第25話 侍、旅立つ
コーデによる夜這い事件を経て、翌朝、とうとう俺の旅立ちの時がやってきた。
晴れの日だ。
行きがかり上、妙な連れ合いはできてしまったが、俺はこれから武者修行の旅にでる。武芸を磨く相手にも事欠かないし、名声も高められる。旅を通じて見聞を広めれば、いずれ俺が興す侍の国の役にも立つだろう。
……ちなみに、コーデが俺の旅に同行する件に関して昨晩のうちに母上に話したが、反対しなかった。それどころかもろ手を挙げて賛成していた。
なんでも「一人で旅立たせるよりも百倍安心だ」とのこと。コーデを信用しているのは知っていたが、改めてその強固さを目の当たりにしたというわけだ。
まあ、実はそのコーデこそが俺の貞操を狙う最大の獅子身中の虫なわけだが、そこらへんは知らぬが仏だ。俺としてもコーデが同行してくれれば身の回りは大いに助かる。
コーデは家事万能にして玲瓏明美、くわえて剣士としての腕も一流なうえに魔術師でもある。
なにより、俺の舌は彼女の味付けに慣れてしまっている。武士は食わねど高楊枝だが、飯は美味いに越したことはない。
心配なのはむしろ、コーデが不在になるロンダイン家の方なのだが、そこは問題ないと母上は請け負った。
コーデの養母であるソネッタも健在であるし、コーデも家令を継ぐ前に外の世界を知っておくのは大事なことだと喜んで送り出すことにしたのだ。
我が母ながら誇りたくなる器の広さだ。感服する。「これでどこぞの女狐に手を出されることもあるまい!」と喜んでいたことは聞かなかったことにする。
ニーナには自分もついていくと騒ぎそうなので話さずに行く。かわいそうだが、かわいい妹を困難な旅に同行させるわけにはいかないのだ。
ともかく、そうして夜が明けて目覚めると、俺はいつも通りに顔を洗い、自室で旅装を整えた。
最後に姿見で自分のいでたちを確かめる。相変わらず整いすぎていて侮られそうな顔立ちは気に食わないが、ほかは別だ。
いつもの仕立ての良い綿の上下ではなく麻のシャツにズボン。
己の素性に恥じるところは何一つとしてないが、旅をする以上、旅先で貴族と、ましてや侯爵家の長男とバレても面倒が増えるだけだ。武士の嘘は方便、武士道もここら辺は許容している。
だが、この上から羽織る『陣羽織』と腰に差す『刀』は別だ。この二つだけは俺が『侍』である証拠。
誰に何と言われても脱ぐつもりはないし、刀を置くつもりもない。例え、廃刀令が出たとしても最後まで尊厳を掛けて戦うとも……!
それにしても、よく似合っている。さすがは俺、侍として立派な立ち姿だ。
無論、どんな服を着ていても俺の心は侍だが、やはり、姿も侍であるべきだ。これほど似合っているのだ、俺の背中を一見すれば侍と武士道の素晴らしさを理解できるだろう。
ということで、旅立ちの朝だ。
今はまだ明け方、館はしんと静まり返っていて、この九年間、毎朝嗅いでいた香ばしい朝食の匂いもしない。いつも俺を迎えてくれる母上も、今はまだ寝室で床に着いておられる。
階段を降り玄関を出て、それから館へと振り返る。最初は武家屋敷と比較して内心ぶつくさ文句をつけてばかりだったが、今はここが第二の家に思える。
前世の友人の一人が『人は慣れる生き物だ』と言っていたのを思い出す。九年の年月をかけて俺はこの世界に馴染んだと言えるだろう。
……こんな早朝に出発するのは、母上のためだ。
本人曰く「見送りになど出たら母はお前を引き留めてしまうだろう。それもみっともなく泣きわめくぞ」とのこと。俺も自分の母親がそんな状態になっているのは見たくない。ちゃんとした別れの挨拶は昨晩のうちに済ませておいたし、義は果たしている。
「若様」
俺が館の門からでると、そこには旅の同行者であるコーデが待っていた。
いつものメイド服ではなく紺色の皮鎧と短めのスカートの旅装をしている。腰にはいつも使用している細身の剣があった。
……服装そのものは普通だが、なぜか胸元が空いている。強調された谷間と覗く肌色は貞淑さと対極にあり、侍としては咎めるべきなのだろうが……この世界ではこれが普通、なのか?
「若様。よくお似合いで……! まさしく晴れ姿でございます……! ああ、肖像画を描かねば! 絵師を呼んでまいります!」
「やめろ。そんな時間はないし、半日もじっとしてられない。いいから出発するぞ」
「……はい。ですが、若様。そのあふれ出る魅力は隠されませんと。このままでは道行く女がみな三度振り返ったあと、腰砕けになってしまいます」
「そんな大げさな」
「大げさな話ではありません! その証拠に、このコーデでさえ今の若様を見ているだけで、胸の滾りが――」
「……その話は聞きたくない。長くなりそうなうえに、お前を連れていくことを考え直したくなる」
武士に二言はない。二言はないが、心配になる時はある。特に自分の貞操に関してやらかしそうな配下と一年ほど二人きりだということを鑑みれば。
けれど、今は門出の時。余計なことを考えるのは後にしよう。
「――お待ちください! クロウ様!」
しかし、いざ出立というその時、すごく聞き覚えのある声が西の方から走ってくる。
忘れていた己の迂闊を呪いながらそちらの方に視線を向けると、大きな荷物を背負ったシルエットがぴょこぴょこ揺れながらこっちに近づいてくる。
クリスだ。いつもの甲冑を着ているが、兜を外していてここ三年で、背中の中ほどまで伸びた金色の髪が風になびいていた。
ちなみに、クリスが女であることはもはや周知の事実だ。
本来ならばその時点で俺の従者の立場を追われても仕方なかったのだが、俺の懇願に母上が特例として許しを出してくれた。
まあ、もともとロンダインの家臣団には俺と同年代の男子もいないことだし、母上の最も信頼する臣下であるグスタブの孫であるならという事情もある。
それに、なにより母上は意外なほどにクリスを気に入っている。なんでも、若い頃の自分と少し似ているらしい。
「クロウ様! クロウ様! よかった! 間に合いました、クロウ様!」
子犬を彷彿とさせる明るさで俺だけを目掛けて走ってくるクリス。
その可愛らしさ、はつらつさに思わず絆されそうになっていると、隣のコーデがごほんと咳払いをした。
……余談ではあるが、コーデとクリスの相性なぜだか悪い。顔を突き合わせるたび、喧嘩とまではいかないが、お互いに不毛な意地の張り合いを始める。
具体的にはどちらが俺のことを知ってるかとか、どっちが役に立ってるとかそんなことで言い争いを始めるのだ。
ちょうど、こんな具合だ。
「おや、クリス殿。随分と遅いお着きですこと。朝食の食べ過ぎでございましょうか? いけませんよ、そんなでっぷり、もとい、おっとりとしておられては若様の従者を務めるなどとてもとても」
「……コーデ殿こそ、そういうのを差し出口と言うのだとご存知ではないようで。わたしはクロウ様の従者、わたしに資格のあるなしを問えるのはクロウ様のみ。使用人は使用人らしく慎ましくしておられよ」
両者の間でバチバチと火花が散るのが見える。毎度毎度、この調子で互いに相手をどうにか言い負かそうと意地を張り合っている。
……困ったものだ。
二人の主君である俺としてはどちらに味方することもできない。このきりのない言い争いの根底にあるのは二人の俺に対する忠心なわけだし、俺がそれに勝ち負けをつけては負けた方の立つせがない。
そうなっては根は真面目な二人だ。どちらを選んでも恥のあまり自死しかねない。
侍たるもの安易に臣下に死を命じることなどあってはならない。
『武士道とは死ぬことと見つけたり』とは死を軽んじる言葉ではなく、何事にも死を覚悟するほどの真剣さで臨めという意味の格言だ。戦以外でも他者に死を強要せよとは葉隠のどこにも書いてない。
……死を覚悟するほどの真剣さという意味では、俺のことで口喧嘩をする二人の姿勢は武士道の鑑なのかもしれない。まあ、いささか潔さと清廉さには欠けるきらいはあるが。
「だいたいコーデ殿はクロウ様に対して気やすすぎる。クロウ様の姉を自称するなど羨まし、ではなく不遜すぎて目にあまる」
「不遜というなら貴女の方では? 若様の名をみだりに呼ぶなど臣下としての自覚が足りないのでは? それとも、特例で従者として侍ることを許された程度で、若様のお身内気取りですか? ああいえ、もっと相応しく愛人希望でしょうか?」
「……貴殿にだけは言われたくないな。使用人の分際で、主人に女の顔をするなど恥を知るがいい。いいや、いっそわたしが身の程を ̄ ̄」
「――二人ともやめろ。クリス、その服装から察するにお前も俺の旅についてくるつもりなのか?」
言い争いがヒートアップしたところで止めに入ると、クリスはうんうんと首を縦に振る。
……そういえば、クリスに対しては付いてこいとも、付いてくるなとも命じた覚えはない。
であれば、俺の従者であるクリスが武者修行に自分が同行すると思うのも当然か。
迂闊だった。贈り物と旅立ちに浮かれてそんな大事なことを忘れていたなんて、やはり、俺は半端者だ。
「……ちゃんと親とグスタブには話を通してきたのか?」
「わかさま!?」
俺がそう問うと、コーデが抗議の声を上げる。
まあ、コーデとしては自分以外の道連れは不要と考えているのだろうが、俺にとってはそうでもない。
むしろ、クリスを旅に同行させるのは悪くないんじゃないか、そう思い始めている。
まず第一に、コーデに対するけん制になる。
昨晩のように風呂中に全裸で迫ってくるような暴挙はもうしないとは思うが、侍以外の人間は皆魔がさすこともある。一年も一緒に旅をするのだからいやというほど機会もめぐってくることだろうし。
次に、旅を通じてコーデとクリスには少しでいいので打ち解けてもらいたい。
俺が侯爵家を継げばクリスは俺の側近になり、コーデは家裁を取り仕切る家令の立場を受け継ぐことになる。いわば鳥の両翼、
その二人がいがみ合っていたのではロンダイン家の命運に、ひいては俺の大望にも関わる。
仲良しこよしとは言わないが、同じ釜の飯を食う経験をすれば少しは関係性も改善するだろう。
そういう狙いも、クリスを連れて行くのにはある。侍は常に二手、三手先まで読んで行動するものなのだ。
「は、はい! 母からもお爺様からもお許しを頂きました! 若様のお傍にお仕えして、良く学んで来いと送り出されてまいりました」
「……物見遊山にいくわけじゃないぞ。場合によっては、命を懸けて戦ってもらわねばならん。承知しているな?」
「と、当然です!」
一瞬躊躇したのを、傍らのコーデに鼻で笑われ、クリスが悔しそうに睨む。
……クリスらしいといえばらしいか。旅と聞いて物見遊山やら聖地巡礼の妄想を膨らませていたんだろう。
一応、甲冑を着ているところからしても俺の護衛を担う気はあったんだろうが、命懸けの旅と聞けば一瞬答えが遅れる程度には心に隙があった。
常在戦場の心得がなっていない。なっていないが、それを責める気はない。
クリスはまだ子供、それも女子。この世界の規範がどうであろうと、まだ心構えがなっていないとしても成長の余地は十全にある。
「く、クロウ様! どのような旅に出られるのであれ、クリスはクロウ様の従者! クロウ様をお守りするは我が生涯の役目! 三年前に命じてくださったこと一瞬たりとて忘れたことはありませぬ!」
「……わかっている。同道を許す、その任を果たせ。我が従者よ」
「はい!」
それに、三年前のあの
……クリスに一生、俺の側に仕えろと
武士に二言はない。クリスが従者として同行を望むなら断る道理はない。
正直に言えば、心情的にも助かる。なんだかんだ言ってもクリスはこの世界での竹馬の友だ。背中を預ける相手としてこれ以上の相手はいない。
……なんだか、らしくもなく安きに流れている気もしないでもないが、逆に武者修行だからといって最善を尽くさないのもそれはそれで武士道にもとる、と理屈をつけた。
「コーデも構わんな。旅は道連れだ」
「……若様の命に、否と申すコーデではございません」
そうは言いつつも、コーデの発する
使用人としての本分に反するようなことはしないだろうが、しばらくへそを曲げているのは覚悟しないとな。
先が思いやられるが、なんにせよ、俺は旅に出る。これ以上は誰がついてきたいと言い出しても無視の一手だ。
「――クロウ!」
しかし、歩き出そうとした瞬間に、背後から大きくて、よく通る声で呼び止められた。
誰が相手でも無視すると決めていたが、この声ばかりは無視できない。無視すれば親不孝になる。
振り返ると、屋敷のベランダに母上が立っている。寝間着や普段着ではなく、特注の藍色の甲冑を纏ってロンダイン家の紋章の縫い込まれたマントを風になびかせていた。
「行ってこい! そして、必ず帰ってこい! 今よりも立派な『侍』になってな!」
母の声が凱歌のように響き、俺の胸を法螺貝の音のように揺さぶる。
母上は、俺の志を理解してくれている。でなければ、侍という言葉は使わない。
母上は侯爵だ。領主であり、貴族であり、騎士でもある。つまり、立場があり、責任がある。
俺が侍になると言い出しても、それこそ無条件に肯定することはできない。それは分かっているし、黙認してくれているだけでも感謝していた。
だが、今こうして、そのすべてをおして、母上は俺を侍として送り出してくれた。
ならば、俺も侍として、息子として応えたい。
「――行ってまいります! 母上! どうか息災で!」
朝の清々しい空気を吸い込んでそう叫ぶ。前世では母に行ってきますと言えなかった分を取り返すように。
「ああ! お前も風邪などひくなよ!」
そうして何気ない親子としての言葉に送られて、俺は歩き出す。涙混じりの母上の声に少しだけ後ろ髪をひかれた。
最初の目的地は、南の隣国『カールセン商国連邦』の水上都市『トライセン』。王や貴族ではなく商人と冒険者たちが治める金と力が支配する街だ。
――
あとがき
今回の更新で第一部完結です!
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次の更新は明日の18時ごろです!
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