第27話 侍、助太刀をする

 真夜中の野営地に、突如姿を現した獣人の少女。彼女は褐色の肌に白い髪で、頭頂部からは獣の耳を生やしていた。


 だが、重要なのは少女の種族ではない。

 

 目の前の少女は明らかに飢えていて、疲れていて、また弱り切っていた。

 頬こけた顔に、ぼろ衣のように破れた服、震える手足。何もかもが彼女の窮状を物語っていた。


「め、めし……?」


 少女は俺たちのことが視界に入っていないのか、鼻をひくひくさせながらウサギのシチューの入った鍋によろよろと近づいてく。


 そうして本能のまま鍋に手を伸ばして、その熱さに跳ねるように飛びのいた。

 ……ちらりと見えたが、両手の爪は人間よりも獣よりなのか。まさしく肉食獣の鉤爪のようなそれは十分に武器として通用しそうだ。


 少女はそのまま逃げ去ると思いきや、立ち尽くしたままだ。腹が減っているなら鍋のそばに置かれている器に注いで食べればいいものを。疲弊のあまりそんな簡単なことも思いつかないのだろう。


 仕方ない。助け舟を出してやるか。


「わ、若様……?」


「お前たちは動くな。大丈夫だ」


 俺を心配するコーデとクリスにそう声を掛けてから、鍋と少女に近づく。

 少女は俺に気付くと牙をむいて、低い唸り声で威嚇してくるが、無視してシチューを器に移す。


 決して腰の刀には手を触れない。これは侍の象徴であり、誇り。決して年端のいかぬ子供に向けるものではない。たとえこの少女が俺に牙を向いたとしてもそれだけは許されない。


「ほら。腹が減っているのだろう? 食え」


 俺が器を差し出すと、少女は戸惑ったように後ずさる。それでも空腹に耐えかねたのか、数秒もすると俺の手から器をひったくると茂みの中で掻き込み始めた。


 よしよし。話を聞くにしてもまずは腹を満たしてからだ。

 この感じは食べていないのは三日ほどか。俺も経験があるからわかる。侍でもない年端のいかない少女には相当にきつかったはずだ。


「若様。ご油断召さらぬよう」


 俺が焚火の側に戻り、少女を観察しているとコーデがそう耳打ちしてくる。


「子供だぞ」


「はい。ですが、獣人は部族によっては魔物と変わりませぬ。人を食べることもあるとか」


「だとしてもだ」


 獣人の一部が人間を襲って食べる、という噂は俺も耳にしたことがあるし、母上の書斎には獣人に関する書物もあった。

 それらの書物によれば、国によっては獣人を魔物と区別しないことさえあるとか。獣人の多くが文明化されておらず、原始的な生活を続けているからというのがその理由だ。


 だが、どこの国がどう基準を設けようが知ったことではない。


 侍にとって重要なのは、己の行いが己が武士道に適うかどうか。

 そして、俺の武士道において子供とは庇護の対象。腹をすかして今にも倒れてしまいそうな子供を見過ごすなどそれこそ士道不覚悟だ。


「俺は何があっても子供は斬らん。お前たちも俺の臣下であるなら徹底しろ。よいな?」


「……承知しました」


「……はい。若様の仰せとあれば」


 二人とも口では了承しているが、内心ではいざとなれば主に代わって自らの手を汚す覚悟を決めている。隠しているつもりでも、殺気が漏れているからバレバレだ。


 しかし、それを咎める俺ではない。主のためにあえて命に背き、泥を被る。それもまた忠節の形であり、俺が憧れた侍の姿でもある。


 それに国を興すにはきれいごとだけではどうにもならないこともある。そんな時に世の道徳に逆らって行動できる人材は貴重だ。

 織田信長が本能寺に倒れた時、当時の羽柴秀吉に「ご運が開けましたな」、つまり、今こそが天下取りのチャンスであると耳打ちした軍師『黒田官兵衛』のように。


 俺の臣下にはそんな人材がすでに二人も揃っている。

 改めて己が幸運に感謝したい。やはり運命は俺を侍の国へと押し上げているのだ。


「――じぃーっ」


 そんなことを考えていると少女は一杯目を食べ終わって、もの欲しそうな眼でこちらを見ている。

 恐る恐る器を返してきたので受け取って、二杯目を渡してやると再び掻き込んだ。


 腹が膨れて安心したのか、少女は少しだけこちらに近づいてきて焚火で暖まり始めた。

 飯を食って即逃げださなかったところを見ると、どうやらただの浮浪児ではないらしい。何か事情があるのだろう。


「娘。言葉はわかるか?」


「……すこし、なら」


「そうか。ならば、事情を聞かせろ。飯の代金変わりだ」


 俺がそう促すと娘は驚いたような、疑うような表情を浮かべる。

 まあ、無理もないか。コーデの言葉通り、人間の多くは獣人を魔物の一種として扱ってきた。その人間に親切にされたとてすぐには信じられないだろう。


「名前はなんて言うんだ? 俺はクロウ。こっちは俺の姉でコーデ、金髪のは妹のクリス。三姉弟で旅をしている」


 姉と口にした瞬間、背後でコーデが瞳をこれまでになく輝かせた気がするが、この際、それは無視する。

 ……クリスもまんざらじゃなさそうだが、まあ、これも今はいい。


「……ルウィン」


 俺が名乗ると、娘『ルウィン』が名乗り返す。そうして、少しずつ話をし始めた。


「…………みっかまえ、村、おそわれた。まもののむれに。でも、ふつうの、まものと違った。そいつら、戦士たちが狩りでいないとき、狙ってきた」


「……留守を狙われたということか」


 戦士たちが出払った隙をついて村を襲う。それ自体は非道ではあるが、ありふれた非道だ。賊の常とう手段と言ってもいい。

 問題は、それを魔物がやったということだ。魔物は総じて知能が低い。俺とクリスが踏破した迷宮のように中級の魔物が下級の魔物を率いることはあるが、人間の集団のように村を襲うなど聞いたことがない。


「どう思う?」


「ありえない、と申し上げたいところですが、正直分かりません。魔物の生態には未知数の部分が多いので……」


 コーデが答える。


「クリスも同じか?」


 俺の確認に、クリスも頷く。


 ……魔物たちの謎の集団行動。その真相も気がかりだが、今重要なのはルウィンの村のことだ。


「まものども、むら、せんきょした。それから、まどうしがきた」


「まどうし? 魔導士、魔術師か」


「……それならば、ありえるかもしれません。魔物を操る魔術が西方では見つかったという噂を聞いたことがあります」


コーデの耳打ちに、俺は口元を隠す。思わずにやけてしまいそうになったからだ。


 魔術により魔物を操れるということは魔物を軍隊として運用することも可能ということだ。

 魔物は強力な戦力であり、将来的に設立予定の我がロンダイン武士団に採用してもよいだろう。

 

 だが、より重要なのは戦場で敵に操られた魔物と戦う機会が巡ってくるかもしれないということだ。

女騎士の首を手柄とするか否かはまだ俺の中で侃侃諤諤けんけんがくがくの議論の最中だが、魔物であれば遠慮なく首を刎ねられる。

 それに、西方の魔術ということは『帝国』で開発されたということ。かの帝国と故国ソーディア王国は停戦状態にあるとはいえ敵国同士、これは期待できるぞ。


 と、いかん。意識が逸れた。今はルウィンの話の方が大事だ。


「そいつ、なにかのぎしきに、あたしたちをつかうって、それであしたのあさになったら村のみんなをよそにはこぶってだれかにはなしてた。あたし、それ盗み聞きした」

 

 話している途中で怒りを露わにするルウィン。血がにじむほどに強く唇を噛んで、低い唸り声を歯の隙間から漏らしていた。


 獣人たちを何かの儀式に使うために拉致する、それが魔導士の狙いか。その儀式が何の儀式なのかはわからないが、ろくなものではないことは明らかだ。

 ルウィンの状態を見ても、ろくに食事を与えず、一つ所に押し込めているのだろう。


 許せん。子供相手にそんな真似をする輩は俺が切り捨ててくれる。


「……みんなが、あたしをにがしてくれた。とおくまではしって、人間のまちでも、戦士たちのところでも、いけって。それで、はしった。いちにちじゅう……それで、ここにきた」


 ……なるほど。

 外部に助けを求めるために辛うじてルウィン一人を送り出したというわけか。そうして、俺たちのところにたどり着いた。


 よし、決めたぞ。奇妙なめぐりあわせだが、合縁奇縁も縁のうちだ。無垢な村を救うのであれば、この刀も納得してくれるだろう。


「ルウィン。敵はどれくらいいた?」


「……でかいオークが二匹、ゴブリンが二十匹。それに、まどうし」


「よし。正確な情報だ。これで作戦を立てやすい」


 俺が意気揚々と立ち上がると、クリスとコーデが心底驚いた顔で見上げてくる。彼女たちにしてみれば、俺の行動は全くの予想外なのだろうが、甘い。


「姉さん、クリス、村を助けに行くぞ。俺たち三人で魔物どもとその魔導士とやらを蹴散らす」


 二人は俺の宣言に言葉を失っている。だが、一瞬後には覚悟を決めた戦士の顔が二つ並んでいた。

 さすがは俺の臣下たち。主が命を下した以上、なにをすべきか言葉にせずとも理解している。


 ……もっとも、コーデは別のことで発奮してそうだが、戦で役に立つならそれでいい。


 武士道にはこうある『義を見てざるは勇無きなり』と。

 つまり、正しい行いと知りながら、それを実行しないのは勇気がない、という意味だ。


 侍にとって、勇気はあって当然のもの。勇気のない侍など侍ではない。


 そして、この場合の正しい行いとはルウィンの村を救うことだ。

 彼女に同情したわけでもなければ、優しさや慈愛からの行動ではない。ただそれが正しいことであり、すべきことだから、成し遂げる。侍とはそういうものだ。

 

 ――

あとがき

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