第8話 侍、姉に膝枕される
姉上の季節ごとの休暇は一週間ほどで、ロンダイン家の館に留まるのはその内の三日間のみ。それ以外は母上同伴で領内の巡察がてら、有力な家臣や親戚筋に顔を出さないといけない。
姉上は跡目を継ぐ嫡子ではない。
嫡子ではないがロンダイン家の娘だ。領民も臣下たちも姉上が顔を出すだけで喜ぶし、そこで築かれる縁故や地盤が回りまわってロンダイン侯爵家を支えている。
それを考えると頭が上がらない。
俺は男子ということもあって、また、俺の姿をみだりにさらしたくないという母上の意向もあり、年末年始と葬式以外の親戚付き合いは免除されている。
無論、跡取りである俺に取り入るような輩を近づけたくないという政治的な意図もあるのだろうが、そんな輩とも挨拶は交わさねばならないのが立場のある家というものだ。
それに成績優秀な姉上は王都で様々な貴族の娘に交遊一度、母上と姉上が書斎で二人きりで話している時に盗み聞きしたから間違いない。
その活躍も含めて、俺は姉上に感謝しているし、尊敬もしている。口さがないものは『ロザリンド様は優しすぎる』だの、『猛々しさに欠ける』だの、的外れなことを言っているが、すべて間違いだと断言できる。
戦場で功を立てるだけが家を支える道ではないということだ。さしずめ姉上は我が家の外交官。例えるなら関ケ原の戦いにおいて西軍の編成の裏工作を担当した毛利家の外交僧『
……この例えだと最後は負けてしまうが、ともかく、姉上はロンダイン家にとって欠かせないお人なのは紛れもない事実。
その思いは、姉上が俺に関する詩を発表会に持ち込み、『ロンダイン家の嫡子は稀代の美男子で、太ももが輝いている』というもう不名誉なのかハラスメントなのかよくわからない噂を王都に立ててからもいささかも陰りはない。
……その件に関しては、姉上から正式に謝罪されたし気にしていない。していないったらしていない。
なので、姉上が館にいらっしゃる間は俺はできるかぎり姉上の『お願い』を聞くことにしている。
前世では一人っ子だったこともあってその実感はないが、兄弟姉妹は助け合うものだと理解しているし、武士道の手引書ともいえる『葉隠れ』にもそのようなことが書かれている。だから、姉上の可愛らしいお願いを聞く程度、なんのことはない、ないのだが――、
「姉上。さすがにこれは……その、勘弁してほしいのですが……」
「あら。膝枕くらい、どこの姉弟もしていることでしてよ? さ、早くいらっしゃいな」
姉上の寝室、姉上のベッドの上で、そう言って自らの膝をポンポンと叩く姉上。風呂上がりなせいか、ベージュ色の
どうして、侍であり、なおかつ男子でもある俺が姉とはいえ婦女子である姉上の寝室にいるのか、それには複雑な経緯がある。
姉上が帰郷して六日目の夜。夕餉も入浴も済ませてあとは寝るだけといった頃、寝室に戻る前に俺は姉上に呼び止められた。
風呂上がりの姉上の髪は少し湿っていて銀色が煌めくようで、我が姉ながらとても麗しい。その時は天女のようだと思った。
そんな姉上の側には遊び疲れたのか、お気に入りの兎のぬいぐるみを抱え、眠気眼をこすっているニーナがいた。
なんでも二人はこれから一緒に眠るのだそうで、実に微笑ましい姉妹のふれあいだなと暢気にも思っていた。
姉上が「せっかくだからクロウも一緒に寝ましょう?」と言い出すまでは。
当然、俺は固辞した。固辞したが、押し切られた。泣く子と姉上には勝てない。
葉隠れにはこういう時にどうすればいいのかは書いていなかった。ちくしょう。
まあ、実際には姉、兄、妹の三人で仲良く枕を並べて眠るだけの話だ。一応、気を遣って間にニーナを挟んで俺は隅っこの方で寝るが、姉上が今年で十四歳なこともこの際気にすまい。
が、頼りのニーナはベッドの片側に潜り込むなり五秒で爆睡し、起きる気配は全くない。
結果、一人分のスペースでどうにか二人が寝る方法を考えた姉上は俺に膝枕をすると言い出したのである。
そうして、今に至る。
「もう、クロウ。わたくしの膝が冷めてしまうわ。それに、貴方はわたくしたちと一緒のベッドに寝ると確かに頷きました。一度了承したことを覆すのは、ブシドウ? に反するのではなくて?」
「ぐ、ぐぬぬぬ」
悪戯っぽく笑う姉上。おそらくコーデから聞いたのだろうが、俺が侍であり、武士道を歩んでいることも知っている。
さすがは、姉上とでもいうべきか。外交官はあらゆる情報に通じていなければならない。王都だけではなく領内の諜報も完ぺきらしい。
「騎士ではなく、ブシ。たしかひいお爺様がそう名乗られてらしたとか。その歳で、ご先祖の意志を継ぐなんて立派だわ。わたくしも鼻が高い」
「ど、どうも、ありがとうございます……?」
褒められてしまった。
転生してからはなんやかんやで評価はされているが、前世ではおじいちゃん以外は俺が侍らしくしていても褒めることなんてまずなかったから、なんだかすごく照れ臭くて、頬が熱い。
い、いかん。この程度で感情を乱すなど侍失格だ。侍はちょろいなどと思われては侍全体の沽券にかかわる。
「……やだ、わたくしの弟かわいすぎ。姉弟で結婚できるよう、法を変えてしまおうかしら。まずは組合を作るところから……」
「はい?」
なにやら不穏なワードが聞こえた気がしたが、にやけないように歯を食いしばっていたせいで聞き逃してしまった。
「い、いえ。なんでもありませんわよ。ともかく、クロウ。わたくしの膝に頭を預けるのです。明日には家族と離れ離れになる哀れな姉の頼みを聞いては下さりませんの?」
すでに揺れている俺の心にとどめを刺すように上目遣いでこちらを見る姉上。
それはずるいぞ、姉上。例え嘘でも姉上が涙を流したら俺が悪い気がしてくる。
「……わかりました。わかりましたよ。ただし、すこしだけですよ」
観念して、姉上ににじり寄る。そうして、覚悟を決めて姉上の膝に頭を預けた。
……おお。膝枕なんて初めてだから知らなかったが、温かいものなんだな、これ。しかも、ものすごいピタッと収まってしまって安心する。
それとも、相手が姉上だからこうなのか……?
ちなみに、見上げると視界のほとんどが双子の山に塞がれている。
何とは言わないが大きい。母上もかなり恵まれた体つきをしているが、姉上はまだ十四歳でありながらそれに匹敵するほど成長している。正直、弟としてはこうしてべたべたするのはいろんな意味で気まずいのだが、それを忘れさせるほど姉上の膝は心地よかった。
「どうです? ロザリンドのロンダイン製膝枕は? 下級生たちの間では『ローズお姉さまに膝枕をされていると駄目になる気がします!』って評判なんですのよ?」
「それは……褒められているのでしょうか? 分かる気はしますが」
「あら、嬉しいお言葉。でも、こまったわ。貴方を駄目にしてしまったら、わたくしお母さまに叱られてしまいます」
いたずらっぽく笑いながら、姉上は右手で俺の髪の毛を梳く。きめ細やかで、美しい指が頭に触れるたび、なぜだか眠くなってくる。日だまりが直接触れてきているような、あるいは、縁側で撫でられる猫にになったような、そんな気分だった。
「でも、それもいいかもしれませんわね。貴方、頑張りすぎなんですもの。どんな時でも、鍛錬を休まないんでしょう? 母上とグスタブ殿が心配していらしたわ」
「……いえ、好きでやっていることですから」
確かに姉上の言う通り、俺は雨の日も雪の日も、それこそ嵐が来ようとも武芸の鍛錬は休んだことはない。
必ず毎日、剣を振るい、戦に備えて己を鍛える。侍とは常在戦場、いついかなる時でも戦にのぞめるように備えておかねばならない。
侍とはそういうもので、俺自身前世からそうしてきたし、それを疑ったこともない。
だから、誰かに労われるなんてことがあるとは思っても見なかった。
「そ、それを言うなら姉上でしょう。休暇中でもこうして家中のことに気を配っておられる。頭が下がります」
思わず言葉に詰まってしまうが、そう返す。
武士道とは常在戦場の心得。ゆえに、侍が鍛えるのは当然だが、努力をしているのはなにも侍に限った話じゃない。
「好きなことをしているのは、わたくしもそうよ。この役目を誰かに強いられたことは一度もない。お母さまなんて帰るたびにわたくしに『好きにしていいんだぞ』なんて真剣な顔でおっしゃるから、毎回、困るくらい」
「……母上らしいですね」
「そうでしょう? 貴方が生まれた時だって真っ先にわたくしに抱かせてくださってね? 『心配いらないぞ』なんておっしゃるのよ? でも、あの時に決めたの、わたくしはこの小さな男の子の味方でいようって」
姉上は俺の頭をゆっくりと撫でる。その手つきや言葉に嘘はない。姉上は本心から俺を、この不出来な弟をいつくしんでくれている。
優しい指使いと穏やかな姉上の声、そして、膝枕から伝わる温かさも相まって、眠気を催してしまう。いかん、と気合を入れなおすが、どうにも無駄な抵抗に終わりそうだった。
「だからね、クロウ。貴方も好きなように生きていいの。貴方が戦士として、サムライとして生きたいのならば、その道を貫くことに罪悪感は不要です。例えそれが、わたくしや母上の望む道とは違うとしても」
静かな、だが、意志の強さを感じさせる確かな声で姉上が言った。
その声に、言葉に、俺は改めて、姉上の凄さを思い知る。
ただ情報に通じているだけではなく、彼女は人の心、その仕組みと働きとをよく理解している。事実、姉上は俺が心の奥底に沈めていた苦悩を見事に言い当てている。
後天的に身についたものではなく、生まれ持った才能だろう。しかも、姉上はその才能を王都での生活で磨いている。
ある意味では、姉上はすでに己の才能を最大限に活かせる場所を見つけている。前世の頃の俺であれば、心の底から姉上を羨んでいた。
だが、今はそんな女傑が我が姉であってくれることに感謝したい。
確かに俺は悩んでいた。
世間や他人にどう思われようとかまわないが、俺が侍として生きることで母上や姉上、ロンダイン家に迷惑がかるのであればそれは心苦しい。
その心苦しさで俺が道を変えることはないが、それでも、罪悪感はぬぐえない。ならば、罪悪感という重荷を一生背負って生きていく。そう覚悟を決めていたのだが、まさか姉上にそのことを見抜かれ、なおかつ許されてしまうとは……、
本当に面目ない。この恩は必ず返さねば、侍の名がすたるというものだ。
「これだけは覚えておいて。もし、貴方が違う道を選ぶとしても。もし、駄目になったとしても。もし、不幸なめぐりあわせで争うことになったとしても。わたくしは貴方の味方、いつまでも貴方は、わたくしの大事なクロウよ」
言葉の節々、声の一音節から姉上の深く、重い愛情が伝わってくる。
この重たさが正しいかどうかは分からない。俺が知る数少ないこの世界の愛の手本は『若妻物語』では強い愛情は時に困難を招くと記した。
「はい、姉上」
だが、俺は侍だ。
徳川家康はかつて言った、『人生とは重き荷を負うて長き道を行くようなものだ』と。その言葉にならうのならば、今更荷が一つ増えたところで何のことやあらん。侍として受け止めてみせようとも。
俺の答えを聞き、姉上は満足そうな声で「よろしい」と頷き、それから、こう付け加えた。
「代わりと言っては何だけど、もう少しの間はわたくしの可愛いクロウでいてね? たくましい殿方も嫌いではありませんけど、可愛い時期は今しかないんですから」
「…………まあ、考えておきましょう」
くすくすと笑う姉上。それから彼女は美しい声で、歌を口ずさみ始めた。
……どこか聞き覚えのある歌。
それが遠い昔、俺や姉上、ニーナを寝かしつけるために父上が歌っていた子守歌だと思い出したのは、翌朝、姉上とニーナに抱きしめられた状態で目覚めた後だった。
――
あとがき
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