二章 クイーン・ヴィクトリア

第9話 ゴシックロリータの同僚

 ウーヌス市、オッキデンス・ラティオ地区。

 研究都市、学園都市と呼ばれるそこは学問発展の最前線を行く。ウーヌス王立大学や王立図書館、王立博物館、そしてペルケトゥム研究所が有名な施設として知られていた。


 隣の区にある鉄道のウーヌス中央駅から一時間と少し、カブリオレの馬車に揺すられたオリビアは腰が痛むのを我慢してチップを渡した。これから度々利用するかもしれないので少し多めに渡しておく。少ないとこの周辺のイメージにも関わってしまうのだ。身なりで品定しなさだめされるのは不快だが、ここは地価の高い通りだから仕方がない。大きなトランク二つを馬車から降ろすと、馬車は次の客を乗せるために来た道を引き返して行く。


 伝統的な赤レンガのテラスハウスを断ち切るようなかざり気のない白い立方体のような建物に、オリビアは見上げたまま口を開いた。思っていた以上に奇妙な研究所に所属することになってしまったのかもしれない。


「ごめんくださーい……」


 ドアノッカーに指を引っ掛けて数度パネルドアを叩いてみるが、声が小さいせいか反応はない。

 どうしよう、とノッカーから手を離したとき、オリビアは懐かしい声の気配に振り返った。


「やあ、オリビア。久々だな」

「お久しぶりですわ」


 オリビアをウーヌスに呼び寄せた張本人──アルカはワインレッドのドレスを身にまとい、パゴタ傘を差して立っていた。ソウウルプスで着ていたオリーブ色のものよりフリルが多く、スカートの裾も広い。胸元のレースが高級品だということを示していた。

 しかしアルカの性格を如実に表すかのように、ドレスに似合わないパンの大きな紙袋を抱えている。焼き立てのパンが香ばしい香りを漂わせていた。


 扉の前に立つオリビアを、アルカは扉を開いて中へと招き入れた。


「エドワードさまはご一緒ではないのですか?」

「エドワードにはボクの書斎しょさいの片づけをしてもらっている。ボクは昼食の買い出しだ」


 ペルケトゥム研究所は、両開きの玄関を潜り抜けると廊下が二手に分かれていた。目の前の扉は応接間だという。右に曲がった突き当りは所長室、そしてその角を曲がると研究員らの作業室があるらしい。研究員は主に論文をまとめるときにそこを利用するらしい。

 アルカは作業室の白い扉をノックすると間髪入れずにドアを開けた。


 中に人はいなかった。


「おや、軒並のきなみ外出中か。皆は焼きたてのパンが食べたくないのか?」


 作業室は縦長の部屋を高い棚で仕切ってたくさんの小部屋があるように見える。通路側には大学規模の黒板が鎮座ちんざしており、奥の方には『Solmalaciaソルマラキア』という文字と例の平たいキノコの絵があらゆる角度で描かれている。あのキノコの真相が本当にここで明かされたと思うと感慨かんがい深い。


 アルカは人を探してくると言って部屋を出て行く。

 取り残されたオリビアはぼうっとして扉の付近で立ち尽くしていると、後ろからの訪問人に気づけず扉に押し出されてしまった。


「あら。ごめんなさい、怪我はない?」


 女性は眉を下げてオリビアに手を合わせる。

 彼女は男装の麗人だった。きれいなパンツスタイルの着こなしは凛々しく、優秀さが際立って見える。


「い、いえ。扉の前を立ち塞いでいたわたくしの過失ですわ」


 オリビアはそそくさと邪魔にならない場所に移動すると、女性の顔を見上げた。そしてしばしの間、あるだけの脳内回路を動かして考える。情熱的な印象の褐色肌に恒星のフレアのようなヘーゼルの瞳ははかなげで、彼女の雰囲気に奥行きを与えている、が。

 どれだけ意識を逸らそうとしてもその頭部に視線が誘導されてしまう。


 いわゆる、彼女はスキンヘッドだった。

 女性はすっと自身の後頭部へと手をやった。思わずオリビアは視線を外してしまって、やってしまったと思った。


「申し訳ありません! ……その」

「ごめんなさい、意地悪だったわね。この頭は趣味なの。病気ではないわ。たしか遠い東の国の習わしだったかしら、夫を亡くした女性は頭髪をるというものがあるのよ。ええと……」

剃髪ていはつ

「そうそう、テイハツ。似合うでしょう?」


 アルカのフォローを受けながら女性はにこにこと笑ってみせる。

 失礼にも髪型──剃っていることを髪型というのが正しいのかわからないが──に気を取られてしまいそうになるが、女性は肌艶よく若々しいので到底未亡人みぼうじんには見えない。


 女性は思い出したようにオリビアに手を差し出して握手を求めた。オリビアがおずおずと手を伸ばすと、しっかりと握られて優しい握手が交わされる。


「わたしはここ、ペルケトゥム研究所の所長。ヴェロニカ・ウェストンです。よろしくね」

「オリビア・セルバンテスと申します。お世話になりますわ」


 そしてヴェロニカはオリビアから視線をずらすと、部屋の奥へと目を向けた。口元に笑みは残ったままだが、身は細められて眉が曲がる。オリビアは無意識にヴェロニカの視線の先を追う。

 ヴェロニカは部屋の奥を見つめたまま、何かの合図のように首を傾げると、ついに奥の方へ歩き出した。

 そして棚に隠れた場所から、もう一人の女性の悲鳴が聞こえてきた。


「いっ、いたい痛い!」

「挨拶なさい、ベス」


 アルカは「なんだ、隠れていたのか」と通常の光景かのように呟く。今の悲鳴はただ事ではなさそうに聞こえたが、大げさだったということだろうか。


「サミュエルの時も挨拶をすっぽかそうとして、貴方のそういうところ良くないわよ」


 ほら、とヴェロニカ押し出されて顔を出したのはピンク色の頭だった。そこから綺麗に縦に巻かれたツインテールがひょっこり登場する。

 研究所に似つかわしくない派手な目元の赤を基調にしたメイク、ピンクの差し色がメルヘンチックなフリルの多いドレス。

 女性は引っ張られていた耳を左手で覆いながら下唇を噛んだ。二十代に見えるが、果たして自分より年上か年下なのかわからない彼女に、オリビアはほおをひきつらせる。


 ベス?

 キノコに関する研究結果と考察を送って来た人物は、本当にこの妙な格好の女性なのか。


「ええと……、オリビア・セルバンテスですわ。これからよろしくお願いします」

「……」


 彼女はオリビアを前に不機嫌さを隠そうとせず、あまつさえため息を吐く。こだわりがあって身にまとっているだろうそのドレスと、彼女の少し子供っぽい態度は絶妙な具合にバランスを保っている。


「ミラグロス・ベス」


 彼女の名乗りにオリビアは顔を綻ばせる。


「ミラ──」

「ファーストネームで呼んだら殺すから」

「……」


 オリビアは言葉を遮られて告げられた内容に硬直こうちょくする。


「今、なんて……」

「ファーストネームで呼んだら殺す」

「……。わかりましたわ、ベスさま」


 ベスはもう一度オリビアに聞かせるようにため息を吐くと、部屋の奥へと再び隠れてしまった。

 アルカは「相変わらず人見知りなんだな」と冷静だが、ヴェロニカは腰に手を当てて「新人が気に食わないだけよ」と呆れて言う。


 オリビアは意外にも分かり合えそうだとヴェロニカに親近感を抱けた代わりに、難儀な同僚が出来てしまったと先が思いやられることになった。











ここまで読んでいただきありがとうございます。


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