第31話 侍、獣人に好かれる

 魔導士が殺されたことを、俺はすぐにクリスとそしてカルアに共有した。

 

 情報を引き出すより先に魔導士は始末されてしまったが、それでも分かったことはある。

 あの魔導士は何者かの命令で狼の支族の人々を誘拐しようとしていた。であれば、危機がこれで終わりとは限らない。少なくとも、村を守る戦士であるカルアには事の次第を知らせておくべきだと考えてのことだ。


 魔導士の死を知ったカルアはそのことに対して何の感想も口にはしなかった。

 ただ拳を硬く握り、悔しそうな顔で「そうか」と頷いただけだった。


 仲間や家族を拉致されかけたのだ。怒りのほどは相手を八つ裂きにしてもまだ足りぬほどだろう。

 だというのに、その下手人は裁きも受けずに別の何物かに殺された。憤懣やるかたないとはまさにこのことだろう。


 それでもカルアはその怒りを呑み込んで、先のことを考えていた。

 立派な姿勢だ。侍のそれに近しいと言ってもいい。私情に囚われがちな我が臣下二人にも見習ってほしいくらいだ。


 そんなカルア曰く、狩りに出ているほかの戦士たちも明日にはほぼ全員が帰還する予定だとのこと。

 その戦士たちが帰還し次第、村の防備を固めて、次の襲撃を警戒するともカルアは言っていた。


 あの魔導士を雇っていた何者かがいる以上、当然の措置だ。もっとも、根本的な解決にはならない以上、ほかの手立てもいずれ必要にはなるが、今夜一晩さえ切り抜ければ一安心ではある。


 そういうわけで、俺たち一行は今日一日だけでもこの村に逗留するようにカルアから懇願されてしまった。

 まあ、袖振り合うも他生の縁というし、一度助太刀をした以上、落ち着くまでは面倒を見る責任がある。そして、責任を放棄することは武士道に反する。せめて、防備を固めるまでは見届けるとしよう。


 そう思ってこの村に残ったのだが――、


「――おお! ど真ん中だ!」


 放たれた矢。それが遠く離れた的の中心を貫くのを見て、カルアが言った。


 昼間、村の外れにある狼の氏族の戦士たちの修練場でのことだ。

 恩人である俺のことを知りたいと言うカルアに連れてこられ、まず手始めにと弓の腕を披露していた。

 

 コーデとクリスは今だけ別行動をとっている。

 コーデは魔導士の死体と殺害現場を調査しての手がかり探し、クリスは村人たちに村の防衛のための陣地形成について指導を行っている。


 俺も最初はどちらかについていこうと思ったのだが、それはそれで後で選ばれなかった方が文句を言いそうなので、カルアの誘いに乗った。賢明な判断だったと自負している。


 この修練場はロンダインの館のものとは違う。金属製の武具の代わりに手作りの矢と弓、槍などが置かれているが、何より印象的なのは並べられた矢の的だ。

 数も多いが、なにより、的との距離が普通よりも二倍か、三倍ほど遠い。並の鍛え方では的の中心に当てるどころか、矢を届かせるのにすら苦労するだろう。 


 だが、俺は並の鍛え方はしていない。侍だ。

 それに前世から弓の訓練は刀ほどでもないにしても積んでいるし、今の俺には天恵スキルがある。これぐらいは容易い。


「いい腕だ! 村の戦士でもこの距離で真ん中にあてられるものは少ない。本当、人間にしておくのがもったいないくらいだ!」 


 そんな俺をカルアが大袈裟に褒める。

 それ自体はいいんだが、どうにも距離感が近い。一晩明けて朝になってからカルアは何故か俺にぴったりとくっついているし、今も俺が何かするたびに鼻をひくひくさせながら顔を近づけてきている。ついでに、隙あらばうなじの辺りの匂いを嗅ごうとしてくるし、なんか物理的に舐めてきそうだ。


 そのくせ見た目は犬そのものではなく、犬耳の生えた褐色美人。それも局部しか隠していない半裸女。

 普通の男なら我慢が効かなくなっている。よかったな、俺が侍で。武士道に鍛えられた精神力がなければどうなっていたことか……、


 しかし、獣人族のコミュニケーションは基本こんな感じなのか……? 

 いや、狼の氏族というくらいだし、イヌ科の特徴を持つから行動も影響されてるのか? 


 ……考えたくないが、相手が俺だからという可能性もある。

 自惚れではなく事実として、この世界において俺のこの顔面は魔性の域にある、らしい。


 コーデやオルフェリア姫、うちの身内も含めて実例はいろいろある。俺もこの世界に転生してから九年いろいろあった。

 女にモテすぎると大抵の場合、ろくなことにならない。

 

 …………いや、ここはカルアを信じよう。今までのところ、彼女の行動は高潔な戦士のそれだ。身内に性的倒錯者がいるからといって決めつけるのは良くない。武士道に反する。


「この程度で褒めるな。侍ならば当然だ」


「そうか、恩人殿は騎士ではなく『サムライ』なのだったな。うむ、良い響きだ。アタシは好きだな」 


 それにまだ何も知らないとはいえ、『侍』を好きだと言ってくれている相手を俺は無碍むげにはできない。


「恩人殿の言葉や佇まい、匂いから察するに、人間どもの好きな騎士などよりもよほど高潔で、義理を重んじる、そういうものなんだろうな、サムライは」


「よ、よくわかっているじゃないか! そうだ、侍とはそういうものなんだ……! カルア、お前はよくわかっている!」


 高潔さと義理。それは武士道の中核であり、侍の本質でもある。

 何を教わったわけでもなくカルアはそれを理解している。しかも、その切っ掛けとなったのは俺の行動、そして、匂いだという。


 それはつまり、俺が侍の何たるかを体現できているということだ。

 分かっていたことではあるが、改めて他人からそう言ってもらえるのはすごくうれしい。なにせ、カルアは出会ってたった一日で俺の人生を丸ごと肯定してくれたようなものなのだからな。


 喜びのあまり、俺は思わずカルアの両手を握ってしまう。だが、この感情の高ぶりを伝えるには言葉だけでは足りない。

 肉体言語ボディランゲージだ……!


「お、おお! 恩人殿、は、は、激しいぞ……! そ、それに、ち、近い……! くぅーん……!」


 俺がカルアの両手を犬にするように上下に動かしていると、途端に彼女が哀れっぽいを声を上げた。


「や、やめてくれ……! し、刺激が強すぎる……!」


「お、おお、すまんすまん。つい、感極まってしまった。許せ」


 慌てて手を放すと、カルアは熱っぽく潤んだ瞳でこちらを見ている。口ではやめてくれと言っているが、尻尾の方はこれまでにないほどにぶんぶんと大きく揺れていた。


 どうやら喜びのツボは犬といっしょらしい。ついつい、犬をかわいがる感覚で接してしまった。


「も、もう気を付けてくれよ……アタシら、狼の氏族は、匂いに弱いんだ。と、特に、その、若い魅力的な雄の匂いには、特に……」


「そ、そうなのか。わかった、気を付けよう」


 匂い、フェロモンのようなものか。確かにイヌ科の特徴があるのであれば、それが何らかの影響を持つというのはありえる話だ。

 

 これからはカルアを含めて獣人との距離感には気を付けるか。

 ただでさえこういう世界だ。無用な誤解を与えては何が起きるか知れたものじゃないしな……、


「で、でも、そんなに離れなくてもいいんだぞ、恩人殿! あ、アタシは村で一番の戦士だ! 当然、精神も強い! なので、多少刺激が強くても平気だ! た、たまになら、ああいうことをしてくれてもいい!」


「わ、わかったよ。ああ、それと、俺のことはクロウでいい。恩人殿ではどうにも恩着せがましい。武士道に反する」


「では、クロウ殿と……! そう呼んでもよいだろうか?」


 明らかに強がっている様子のカルアに頷く。

 彼女が自分にだったら気にせず触れていいというのは、撫でられなれていない犬が撫でてくれとねだるようなもの、と思いたい。


「では、カルア。俺の腕は見せたのだ。お前の腕も見せてくれ。狼の氏族、随一の射手の一射、ぜひ見てみたい」


「あ、ああ! 見ててくれ、クロウ殿!」


 そう言うと、カルアは肩に掛けていた弓を構えて、矢を番える。


 足を肩幅にまで開いての射撃姿勢。弓道や弓術の構えとも違うが、堂に入っている。

 そう、息を呑むほどに美しい。合理的な動き、その所作の一つ一つにこれまで積み重ねた鍛錬のすべてが現れていた。


「――しっ」


 カルアの犬歯の間から息が漏れる。次の瞬間、引き絞られた弦から彼女の指が離れた。


 一本の矢が奔る。それは俺の一射よりもさらに凄まじい速度で飛んで、的の中心に見事にあたった。


 だが、それだけじゃない。

 続けてもう一矢。カルアが放つ。それは一本目とまったく同じ軌道を駆け抜け、一本目に命中した矢を上から射抜く。


 これだけでも神業だが、カルアはそこからすぐに天高く跳躍。二十メートルほどの高さで宙返りをすると、三本目の矢を的に向かって放つ。

 不安定な姿勢に風、的への射角。どれをとっても地上で矢を放つよりもはるかに難度は高いが、その条件下でカルアは難なく矢を命中させる。それも、先に放った二本の矢とまったく同じ場所に矢は当たっていた。


 二本目までは俺も同じことができる。だが、三本目に関しては俺にも無理だ。


「……見事だ。かの『那須与一なすのよいち』のごとしだな」

  

「よいち……? 高名な射手か?」


「そうだ。もっとも偉大な射手と言ってもいい。揺れる船の上にある小さな扇を射抜いてみせた」


 平家物語における屋島合戦の一節はとくに有名だ。

 その一節において、かの源義経の配下、那須与一は座興として、揺れる船上の扇を射抜いてみせた。まあ、ついでに返礼の舞をしていた平家武者も射抜いたのだが、戦場で油断する方にも非はある。


「それは、すごいのか?」


「ああ。すごい。だが、お前はその与一に匹敵している。あの大きな『牙猪きばいのししを一人で射殺したというのも納得だ」


「フフ……! そうだろう、そうだろう。あいつらの毛皮は矢を弾くけど、目玉に三本矢を射てやればあの通り倒せるのさ」


 誇らしげに自慢するカルア。彼女は簡単そうに言っているが、当然誰にでもできることじゃない。

 類まれな才能と気の遠くなるような鍛錬、それがカルアの自信を裏付けていた。


 改めて感心する。弛みない修練と精神力は侍にとっても重要だ。

 この世界にも侍たりうるものはいるが、カルアはその中でも筆頭といえるかもしれない。


 将来的に、ロンダイン武士団に獣人の斥候を採用するとしたら、それを率いる役目はカルアに託してもいいかもしれない。そのためにはまず、武士道の何たるかを叩き込んで――、


「――クロウ殿。アタシの腕を見たうえで、一つお願いしたいことがあるんだ」


「ん? なんだろうか?」


「貴方の旅に、アタシを連れていってほしいんだ。必ず役に立つ、お願いだ!」


 カルアはそんなことを言い放って、俺に向かって土下座をする。

 俺達の旅に同行したい……? カルアの腕前を見ればそれはむしろ望むところだが、一体、なぜ……?



――

あとがき

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