第15話 アーサー二世の日記

『アーサー二世の日記』。


 オリビアはベッドに寝転がったまま、借りた古書こしょを天井にかかげた。

 今夜はずいぶん静かで、大した会話も交わさずにみんな自室へと引きこもっていった。オリビアもまた、同じように自室へ戻ってみたが、興奮こうふんめやらぬようで落ち着かない。


 オリビアは体を起こすと、本を片手にそっと音をたてないようにして部屋を出る。研究所は不用心で、テラスに置かれた植木鉢の下に鍵を隠してある。

 できるだけ静かに鍵を開けると、そそくさと研究所に入った。


 オリビアは消灯された廊下を見渡すと、目の前の応接間の扉を押し開ける。灯りはついていなかったが、月明かりが吹き抜けの採光窓さいこうまどから差して、ぼんやりと物の輪郭りんかくを浮かび上がらせていた。

 オリビアは中央のソファに腰を下ろすと、月明かりに透かして本の表紙をでた。


「……なんだか申し訳ない気分ですわ」


 他人の日記を見るのは忍びない。

 けれどオリビアは思い切って一ページ目をめくった。日付はS.D.R.八五〇年、アーサー二世が結婚したその日からつづられていた。あまりきれいとは言えない走り書きで、古いゲネシス語によって彼の興奮が映し出されている。オリビアがほっと胸をなでおろしたのは、それが簡単な単語のみで形成されていたということ。


──美人な女性が妻になった。なんて幸運! 初代アーサー王に言われて改名した甲斐かいがあった


 王と言っても一人の人間。今の時代と比べて大差ない発言にオリビアはほおが緩む。


──イザベル。彼女は賢い男性が好きらしい。新しい銃器の案は私が出したと言ったら、彼女は微笑んでいた。こんな調子だと私の方が年下みたいだ


 アーサー二世は開発に熱心だった。練兵れんへいにも力を入れていたが、何より新しい兵器の形を模索していた。戦争の形を大きく変えたのはアーサー二世だと知られている。特に機械兵器の体系の確立に貢献こうけんし、生物兵器や化学兵器の前身を形作った人物。ゲネシスを大国へ成長させた人だった。


──イザベルがいい提案をしてくれた。問題をいくつかまとめたものを作り、それを各地で実施する。その問題の点数を一定数満たしたものだけを開発にたずさわらせるというものだ。賢く、かつ研究が好きな人間を採用したい。予算は多めにしておこう


 試験というものは当時なかったのだろうか。特に思考力や知識量を測るものは、剣術などよりも遅かったに違いない。


──イザベル、やったぞ。大成功だ。冴えた頭脳の持ち主が続々とやってきた。皆がやりたいと思う研究にも金を出そうと言えば、ずいぶん意欲的にとりかかってくれそうだ。一見、戦いに関係ないように見える学問も極めれば役に立つに違いない


 オリビアはじっくりと読み進めていた。古語が苦手なオリビアはずいぶん時間がかかってしまう。けれど、それはやめる理由にならなかった。


──今日、りすぐりの研究者たちとじっくり話す機会があった。話題は「出身の街で自分には到底かなわないと思った人物」だ。それはアラン・エイヴリーだと、ある地方からやってきた者たちはみなその名前を挙げた。変人だが、ずいぶん頭の回転が速い男だったという。彼を探し出す手筈を始めよう


「アラン・エイヴリー……?」


 たしか稀代きだいの発明家と名高い人物だ。多彩で、あらゆる分野に精通した。工学はもちろん、生物学にも興味を注ぎ、ては芸術方面にも手を伸ばしていたと聞く。

 オリビアは無意識にその日記を読み飛ばし始めた。


「アラン、アラン……ありましたわ、アラン・エイヴリー」


 次にその名が登場したのはアーサー二世が、彼を見つけ出し研究仲間に引き入れたという記述だった。

 彼は世間にうとかったようで、アーサー二世の行っていた試験のことなど知らなかったらしい。アランはアーサーのさそいを快く受け入れていた。

 そこからしばらくは、王妃とのたわいないやり取りや、一日の研究成果、アランやほかの研究者たちとの会話がしばらく綴られていた。嵐の前の静けさ、それを文字で体感することになろうとは。オリビアは眉をひそめて次のページを開いた。

 筆跡が強く、そのページはひどい殴り書きで、前のページに写ってしまっていたのだ。


──しばらくソウウルプスに帰りたい、とイザベルが言ってきた。ここ最近、イザベルは頻繁ひんぱんに実家へ身を寄せている。反逆を起こそうとしているのではないか、そう思うのはおっと失格だろうか。いや、私は夫でもあるが国王でもある。誰に相談すればいい?


 オリビアは息を飲んだ。嫌な予感がする。

 そして数日の葛藤かっとうののち、アーサー二世はアランに相談することを決めていた。


──アランは言った。故郷が懐かしくなっただけだろうと。イザベル王妃は賢い女性だからおろかな真似はしないだろう、とも。この男がこう言うなら、彼女を信じようと思う


 少し人生に不安を覚え始めたアーサー二世とは対照的に、アランは幸せが一つ増えたようだった。娘の誕生だ。


「娘? わたくしの知っている話と違いますわ。たしかアラン・エイヴリーは生涯しょうがい独身どくしんで……」


 かく

 アーサー二世は自分に娘ができたかのように文面で喜んでいた。そして、会いたいと。男であれば次を担う部下の一人としたかったとも言っていた。

 ただ、アランは悲しそうな表情で断ったそうだ。


──ここは戦いが多いから、別の安全な地方へと妻に連れて行ってもらった。娘に危険を負わせたいと思う父親はいないだろう、と。変人だがこういうところはよくできた人間だと思う。私が彼を信用する理由だ


 オリビアははっとして日記から顔を上げた。

 教会の設計者は?

 考え始めると確認したい衝動にられてしまった。研究所から飛び出し、オリビアは自室へと駆け込む。


 その目は必死にその書類からある文字列を探した。そしてしばらくすると、オリビアのせわしなく動いていた指がぴたりと止まる。 


 東ソウウルプス教会、設計担当者。


「アラン・エイヴリー……」


 この日記に、アランとイザベル王妃の関わりに関する記述はない。おそらくアーサー二世は二人の会話を見たことすらないだろうし、だから二人が密接な関係であるかもしれないと疑うこともない。その場にいたから、彼の目が彼の判断をにぶらせた。


 ただ、そのタイミングは他人からすれば、わざとらしくさえ見える。


 アランとイザベル王妃は不倫ふりん関係にあった。ただの恋愛感情による暴走か、あるいは地位や才能を盾にした取引なのか、アーサー二世の日記からは彼からの視点でしか情報を得ることはできない。


 イザベル王妃がソウウルプスに帰ったのは娘を産むため?

 そうなると一つ、疑問が残って消えてはくれなかった。


「どうして、イザベル王妃は……」


 故郷に教会を作ったのか。

 王妃の行動から性格を鑑みるなら、秘密の関係を正しいものと認めてほしくて肯定してもらえる形に、つまりそれを神話として落とし込もうとしたといったところだろうか。

 しかし、本当にそれだけだろうか。認めてもらいたい欲だけで動くにしてはあまりに大がかりだ。神話を作り、その信憑しんぴょう性を高めるために教会という舞台まで用意する。


 アーサー二世によるアランの記述をたどれば、彼はずいぶん無駄を省きたがる人間だということが分かった。仕事だと割り切ったのかわからないが、イザベル王妃に頼まれて設計を担当したのなら、彼女の思惑を受け取っての行動ということと考えられる。二人の意思で建設した可能性もある。


 オリビアは布団をかぶったまま目を見開き天井を見つめていた。思考の外側で小鳥がさえずっている。


 結局、脳はえに冴えてしまって一睡いっすいもできなかったのだ。

 オリビアは仕方なく体を起こすと、欠伸あくびらす。

 どんな理由で夜眠れなかったとしても、朝は必ずやってくる。夜が明けなかった故郷を思い出しながら、体を伸ばした。


「おはようございますわ」


 洗面所、くまの滲んだ顔でベスに挨拶をする。ベスは歯ブラシをくわえたままオリビアの顔を見て驚愕きょうがくした。


「……オリビア? 顔ひっどいけど」

「昨晩は上手く眠れませんでしたの」

「昨日は作戦も決行して疲れたでしょ? 何考えてたら寝れないなんてことがあるのよ」


 オリビアは鏡に映る自身の顔を見て、確かにひどい顔だと思った。ひとまず蛇口じゃぐちをひねって顔を洗う。

 ベスの核心をついたような質問にどう答えるべきか、考える時間も欲しかった。


「アーサー二世の日記についてですわ」

「はぁ?」


 オリビアは睡眠不足だった。

 口をついて出たとき一瞬やってしまったと思ったが、すぐに自分への言い訳を思いついてしまっていた。

 いずれ協力を仰ぐことになるだろうから。

 れた顔の水滴をタオルで拭いながら、オリビアは切れのない顔でうなずいた。





 

「なるほどね」


 ベスはアーサー二世の日記をぱらぱらと流し見ながら、オリビアの一晩中煮詰につめた思考に相槌あいづちを打つ。


「それで、それで……」

「ちょっと落ち着いたら? 寝不足ってなんのいいことも起きないわね、まったく」

「……申し訳ありませんわ」


 オリビアが眉と肩をずんと下げると、ベスは釈然しゃくぜんとしない表情でため息をついた。


「まあいいわ。……で、オリビアはどうするの?」

「ソウウルプスに戻って調べますわ」


 オリビアはくまの濃い目をベスに向けてはっきりと言う。


「大学の方は昔履修りしゅうしていた授業を一部免除めんじょしていただいていますから、秋学期の授業数は多くありませんし」

「忙しくなる春学期までにできるだけ調べておきたいってことね」

「はい」


 秋学期はおよそ九月から十二月の四か月間。四か月もあればずいぶん進むはずだ。

 オリビアは不意に昨日顔を合わせたヴィクトリア女王を思い出す。せこけてしまっていて、語りこそしっかりとしていたが、そこはかとないはかなさがあった。確か御年おんとし七十六でずいぶんな長生きだ。


 もう、長くない気がする。

 アルカは言っていた。ヴィクトリアは何かをずっと隠そうとしている。ヴィクトリア女王は隠したまま生涯を終えるつもりなのだろうか。

 隣のベスがオリビアの思考の居場所を引き戻すように息を吐いた。


「わかった、オリビア。あたしもちょっとは手伝ってあげる」

「……え?」

「いらないって言うならそれでいいけど。せっかく復学するんだから、春学期からの授業に集中できないともったいないでしょ」


 ベスはオリビアの背中を強くたたく。


「とりあえず今日は大学に情報登録しに行くんでしょ。オリビアまで冴えない顔してたらサミュエルに嫌われるわよ」


 オリビアはじんじんと痛みのにじむ背中をさすりながら、ベスの激励げきれいに口元を引き締めた。










ここまで読んでいただきありがとうございます。


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次回:サミュエルの仮面

明日22:00~投稿予定

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