第13話 アルカが恐れる唯一のこと

 エドワードは夕食が始まる直前に帰ってきた。

 ベスがどこに行っていたのかさりげなく尋ねるが、曖昧あいまいにごして「遅くなってすみません」と謝るだけ。ベスがしびれを切らしてそれ以外何も言えないのかと問い詰めると、エドワードはすっかり黙ってしまった。


 確かに様子がおかしい。

 しかし、オリビアにはアルカとエドワードが喧嘩したようには見えなかった。


 居心地の良くなかった夕食後、オリビアは今日からお世話になるベッドに腰掛けて一冊の本を開く。自身の手で製本した世界で一冊だけの本。集まっている神話はまだ数個だ。オリビアは明日の予定を頭の中で整理しながら、無意識に『冥府の女神と命の光』のこうに指をわせた。


 オリビアはこつ、という軽い靴音に顔を上げる。


「どちらさまですの?」

「……ボクだ。アルカだ」

「アルカさま」


 ノックもしていないのに、足音だけで訪問を察知さっちして声をかけたのには驚いたに違いない。アルカらしくない間を空けて声が返ってくる。


 オリビアは本を机の上に置くと、立ち上がって扉を開けた。

 そこにはネグリジェを身に着けたアルカが扉の前に立っていた。ボタンがところどころいびつに曲がっている。

 断りを入れてからオリビアはアルカの目の前にしゃがみこんだ。少しだけねじりながら穴にボタンを収める。


「……アルカさま、昔は全てご自身でできたのでしょう」

「ずっと前の話だ」

義手ぎしゅは小回りが利きませんものね」

「……」


 アルカは否定しなかった。オリビアはアルカが蝶々結びをしようとするところを、ソウウルプスでたびたび見かけていた。しかしその試みも、硬い義手の指同士がかち合ってひもを通す輪がくずれてしまうので、無為むいに終わる。


「きみは言ってくれるなよ」

「何をです?」

「ボクのために素敵な義肢ぎしを作ろうだなんて」


 オリビアはアルカの顔を見上げる。アルカは無表情でオリビアを見下ろしていた。その顔は何故か少し寂しそうに見える。

 ほかにそのようなことを言った人がいるのだろうか。オリビアはぐっとこらえてその疑問を喉奥に押し込める。


「もちろん、他の誰かのためにとか、世の五体ごたい満足まんぞくな人間のためにと言うなら止めはしないが」


 アルカは念を押すように続ける。オリビアが最後の一つを整え終えてもアルカは立ったまま動かなかった。

 オリビアは膝をついたまま目の前に立つアルカを見上げた。


「怖いのですか? 人から、何か与えられることが」


 アルカはわかりやすく顔の下半分を義手でおおった。眉をひそめて、こちらは否定したいが否定の言葉が出ないらしい。


「お座りください。立ったままでは疲れますわ」


 オリビアは机に付属している木の椅子を引く。


「……面白くない話だが、聞いてくれるか」


 視線を合わせないアルカにオリビアはじっくりと頷いた。アルカは心を落ち着かせるように背もたれに身体を預けると、ぽつりぽつりと言葉をつむぎ始めた。






 七つの時、ボクは養子に出された。


 それまでのことはよく覚えていない。父親らしい人と一緒に暮らしていたような記憶もあれば、祖父母らしい老夫婦の元で住まわせてもらっていたような気もする。覚えていないだけで、母親と一緒にいた時期もあるのかもしれない。

 ともかくボクがはっきりと覚えているのは、七歳の誕生日を祝ってもらった翌日にペルケトゥム研究所の建付けの悪い扉を叩いたことだ。


 養父となる人は、ボクがそれまで一緒に暮らしていた男性と旧知きゅうちの仲らしかった。そこにはきれいな奥方おくがたと二歳下の息子もいた。


 ボクには初めて見た人を親と思う機能が備わっていなかったのか、どうもそれまで一緒に暮らしてた男性を父親とは認識していなかった。それは理屈で理解した今ですら、父親という感覚がない。その感覚は養親ようしんにも当てめられていた。良くも悪くも、ボクは養父を養父としか認識できなかったのだ。奥方もただの養母で、息子に至っては偶然同じ屋根の下で暮らしている近い年頃の少年だった。


 その日からボクはウェストン家に養子として家族に混ざることになった。


 はじめはほとんど抵抗がなかった。

 それはきっとボクのことを悪く言う人がいなかったからだろう。みんながこころよく受け入れてくれた。


 十の誕生日を迎えた日、養父の知人──おそらく父親が久々に顔を見せた。子供というのは残酷で、短いときのうちにいくら顔を合わせているかで、親密度や信頼度が上下する。十の時、ボクのそれらの値は近い場所に養父が、実父は離れた場所に位置していた。

 でもその人は自分が真の父親であるのにと怒ったりせず、ただボクに薬を与えた。その時、ボクはその人を医師だとみなした。

 それが何の薬なのか、ボクは知らなかった。


 ボクが周囲との差に気づいたのは遅かった。十四の誕生日、養母ようぼが服を仕立てようと言ってくれたのだ。


──どれくらい伸びているかしらね


 衝撃を与えた言葉は何気ない一場面の切り取りでも、ここまで鮮明に覚えていられるものなのだと、今でも感心する。


 結論から言えば、ボクは十二の頃から何一つ体に変化を得られなかった。もとより成長はとぼしい方だった。薬がなくとも周囲より小柄に育っていただろう。しかしそうやって溜飲りゅういんが下がるような話でもなかった。

 そのころにはすでにあの医師らしい人は研究所に顔を見せないようになっていた。


 養母は眉を下げながらも大丈夫だと言ってくれて、養父はひどく怒ってくれた。養父は医師に騙されていたらしい。ボクは持病持ちだとそう教えられて、投薬やら注射を見逃していたらしい。

 背の伸びない、見た目の変わらないボクに、二人はいたく優しく接するようになった。


 その頃からだと思う。自分の存在が、丸い家族の関係性を徐々にゆがませているかもしれないと気づき始めた。それまで気づかなかったのは、やはり感情の起伏きふくに無関心だという性分しょうぶん幾分いくぶんか関わっていると、今ならそう考える。


 養母は肺炎で寿命より少し早くに亡くなった。それから養父が急激に精力を失っていくのを見た。

 おそらくだが、ボクがまっとうに育っていれば、彼らはボクを息子の伴侶はんりょとすることを決めていたのだろう。息子もそれは勘づいていて、その上その運命を良いものと捉えていたと思う。その策はボクが成長をしていないと気づいたときに崩れてしまったわけだが、鈍感どんかん息子は「見た目は関係ない」などとお門違かどちがいの発言をしていた。


 養父はボクの旅について背中を押してくれた。

 息子が諦めて別の娘と結婚し子供に恵まれるまでは、帰るつもりはない。そんな決断に養父は首を縦に振ってくれた。旅の間に養父が天国に行くかもしれないことを、ボクも養父も知っていて、一人旅を決行した。

 ボクが人の人生に関わっていいことはない。そう確信したのが旅立ちの、十七の時だった。


 それから十年を経て、ボクはゲネシス王国に帰ってきた。

 作戦通り、彼は綺麗な妻をめとっていて、息子が二人も生まれていた。もちろんだが妻はボクにいい顔をしなかった。ボクだって無神経に再会を祝おうとしたわけじゃない。少し顔を出して、遠くから元気にやっているところを確認できれば。それが甘かった。


 自分の甘さはボクの存在理由に、傷をつけた。

 執着されないようにできるだけいろいろなところに足をばして、だが結局ゲネシスに戻ってきてしまっていたのは、ボクもこの国に執着していたからだろう。七代目の国王がボクの足を奪い遠出を制限する以前も、ボクはしょうりもなくこの国の大地を頻繁ひんぱんに踏みしめていた。


 執着されることを嫌っておきながら、ボクもそうだなんて面白くもない笑い話だ。






 アルカは目を閉じたままそう吐き捨て、生身の左足を強くつかんだ。そこに後悔は含まれていない。脳の理屈と欲望に動く身体が乖離かいりさせる決断に、どうしようもない感情の不条理ふじょうりさを感じている。

 オリビアは一連の話から、アルカが異様に執着という感情を恐れている理由を見出していた。


 アルカの足を掴む手に、そっと自身の手を重ねる。アルカは自然とオリビアの目を見た。オリビアは長い年月が、この人の綺麗な瞳をくもらせることがあるのだと知った。それはまるで手入れされない宝石のようだ。


「それは、執着ではありませんわ」


 オリビアの断言に、アルカの形のいい眉がゆがむ。瞳の中の光が揺らいだ気がした。


「ものを愛し、そのそばにありたいと思うことは執着ではありません」


 アルカはオリビアの続きの言葉を静かに待つ。


「そこに過剰な期待や依存が加わって初めて、負の状況を生み出すのですわ」


 ただの自論。どの素晴らしい哲学者が、心理学者が言ったような言葉ではない。はっきりとしていたのは、アルカが恐怖のせいでその存在の解釈の幅を、無理に広げているということだけだ。辞書に乗せるなら多くから訂正を求められる独自解釈。


「……」

「寄り添うことを、執着と言って遠ざけるのは自分も傷つけることになり得ます。アルカさまはかつてからの多くの経験がそうさせたのかもしれませんが……転換期を見つけなければずっと寂しいままですわ」


 オリビアが首を傾げてみせると、アルカも鏡のように首を傾ける。


「歩み寄られることを拒絶するのは心苦しいでしょう」


 表情を緩めてみせると、やはり同じように口元が緩んだ。アルカはオリビアの行動をまねるように肩の力を抜く。


「きみは……全く二十いくつしか生きていないとは思えないな」

「長く生きる方が固定観念にしばられていくものですわ」

「子供扱いされるのはしゃくだが、年寄としより扱いも不愉快だということを今初めて知ったよ」

「それは失礼いたしました」


 皮肉気ひにくげな口調への対抗心としてオリビアがかしこまったように背筋を伸ばすと、アルカは眉を下げて破顔した。









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