第30話 侍、恩人になる

 

 獣人の少女ルウィンの村を魔導士とそれが操る魔物から俺たちは救った。

 村人の犠牲はなし。後は皆で勝ち名乗りを上げるだけだったのだが――、


「狩りから一足先に戻ってきてみれば、村から火の手が上がっていた! しかも、アタシの家からだ! 貴様、妹をどうした!」


 乱入してきた女、おそらくは狩人がそう吠えた。なかなかの剣幕でこちらにずんずんと歩み寄ってくる。

 その手には、弓と矢。相当に使い込まれたそれは彼女が熟練の狩人であることを教えていた。


 察するに、この女はルウィンの姉か。だとすれば、こうして激怒している理由も納得がいく。

 

 俺が狼煙代わりに火をつけたあの家、ルウィンは無人だと言っていたが、実は彼女の家だったわけだ。

 確かに自分の家なのであれば、今は無人だと断言できるし、本人が許可を出しているのだからあと腐れもない。


 まあ、こうして、あと腐れはあったわけだが、狩りに出ていた姉が一足先に戻ってくるなど予想もできないから仕方あるまい。


 しかし、姉妹でよく似ている。褐色の肌に白い体毛、三角の耳。そして、凛とした顔立ちと意志の強そうな瞳まで瓜二つだ。

 違うの体つきくらいか。とうぜん、姉の方が背は高く色々と育っている。特によく引き締まりつつも筋肉質な下半身の稜線は目を奪われるものがあった。

 

 といかんいかん。これだとセクハラだ。よく鍛えられた肉体は好きだが、ジロジロ見るのはよくない。


おねえちゃんルク!」


 殺気満々に近づいてくる女にルウィンが走り寄る。彼女はそのまま狩人の女と話し込み始めた。


 獣人の言葉はわからないが、会話の内容はおおむね推測できる。俺達がここにいる経緯となぜ家に火を付けたかの説明だろう。女、いや、ルウィンの姉がそれで納得しているのは尻尾の動きで分かる。


 最初は警戒心でピンと立っていたのが、まずはしゅんとなり、次第にブンブンと大きく横に動き始めた。

 犬と一緒だ。表情は険しいままだが、尻尾やしぐさに隠しきれない感情が露になっていた。


 ルウィンの姉は最終的に頷くと、妹の頭を撫でてから、その額を長い舌でペロリと舐めた。

 ……おそらくこの部族のコミュニケーションなのだろう。やはり、イヌ科か。


 俺は犬か、猫ならどっちも好きだが、どちらかといえば犬派だ。

 なにせ『忠犬ハチ公』や『里見八犬伝』に代表されるように犬こそは忠義の生き物。俺のような侍とも相通ずるところがある。


 それに意外に思われるかもしれないが、俺も可愛いものは人並み程度には好きだ。

 歴史上の侍たちが花道を通じて美を愛でる心を磨いたように、俺も可愛らしいものを見て心を和ませる程度の余裕はある。


 その点、ルウィンとその姉の姿は実に微笑ましい。戦で昂っていた心が急速に鎮まっていくのが分かる。


「くぅぅん」


 話し終わると、ルウィンの姉は盗み食いを叱られた犬のような顔でこちらに近づいてくる。


「――申し訳ないっ!」


 そうして、凄まじい勢いで土下座した。

 ジャンピング土下座だ。高さも角度も勢いも文句なしの十点という感じで、元日本人として拍手したくなる芸術性だった。


 尻尾の方も申し訳なさそうに丸まっている。こういう時に嘘をついていないと簡単にわかってしまうのは人間としては好感が持てるが、戦士としては困りものだな。


「妹から事情はすべて聞いた! 貴方達三人が命を賭して、この村を救ってれたのだな! ありがとう!」


「お、おう。だが、礼は不要だ。俺たちは義によって助太刀しただけで――」


「そんな大恩人に対して、誤解していたとはいえあのような態度をとるなど許されることではない! いかようにも罰してくれてかまわない! むち打ちか!? 石抱きでもいいぞ!?」


 話を聞いてくれない。

 そして、なぜかすごい剣幕で自分を拷問するように迫ってくる。


 けじめは大事だが、ちゃんと謝ってくれる相手に鞭打つような真似をするのは武士道に反する。


「ともかく、顔を上げてくれ。こっちとしては別にあの程度のことは気にしていない」


「そ、そうか。恩人殿は寛大なんだな……」


 どうにか顔を上げさせるが、ルウィンの姉はなぜか残念そうな顔をしている。

 最初は、申し訳なさのせいでこんな顔をしているのかとも思ったが、なんか、違う気もする。いや、やめよう。考えてもろくな結末にならない。


「アタシの名は、カルア。ルウィンの姉で、狼の氏族の戦士、弓の使い手だ。妹ともども村を救ってくれてありがとう」


「クロウだ。こっちの二人は姉のコーデと妹のクリス。姉弟三人で旅をしている」


 凛々しい表情をしながらも、尻尾をぶんぶん振っているカルアと握手を交わす。

 なかなかの力だ。ついでに、大型犬がそうするように、俺に顔を近づけてクンクンと鼻をひくつかせている。


 ……距離が近いな、鼻息が当たる。まあ、獣人は獣の習性も持つ。いたしかたないことではあるのだろう。

 なので、コーデとクリスはカルアをにらまないように。別に俺を狙っているわけじゃないんだし……、


「恩人殿。アンタ、いい匂いがするな。綺麗な汗と血の匂い。好きな匂いだ」


「……そうか。俺も強い戦士は嫌いじゃないぞ」


 『好き』という二文字に背後の二人の殺気が漏れるが、カルアのようなタイプは自分の感情を素直に口にしているだけで他意はない、はずだ。

 だいたい、この世界において『男』が希少とはいえなんでもかんでも恋愛感情に結びつけて考えるのは良くないと思うぞ。


「ともかく、事情が分かったからには歓迎する」


 カルアははにかみながらそう言うが、俺はその好意を受ける気はない。


 この村を救ったのは『義』のためであって、恩を売るためではない。なのに、礼を受け取っては俺の行為が何かしらの返礼を当てにしたものになってしまう。それでは駄目だ。ここは一夜の宿だけ借りてすぐに旅に戻るとしよう。


 いや、待てよ。気絶させて縛っておいた魔導士、あいつをどうするかが問題だ。


 村人たちに処遇を託すという手もある。仲間を拉致しようとしたんだ。やり返す権利は十分にある。

 だが、生け捕りにしたのはそもそも尋問のためだ。処刑させるにしても、街に連行するにしても、色々と聞いておきたいところだ。


「普通ならば、我らの村に人間を迎えることなどありえない。だが、我ら狼の氏族は受けた恩は必ず返す。どうか、お礼をさせてくれ」


「いや、それは無用だ。それより、少し場所を借りたいんだが――」


「――そう言わずに! ぜひ! ぜひ! 礼をさせてくれ! そうさせてくれねば、我らの名誉にかかわる!」


 やはり、話を聞いてくれない。

 しかし、名誉に関わるか。そう言われてはこちらとしても考えざるをえない。


 名誉は武士道においても大事だ。『忠』や『義』と同等か、時にはそれ以上の意味がある。

 個人の名誉ならばまだ挽回の余地があるが、家門や一族全体の誉れを失えば、家名の存続自体が怪しくなることさえある。


 であれば、俺としても譲る余地はある。どうしてもというのであれば、ささやかな歓待を受ける程度は融通をきかせてもよかろう。


「わかった。だが、そう特別なことはしなくていい」


「そうか! みんな、宴の準備だ! 我らの恩人に!」


 そう言ってカルアが「アオーン」と遠吠えを上げる。それに応えて、村人たちが遠吠えを唱和した。


 美しい響だ。これが聞けただけでもここに来た甲斐があったかもしれない。



 俺たちへの歓待は村全体で行われることになった。主菜となるのはカルアが仕留めてきた一軒家ほどの大きさの『牙猪きばいのしし』だ。

 牙猪も魔物の一種ではあるが、比較的食用として狩猟されており、俺もグスタブからの訓練の一環で食べたことがある。


 調理法は俺がカルアの家につけた火を利用しての丸焼き。肉は固めだが、食いでがあってよかった。


 魔物食はこの世界においては一般的とまではいかないが、地域によっては親しまれている。

 その点、オークやゴブリンも食料と言えなくもない。言えなくもないが、一応、人の形をしている点が『牙猪』と違う。


 例え魔物とはいえ、人の形をしたものを食べるのにはさすがの侍でも抵抗感がある。まあ、籠城中にほかに食べる物がない場合は考えねばならないか。


 ちなみに、宴の主賓とも言うべき、俺、コーデ、クリスの三人には牙猪の肝が振舞われた。

 なんでも牙猪の肉の中でも最も栄養価の高く、美味い部位らしく、実際に美味だった。多少血の味がしつこいが、怪我をした時になどはちょうどいいかもしれない。


 解放の喜びもあってか、獣人たち、いや、狼の氏族の人々は本当に嬉しそうに肉にかじりつき、俺たちを称賛してくれた。

 侍の誉れだ。前世でも今世でも認めてくれる人はいくらかいるが、戦いによって勝ち取ったもので名声をえたのはこれが初めてだ。


 だが、もっとも喜ばしかったのは、ルウィンを筆頭とした子供たちの笑顔だ。

 侍の役目の一つは民の安寧を守ること。ルウィン達は俺の民ではないが、それでも、子供らを守れたのなら、侍として誇ることができる。


 晴れやかな気分だ。これが直接的に侍の国に繋がらないとしても、この経験は礎となる。俺は侍として生きているのだ。


「――若様、準備が整いました」


「……わかった」


 宴もたけなわというところで、コーデが俺にそう耳打ちしてくる。

 タイミングを見計らって祝いの席から抜け出して、村のはずれにある廃墟へと向かった。


 首謀者である魔導士を捕えていることは俺たちと、今村唯一の戦士であるカルアしか知らない。

 カルアが感情的になって魔導士を殺させろと言い出す可能性もあったが、黙っておくのは不義理だ。そういうわけで話したのだが、彼女は快く夜明けまでは待つと約束してくれた。魔導士がなぜ村を襲い、村人をさらおうとしたのか、それはカルアにとっても重要な事柄だ。感情よりも責務を優先する武士道の心得を彼女も持っていたのだ。


 廃墟にはコーデの描いた魔法陣があり、その中心では件の魔導士が縛られている。

 布を噛まされているせいで声を発することができず、恐怖に満ちた視線をさ迷わせていた。


「布を外せ。俺が直接尋問する」


「はい。わかっているでしょうが、この魔法陣の上では貴方の術は使えない。その上で逃げようとすれば、まず足の腱を断ちます。嘘をつけば、指を落とします。もし、弟に何かしようとすれば、生まれてきたことを後悔させます。どれも貴方がこの村の人々にしようとしたこと。選択権を与えるのは、我が弟の温情と知りなさい」


 布を外しながら、コーデは魔導士を脅す。

 拷問等の無抵抗のものを痛めつける行為は正直、好みではないが、必要となればやる。

 幕末京都の『新選組』にはその道の玄人もいたそうだし、武士道にも反してはいない。


 コーデの方も躊躇はしない。

 魔導士は男であり、この世界において男は希少だが、コーデが尊重するのは俺や母上、姉上、ニーナのようなロンダイン家に連なるものだけだ。


 その点においては、武士道や騎士道にある種縛られている俺やクリスよりも徹底している。


「それで、素直に答える気になったか?」


「は、はい! なんでも答えます! だ、だから、殺さないで……!」


 脅しが効いている。今なら洗いざらい話してくれそうだ。


「まずは最初の質問だ。なぜ、ここの村人たちを誘拐しようとした? 人買いと繋がっているのか?」


「ち、違う……違う、あ、あんな低俗な連中となんかとは取引しない」


 意外な答えではある。

 貴族の男子ほどではないが、獣人も数は少ない。てっきり、その需要を見込んで村を襲撃したと思っていたのだが……、


「では、なぜだ? 答えろ」


「それは、それは……私は――ひっ!?」


 さらに問い詰めようとしたところで、魔導士が悲鳴をあげた。

 顔面から血の色が失せて、瞳孔が開く。恐怖のあまり呼吸さえ忘れていた。


「何事だ? コーデ?」


「……わたくしではありません。ですが、この魔力――」


「しゃ、喋ってない! わ、わたしはなにも! 喋るつもりもない! お、お願いだ! 殺さないでくれ! 霧の――」」


 魔導士が叫ぶ。

 次の瞬間、俺は背後にその気配を感じた。


 背筋の凍るようなおぞましい気配。何か不吉ものがいる。魔導士の視線の先にそれはいる。


 それが何かは分からない。だが、敵だ。直感を信じて俺は振り向きざま、愛刀を抜き打った。

 切っ先がを裂く。俺の刃は確かに何かを両断したが、手遅れだった。


「若様……」


「……死んだか」


 振り返ると、コーデが沈痛な表情をしている。足元の魔導士はすでに事切れていた。

 

 全身が硬直し、血の気が失せている。おそらく心臓が止まったのだろうが、傍から見ればすさまじい恐怖が原因で死んだように見えるだろう。


「防げませんでした……若様申し訳ありません……」


「気にするな。それより魔術か?」


「……呪いの類かと。強烈な残滓です。そして、おそらくわたくしよりもかなり格上の魔術師の仕業かと思われます」


「…………なるほどな」


 ……母上の御付きの魔術師でもあるコーデよりも格上の魔術師。その魔術師の呪いによってせっかく生け捕りにした魔導士は殺された。


 なんともすっきりしない結末だが、俺の胸中には別の感慨がある。


 遠隔からこれほどの呪いを掛けられる魔術師。おそらく前世でも、今世でも遭遇したことのないほどの難敵だ。

 それほどの難敵であれば、討ち取った者の名は歴史に残る。


 胸が躍るとはまさにこのことだ。女難ばかりの旅かと思ったが、こういう機会を得られるのなら、武者修行に出た甲斐もあったというものだ。



――

あとがき

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