17
健に、生肉を差し出す度に、「もっと、新鮮な肉が食べた。人間が食べたい」と駄々をこねた。
私と雅人は、困り果てた。人など差し出せるはずがない。考え出した末に、野良猫を捕まえ、彼に試しに与えてみた。すると、思いの他、健は満足した。「やっぱり、新鮮な肉は味が違う」と言って喜んでいた。
私と雅人は、夜になると、公園と多摩川の河川敷に、ネットショップで買った、害獣を捕まえるための長さ60センチ、幅20センチ、高さ20センチの長方形の保護カゴを4つ小運輸して餌を置いて、猫を捕まえた。猫は警戒心が強く時間との勝負だった。不思議な事に、時々狸が獲れる日もあった。二子玉川に狸いるなんて思ってもみなかった。
健は、最初は猫に満足していたが、次第に「人が食いたい。生きた人間が」と言って聞かなかった。
*
あの事件から、2週間後の夕方の事だった。雅人は、公園と河川敷を回って罠を仕掛けに外に出ていた。
チャイムが鳴った。
私はインターフォンのモニターを見ると、そこには健の担任教師の広川の姿がうちし出されていた。
「もしもし。広川です。お話をしたいのですが、お宅にお邪魔してもよろしいですか?」
私は居留守を使おうと思った。そのまま、無視してやり過ごそう。
「もしもし?聞こえていますよね?このままだと児童相談所に連絡しなくてはなりません。どうにかお宅に入れて話をしてくれませんか?」
私は、児童相談所に連絡される事を恐れて少し考えた。どう、対処すれば良いのか考えたが頭は回らない。
「今開けます」と気づくと自然と言葉を発していた。
私は、玄関に向かった。玄関に着くとドアを開けた。広川が険しい顔をして立っていた。
「お久しぶりです。三上さん」
「おさしぶりです」
「今日は、健くんの事について話に来ました」
「そうですか、さあ、上がってください」
私は、リビングに広川を通した。彼女はダイニングチェアに座った。台所に行き、お湯を沸かしてコーヒーを淹れて、彼女に渡した。
「早速ですが、健くんの話をしたいと思います。夏休みが明けてから1週間経つのに、無断欠席が続いています。どういう事でしょうか?」
私は、健の夏休みが終わっていた事に今気づいた。せめて、何かしら理由をつけて連絡しなかった事を後悔した。
「実は、病気にかかりまして」
「なんの病気ですか?」
「それは・・・コロナです」と自分でも分かるくらい歯切れの悪い答え方だった。
「コロナだったのですね。本当ですか?」
「はい」
「大変失礼ですが信じられません。しかも、1週間も連絡がないなんて、私はどんなに心配したか」
「おっしゃることはわかります。ですが、仕事が忙しくて。手が回らなくて」
「そうですか。以前、会った時に本校でイジメに遭っているとおっしゃいましたね?その後の調査によって、虐めがあった事実はありませんでした」
「そうでしたか」
「私は、もしかするとあなた方が虐待しているのではないかと思っています」
「虐待ですって、とんでもない」
「なら、健くんに合わせてください」
「ですから、コロナで隔離中です。合わせる訳には行きません」
「そうですか、わかりました。では、児童相談所に連絡します。よろしいですか?」
私は迷った。児童相談所に連絡が行けば元も子もない。そのまま、警察が現れて最終的にモルモットのように実験されるか、健を殺すだろう。
「わかりました。今、二階の部屋にいます。一緒に会いに行きましょう」
「そうですか。では早く合わせてください」
私は、広川を連れて階段を登り2階へ行った。2階に着くなり広川は口を開いた。
「なんですこの臭いは」
「すみません。今トイレが故障していて、昨日下水が逆流したもので」
「そうなんですか」と広川の表情は明らかに怪しんでいるのがわかった。
私と広川は、健の部屋のドアの前に立った。
「ここが、健の部屋です。健。入るわよ」
ドアを開いた。目に飛び込んで来た光景は、変わり果てた健の姿だった。
「あれが、健くんですか?」と呆然とする広川。
私は広川の腕を掴み、健の部屋へ引き摺り込んだ。彼女は何が起こっているのかわからないらしく抵抗することもしなかった。
すると、健が広川の身体に飛びついて馬乗りになり、頭に噛みつき、そのまま噛み砕いた。
「ママ、ありがとう。やっぱり人間が一番美味いよ」と彼は笑っていた。それから、残りの広川の身体を美味しそうに食べた。
私は、自分が咄嗟にとった行動が怖くて仕方なかった。ついに、自分は殺人の共犯者になってしまった。だが、何よりも怖かったのは、美味しそうに広川を食べる健を見て喜びと安心を感じた事だった。
*
「なんで、先生を家に入れたんだ」と雅人が叫んだ。
「仕方ないでしょ。児童相談所に連絡するって言われたのよ。連絡されたら健がどうなるか想像できるでしょ?」
「だけど、いくらでも言い訳が出来たはずだ。それに、なんで学校に連絡を入れなかった?」
「仕方ないでしょ。それどころじゃなかった。あなただって、学校の事を忘れていたじゃない」
「確かにそうだけど・・・」
しばらく、私たちは沈黙した。そして、沈黙を破ったのは雅人だった。
「もう、潮時だ。終わりにしよう」
「終わりにしようって、どういうことよ?」
「健を殺す。そして、心中しよう」
「何、馬鹿な事を言っているの?健がああなったのは、あなたのせいよ」
「わかっている。だから、ピリオドを打つ。全部、俺の責任だ。これ以上被害者を出すわけにはいかない。そのうち、手に追えなくなって、健は暴走して外に逃げて人を食べ始めるだろう。これは、親の責任だ」
「そんな」
「明美は、心中しなくて良い。俺と健で心中する。だから、安心してくれ」
「なに言っているの?私のことなんて、どうなったって良い。健を殺す事は許さない」
「気持ちはわかる。でも、他に方法はない」
「どうやって、健を殺すつもり?」
「きっと刺しても死なないだろう。焼いて殺す。そして、僕も死ぬ」
「わかったわ。私も一緒に死なせて」
「ダメだ。君は関係ない。巻き込まれただけだ」
「健が死んだら、死んだも同然よ。生きていても無意味だ」
「明美。本気なのか?」
「ええ、本気よ」
「わかった。じゃあ、3人で一緒に死のう」
「うん、その前にワインが飲みたいは」
「そうだな。ワインを飲もう」
私は、キッチンへ向かった。キッチンの包丁入れから、刃渡り17センチほどの包丁を抜いた。
私はダイニングチェアに座っている雅人の後ろに立った。そして、包丁で彼の首筋に深く突き立てた。血が、大量に噴き出し、ダイニングテーブルの白いマットが真っ赤に染まった。
*
雅人の身体を2階まで運ぶのは苦労した。その間、雅人は死んでおらす、切れ目から定期的にゴホゴホと音を立てて血が噴き出た。
私は、雅人を健の部屋に入れた。時計を見ると雅人の首筋を切ってから20分経っていた。それにも関わらず、雅人はまだ息をしていた。
健が目を覚まして、こちらを覗き込む。
「ママ、パパじゃないか?どうしたの?」
「パパはね、健のことを殺そうとしたの」
「嘘だ」
「本当よ。嘘なら、私だってこんなことをしないわ」
健は少し悲しそうな表情をしているように見えた。
「さあ、食べなさい。きっと、美味しいわよ」
「でも、本当にいいの?」
「ちゃんと噛んで食べるのよ」
「うん、わかった」と少し消極的に見えた。しかし、真斗の身体を食らうと、勢いよく食べた。
「どう?美味しい?」
「うん、美味しい」
「それは、よかった」
私は、雅人を健に差し出した時に何かが弾けた気がした。
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