第二章 侍と冒険者たち

第26話 侍、獣人と出会う

 ロンダインの領地から隣国『カールセン商国連邦』の首都『トライセン』までは徒歩で7日ほどの距離だ。

 道中には険しい山も深い谷もなく、途中、小さな森林地帯こそあるものの平坦な道のりと言ってもよい。旅慣れていない者でもそう苦労はせずにすむだろう。


 そう思って最初の目的地をトライセンを選んだのだが、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。


「――はい、若様。あーんしてくださいませ」


「――わ、若様、こちらです。クリスが食べさせて差し上げますね」


 俺の目の前には、差し出された二つのスプーン。毎夜の如く二者択一を迫ってくるそれらはもっかのところ俺の頭痛のタネになっていた。

 確かこれと同じような場面が若妻物語にあったな。その話では確か最終的には男をめぐって女二人が河原で殴り合っていた。なぜ河原何だと思ったのをよく覚えている。


 旅が始まって三日目の夜、野営地キャンプでのことである。

 今晩の献立は俺が射殺した兎のシチュー。味付けはコーデの担当で、火おこしはクリスの担当だ。


「あのな、お前たち、俺を年端のいかぬ幼児か何かと勘違いしてないか? 戯れは許すが侮りは許さんぞ」


 どちらを選んでも角が立つ上に、いい加減辟易としたところだ。少し凄んでやる。

 

 俺ももう十五歳だ。

 顔立ちはまだ幼さ、可愛らしさが消え切ってくれないが、この三年間、内緒で魔物を斬りまくったおかげで少しは貫禄がついてきた。

 その貫録をもってすれば小娘二人を威圧する程度、わけないはずだ。


「そ、そんなつもりは毛頭ございません! た、ただ、コーデ殿だけがクロウ様に『あーん』をするのはずるいと申しますか、なんというか……」


「ふ、その程度の気持ちで『あーん』をしようとするなど、従者としての覚悟が足りないのでは? さ、若様、こちらからどうぞ。無論、これは臣下であり、姉のようなものでもあるわたくしからの愛情表現です。侮りなどひとかけらもございません」


 ……クリスはともかく、コーデには通用しないか。なんとなくそんな気はしてたが、こいつ、めちゃくちゃ図太いぞ。


 …………これは早いところ、初陣を済ませて侍として威厳を身につけなければなるまい。身内とはいえこういう時に臣下を御せないようではこの先、侍の国を興すなど夢のまた夢だ。


「で、であれば、わたしの『あーん』もまたクロウ様への尊敬、親愛、あ、愛情ゆえの行動です! ど、どうか! お受けくださいませ!」


「なんと、愛情とは。従者の身で不遜に過ぎます。まったく困ったものです、こんなことで本当に従者が務まるのでしょうか? 実はクリス殿は若様の貞操を狙う不逞のやからなのではと勘ぐってしまいますね……」


「な!? ぶ、無礼な! それはあなたのことだろうが! クロウ様と同じお風呂に入るなんて……羨まし――いえ、不遜です!」


 そうして、いつも通りの不毛な論争が始まる。正直言って聞いてても、頭が痛くなるだけで無益だ。

 旅を通じてこの二人の仲が少しはマシになると期待していたのだが、どうやら完全に俺の見込み違いだったらしい。


 そのくせ、二人ともきちんと旅の供として役割は果たしているので怒るにも怒りにくい。忠誠心は人一倍なのだ。


 さながら『石田三成』と『福島正則』のようだ。

 この二人は豊臣秀吉の子飼の重臣で、互いに幼馴染なのだが、とにかく折り合いが悪かった。


 文官武官の間での確執や戦の論功行賞を巡っての諍いなど原因はいろいろあるのだが、一番の原因は性格の不一致と言っていいだろう。

 そこから最終的に正則含めた七人の武将が三成を襲撃した上、東軍西軍に分れて争うことにまでなるのだから、致命的なそりの合わなさだ。


 ……見た目も性別も性格もまるで違うが、主への忠誠心の強さだけはこの二人にコーデとクリスはよく似ている。

 …………俺が死んだ後、臣下であるコーデとクリスが二派に分かれて争うのは悲しい。死んでも死にきれないぞ。


 ここは一度、強硬手段に出ておくべきか。


「ともかく飯くらい一人で食える! お前らも俺の前でいがみ合いは禁止だ! これは君命だ! 守れないならロンダイン領に二人纏めて追い返すぞ!」


「……っはい」


「若様の仰せとあらば」


 いい加減、俺が怒ると二人とも一応引っ込む。

 これでしばらくの間、表面的には角突き合うのはやめるだろう。もっとも、それでも机の下で足を蹴り合うだろうが、今はそれでいい。


 同じ釜の飯を食うだけで足りないなら、同じ死線に放り込むまで。互いに背中を預けざるをえなくなれば、そのうち、仲良くとはいかなくても、協力くらいはできるようになるはずだ。


 そう信じて、シチューを口に運ぶ。


 味は相変わらずによい。

 ここ二年ほど屋敷の厨房はコーデが仕切っていた。その際に、習得したという味付けは俺の体に完全に馴染んでいる。


 しかも、今は野宿中。屋敷の厨房より調味料や香辛料も少ないはずなのに一体どうやっているのやら……これで、しょうゆやみそ、米もあれば俺の魂ももっと満たされるんだがな……、


 ……そうか! どうせ旅に出ているんだ。旅先でしょうゆやみそをついでに探そう。

 この大陸エンデラントに前世で口にしていたものと全く同じものが存在するとは限らないが、代替え品くらいは、いや、最悪大豆が手に入れば何か作れる可能性はある。


 うん。二人を連れてくるべきじゃなかったかと思っていたが、道が開けた。

 大豆からしょうゆやみそを作れるようになれば新たなロンダインの特産品にもなるかもしれない。そうなれば、財政の助けにもなりうる。


「若様? どうかされましたか? 手が止まっておられますが……もしや、お口に合わぬところでも……」


 そんなことを考えていると、コーデが不安そうな顔でそう聞いてくる。普段は強かなくせに、こういう時はしおらしいのだから、こっちの調子が狂う。


「いや、美味い。考え事をしてただけだ。クリスはどうだ?」


「……おいしいです。くやしいですけど、わたしが作るより」


 不機嫌ながらも味に関しては負けを認めるクリス。それを見て、コーデの方も少し溜飲を下げたようで、無言でクリスの分のおかわりをよそっていた。


 まあ、半歩前進か。どれだけ平時にいがみ合っていても、いざという時に協力できればそれで十分だ。


「では、若様もおかわりをどうぞ。このコーデがいる限り若様にひもじい思いをさせることなどありえません」


「わ、わたしもこの旅の間、いかなる時も若様のお傍を離れず、全身全霊でお守りします! 敵の刃から、虫の一匹にいたるまで若様には触れさせません!」


「う、うむ。助かるぞ、二人とも」


 気迫だけはなかなかの二人。

 人格や性的趣向に多少の問題はあるが、なんだかんだで信じられるし、頼りにもなる。まあ、ときどき二人の視線からは別の危機を感じなくもないが、それはもう分かっていたことなのでこの際、考えないようにしよう。


 と、そんなことを考えていたら、一つ、考えておくべきことを思い出した。


「そういえば、お前ら、オレを若様とかクロウ様とか呼んでるが、街に着いたら別の呼び方をしろ」


「はい? クロウ様はクロウ様では?」


 きょとんとした顔をするクリス。相変わらず憎らしいほどに可愛らしいが、やはり、少し抜けている。まあ、主君としてはそういうところも愛らしく見えてしまうものなのだが。


 一方で、コーデは俺の発言の意図を理解しているようで、両の瞳が怪しくギラリと輝いている。

 さすが十八歳にして次期家令になった才媛さいえん。母上の補佐で政務にも関わっているだけあって、言外に含まれていることも簡単に察してくれる。

 

 ……しかし、あの瞳。おそらく何かよからぬことを考えている。これだから頭のいい臣下はそれはそれとして困るのだ。


「街で女二人連れの男が様付で呼ばれていたら、周りからどう見えると思う?」


「えと、きっと高貴なお方なのだと、思いますが……それが何か問題なのでしょうか? クロウ様は実際、並ぶもののないほどに美しく、高貴なお方ですし……」


「それだ、問題は。いいか、俺は男だ。その上、侯爵家の嫡子だ。つまり、人質としての価値は値千金どころじゃない。鴨がねぎを持って鍋に入って流れてきたようなもんだ。わかるか?」


「かも、ねぎ、なべ……? えと、格好の標的みたいなことですか……?」


 クリスの確認に俺はうんと頷く。

 

 母上も含めたロンダインの当主の仁政のおかげで、ロンダイン領は治安が良く、賊の類は滅多に現れない。

 だが、ロンダイン領以外の場所は大抵、文明レベル相当の治安をしている。


 つまり、山賊、盗賊、盗人に人攫ひとさらい、そういった犯罪者の類は一山いくらでそこら中にいる。

 俺が侯爵家の嫡子と知られればそんな連中に絶えず狙われることになる。侍としては賊など恐れるに足らぬし、皆刀の錆にしてやる覚悟はあるが、面倒には違いない。些事に囚われて肝心の武者修行ができないのでは本末転倒だ。


 いや、それも一つの修行にはなるかもしれないが、あまり名前を出しすぎると母上の迷惑になるかもしれない。


 なので、旅先では極力、俺の身分については隠す。呼び方を変えるのはその一環だ。


「で、でしたら、そ、その恐れ多いことですが、そ、その、クロウ殿とお呼びするというのはどうでしょうか……? そ、そんな伴侶のように気安く名をお呼びするのはダメなことだとはわかっているのですか……」


 耳まで真っ赤にして視線を逸らしつつも、ちらちらとこちらを伺っているクリス。

 どうやた臣下として不遜だとは思いつつも、オレのことをクロウ殿と呼んでみたくてたまらないらしい。


 まあ、オレの名前自体は日本風に見えて、きちんとこの世界の言葉に由来がある。

 『獣の爪クロウ』から転じた言葉で意味としては、困難を乗り越えるとか、勇敢なとかそういう祈りが込められている。


 なので、そこまで珍しい名前ではないし、家名はともかく俺の名は知れ渡っていないのでこれくらいは問題ないだろう。


 しかし、だ。


「殿付けは不要だ。それだと結局怪しまれる。呼び捨てで構わん」


「そ、そんなことできません! クロウ様を呼び捨てなんて……! き、騎士道に反しますし、そ、それに、呼び捨てなんてまるで、気心の知れた連れ合いのようで……えへへ」


 口では拒絶しながらも、明らかににやけているクリス。もう少し腹芸の類を覚えてほしい気もするが、この嘘のつけなさもクリスのいいところの一つだ。よしとしよう。


「で、でも駄目です! わたしは若様の従者! その領分は守らねば……!」


「ならば、くんでもさんでもなんでもよい。これならば、比較的怪しまれず、家臣としての領分を守れよう。これ以上は譲れぬぞ?」


「は、はい。で、では…………お婿さんを呼ぶみたいな感じで、クロウ『さん』、と、ふふふふ」


 ……これでよし。クリスの喜び方は変な感じだが、ここは実利を取る。

 

 それに問題なのはこれから。根は素直なクリスと比較してコーデは何を言い出すか予測できないところがある。


「ということで、コーデ。お前も俺のことはクロウさんとでも――」


「いえ、わたくしはクロウ『くん』、と呼ばせていただきます。不遜ですが、この方が偽装に適しています」


 きりっとした表情でそう提言してくるコーデ。一歩も譲らないぞ、というその態度からうかがえるのは強固な理屈か、あるいは不可解なこだわりだ。

 ……おそらく後者だな。経験で分かる。それでも一応、尋ねてみる。


「……その心は?」


「我々は女子二人、男子一人の集団パーティーです。わたくしの知る限り、この組み合わせは珍しく、周囲の関心を引きやすいかと」


「……まあ、わからんでもないな」


 コーデにしてはまっとうな理屈だ。

 この世界においては男女の立ち位置がほとんどの場合で逆転している。なので、女性が男性をいろんな意味で襲うということはよくある。


 つまり今の俺たち旅の一行は、自分で言うのは心底いやだが、見目麗しい美男子と年頃の女二人のいかがわしい集団に見えているというわけだ。

 これでは俺たち自身にやましいことがなくても関心を引いてしまう。


 ……確かにこれは俺も見落としていた観点だ。二人組なら恋人なり夫婦なり言い訳ができたが、三人だとそれも難しい。

 どうやらコーデにはその問題を解決する妙案があるらしい。


「若様。これからわたくしは臣下にあるまじき、不敬かつ不遜なことを申し上げます。どうかお許しを」


「前置きはよい。申せ」


「はい。三人組であることへの疑念、それはわたくしと若様が家族であれば解決する問題なのです」


 ……なるほど。期待した俺がバカだった。


「そう、若様とわたくしが姉弟であれば、こうして旅をし、宿を共にすることになんのやましきこともございません。それどころか、宿で同室になったとしても、何の問題もないのです」


「……それで、俺はその場合お前を『姉』と呼べばいいのか?」


 あえて心底疲れた感じを出してそう尋ねるが、コーデは全く懲りてない様子で「大正解でございます」という感じで頷いてる。それどころか――、


「で、できれば、お姉ちゃんか、姉さん、がよいかと。姉上ではやはり、ローズ様に申し訳が立ちませんし」


 いや、もっと申し訳が立たない相手が目の前にいるだろ、とは口にしない。あまりにも嬉しそうなコーデに水を差せなかったというのもあるが、何より、コーデの倒錯した欲求の充実以外にもこの案にはある程度の理がある。


 ……少し考えてみるか。


「……一応聞くが、その場合、クリスはどうするんだ?」


「クリス殿は、まあ、護衛に雇った騎士とか、パンを恵んだらそれ以来後ろを付いてくるようになったとか、そんな感じでいいでしょう」


「わたしは、そんな野良犬ような真似はしない! コーデ殿、侮辱にもほどがあるぞ!」


 立ち上がって抗議するクリスには悪いが、クリスには確かに犬っぽいところがある。まあ、野良犬というよりは近所で飼われていたごーるでんれとりばー? なる西洋の大型犬の感じだが。


 しかし、我が忠勇なる従者を犬扱いはできない。それに俺はこの旅の間、コーデとクリスを平等に扱うと決めている。であれば、解決策は一つだ。


「よし、決めたぞ。俺たちは三人姉弟妹きょうだいということにする。長女はコーデで、次男が俺、末の妹がクリスだ。三人で方々で修行して、名を挙げようとしている。似ていないのは全員が腹違いということでごまかす! クリスは俺を兄上と呼べ!」

 

「な、なるほど。みょ、妙案だと思います! さすが、わかさ、いえ、兄上!」


「……わかりました。まあ、姉の立場を手に入れたことでよしとしますか、ふふふ」


 俺が立ち上がってそう宣言すると、クリスは嬉しそうに、コーデは不承不承なフリをしながら頷く。


 ……まあ、これで丸く収まったしよしとするか。こういう『ごっこ遊び』ができるのはこの旅の間だけなわけだしな。

 それに、この役柄であれば演じるのにそこまで無理をせずに――、


「――っ!」


 瞬間、俺の感覚が何ものかの気配を捉える。常に天恵を発動させていなければ気付けないほどに小さく弱り切った気配だった。


 近くの茂みの中にいるそれは、よろよろとこちらに近づいてくる。


「――おさがりを!」


 遅れて気配に気づいたコーデとクリスがすぐさま武器を手に俺の前に出る。

 優秀な臣下たちだ。だが、俺の感覚はその必要はないと告げている。


「待て。襲撃じゃない」


 俺は2人に武器を降ろすように合図し、気配の方向に目を凝らした。

 一秒もしないうちに、それは姿を現す。焚火の灯りによって闖入者が何ものであるかは明らかとなった。


「――あれは」


 コーデが驚きの声をもらす。それも当然か。


 俺たちの前に現れたのは、年端もいかぬ少女。褐色の肌に白い髪をして、頭頂部からは肉食獣特有の三角形の耳を生やしていた。


 『獣人』だ。

 獣と人の両方の特徴を持つ種族。その存在は書物で知っていたがこうして目の当たりにするのはこれが初めてのことだった。


――

あとがき

今回の更新からは第二部です!


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次の更新は明日の18時ごろです!


 


 



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