第33話 侍、商人と出会う
狼の士族の村を出て三日後、俺たちは『トライセン』の街に到着していた。
カルアの加入を巡って道中ひと悶着あるのではと気を揉んでいたが、意外にも、クリスもコーデも落ち着いていた。
というか、三人だけだった時よりも食事時の雰囲気が格段に明るくなった。
カルアのおかげだ。彼女が食事の度にコーデの味付けを称賛し、クリスに対しては人間の戦い方を聞くという体でコミュニケーションを図っていることで、コーデもクリスも毒気を抜かれている。他にも道中では2人を気遣い、新参者としての態度を徹底している。
ここら辺はさすが戦士団の副長をしていたというだけのことはある。
我が家臣団に欠けていたコミュニケーションを円滑にする役割を果たしてくれているのだ。その一点だけでも、彼女を臣下に加えた甲斐があった。
その甲斐あってか、コーデとクリスもカルアにはそこまで警戒していない。
人と違ってカルアの俺に対する態度がからっとしているからというのもあるだろう。
カルアが俺に対する賞賛や好意を口にしても、どうにも二人とは違った感じに聞こえる。何というか重くない。爽やかな感じだ。
侍である俺にとっては背負う
そんなわけで、三日間の旅路はそれはもう順調だった。
道中、魔物や山賊に遭遇しなかったのは残念だったが、その楽しみは『トライセン』の街に取っておくことにした。
狼の氏族の村の襲撃事件の黒幕の手がかりを探すにも、武者修行のために強敵を見つけるにしても、トライセンはうってつけの場所だ。
なにせトライセンは荒くれものばかりの冒険者の街だ。火事と喧嘩は江戸の華というが、それと同じでもめ事、争いごとには事欠かない。
そう思っていたのだが、どうやら、トライセンは聞いていたのと違う種類の厄介ごとの渦中にあるようだ。
「カルア、前にもトライセンには来たことがあるんだよな? その時からこんな感じだったのか?」
トライセンの街を見下ろす丘の上、ようやくたどり着いたその場所で、俺はカルアにそう尋ねる。
目の前の街、別名『蒼の都』として知られるトライセンの上空には巨大な暗雲が漂っている。
真夏の入道雲、それを墨で真っ黒にしたようなそれは雲にもかかわらず街の上に静止していた。
そのせいで、ここら辺一帯は真昼間だというのに薄暗い。
雷もかなり頻度で落ちているようで、時折、トライセンの街の方で光が瞬いていた。
さらにその向こう、外海へ繋がる水平線は霧が掛かっていて見通せない。
まるで、トライセンの街だけが黒雲と霧によって隔離されているかのようだった。
明らかに尋常な事態ではない。
尋常ではないが、この世界には魔術も魔物も存在している。こういうことも、あるかもしれない……。
「い、いや、あんな雲は一月前にはなかった。なにが起きているんだ?」
「……そうか」
一応、コーデとクリスの方にも確認するが、見たことも聞いたこともないという答えが返ってくる。
ということは、異常事態だと判断していいわけだ。
ふうむ……悩ましいな。普段のトライセンにも興味はあったが、この異常事態も楽しめそうではある。
とすれば、とにもかくにも、街に近づいてみるしかない。住人に話を聞ければ細かい事情もわかるだろうしな。
丘を降り、街を囲う城壁へと近づく。
もともと港町であったトライセンだが、人口流入に伴い、拡張を繰り返した結果、今のような水上都市になった。そのため、この城壁は街の最も古い施設とも言え、門は流通のために常に開かれている、と書物には書かれていたが――、
「……閉まっているな」
たどり着いた城門は完全に閉ざされている。巨大な鉄製の門には
「カルア、裏門はないのか?」
「……いや、無いと思う。この外門は夜でも閉まらないんだ。それがこんな時間にしまってるなんて、絶対に普通じゃないぞ」
危険を察知するかのように鼻をひくつかせるカルア。そうして、すぐさま顔を上げて、こう言った。
「誰か来る……人間だ」
カルアがそう言った直後、俺の感覚も同じものを捉える。すると、門の上の出窓が開き、兜を被った女騎士が顔を出した。
その手にはボウガンが握られている。すぐにコーデとカルアが得物に手を掛けるが、俺はそれを制する。
女騎士に殺気はない。ボウガンはあくまで威嚇のために手にしているのだ。
「何者だ! 城門でなにをしている!」
「旅人だ! この街には仕事を求めてきたんだ! 他意はない!」
俺はそう答えるが、女騎士はボウガンを降ろさない。
……殺気はないが、かなり怯えているな。何か事情がある。街を覆う暗雲と無関係ということはまずありえない。
「今、この街は戒厳令下にある! 許可がなければ門は開けられない!」
「事情は分かった! だが、俺たちも長旅で疲れている。せめて、上に掛け合ってはもらえないだろうか!」
食い下げると、考えるようにボウガンを下げる女騎士。
門は閉ざされているが、ずっと閉じ切っているわけではない。それは周囲の地面に残る痕跡からも明らかだ。許可のある商人や町の住人の出入りは禁止されていないと見ていい。
物は試しだ。俺たちも許可さえあれば、街の中には入れる。
実際、女騎士は迷っているようだ。自分一人では判断が下せないのだろう。
「若様、こちらを」
返答を待っていると、コーデが背後から封のされた手紙を渡してくる。封蝋の印はロンダインのものではないが、見たことがある。
白百合の花を基調としたそれは姉上の通っている王都の『花嫁学校』の印だ。
「紹介状だな」
「はい。ローズ様からお預かりしておりました。トライセンで困った時はこれを使うように、と。上役の商人がローズ様のご友人でその方へ宛てたものとお聞きしております」
「左様か……」
姉上らしい心遣いだ。
俺のことは心配だが、俺に直接紹介状を渡しては使わないだろうから、気の利くコーデに渡しておいたのだ。
……仕方あるまい。早々に姉上の力に頼るのは面目ないが、背に腹は代えられない。
「紹介状もある! これを君の上役に渡してくれ!」
俺は手紙を見えるように高く掲げてから、門ののぞき穴に差し込む。すぐに誰かがそれを回収して、走り去るのが分かった。
門が開くかどうかは、その姉上の友人という上役の商人がどれくらいの権限を持っているか次第だが……、
「開門! 門を開ける!」
三十分後、門は開いた。どうやら姉上の友人とやらはこの街でかなりの権力を持っているらしい。
……なぜだろう。事ここにいたって、どうにもいい予感がしない。
いや、姉上の交友関係を疑うわけじゃないが、この世界において上流階級の女性は俺の経験上、癖の強い人格をしている。母上しかり、オルフェリア姫しかり、一筋縄ではいかない。今から出てくるであろう姉上の友人がその例外である、という可能性もなくもないが、望み薄だろう。
そうして、門が開き現れたのは――、
「やあやあ、お客人! よく来てくれたね!」
意外にも、男……?
いや、違う女だ。肩の筋肉の付き方で分かる。
だが、一瞬、見間違っても仕方がない格好を女はしている。
高級そうな青のジャケットにネクタイ、純白のズボンを履いている。金色の髪は肩口で切りそろえられ、眼鏡をかけて賢そうな
年のころは姉上と同じくらいだろうか。母上や姉上、オルフェリア姫ともまた違うタイプの美人だ。体つきもスレンダーで、比較的に控えめではある。
いわゆる男装の麗人というやつか。元の世界ではそうはいなかったが、この世界では男の格好をする女性は少なくないと聞く。
だが、戦士ではない。鍛え方は立ち姿一つでわかるものだ。やはり、商人なのだろう。
代わりに周囲には、甲冑に身を固めた護衛の女騎士が二人控えている。かなりの手練れだ。ロンダインの騎士たちにも匹敵しうる。
「君がクロウだね。うん、ローズには似てない。でも、美しいところはよく似ている。綺麗な瞳だ」
「……クロウです。この度は過分なご配慮をいただき――」
「そういう堅苦しいのはいいよ。僕の名前は『ルアン』。『ルアン・アンティリー』。アンティリー商会の代表さ」
頭を下げようとした俺を制して、女性、ルアンは右手を差し出してくる。
握手を交わすと、ルアンは満面の笑みを浮かべ、こう続けた。
「僕はローズとは親友なんだ。親友の家族を助けるのは当然さ。でも、どうしても、お礼がしたいって言うなら、そうだなぁ…………」
……いやな、予感がする。何か企んでいるような輝きが、ルアンの緑色の瞳の中に見えた。
「僕のこと、お嫁さんとしてもらってくれないかい? ああ、もちろん、側室でいいよ? 君と結婚すれば、ローズとも姉妹になれるわけだからね。僕には一挙両得さ」
そうして、ルアンはそんなことを言い放った。背後で、カルアがしっぽを立てて、コーデとクリスが武器に手を掛けたのが分かった。
……もういい加減、こういうのにも慣れてしまったが、今回は新パターンだ。
正妻の座ではなく側室を狙ってきたか……現実味があるだけ、余計に
しかも、今回は俺だけではなく姉上も狙っているときた。俺にしてみれば、頭上の暗雲よりもこちらの方がよほど問題だった。
――
あとがき
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