第12話 二人の間に何があったのか。

 新しくいただいたデスクは心地ごこちがあまりよくない。椅子がかたいとか、そういった文句を言うつもりはないが、この席の位置はちょうどサミュエルの正面だ。いや、詳しくはサミュエルに問題はない。問題はそのもう一つ奥の席に座っているベスからの視線だ。

 オリビアはインクのボトルにペンをつけた姿勢のまま、ベスと見つめ合う状態になる。


「あの……」


 じっと見られていては顔に穴が開いてしまいそうだ。

 オリビアは意を決して話しかけてみることにした。サミュエルが顔を上げてオリビアとベスの顔を交互に見る。


「よろしければ、あの女子寮の住所を教えていただけませんか?」


 ベスはやはりあからさまにため息をつくと、椅子から立ち上がった。ベスはきれいなツインテールを揺らしながらオリビアに近づいてくる。そのあざやかなピンク色の髪はどうやって染めたのだろう。インクにでも浸したのか、それとも特殊な薬品で染めているのか。

 ベスは空想をふくらませるオリビアからつけペンをうばい取った。


「はあ、いまどきつけペン使ってるなんて。万年筆買えば?」

「わかりました。機会があれば見繕みつくろってきますわ」


 ベスは学生基本情報登録申請書、という冗長じょうちょうな名前の書類を自分の目の前に寄せるとうばい取ったつけペンで慣れたように住所を書き込んでいく。

 ウーヌス市、オッキデンス・ラティオ地区──。


「……。あとあたしが気に食わないのは、その服」

「服ですか?」


 ベスは本当に気に入らないらしく、オリビアの服に指を突き付けた。

 都会の割には落ち着きすぎているだろうか。サミュエルに意見を求めるべく視線を寄こすがすぐに逸らされる。


「この格好、そんなにひどいでしょうか」

「ひどいわね。まるで喪服もふく


 喪服とは、もっと全身黒で固めるものだろう。オリビアは自身の袖を見る。白と黒のストライプはこれでも柄がある方だ。

 オリビアはそっとサミュエルに視線を向けた。もっと大衆に寄った人間の言葉を聞きたい。


「喪服……は言い過ぎだけど、確かに質素すぎて目につきやすいね。それをベスが言うのはどうかと思うけど」


 サミュエルは苦笑いを浮かべて意見する。


 そうだ、ベスの方が喪服と言うのにふさわしい、というより、それは喪服の冒涜ぼうとくではないかと思う。真っ黒に派手なピンクと白のフリルの組み合わせは、不謹慎ふきんしんと捉える人もいるだろう。オリビアは人の趣味に口をはさむ勇気はないが、ベスの美的感覚を非難ひなんする人は少なくないに違いない。


 はて数年前ウーヌス王立大学に通っていた時、自分はどんな格好で生活していただろうか。オリビアは改めて首を傾げる。確かに白か黒しか着ないことはなかったかもしれない。


「おすすめのテイラーを教えてあげるわ」


 ベスは胸を張って今着ているドレスのスカートをひらりとひるがえした。やけに派手な色遣いろづかいにオリビアは素直にうなずけない。


「いや、ベスのおすすめは当てにならないよ」


 サミュエルがフォローするが、それは火に油を注ぐ発言だった。


「はあ? 別にあたしお気に入りのところ教えるわけじゃないし。アルカ様の服を仕立ててるとこ」

「それはそれでお高いのでは……?」

「はー、わがまま。もういい」


 ベスは舌打ちこそしなかったが、盛大なため息をついて自分デスクへ戻っていく。ご丁寧にも紙面にはきちんと住所が書かれていて、実は悪い人ではないのかもしれない。


「俺が明日にでも聞いておくよ。大学に異性の友人がいるからさ」

「ありがたいですわ」

「全然」


 サミュエルは親切にもそんなことを言う。

 オリビアはサミュエルに親しみを抱きつつも、少し距離を置いていた。

 彼は常にいい人間に見える。それがなんだか奇妙でならない。笑顔が作り物みたいに固い印象を受ける上に、それは初対面とのギャップを生んでいた。態度の変わりようが不自然なのだ。


 逆に言えばベスは一貫してオリビアに当たりが強いが、誠実に見えた。とはいえ、ここまで険悪けんあくな態度を取られると悲しいものだが。

 ベスが立ち上がってオリビアの隣に立つ。

 この人は良く歩く。動いていないと気が散るらしい、が、今はオリビアに用件があるようだった。


「どうかされましたの?」

「夕飯の用意、六時から」


 ベスが時計を指さす。時刻は六時十五分。きっと伝え忘れていたのだ。不機嫌そうなベスに、オリビアはその点になるたけ触れないようにして返事をした。


「ああ、一緒に取るんでしたわよね。今準備しますわ」

「サミュエルも。今日は男子も一緒にって所長さんが言ってた」


 ベスは眉間にしわを寄せたままサミュエルの名も呼ぶ。サミュエルはベスの不機嫌さにつられてか、彼もまた顔をしかめる。


「俺も? 俺、前期に出す論文の題材提出に追われているんだけど。誰かさんのせいで」

「その誰かさんが頭下げてやってるのよ」

「腰でも弱いのかな? 俺には頭下げてるように見えないんだけど」

「口動かしてる暇があったら手を動かすことね。っていうか、この前手伝ってやったでしょ」

「ベスにはあれが手伝いの範疇はんちゅうに入るわけだ」


 まるで兄弟のようなやり取りをオリビアはほほえましく眺める。


「オリビア、手が止まってる。早く準備して」


 ほおが緩んでいたオリビアを見て、ベスは催促さいそくするようにデスクを突いた。






 女子寮の台所では、すでにヴェロニカがエプロンをつけて包丁を動かしていた。男装にエプロンとはこれほどアンバランスなものかと、オリビアは平凡な感想を抱く。

 ベス曰く、ヴェロニカが寮の台所にいるのは珍しいという。彼女は普段、自宅で家族と食事を取ることが多いからだそうだ。ただ、こういう特別な時は率先してヴェロニカが台所に立つらしい。


「家族、というとお子さまですの?」

「思春期の娘が一人ね。今は全寮制ぜんりょうせいの学校に家から通っているわ」


 まだ女子のための寮が確立していないところは全寮制をうたっていても、女子生徒だけは通学の形をとっているところもある。多くの男子生徒に混じって全寮制学校に通えるということは、娘は優秀なのだろう。

 オリビアは服のそでまくると蛇口をひねって手を洗うと、ヴェロニカの包丁を代わる。


「このような機会を設けていただいて、ありがとうございますわ」

「実はね、貴方の歓迎かんげいかいという理由もあるのだけど」

「……? はい」

「最近、エドワードの様子がおかしいのよ」

「エドワードさまの様子が、ですの?」

「アルカと顔を合わせてはすぐに目を逸らして、でもちらちら様子をうかがったりして」


 ベスが倉庫からたくさんのジャガイモが入った麻袋を持って来る。ベスはヴェロニカの言葉に賛同するように首を振った。


「逆にアルカ様の平然とした態度が違和感なくらい」

「ベスも気づいてたのね?」

「嫌でも気づくって。めったに作業室に居座らないのに、最近はよく席に腰を下ろしに来て壁に向かってため息つくし」

「そういえば、今日一度もエドワードさまにお会いできていませんわ。確か外出しているとか様々な理由で」


 オリビアは一日中、比較的アルカの側にいた。だからだろうか。オリビアは台所の壁をき詰めるタイルを見つめる。

 食堂から降りて来たサミュエルが台所をのぞき込んだ。三人の話し声が聞こえていたようで、サミュエルもまた自然に会話に参加する。


喧嘩けんかでもしたんだろ」

「アルカが喧嘩? そんなことあるのかしら」

「でもアルカさま、グレイさまに噛みついておられましたわよ。ソウウルプスで」


 サミュエルは食堂のセットを終えてきたようで、新しく倉庫からとってくる食材の指示をヴェロニカから受ける。パン種が発酵はっこうを終えたらしい。サミュエルがそれを持ってきたら、次はオリビアが焼くように続けて指示された。


「グレイさま、ってヘンリー・グレイのこと? まあ……彼の態度はなぜか鼻につくものね」

「所長さまはグレイさまとお話したことがございますの?」

「ええ、親戚しんせきなのよ。あいつ、ちょっと生意気よね」


 肩をすくめたヴェロニカが、刻まれた食材を鍋に放り込んでゆく。具材が浸るほどの水で満たしてから火にかけると、使用する調味料を鍋の隣に並べた。


「ヘンリーはいろんな人とよく衝突するから、アルカが噛みつくのも分からないではないわ。でも、エドワードって基本態度に害がないでしょ?」


 確かに、とオリビアだけでなくそろって頷いた。


「あたしちゃん的には? いっつもほがらかそうに好青年してるエドワードがしょぼくれてるのは、ちょっと楽しいけどね。でもさすがにこうも連日だとムカついてくるわ」


 ベスが意地悪な顔をしてそんなことを言う。

 けれどこんなふうに話がふくらむとは、皆エドワードのことを心配しているのだろう。かといって本人たちに何があったのか、聞くつもりはないようだ。つまるところ、二人とも大人なのだから、自分たちで解決するだろうということだろう。


「じゃあ、パンを焼いてちょうだい」


 オリビアは言われた通り、かまのオーブンのかんぬきを外す。膨らんだパン種を入れて再びかぎをすると、石炭の量を増やした。











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