第10話 値踏み

 ペルケトゥム研究所の目の前の通りをまたいだ正面には研究員用の寮がある。こちらは空気の読めた三階建てのテラスハウスであり、オリビアは向かって左の女子寮へ案内された。男子寮とは一階の居間のみでつながっており、それ以外はすべて別だ。キッチンも食堂もすべて。


 オリビアは二階の階段を壁にした部屋に、どさりと二つのトランクを降ろした。


「隣はアルカの寝室、アルカの部屋の真上にはベスが住んでいるわ」


 ヴェロニカはそれぞれの部屋の方向を指さしながら話す。


「朝食と夕食は主に手の空いている人で用意して、食堂でみんな一緒に取っているわ。たまに男子寮にいる二人も一緒にね。昼食はその時研究所にいるメンバーで話し合いながらそれぞれ。昼は皆予定があったりするものだし」

「わかりました」

「それ以外には特に規則はないわ。犯罪だけはやめてちょうだいね。もう四百年続く研究所の歴史がけがれちゃうから」


 ヴェロニカはコミカルに冗談を言う。

 オリビアは荷解にほどきをしようとトランクを倒しながら、部屋を去りかけていたヴェロニカを慌てて引き留めた。聞きたかったことを思い出したのだ。


「所長さま。アルカさまは普段、先ほどの作業室にいらっしゃいますの?」

「ああ。いいえ、ちがうわ。研究所の二階にアルカの書斎があるの。階段を上がってね、右の奥。通り側の部屋よ。階段上がって左は図書室だから自由に出入りしてくれていいわ。ちゃんと本は戻してね」

「丁寧にありがとうございますわ」

「わからないことがあったら何でも聞いて頂戴ね」


 ヴェロニカが階段を降りてゆく音を聞き届けて、オリビアはトランクのロックを外した。二つある、そのうちの比較的小さい方だ。それにはぎっしりと書物やら、書類やらがき詰められている。

 オリビアはトランクを再び閉じると両手で持ち上げて、ヴェロニカと同じように階段を降りていった。






 研究所の二階は吹き抜けを廊下で囲うような作りになっている。吹き抜けと廊下はガラス板で空間が分けられており、屋根の中央が正方形に切り取られ代わりにガラス窓がめ込まれた独特の採光さいこう方法を採用している。なお、吹き抜けになっている一階の部屋は応接間おうせつまだった。


 オリビアはアルカの部屋を背にして、ガラスに顔を近づけた。

 やけにシンプルで飾り気のない殺風景はオリビアの心を浮つかせていた。対して、応接間の内装は随分今の時代にのっとっている。見下ろす慣れた雰囲気に徐々に心が落ち着いていくのを感じながら、オリビアはガラスにゆっくりと背を向けてじっくりと目を開いた。


「……」


 階段の方から歩いてきたのだろう、一人の青年がオリビアを見つめながら眉をひそめている。手には書類のたば、ベストの胸ポケットには万年筆が刺さっている。

 オリビアは一連の動作を見られていたことに恥じながら、肩をすくめて後ずさった。


「あの、どうぞお通りください」


 青年はやけに整った顔をしていた。アルカの亜麻あま色が混じったブロンドと比べて、随分ずいぶん明るい金髪はめったに見かけることはないし、深い湖のような瞳の色は彼の雰囲気を落ち着いたものに見せていた。彼を一言で言うなら、舞台俳優のよう、だ。


「誰?」


 ぶっきらぼうな口調で青年はオリビアに質問する。


「わたくし、ですか?」

「あんた以外に誰がいるんだよ」

「わ、わたくしはオリビア・セルバンテスと申します」

「この部屋に何の用?」


 オリビアは表面だけの笑みをこおらせる。

 嫌われている?

 新参者しんざんものは基本歓迎かんげいされないことが多いが、どうしてこうも敵を見るような目で見られなくていけないのだろう。オリビアは人づきあいが得意な方ではないが、相手を不快にさせた回数が多いとは思わない。


「ええ、アルカさまにお話が」

「……もしかして、今日から来る人?」

「そ、そうですわ!」


 急に彼のまとう空気が一変して、オリビアは食らいつくように頷いた。

 ただ警戒されていただけだとわかり、オリビアは肩の緊張をく。


「なんだ、驚いてそんした」


 青年はベストのえりを軽く整えると、顔に浅い作り笑いを浮かべて握手の手を差し出した。


「俺はサミュエル・エリオット。この九月からウーヌス王立大学の二年生で、大学では生物学を学んでいる。ペルケトゥムに来てからは大体一年半くらい。よろしく」


 雰囲気の差に怖気おじけづきながらも、オリビアは握手に応じた。形だけの握手がさらりと交わされる。


「オリビア・セルバンテスですわ。わたくしも今年からウーヌス大学の二年生に再入学しますの」

「専攻は?」

「機械工学ですわ。祖父の影響もありまして」

「いいね。今一番ホットな分野だよ」


 サミュエルはオリビアにそれらしい言葉を返すと、アルカの部屋の扉をノックした。オリビアは警戒心の強い人なのだろうか、と自身を安心させながら、サミュエルの後ろでアルカの返事を待つ。


「どうぞ」

「失礼します」


 サミュエルが金属のノブを回して押し開けると、そこは臙脂えんじを基調とした暗い部屋だった。採光はデスクの背面に窓が一つ。しかし本が焼けることを嫌ってか、部屋に似合った臙脂えんじのカーテンが引かれている。オリビアは壁一面を敷き詰める本棚に見惚みとれそうになりながらも、顔を正面に戻す。


「サミュエル、何か用──ああ、オリビアか。どうぞ入ってくれ」


 アルカは部屋の中央に置かれた書類が山盛りのデスクから顔を覗かせる。アルカは持っていた万年筆で、部屋の手前にあるソファを指した。そこに座れという意味だろうか。


「にしてもサミュエル、今日は早かったな」

「授業は昼まででしたので。午後は図書館にいました」

「前もってその予定を話してくれたら、パンの一つや二つ差し入れたぞ」

「要らないから言わなかったんですよ」

「そうか。まあいい、きみは下がって良いぞ」

「失礼しました」


 淡白たんぱくで比較的壁のない二人の会話に違和感を覚えつつ、オリビアはトランクを床に降ろした。









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