第9話 侍、ツンデレ従姉と出会う
俺に膝枕をした翌朝、姉上は晴れやかな顔でロンダイン家の館を出立した。
姉上の馬車の荷台に積まれているのはロンダイン領の特産品である武具と織物。こうした品を王都で宣伝することもまた姉上の役目だった。
「では、クロウ! ニーナ! コーデ! お母さま! いってまいりますわー!」
馬車から身を乗り出して、そう手を振る姉上。生き生きとしたその表情に家族一同安堵しながら、彼女を送り出した。
……姉上はやはり傑物だ。どんな時でも己の役割を怠らない。
そんな姉上を見習い、あの夜かけていただいた言葉を胸に俺は再び修練の日々に戻った。
姉上のおかげで若干マンネリ感の漂い始めた修練にも再び身が入った。
日々剣戟の鋭さはまし、体は少しずつ大きくなっていく。指導役であるグスタブからも目覚ましい成長だと評されたが、俺としてはまだまだ。なまくらのロングソードでも鋼鉄の鎧を両断できるくらいにならねば及第点にも届かない。
さて、そんな修練の日々が続き、再び事件が起きたのはその年の十一の月の最後の週の二日目、貴族も民も冬ごもりをしているころだった。
その日、俺は母上に連れられて、ロンダイン家の館のある領都から離れて、隣のオリディア伯爵領との境界線付近にある『
随行しているのは、グスタブと俺の従者であるクリス。ほかには護衛の騎士たちも少数だが同行している。
母上の侍女であるコーデは館に残っている。雑務の処理と自分も同行したいとごねるニーナをあやすためだ。ニーナには悪いが、まだ幼い彼女をここに連れてくるわけにはいかない。
なにせ、この牧場で育てられているのは牛や豚ではなく、馬。それも農耕馬ではなく軍用馬。騎士や貴族が騎乗するための馬がこの牧場では飼育されている。
だから、当然、この場所には馬を見るために来た。来年の十二歳の祝いに先駆けて馬を選んでおくようにと母上が諸用ついでに連れてきてくれたのだ。
これには俺も心が沸き立った。
なにせ、騎馬と侍は切っても切れない関係にある。古い呼び方では武士道を弓馬の道とも呼ぶくらいだ。それほどまでに侍と馬の関わり合いは深く、強い。象徴の一つである太刀に深い反りがあるのは馬上で鞘から抜きやすくするための工夫でもあるくらいだ。
また馬に乗る騎馬武者と
俺も侯爵家を継ぐ身だ。戦場において馬上にないのでは格好がつかない。
「――さ、どうだ。これがロンデの牧場だ。なかなかのものだろう?」
明るい正午の太陽と涼やかな風の下、母上が言った。
目の前にあるのは地平線まで広がる平原。端の方には申し訳程度に柵が設けてあり、その中では様々な毛色の馬が思いに思いに自然を謳歌していた。
……日本の在来馬に比べると体高は1.5倍ほどか。だが、雰囲気や顔つきははどこか木曽馬にも似ている。
つまり、少しずんぐりむっくりしていて愛らしいということだ。
ちなみに、木曽馬に似ているということは重い荷物を載せて長距離を移動できるということだ。また、木曽馬は戦場においては甲冑を着た武者を乗せてよく走る勇敢な馬でもある。
よくサラブレットと比べて小さいとかちんちくりんとか心ないことを言われる木曽馬だが、そもそも向き不向きがある。例えば、サラブレットに荷を運ばせたり、農耕をさせればすぐにつぶれてしまうだろう。
まあ、見栄えの問題もあって大河ドラマや歴史映画ではもっぱらサラブレットが撮影に使われるんだが、俺は侍として、その営みを支えてくれた在来馬たちを推していきたい。
その点、この世界の馬は実用性と見栄えを兼ね備えている。実に気に入った。特に青鹿毛、つまり、光沢のある黒に褐色の鼻をした馬など実にいい。名馬の風格がある。
「若様、馬です! お馬さんです! すごい!」
「そうだな。実によい」
隣で子供らしく飛び跳ねているクリス。
あの出会い以降、俺はクリスにすっかり懐かれてしまっていて、何をするにもついてくるようになっている。いわゆる竹馬の友とも言うべき関係だが、こんなにはしゃいだ姿を見るのは初めてだった。
俺もテンションが上がったか上がってないかで言えば上がっているが、クリスほどじゃない。
「そういえば、クリス。お前は馬を選ばないのか?」
「え? わたし、ですか? い、いえ、わたしは従者ですから……」
「従者の騎乗を禁じる法はなかったと思うが……」
俺がそう指摘すると、クリスはどこか恥ずかしそうに視線を下げる。それから小さな声でこう続けた。
「う、馬に乗っていてはいざという時に若様の盾になれぬやもしれません。なので、あくまで
「だめではないが……」
上目遣いでそんなことを聞いてくるクリス。う、愛らしい。こいつは完全に自分の容姿に無自覚だから、こういう時にその、困る。
前世ではむさいやつやうるさいやつは友人にいたが、こういうタイプは近くにいなかった。
それともこの世界だと男子が少ないから同性でもこのくらいの距離感が普通なのか?
だとしたら面倒だな。クリスはまだ見た目が可憐だから許容できるが、むさいのにこういう態度をされたら手が出かねない。
それは置いておくとしても、騎馬は戦場の花ではあるが、それだけでは軍は成り立たない。騎兵の弱点である側面を守るためには歩兵隊が必要になる。将来的にはその指揮統制をクリスに任せるのもありかもしれない。
まあ、だとしても、将たるもの馬が不要ということはありえない。
「なんもせよ、戦場での移動には馬が不可欠だ。お前も考えておけ」
「……はい。で、でも、も、もしもの時は、全力で走って若様をお守りします! この両脚が千切れたとしても……!」
「お、おう。気持ちはありがたいが、そういう時は俺と相乗りすればいいんじゃないか?」
俺の提案に少し悩んでから、満面の笑みを浮かべて何度も頷くクリス。
それにしても相変わらず忠誠心が重い。最初はこの世界の騎士はこれくらいが普通なのかとも思ったが、まったく違う。
この世界の騎士道も忠誠や名誉を説いてはいるが、基本的には世俗の道徳観念を守ることに重きを置いている。主に対して別の意味でこれほど重い忠誠心を抱いているクリスが特別なのだ。
「相乗り……えへへ、若様の匂い……」
……ついでに、妙なことを口走っているが、努めて聞かなかったことにする。
我ながら情けない話だが、この世界ではこういう妙な反応をされるのは年貢と同じだ。慣れて、耐えるしかない。使用人たちや領民に限った話じゃなく、身内であるコーデや姉上も俺に対しては時々こんな感じだ。
どうしてこうこの世界の女は……って待てよ、クリスは女子じゃなくて男子のはずじゃ――、
「若様、若様はどんな馬を選ばれるのです? わたしはやはり若様には白馬がお似合いかと思うのですが――」
「あ、ああ。そうだな」
そんなことを言われて、ようやくここに来た目的を思い出す。
クリスの言う通り見栄えも大事だが、侍としてはやはりそれ以上に馬の中身を重視する。
例えば、馬の性格だ。
武士の騎馬に限って言えば、名馬と言われる馬は気性が荒いことが多い。
例えば戦国最強の武田騎馬隊を率いたかの『武田信玄』の乗騎、『
これには二つの理由があると、俺は考えている。
一つ目は実際的な理由だ。矢玉を飛び交う戦場を駆けるには臆病な馬ではどうにもならない。主人を振り落とし、噛みつくぐらいの馬でなければ槍衾に突撃するようなことはできないし、背後からの攻撃をかわしながら主人を無事に逃がすことなどできない。
二つ目は箔付けのためだ。
誰にも乗りこなせない気性の荒い馬を乗りこなす。それはその人物の天才性、君主としての器を暗に証明するもので、そんな逸話が広まることで神格化にも繋がるというわけだ。
もっとも、どんな噂があっても、そこに実が伴わなければ歴史に名を遺すような偉業をなせるはずもないが。
ともかく、そういうわけで俺が気性の荒い馬を選ぶと決めている。決めているのだが、どうにも、少し離れた場所にいる青鹿毛の馬が気になる。
しかし、あの馬は草を食むばかりで、ほかの馬に喧嘩を売るような様子も見せない。というか、物静かな佇まいからは俺の求める荒々しい気配は感じられなかった。
あ、目が合った。こっちに近づいてくる。
「あ! 若様! あの子、あの子なんてどうでしょう? 近づいてきますよ!」
クリスがその馬を見つけて指さす。馬はそんな騒がしい子供に我関せず歩み寄ってくる。
馬が頭を下げたことで柵越しに目が合う。大きな瞳の奥には確かに知性の輝きがある。だが、態度の穏やかさとは対称的にそこには挑戦的な色も見て取れた。
「キャッ!?」
かと思えば、馬が大きく鼻息を鳴らしてクリスが女の子のような悲鳴を上げる。美少年な見た目といい妙に可愛らしいが、主君としてはしっかりしてほしいものだ。
一方で、俺が一切動じずにいると馬はつまらなそうな表情をした、ように見えた。
……こいつ、俺を品定めしているのか?
どうやら穏やかなのは雰囲気だけで、性格はかなりのひねくれもののようだ。
上等だ。俺がこの程度で怯むと思ったら大間違いだぞ。
「クリス、俺の後ろにいろ」
「は、はい。すいません……」
クリスを背にして、一歩前に出る。馬の顔と正面から向かい合い、こちらも負けじと気勢を張った。
動物とは目を合わせるな、というがそれは一般人においての話だ。侍たるもの、売れた
そうして、しばらくにらみ合っていると馬が動揺したらしく後ろ脚で地団太を踏む。その音で、クリスが背中に縋りついてくるが、俺には効かない。蹄の音程度、子守歌のようなものだ。
さらに俺が一歩前に詰めると、馬の方から視線を逸らし、恭しく
「ふ、勝ったな」
動物界において自ら視線を逸らす行為は負けを認めるという意味があると聞く。
つまり、俺は売られた喧嘩に勝利した。清々しい気分だ。勝ち戦は素晴らしい。今夜は宴だな。
しかし、馬よ。お前もよく戦った。俺の視線に耐えた根性と度胸は評価に値する。
ここにいる馬の中では一番見どころがある。
「――あのブルーケが引き下がるとは、驚きました」
そんなことを考えていると、背後から声が響く。振り向かずとも分かる。
この牧場を管理しているガストン卿だ。ふくよかな体をした女騎士で、古くから侯爵家に仕えている
「ブルーケ? この馬の名前か?」
「はい、若様。若い馬でよく走り、物おじもせぬのですが……少々、気性に難がありまして。こう、人喰ったようなところがあるのです。しかし、若様に対しては負けを認めたようで……さすがは若様、侯爵家の
ガストン卿が答える。しかし、言葉とは裏腹に眉間にしわを寄せて、どうにも困り果てたという顔をしていた。
ってなんだ、美男騎士って。いつのまにそんな頭の痛くなる二つ名が広まったんだ。
「なんだ、クロウ。もうよい馬を見つけたのか。どれ、どの馬だ。この母が目利きをしてやろう。なに、安心せよ、この母はな、馬を見る目と男を見る目も一流なのだぞ」
今度は離れたところでグスタブと話していた母上がこっちに近づいてくる。
「はい、母上。実は一頭気に入った馬が――」
「―― お待ちになってください! ご当主様!」
突然、牧場に少女の声が響いた。
そちらの方に視線を向けると、そこにはやはり少女が立っていた。
深みのある黒髪に、整った顔立ち。青い乗馬用のズボンを履いて、白いシャツを着ている。どこか
しかし、そんなことはどうでもいい。こいつ、俺の馬選びを邪魔するとはいい度胸だ。喧嘩を売ってるなら、買うぞ、侍としてな……!
――この時出会った少女、我が従姉たるシャルロッテがのち俺の運命に大きな影響を与えるのだが、この時の俺にはそれを知る由はなかった。
――
あとがき
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