11

 本来なら1週間の予定で浩司の家にいるはずだったが、予定を切り上げて3日で帰って来た。

 健が見つかった後、病院に行ったが、かすり傷ひとつ無く健康そのものだった。

 それにしても不思議だ。7歳の子供が深夜の山道を超えて10キロ先の湖まで行ったことが。土地勘もないのにどうやって行ったのだろうか?あの、険しい山道をかすり傷なしで行くのは難しいはずだ。自分ですら、5時間程度の探索でかすり傷はできたし、足元が悪くて移動するのに苦労した。いったい彼はどうやって湖まで辿りついたのだろうか。

 それに、湖に行く理由が分からない。記憶が確かなら、自分も健も育田湖など存在すら知らなかった。だが、彼は、想像上の友達、イマジナリーフレンドに「一緒に湖に行こう」と言われて誘われたそうだ。

 もしかして、悪戯目的で誘拐されたのではないかと疑った。

 だが、犯人が深夜、寝ぼけて徘徊している時に車で誘拐して湖に行く理由が分からない。誘拐犯がタイミングよく現れるのも不思議だ。それに、悪戯目的の誘拐であれば、そもそも解放しないか、解放したとしても殺してからだろう。

 謎は残るばかりだが、とにかく無事に健が帰って来た。それに、今は元気に家中を走り回っている。


   *


 朝、いつものように5時に起き、武を起こしてジョンの散歩をした。ジョンは相変わらず元気がない。夏バテだろうか?何かの病気だろうか?動物病院で一度見てもらう必要がありそうだ。

 居間でソファーに座りながらMacBookProで仕事をしていた。健はSwitchでゲームをしている。あの事件以来、健を一人にするのが怖くなったからだ。また、一人でどこかに失踪するとのではないかと思うと、心配でたまらない。しばらくはこの状況が続くだろう。

 一度、健を小児科のカウンセリングに見てもらう必要があるかもしれない。そう思った私は雅人に相談すると「しばらく様子をみよう」と云われた。「なぜか?」と尋ねると、「まだ子供だし、現実と空想の区別もつかないだろう。変に事を荒立てる必要はない」と答えた。

 正直、雅人にはガッカリした。一連の失踪事件も、空想の友達「青木」が関係しているのに、「事を荒立てる必要はない」と云った。なんて保守的な人間なのだと思った。

 私が思っていた雅人の印象は、進歩的でスマートで優しかったはずだ。

 雅人と出会ったのは9年前のことだ。私が23歳の頃だった。職場で合コンに誘われた。私は合コンなど毛嫌いしていて、学生時代も誘われては断りを繰り返していた。だが、新人の私に直属の上司から、しつこく誘われたので断り切れなかった。当日、合コンで雅人に出会った。始まってから早々、私に気軽に話しかけて来た。最初こそは馴れ馴れしい奴だと思っていたが、話をしているうちに、何故だかいい人に見えて来た。合コンが終わる頃にはお互いのメールアドレスと携帯番号を交換していた。それから、彼とメールでやり取りするのが日課になっていった。毎日過酷な残業の中、ユーモアがあるメールを送ってくれて励みになった。そのうち、何回かデートを重ねてから、彼から付き合ってくれと言われてOKした。その頃には私も彼に対して好意を持っていたからだ。付き合い出して1年後、妊娠したことが発覚した。そして、結婚を決めた。当時は、色々と周囲から言われたが、出来ちゃった結婚に対して私は別に抵抗がなかった。

 その決断は、正しかったと今でも思っている。健を産んでからは特に。それまで、子供が苦手だったが、産んで育てると不思議と愛情が湧いて来た。まるで、水の鉱脈を掘り当てたかのように。

 今ではとても幸せだ。健が可愛くて仕方ない。


   *


 仕事を終えたのは19時のことだった。

 私は、キッチンに立ち昨日スーパーで買ったサーモンの手に取り、サーモンのムニエルを作った。すると、ジョンが私の足元に身体をすり寄せて来た。食べ物が欲しい合図だ。

 サーモンを3センチほど切ると、それを床に置いた。すると、ジョンはそれを食べた。あの事件以来、元気がないジョンが、私を見て笑っているかのような表情を見せた。どうやら元気が戻ったみたいだ。ジョンはずっと反省して落ち込んでいたのかもしれない。犬にそもそもそんな感情がるのかは知らないが。とにかく、久々に元気な姿が見られてよかった。


   *


 朝の5時に目を覚まし、ジャージに着替える。そして、健を起こしに彼の部屋に行って身体を揺さぶった。

「もう、こんな時間?」

「うん、5時よ」

「わかった」と言うと、Tシャツとズボンに着替えた。

「ジョン!」と私が云った。だが、走って来ない。普段なら家でジョンを呼ぶと走ってくるのに。きっと、彼のお気に入りの一階の居間のソファーで寝ているに違いない。

 私と健は、階段を降りて一階の居間へ入った。

 すると、床が真っ赤に染まっていた。そして、部屋の中心に、ジョンが血まみれに倒れていた。一瞬、何が起こっているのかわからなかった。よく見ると、ジョンの腹部が何かに食いちぎられたような痕跡があり、腸が飛び出していた。

「ジョン?」と健が小さな声で云った。

 私は、健の手を取り、2階まで階段をダッシュで登ると、寝室に寝ている雅人の元へ向かった。雅人の身体を揺さぶった。目を覚ます雅人。

「なんだ、いったい?」

「ジョンが、一階で死んでいる。ジョンが誰かに殺された」


   *


 警察が着いたのは、通報して10分後の事だった。まずは、制服を着た警官がやって来て、現場を見るなり、おぞましい光景に顔の表情が一瞬にして変わったのがわかった。無線で本部に連絡すると、20分後、鑑識とスーツを着た刑事が二人やって来た。刑事は若い男と中年の女性だった。

「私、世田谷署の武満と申します」と女は云って、名刺を差し出して来た。

「私は、高橋と申します」と云うと同じく名刺を出した。

 私は名刺を受け取った。

「第一発見者は、奥様ですね?」と武満。

「はい、あと、息子の健です」と私が云うと、高橋がメモ帳にメモを書き込んだ。

「何か、遺体以外に気づいたこと、違和感を感じたことはありましたか?」

「いいえ。ジョンの死体以外は」

「そうですか。記録によると、2週間程前に、誰かにお宅を侵入されて鏡を割れたそうですね?」

「はい、そうです」

「わかりました。玄関口を通った時に、警備会社のステッカーを見つけました。警報機は昨晩もつけていましたか?」

「はい、もちろん」

「なるほど。旦那さん、奥さん。身近に恨みを持たれている人はいませんか?あるいは、こんな事をしそうな人に心当たりはありませんか?」

「いいえ」と雅人。

「私もいません」

「そうですか。何か、近所で不審な人物を目撃した事は?」

「いいえ、ありません」

「なるほど」

「少し、いいですか?」と私は云った。

「はい、どうぞ」と武満。

「ジョンの死体を見た時、まるで何かに噛まれたような跡がありました。何かの動物の仕業ですか?」

「それは、調べてみないとわかりませんが。ゴールデンレトリバーを襲うことのできるどうぶつなんて、熊くらいでしょう。他にいるとしたら人間でしょう」

「そうですよね」

「ところで、侵入経路は見つかったのですか?」と雅人

「今のところ、警官が調べていますが特に見つかっていません」

「そうですか」

「安心してください。警備を強化しますので」

 このセリフは、前にも聞いた。私は抗議しようと思ったがやめた。

「犯人はいったい、どんな人物なのでしょうか?」と雅人が云った

「捕まえてみないとわかりませんが、経験上、サイコパスの仕業か、怨恨の可能性が多いです」

「そうですか」

 会話が終わると鑑識が家中の窓から白い粉をかけて、指紋を採取していた。果たして、意味があるのかと私は思った。この前と同じだ。きっと、家族以外の第三者の指紋など採取できないだろう。


 12


 ジョンが死んでから、2週間が経った。

  私たちはショックを受けていた。あんな形でジョンが死ぬなんて。葬式は、1週間後に家族だけで行われ、火葬して位牌は居間の棚に飾ってある。

 警察は警備を強化すると約束してくれたが、そんな様子は全く感じられなかった。ジョンの死体を解剖し家を徹底的に調べたが侵入経路もわからずにいた。犯人の目星も付いていない。あんな事をする人間が私たちの家に現れてジョンを殺した。次は私たちかもしれないと思うと怖くてたまらなかった。

 何かあっていけないと、健を寝室で寝かすようになった。寝室と居間には、防衛用に金属バッドを買って置いてあった。意味があるかは分からないが、無いよりはマシだ。それに、安心感を得た。

 そして、健にカウンセリングを通わせた。医者の話によると、ジョンの死がだいぶショックみたいで落ち込んでいると云っていた。そして、トラウマが残るだろうと。無理もないあんなに可愛がっていたジョンが、あんな殺され方をしていたのだから。

 今日も、5時に目を覚まして反射的にジョンを呼ぼうとした。もう、死んで2週間経つのに。いまだに、あんな酷い死に方を目撃したのにジョンが死んだ事実を心の何処かで受け止められないでいた。


   *


 仕事が終わって、私は洗濯機から乾燥した洗濯物を取り出して、アイロンをかけてから服をたたんだ。洗濯物を寝室のクローゼットに入れてから、健の部屋に向かいクローゼットを開けた。すると、甘酸っぱい何かが腐って生臭いが鼻腔を刺激した。

「なんだ、いったい?」と思った。ネズミでも死んでいるのだろうか?そもそも、新築でネズミなど出るのだろうか?

 私は、臭いの元を探した。すると、カラーボックスの裏から強く臭いがするのがわかった。

 キャスター付きのカラーボックスを引っ張り出した。すると、茶色く染まったパジャマを発見した。

 私は驚いた。この茶色い物は明らかに血だ。もしかして、ジョンを殺した犯人は健ではないかと疑った。だが健にあんな殺し方ができるだろうか?もし、健が犯人であれば動機はいったいなんなのだろうか?噛まれた事を恨んでいたのだろうか?結論を急ぐのは良くない。自分を落ち着かせる為に、深呼吸をした。もしかすると、ジョンの死体の第一発見者は健で、ジョンに抱きついて、できた血痕かもしれない。あまりのショックに記憶から忘れていたのかも。色々と可能性を考えた。だが、まずは最初に健に聞くのが最優先だ。でも、今の自分は、自覚できるほど取り乱している。少し、落ち着く必要がある。雅人が帰って来てから一緒に健にこのパジャマの真相を聞くことにした。


   *


 LINEであらかじめ、雅人にパジャマの件を伝えた。彼は、とても驚いた様子だった。そして、やり取りしてから一緒に健にこの件について健に聞くことにする事に賛成してくれた。

 雅人が帰って来たのは21時のことだった。険しい顔をしていた。

「健は?」

「居間でゲームをしている」

「わかった」

「ねえ、どうかお互い冷静に健に話しましょう。まだ、健が犯人だという証拠は無いのだから」

「うん、わかっている」

 私と雅人は居間に入った。すると、健はSwitchでスプラトゥーンを遊んでいた。

「健。こっちに来て、椅子に座って」

「あと、もう少しやらせて」

「いいから、座って。早く来ないとママとパパは怒るわよ」

「わかったよ」と云うと、Switchの電源を落としてダイニングチェアに座った。

 私と雅人は反対側のダイニングチェアに座る。

「ねえ、健。ジョンが死んだ時、何か覚えている事はある?」と私はできるだけ優しい口調で話した。

「うんうん」と云うと暗い表情になった。

「ママね。今日、健の部屋のクローゼットから血まみれのパジャマを見つけたの。何か知っているの?」

「・・・」

「なあ、健。正直に云ってほしい。普段、パパとママは、嘘はダメだと云っているだろ?いったい何があった?」と雅人が、冷静に云っているが、怒りを完璧に隠せない様子だった。

「ねえ、健。本当の事を云って。あなたがやったの?怒らないから、本当の事を云って」

「僕じゃない」と涙目になって云った。

「健じゃないなら、あの血まみれのパジャマはいったいどう云うこと?」

「それは・・・」

「いい加減にしろ!メソメソ泣きやがって。男だろ。ちゃんとしっかり話せ!」と雅人が怒鳴った。私は驚いた。気持ちは分かるが、冷静に話そうと約束したのに。怒鳴るなんて。

「だから、僕じゃない」

「じゃあ、いったい誰なんだ?犯人を知っているのか?それとも、第一発見者はお前なのか?なんでパジャマを隠したりした?」

「僕じゃない。全部、青木くんの仕業だよ」

「青木くん?」また、青木の名前が出た。育田湖でも出た名前だ。やはり、イマジナリーフレンドが犯人だと云うのか?もしかして、多重人格か?

「なんで、お前が、青木を知っている?誰から聞いたんだ?」と雅人が云った。

「ねえ、あなた、青木って誰?知っている人?」

「うるさい。お前は黙っていろ!」と雅人は怒鳴った。私は、雅人の剣幕に驚いて黙ってしまった。

「おい、健。本当の事を云え。お前がジョンを殺したんだろう?」

「だから、違うって。青木くんがやったんだ。僕は必死に止めたけど、青木くんが・・・」

「はぐらかすのはやめろ!そんなことはありえない。青木は・・・」と雅人が云うとしばらく沈黙した。彼の表情を見た。驚きと恐怖心が混ざったような表情をしていた。

「だから、青木くんが、」と云いながら健は泣き始めた。

「もう、いい。それ以上聞きたくない。自分の部屋に行きなさい。すぐにだ」と雅人が云うと、泣きながら健は2階へと走って行った。

「ねえ、あなた。青木って誰?」

「うるさい。お前は黙っていろ。お前には関係ない話だ」

「でも」

「でもじゃない。いいから黙れ」

 それから、何をしゃべっても雅人は無視した。

 青木とは何者なのだろう?雅人の口ぶりからは知り合いに聞こえた。もしかして、一連の事件は全て青木という人物が関連しているのかもしれない。だが、誰か家にいるのであれば当然気づくはずだ。もしかして、幽霊か?そんな事はあり得ない。だが、青木のことが気になる。少なくても今回の事件のキーになる人物だろう。そして、思いついた。青木について知っている人物は多分、彼しかいないと。

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