第34話 侍、再び変態と遭遇する
姉上の紹介状によって引き合わされたのは、ルアンという名の大物女商人だった。
そんなルアンの突然の側室志望宣言によって今城門周辺の空気は凍りついている。
具体的には、コーデとクリスの二人が完全にブチギレている。二人は今にも武器を抜きかねない殺気を放っているが、当のルアンは涼しい顔で、こう続けた。
「というのは、冗談さ。ロンダイン閣下は商会のお得意様だし、敵に回したくない」
ルアンは相変わらず微笑んでいて、そこから何かを読み取ることは難しい。
背後の二人もそれは同じようで多少殺気は薄らぐ。本気の発言かどうかを計りかねているのだ。
「さ、早く僕の店に行こう。詳しい話はそこで。最近は物騒でね。あまり不用意にうろついていると雷に打たれかねない」
そう言って空を指さすルアン。冗談とも本気ともつかない態度のまま、彼女は歩き出す。
腹の内が読めない相手はどうにも苦手だが、今は彼女についていくしかないだろう。
城壁の外と同じく、昼間だというのにトライセンの街は日暮れのように薄暗い。頭上を覆う巨大な暗雲のせいだ。
途中、道の左右に露店が立ち並ぶ目抜き通りを通ったが、どこも無人で営業をしていない。人々は神隠しにあったように消え失せていた。
とても商いの街として知られる『トライセン』の大通りとは思えない。これではロンダインの領都の方がよほど繁盛している。
「普段はここも盛況なんだけどね。ここ一月ですっかりこのありさまさ。まったく、『親の亡骸でも価値が着くなら売り渡す』なんて言われた船商人の商魂はどこにいったんだか」
俺の困惑を察してか、足を止めぬままルアンが言った。
大きな身振り手振りを交えての発言。かなり芝居がかっていて、やはり、本心では何を考えているのか読みづらい。
「あの黒雲は一月前に突然現れた。ただそこにあるだけでも迷惑なうえに、船を出そうとする決まって大風を吹かす上に、雷まで落とすので街は完全に死んでいるんだ。くわえて、あの雲のせいか、夜になるとどこからか魔物まで街中に沸く始末で、僕も商売あがったりさ」
ルアンの態度ははっきりとしないが、口にする情報はこの街の状況にも合致している。
明らかに異常事態だ。交易都市であるにも関わらず門を閉ざして、街を厳戒態勢に置くのも頷ける。
「誰かの、あるいは、何かの仕業ですか?」
「噂はいくつかあるけどね。だけど、細かい話は店についてからに。屋外ではどうにも落ち着かない」
ルアンはそう言いつつも散歩をするような気軽な足取りのまま街を進んでいる。
俺とコーデ、クリスの三人がその背後に続き、カルアは雲を警戒するように空に向かって鼻をひくつかせていた。
「このまま進むと、水上市場に出ますが、今はここと変わらない様子だから、あまり観光的な意味はないね。その先の船着き場もつまらないからおすすめしない。今なら、そうだね、いっそ西側のカジノとかの方が――おっとここだ」
不意に、ルアンが十字路の手前で立ち止まる。
彼女の前にあるのは五階建ての石造りの建物。看板には、『アンティリーズ商会本部』と書かれている。おそらくこの街の一等地の、もっとも目立つ場所にルアンの店は建っていた。
「遠慮なく入ってくれたまえ。今は客もいないから、気をつかわなくて結構」
深緑の聖鉄鋼の大扉を開けて、店の中へ。
一階部分は宝飾店になっており、宝石や黄金、あるいは
どれも煌びやかで美しいが、前世で見た宝飾店と異なるのは飾られている商品の大半が女性向けのものではなく男性用の品である点だ。
ベルトや腕輪、指輪にピアス。それらはすべて女性から男性に送るもので、贈り物や婚姻の結納品として購入される。変わりどころでは、竜の皮から作られた最高品質の首輪なんてものもあった。
この世界の男性の中には、こういった品を好むものもいるらしいが、俺にはさっぱり理解できない。
同じように輝く金属製品なら武具や防具の方がよほど心が躍る。
前世でもそうだった。ファッションだのおしゃれだの正直理解不能だ。舐められない程度の服装は大事だが、侍たるもの、普段着と仕事着、礼服がそれぞれ一着ずつあればそれで十分だ。
まあ、これが戦国時代に流行った変わり兜とかなら話は別なんだが、それは今は置いておこう。
ということで、宝石類の類は完全に無視して二階への階段を昇る。クリスとカルア、とくにカルアは物珍しそうに足を止めかけていたが、コーデに咳ばらいをされて二階へと昇った。
二階もまた宝飾店だが、今度は女性向きの品が並んでいる。
首飾りや宝石付きのドレスはどれも華美にもかかわらず品がよく仕立てられている。俺個人として興味はそそられないが、女の家臣への褒美としては使えるかもしれない。
しかし、うちの女性陣はというとどうにも興味がないらしい。
まあ、なんだ。コーデ以外の二人は俺と同じく武人だし、コーデも性格上華美な品は自分に関わりがあるものとは思っていないのだろう。
そのまま流れるようにして三階へ。そこはバックヤードになっており、その最深部にあるルアンの応接室兼オフィスに俺たちは通された。
趣味のいい部屋だ。調度品は最高級品ばかりだが、どれも自己主張しすぎずに全体的に調和がとれている。
唯一特徴的というか、変というか、猟奇的なのは、左側の棚の一番目立つ場所に置かれた額縁だ。
その額縁には絵の代わりに、一枚のハンカチが入れられている。薄紅色で白いレースのあしらわれたそれには見覚えがあった。
……というか、あれ、姉上のハンカチだよな? 端っこの方に、ロンダイン家の紋章が刺繍されてるし……、
「あらためて。ようこそ、僕の店へ。この部屋は商談用に盗聴対策はばっちりだから、くつろいでくれたまえ」
そのことにクリスやコーデが気付くより先に、ルアンは椅子に腰かけて、俺たちを招く。
招きに応じて正面に置かれた向かい合った二つのソファーにそれぞれ二人ずつ腰掛けることにしたのだが――、
「若様、こちらが空いておりますよ。どうぞ、こちらに」
「クロウ様。わたしの隣へ。お守りしますので」
素早くバラバラに腰かけた二人が、そんな風に圧を掛けてくる。
どちらも目の色が変わっており、『自分を選んでくれ』と全身全霊で主張している。
……やっぱり分からない。俺がどちらの横に座ったとしても大して変わらないだろうに、なんでこんなに必死なんだ?
豊臣秀吉の側室二人が権力争いをした『醍醐の花見』か? だが、席順やら杯を受ける順で序列を決めるような制度はロンダイン家では採用していないぞ。
というか、二人とも、カルアを見習うべきだな。彼女はこの部屋に入ってからも警戒を解かずに、部屋の出口付近に陣取って退路を確保している。
忠臣とはかくあるべし。侍としても常に危機に備えるその姿勢は称賛に値する。
「いや、俺はここに座る」
なので、俺も部屋の隅にあった予備の椅子を引っ張ってきて、応接机を挟んで奥にいるルアンの対面に座る。
礼儀として刀は腰から外すが、いつでも手に取れるように傍に置いた。
俺がどちらも選ばないことを理解すると、二人は互いに見合って、気まずそうな表情をしてから、視線を下げた。
どうやら俺が自分以外のどちらかを贔屓しなかったことに安堵しつつ、自分が選ばれたなかったことを悔しがっているらしい。
まったく二人そろってこの調子だ。いっそ俺のことがなければこいつら気が合うんじゃないか?
「いやはや、聞いた通り、クロウ殿は愉快な臣下をお持ちなようだ。ローズが自慢するわけがわかりました」
そんな二人を見て、ルアンは楽しそうにほほ笑んでいる。
他人事ならそれで済むが、こいつらをうまく使っていかなければならない立場としては頭痛の種だ。
「愉快すぎて困りものですが。それより、ルアン殿、今回の件、御礼申し上げる。貴殿の助けがなければ、こうも容易く街へは入れなかったでしょう」
「いえいえ。友人の家族を助けるのは当然のこと。情と名のつくものは金では買えませんしね」
礼を述べると、ルアンは商人らしい言葉でそう答える。それとどうやらこの部屋の中では俺を友人の弟としてではなくロンダインの嫡子として扱う気らしい。言葉遣いが変わったのがその証拠だ。
……やはり、読めない。商人然とした態度や言葉も本性を隠すための偽装ではないか、そう思わせる底知れない雰囲気がルアンにはあった。
「姉上とはどちらで? 学園ですか?」
「ええ。僕も去年まで学園にいましてね。家業もあって、ローズのように『
『後学院』というのは姉上が通う王都の『花嫁学園』の最高学府のことだ。
生徒の中でも成績優秀者数名しか進学を許されず、ほかの学生よりもさらに三年長く勉学に励む代わりに、卒業後には学園から『婿』を紹介してもらえるという特典がある。
姉上は今年からその『後学院』に通っている。ルアンの言葉に嘘がなければ彼女もその候補に選ばれる程度には優秀ということになるが……、
「……そうですか。姉上が素晴らしい知己を得ているようで、弟としても安心です」
姉上は家にいる間は俺を含めて家族に掛りきりで、学園でのことはあまり話さない。
なので、ルアンのことも聞いたことはないが、紹介状のあて先は間違いなく彼女だ。彼女個人を信頼すべきかはまだ判断できないが、姉上の人を見る目は確かだ。そちらは信じられる。
「ローズと僕は寮で同室だったんです。一年目だけでしたが、家を離れてなかなか学園に馴染めない僕にローズはとても親切にしてくれた。それ以来、『親友』として彼女とはとても『親しく』させてもらいました。ああ、素晴らしき青春の日々。今も目を閉じれば、ローズの香水の香りがするほどです。薔薇と柑橘のかおり……ふひ」
「……なるほど」
信じられると思ったが、その自信が揺らぎそうだ。
ルアンは言葉の端々で親友とか親しくとかを凄く強調してくる。ある意味、そこにだけ感情がこもっていると言ってもいい。
……なんだか、いやな予感がしてきた。
コーデの不審者ぶりを初めて目にした時に似ている。ルアンの背後から不気味な影が立ち昇っているような、そんな錯覚があった。
「ああ、そういえば、こんなことがありましてね。四年程前です。ローズが深刻な顔で悩んでいましてね。
ローズはいつも穏やかで朗らかなので、珍しいと思ったんです。でも、時にはそんなローズも美しい、とも考えたんですが、親友として心配になり声を掛けたんです。
すると、今度の詩の発表会に出す詩のことで悩んでいると相談を受けまして。本人が言うには、弟に関する詩を書いたのだけど、少し過激するかもしれないと心配していたんです。
そう打ち明けた時のローズの恥じらう顔もすごく可愛らしくて、もう本当絵画にしたほどだったんですが、その時は絵師が近くにいなくて、くぅぅ僕に絵心があればなぁ!」
全然聞いてない姉上との思い出話を、めちゃくちゃ早口でまくしたて始めるルアン。その表情はこれまでになくいきいきとしていて、間違いなく彼女は本心からこれをやっているのだと分かった。
……
「でも、詩を読んでみたら、過激と言いつつもまだまだローズらしい貞淑さがあったんですね、だから、僕は言ったんですよ。『いいかい、ローズ。詩作っていうのは己の熱情を解き放つものなのさ! 普段僕が君にしているようにね!』と。
ローズはそのアドバイスに従い、かの名作『我が麗しき弟の麗しき太もも』を書きあげたわけですが、さすがはローズですね。あのふとももの描写のスケベさ……もとい、耽美さはまさしく逸品でした。写しを売り出したら、半日で売り切れて、僕の懐もあったまりましたよ。
あ、そういえば、実物が目の前にあるわけですね。せっかくですし、一目見せていただいても?」
「あれはお前のせいか!」
思わず立ち上がりそう叫ぶ。
姉上め! とんだ変態じゃないか! どうしてこう、この世界の女はこんなのばっかなんだ!
――
あとがき
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