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 健が変身してから生肉しか食べなかった。彼に好物のハンバーグを出したが、口に入れるなり吐き出した。

「お腹が空いた。生の肉が食べたい」と云って聞かなかった。

 仕方なく、近所のスーパーで買った鳥の生の腿肉を出したところ、健は嬉しそうに生肉を食べた。その光景はとても悍しく、テレビで見たワニ園でワニが餌やりの時に、餌を食う時と同じようだった。

 健は、もっと生肉を欲しがった。まるで、新しいオモチャを欲しがる子供のように、大声を出して駄々をこねた。その声といったら、まるで野獣が叫んでいるそれと同じだった。音というより振動だった。叫ぶたびに、部屋が振動した。おそらく、周囲の建物まで聞こえているだろう。

 私たちは、周囲にバレることを恐れた。雅人は、会社に電話「子供が病気なのでしばらく休む」と云って有給休暇を使って休んだ。私も同じだ。

 健に生肉を与え続けた。その量は、3キロ分の生肉だった。なので、業務用のスーパーに通い大量に仕入れた。

 排泄物は、途轍もない量で、2階のトイレが何度も詰まり、詰まる度に私と雅人が、スッポンを使って対処した。

 変わり果てた姿を見る度に涙が込み上げて来そうになったが我慢した。雅人とも話したが、健の前では笑顔で接することにした。おそらく、この件で一番絶望しているのは健だろう。だが、健は、そんな素振り見せなかった。むしろ、身体が変化した事を喜んでいるようにも見えた。

 もしかして、心の中も以前の健とは違っているのではないかと思う事もあった。


   *


 健が変身してから3日後のことだった。昼の13時ごろチャイムが鳴った。インターフォンのモニター越しに映されたのは、いかにも神主である服装をした男だった。

 私はインターフォンの受話器を取る。

「もしもし」

「もしもし、ここが、三上さんのお宅で間違いありませんね?」

「はい、お入りください」

 私は、ソファーで昼寝していた雅人を起こすと玄関へ行った。鍵を開けて扉を開いた。そこに立っていたのは50代くらいの坊主頭の男だった。にこやかな表情をして品がある印象を受けた。

「三上くん。お久しぶり」

「お久しぶりです。菊川さん」

「とても、二人ともとても疲れているように見えますね。お隣にいるのは奥さんだね」

「はい、明美といいます。よろしくお願いします」

「明美さんね。よろしく」

「さあ、菊川さん。中に入って」と雅人がいうと、菊川が部屋に靴を脱ぎ入ってきた。

「じゃあ、息子さんに会う前に事情を聞こうか?」

 私と雅人は、ダイニングに彼を招きいれ、コーヒーを出してから事の経緯を話した。

 雅人が、過去に行った虐めと隠秘の話から始まり、これまでの怪事件、そして、健の突然の変身についてだ。

 菊川はまで、幼稚園児が話す言葉を聞く先生のような穏やかな表情をしながら、その話を聞いていた。

 雅人が、全て話終わると一泊開いてからから菊川が口を開いた。

「まさか、あの噂話は本当だったみたいですね」

「恥ずかしながら。本当です」と雅人は怯えた表情をしながら答えた。

「なぜ、急に、このタイミングでこんなことになったのですか?」と私は聞いた。

「それは、わかりません。あえて考察するなら、青木はあえて三上さんが一番幸せの時を狙って呪いを発動させたのではないでしょうか?」

「そうなのですか?」

「はい、呪いは不幸な時に発動しても大した意味はありません。一番幸せな時に、奈落の底に落とすのが一番効果的です」

「なるほど」

「話していても、仕方ありません。とりあえず、息子さんを見せてくれますか?それから対処法を考えましょう」

「わかりました」

 私と雅人は、菊川を2階にある健の部屋へ案内した。2階についた瞬間、菊川は右手で鼻を覆った。もう、私たちは慣れたが、途轍もない腐敗臭がしていた事を思い出した。

 健の部屋の扉の前に着いた。

「ここが、健くんの部屋ですね?」

「はい」

「では、健くんを見てみましょう」

 私は、健の部屋の扉を開けた。菊川が、健を見た。彼は眠っていた。

 菊川は表情一つ変えなかったが、足が震えているのが見えた。

「これは、確実に異蛮ですね」というと、菊川は扉を閉めた。

「菊川さん。どうしたら良いでしょうか?」

「これは、私ではどうにもできません」

「え?」っと、私はつい声が出てしまった。雅人は菊川ならどうにかできると云っていた。なのに、どうにもできないとは。その言葉を聞いて絶望的な気持ちになった。

「とりあえず、1階に戻りましょう」と菊川は逃げるようにして、階段を駆け降りた。

 1階のダイニングチェアに菊川が座ると、彼が飲み残していたコーヒーを一気飲みした。

「菊川さん。どうしたんですか?」

「あれは、確実に異蛮です。まさか、本当に異蛮だとは思っていませんでした?」

「私たちが云っていた事を嘘だと思っていたのですか?」

「嘘だとは思っていませんでした。だけど、何かの勘違いか、本当だとしても貴方たちに異蛮に見えているだけだと思っていましたが、あれは正真正銘の異蛮です」

「それで、お祓いはできるんですか?」と私は云った。

「私一人では無理です」

「え?どういう事ですか?」と雅人が、興奮した様子で云った。

「異蛮を見たのは初めてです。てっきり、青木くんの霊だけが取り憑いているものだと思っていました。だけど、違った。青木くんの他にも沢山の霊と、異蛮と、悪霊というか、魔物というか、とにかく、見た事の無い物が憑いている。あれは、私一人ではどうにもできません」

「そんな」

「何か方法はないんですか?」

「とても、難しいですが、一人では無理です」

「どうにか、祓ってもらえませんか?お金なら、いくらでも払います」

「そう言われても困ります。あれはが祓うやり方すらわからない」

「じゃあ、どうすればいいのですか?」

「一人、では無理ですが、もう一人必要です。とても、力のある霊能者が。私と彼女でやれば、可能性はあります」

「彼女?」

「はい、私より強力な能力を持った女性です」

「じゃあ、望みはあるんですね」

「断言はできませんが、あります。いや、彼女ができないなら他にできる人はいません」

「誰です。その人は?今すぐに呼んでください」

「だけど、予定が合うか」

「いいから、呼んでください。息子の命に関わる問題です。お願いします」

「わかりました。呼んでみます」

 菊川は、袖からiPhoneを出して電話した。

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