第35話 侍、敵の名を知る

 女商人ルアンはまず間違いなく変態だ。

 この世界に来て女性の変態に遭遇してきた経験で分かる。こいつはヤバい。隙あらば俺の姉になろうとしているコーデにも匹敵する可能性がある。


 いや、変態であろうとなかろうと、個人の自由だ。侍にも変態としか思えない奇行に走るものはいるし、だからと言って偉大ではないわけではなかったりもするし、侍的には特段の問題はない。


 問題は、こいつのせいで俺が多大な風評被害を受けている点だ。


「――い、いや、申し訳ないです。僕のアドバイスをローズが実行した結果、クロウ殿のお噂が王都に広まるなんて予想していませんでした。いやはや、面目ない」


「しらじらしい嘘だな。お前、さっき自分で写しを売りさばいたと言ったじゃないか、ええ?」


 床に正座させたルアン、その顔を俺は正面から殺気を込めてにらみつける。気まずそうに顔を逸らすので、追いかけて思い切り覗き込んだ。

 

 こいつはこの店の主人であり、この街では有力な権力者の一人で、なおかつ、この街に俺たちを入れてくれた人間ではあるが、この際、そんなことはどうでもいい。

 というか、俺の太ももの誇張しすぎた美的表現で一儲けしたんだ。貸し借りはゼロどころか、七回切り捨ててもいいくらいの貸しがこいつにはあると言える。

 

 だいたいおかしいと思ったんだ。

 いかに学園において詩の朗読会が一大行事とはいえ、そこで読まれた詩が王都の貴族階級全体に一瞬にして広まるというのは考えづらい。どこかで爆発的に広まる要因があったはずだと考えていたが、まさかこんなところで遭遇することになるとはな。ここであったが百年目、親の仇にでも遭遇した気分だ。


「で? 俺の詩でどれくらい儲けた。きりきりと吐け」


「王国金貨百枚ですね。本当はもっと増刷したかったんですが、王都の活版印刷はどうも能率が良くない。うちの商会でもほかの方法を試しているのですが、どうにもうまくいっていないようで…………」


「遺言はそれでいいわけだな?」


 刀の柄に指を掛ける。

 女を斬りたくはなかったが、こいつは例外だ。生かしておいたら俺の太ももに関する風評被害が王国どころか大陸全土に広まりかねない。

 

 無礼討ちだ。禍根の根はここで断っておかねばなるまい。


「お、お待ちを! クロウ様! さすがにまずいです!」


「そ、そうです、若様! お考え直しを!」


「な、なにをする!? は、離せ、二人とも! こいつのせいで俺はなー!」


 しかし、刀を抜こうとしたところで、コーデとクリスに羽交い絞めにされる。

 二人が一致団結するとは珍しい。喜ばしいことだが、何もこんな時に協力しなくてもよいものを……、


「あ、アタシはどうすればいいんだ……!? なんで、クロウは怒ってるんだ……?」


 一人取り残されているのはカルアだ。幸いにも彼女はまだ姉上の詩のことを知らない。知らないままでいい、なので、説明するつもりはない。


「カルア! 貴女も手を貸して! 時に主をお止めするのもまた忠誠の形だ!」


「わ、わかった!」


 クリスの呼びかけに応えて、カルアまでもが俺を止める。二人相手なら強引に振り切れたが、三人相手いて、それも天恵を発動したクリスまでいては簡単にはいかない。


 それでも本気になればいくらでも手段があるが、皆本気で俺を止めようとしている。

 忠誠心ゆえの行動だ。彼女たちは本気で俺の身を案じて、逆上した俺に殺されることさえ覚悟の上でこうしているのだ。


 まさしく武士道の鑑とも言うべき献身だ。かつて『織田信長』が若かりし頃、その乱行を諫めるために自ら腹を切ったという養育係、もり役『平手政秀ひらてまさひで』を彷彿とさせる。


 激怒している最中だというのに、目頭が熱くなる。俺の臣下たちが武士道の何たるかを体現しているのだ。これが喜ばずにいられようか。


 しかも、普段から皆にいざというときはそうしろと教えてきたのは俺だ。感動も一入ひとしおといってもいい。

 

 そして、家臣の諫言に耳を傾けるのは主君たるものの度量であり、義務だ。

 

 ……仕方あるまい。この不埒な商人は許しがたい、許しがたいが、今は堪忍するとしよう。


「……もういい。お前たち、放してくれ」


「クロウ様……」


「世話を掛けたな、クリス」


 俺が頷くと、冷静になったことを察したのか、クリスが手を離す。

 ほかの二人もそれに続いて、俺は解放された。


 正直なところ、今ならば斬れる。

 俺の居合は前世の時点で同情の誰よりも速かった。の方も正座したまま覚悟を決めたように動いていないから、腰を切るだけで首を刎ねられる。


 だが、やらない。

 名誉は大事だが、臣下の想いを無碍にするのもまた武士道に反する。それに、一時の感情いかりと臣下の忠誠、どちらが重いかなど天秤にかけるまでもない。


「ルアン。我が臣下に免じて、その首、今は据え置く。だが、例の詩で儲けることはこれ以降許さん。もし見かければ、今度こそ切り捨てる」


「……御意にございます。いやはや、利益が出ると思うと、ついついタガが外れるのが僕の悪癖でして。ローズにもよく叱られました。その時のローズもまた可憐で――」


 真摯に反省しているような顔をしたかと思えば、姉上への情熱的な語りを再開するルアン。


 ……姉上のためにもやはり、切り捨てておいた方がいいのでは?


「ともかく、お詫びと言っては何ですが、この街、いらっしゃる間のお世話は、我が商会でさせていただきます。せめてもの損害補償、もとい、償いというやつで。宿も最高級ですし、食事や娯楽も提供させていただきます」


 早速、正座したまま、身振り手振りを交えて、そんなことを提案プレゼンしてくるルアン。

 他人の金で豪遊する、というのは大抵の人間にとっては夢のような提案なのだろうが、あいにくと、俺は侍だ。


 求めるのは名誉と栄達。そして、その二つは困難の中にしかない。


「せっかくの提案だが、断る。俺はこの街に物見遊山に来たわけじゃない。武者修行に来たんだ」


「承知しております。ですが、ご安心を。我が商会は必ずやお客様の求める商品を提供するのが矜持モットーですので。当然、クロウ殿の求められる困難しなも取り揃えております」


「ほう?」


 俺が関心を示すと、ルアンは足を崩して、商談を始める。

 ……これだけ切り替えが早いといっそ腹も立たない。認めるのは癪だが、織田信長、豊臣秀吉の御用商人を務めたかの茶聖『千利休』のような図太さをこいつは持っている。


「観光や商いを目的とするなら、今は確かに時期が悪い。ですが、困難と名誉を求めるのなら、これ以上の機会はないと申し上げてもよいでしょう。なにせ、このトライセンの街は今、存亡の危機を迎えているのですから」


「……あの黒雲はそれほどに厄介か」


「はい。この街は海運業で成り立っておりますから。くわえて、高い金を出して雇っている冒険者組合ギルドの連中も役に立たない。おかげで、街の上役は全員面目が丸つぶれでしてね」

 

 おおむね俺の推測通りではある。

 異常発生から一月となれば、街の備蓄は無事でも商売相手となる国や組織は取引の相手を変える頃合いだ。商人が取り仕切るこの街、いや、国にとってはそれこそ存立の危機と言ってもいい。


「あの黒雲を払うことができたなら、その人物はカールセンにとっての英雄です。歴史にも名が残りましょう」


 さすがはやり手の商売人を自称するだけのことはあり、俺の勘所をしっかりとつかんでいる。


 ……あの黒雲を見た時から、奇妙な予感があった。

 あれは敵だ、斬るべきものだと俺の中の何かが呼び掛けてきているようだった。おそらくその声の正体は、俺の中の武士道。理性よりも先に侍としての本能が敵を見定めていたのだ。


 だが、話に乗るのはルアンの持っている情報、その中身を確かめてからだ。


「……あの黒雲を払うだけならお前たちの力を借りる必要はないと思うが?」


「はい、承知しております。僕の護衛たちもクロウ殿を一目見た瞬間に、『決して敵に回してはなりません』と忠告してきたほどですから。ですが、クロウ殿。率直に申し上げれば、貴方は卓越した戦士であられても、この街については素人です。何も知らぬ子どもと申し上げてもよいでしょう」


「……無礼だな。続けろ」


 相変わらず芝居がかった物言いだが、返答としては満足のいくものだ。

 ……情報は力だ。酒池肉林だの、贅沢三昧だのには興味がないが、情報が得られるのなら、ルアンの助力には十分な価値がある。


「その点、我が商会はこの街に確かな情報網を築いております。それらの力で最新かつ、確度の高い情報をクロウ殿に提供させていただけるかと。それも、冒険者組合に先んじて」


「それはいい。だが、ルアン。お前、まだ何かを隠しているだろう」


 俺の指摘に、ルアンは動揺するどころか心底楽しそうに目を細める。

 

 この手の輩は交渉においてこちらを頷かせるための切り札ともいえる情報を隠し持っているものだ。


「はい。この街を覆う黒雲、それが何ものの仕業によるものか、我が商会は掴んでおります」


「もったいぶらずに申せ。俺が斬るべきもの相手だ、知っておきたい」


 俺がそう促すと、ルアンは普段通りに芝居がかった様子で瞼を閉じる。

 しかし、その直前、彼女の翠色の瞳に本物の恐怖が浮かんだのを俺は見逃さなかった。


「――『黒き霞の魔女』。この地方に伝わる伝説にして、脅威。それがあの雲を作り出した黒幕の正体です」


 『黒き霞の魔女』。その名が応接室に響いた瞬間、誰かが息を呑んだ。

 

 恐れと悲しみに入り混じったその音を発したのは、コーデだった。


 ――

あとがき

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