振るとむしろ良かったと答えた。


「さっきの授業からずっと付きまとってくる女の子がいてさ。芸術学部の子らしいけど何しに来たんだか……」

「彼女はこっそり、必要のない授業を受けに来ていたってことですの?」

「そんなところ」


 二人は本部のある校舎へと足を向ける。中央校舎からは少し進んだところにその建物はある。オリビアが以前在学していた時は、中央校舎に本部があった。それが数年の間に一つ建物が増え、そちらに本部が移ったのだ。


 オリビアは横から感じる視線についに耐え切れなくなった。

 首を曲げると、サミュエルがあからさまに顔をそらす。


「どうかされましたの?」

「……オリビアってなんか変だな」


 初めてそんなことを言われた。

 オリビアは目を見張る。


「変、ですか? 確かに、都会には馴染なじめていないかもしれませんわ」

「本性は強情だよ。謙虚けんきょで大人しいふりして、でも研究所の女性たちと似てる。なんだか、見た目と中身が釣り合わない」

「それは、めていただいていますの?」

「いや、ただの分析。それがいいとか悪いとか、俺は言わない」


 サミュエルは同じ調子で足を動かし続けている。なんだか、大学にいる間のサミュエルは年齢相応に見える。確か今年で二十歳になる年だ。オリビアの四つ下。誕生日を迎えていなければ彼はまだ子供だった。


「一つ、わたくし聞きたいことがありましたのよ」

「俺に?」


 サミュエルの表情に仮面のような硬さがない。


「何を取りつくろっていらっしゃいますの?」


 オリビアの質問で、二人の間に沈黙が訪れる。サミュエルはやっと思い出したかのように、口元を曲げて笑った。


「取り繕うって、何をさ」

「わたくし、サミュエルさまのいらっしゃった経緯など全く知りませんけど……貴方だけ違うと思っていましたの」

「どういう意味?」

ですわ。おそらくサミュエルさまはアルカさまのことがお嫌いでしょう」


 ほおが引きつる。それはあからさまなものではなくて、きれいな仮面にひびが入ったようだ。オリビアは眉を曲げる。


「だから?」

「でも、尊敬している」


 サミュエルはついに何も言わなくなって、足だけを動かす機械になってしまった。オリビアは出会って数日の年下の青年に言いすぎてしまったかもしれないと思った。けれどオリビアにはそれが違和感でしょうがなかったのだ。

 皆も気づいているはずなのに何も言わない。


「尊敬せざるを得ないのでしょうか、それとも思い知らされたのでしょうか。知る由はありませんけど……少なくとも貴方はアルカさまを嫌っているように見えますし、アルカさまにいい顔をする人たちを見るときは決まって釈然しゃくぜんとしない、と目が語っていますわ」

「やっぱりオリビアって変な人だな」


 サミュエルは吐き捨てるように言った。


 本部の校舎に到着した。

 サミュエルに指さされたカウンターに、オリビアは手の中の書類を手渡す。


「よろしくお願いしますわ」

「確かに受け取りました。学生証明書を発行いたします。少々お待ちください」


 カウンターの隅で証明書を待つ。サミュエルはいじけた子供のように軽い貧乏びんぼうゆすりをしている。


「オリビア・セルバンテスさん。こちら証明書です。失くさないように」

「ありがとうございましたわ」


 オリビアが用を終えたことを伝えると、サミュエルは目を合わせずに頷いた。

 校舎を出て、再び青空の下に出る。

 快晴。くもっているのはサミュエルの表情だけだ。


「……研究所なんかに来なきゃよかった、って思ったんだ」


 オリビアはサミュエルの語りに軽く首を持ち上げた。


「……」

「ヴェロニカ所長が、俺をはやした。十七の時、通ってた学校に特別講師として所長がやってきてさ」


 サミュエルはその学内で常に首席をキープしていた。田舎の学校だったが、人が少なかったわけでもない。その時の失敗点として挙げるなら、村人全員が世間知らずだったことだ。


「年中寒い国だったからせっかく引いた線路もこおって危なかった。でも馬も寒がるし、犬にそりを引かせるほど年中ねんじゅう地面が固い雪におおわれているわけでもなかったから、今思えば生まれてからウーヌスに来るまで外の世界を知らなかった」


 サミュエルは何かを恨むような目つきで言う。おだてた大人たちにか。はたまた、過去の浅はかな自分に対してか。


「特別講師でやってきた所長は俺に言ったんだ。俺がその気ならウーヌス大学の入学を手配してあげるって。今思えば、あの人、国に伝手があるからああいうことができたんだな」

「それで研究所に来ることになりましたのね」

「みんな歓迎かんげいしてくれたし、与えられたものを受け取るのが、権利をいただいた人間の義務だと思ってたし」


 サミュエルはすねたように唇を尖らせる。


「わかってるさ。あんまり気分のいい考え方じゃない」

「サミュエルさまは真面目で責任感がありますのね」


 サミュエルの自虐的な独白どくはくへ水を差すようなオリビアの発言に、サミュエルは少しだけ言葉を空振りした。


「……でも俺はあの時本気でそう思ってたし。大学に入っても、俺は勉学に困ることは少なかった。みんな教授の難解な授業に必死だけど、俺はいつも通り予習して授業を聞いて復習したら大体単位は手の中にあるから」

「ほら、真面目なんですわ」


 オリビアはふと笑う。

 サミュエルは所長が自分を選んで研究所に連れてきた理由を、生意気の矯正きょうせいだと思っているようだ。

 けれどそれは、おそらく違う。

 ヴェロニカはサミュエルの実直な学びへの態度を見抜いていたのだろう。彼なら厳しいゲネシス王国一番の大学に振り落とされることはない、と。


「……とにかく俺は自分がしてることを当たり前のことだと思ってる。でもこれは普通じゃなくて、うまくいかない人だっていることも知ってた。さらにみんなは俺を天才だって言うし、村で初めてゲネシス王国の大学に行った人間だったし」

「それをアルカさまと出会ったことで、打ち砕かれましたのね」

「あの人は俺が分からない話をしてきた。初めてのことだった。何を言ってるのかさっぱりわからないけど、すごいことだけはわかるんだよ。その時俺は、自分がただの凡人だと気付いたんだ」

「そうですわね」


 オリビアの相槌あいづちにサミュエルは言葉を飲む。


「……あの人は言ったんだ。『四百年の壁をそう簡単に乗り越えられてたまるか』って。そりゃそうかもしれないけどさ!」


 サミュエルは拳を太ももに叩きつけた。オリビアは静かなキャンパス内に彼のいきどおりが伝播でんぱしたように見えた。数名の学生のやるせない表情は全国でりすぐりの秀才たちらしい。

 秀才は天才にかなわない。誰かがそう言った。

 サミュエルは吐き出し切ったように、少し荒い息だけを残している。


「わたくし、ソウウルプスにいたときにウーヌス大学の受験を後押ししてくださった恩師がいましたの。もう、この世にはいらっしゃいませんけど……」


 オリビアの落ち着いた口調に、サミュエルは急に熱が冷やされたような気の抜けた顔を見せた。


「その方はおっしゃっていました。『天才はまれな人種だ。そして寂しい人種だ』って。わたくしは、天才であるアルカさまに食らいつこうとすることは無謀だとどこかで思ってしまいますけど、きっと無駄なことではないのですわ。少なくとも、アルカさまは寂しくありませんでしょうし」

「……」

「天才って、天才の一言で片づけられるものでしょう。誰も理解しようとしません。天才だから、足元にも及ばないから。皆そう言って身の回りから遠ざけようとするんですわ」


 サミュエルはオリビアの主張を黙って聞いている。


「わたくし、悲しいことにアルカさまの話を聞いてわからなかったことがありません。それは誰にでもわかるように優しくくだいて説明してくださるからですわ。サミュエルさまがアルカさまの話を聞いて何もわからなかった、そう思ったということは、アルカさまは少なくとも貴方に理解しようとする意志あると思われたのではありません?」


 大時計が一時を知らせる鐘を鳴らす。キャンパス内にその重厚な音が響き渡り、ソウウルプスを想起させた。

 サミュエルは唖然あぜんとして、歩を止めている。


「それに、恩師はこうもおっしゃっていましたの。『時代を形にしてきたのは秀才だ。天才の言葉を凡人に伝えることができる秀才』と」


 うつむいているサミュエルの顔をオリビアはのぞき込んだ。


「どうでしょう。に落ちましたかしら」


 午後からまた授業があるというのに。サミュエルの目元は赤くにじんでいた。下唇もかみしめて白くなっている。二年間、誰も彼を子供として接したことがなかったのだ。立派な大人として相対して、サミュエルも悩みを消化する大人の方法を知らなかった。


「……やっぱり、オリビアは変な人だよ」

「わたくしは普通ですわ」


 サミュエルは口元を緩めて笑った。











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