第10話 侍、従姉に器を見せる

 秋の牧場、放牧地の柵の前で青みがかった黒髪の少女が俺達に向けてこう叫んだ。


「―― お待ちになってください! ご当主様!」


 その場にいる全員だけでなく草を食んでいた馬までもが、少女に目を向ける。彼女はそんな視線を堂々とした態度で受け止め、こちらに向かって歩いてくる。


 馬選びの邪魔をされた時は喧嘩を売られたかと思ったが、なるほど、度胸だけはなかなかのものだ。

 少女の年恰好は十代前半。顔立ちは整っているが、まだ幼いという印象が勝る。俺やクリスよりも二歳か、三歳ほど年上だろう。


 背丈は……ちくしょうめ、俺より頭一つ分高い。子供のころは女子の方が成長が早い分、背が高いということはよくあるが、屈辱的だ。早く来い、成長期。


 ……しかし、母上を『ご当主』と呼んだということは侯爵家の家臣か? 

 わからない。大人の家臣との面識はあるが、同年代の子供との交友は少ない。


 ロンダイン家は、跡取りの男子は俺一人。それに対して、有力家臣の子供は娘ばかり。もし、俺が特定の娘と仲良くなって、その娘が許嫁にでもなればその親は家臣団内で確固たる地位を得ることになる。


 それは良くない。

 だから、家臣間での不和やいさかいを避けるためにも、俺は侯爵家の家臣たちの娘と会ったことがなく、目の前の少女にもまったく見覚えがなかった。


「クリス、知った顔か?」


「い、いえ、存じ上げません……でも、あの黒い髪は……」


 一応、クリスに確認していると、少女はずんずんと距離を詰めてくる。

 瞳の色は蒼。俺や母上と同じだ。ということは、ふむ、そういうことなのか……?


「おお、誰かと思えば、シャルロッテではないか! 何年ぶりだ!」


 母上が少女の名を呼んだ。

 すると、少女はその場でピタリと立ち止まり、お辞儀をした。


 さすがは貴族の子女。教育が行き届いている。


「三年ぶりですわ、ご当主様。王都の騎士学校から昨日さくじつ戻りました」


「そうかそうか。無事卒業できたと手紙を受け取ったところだ。こんなところで会うとは、まさに巡り合わせというやつだな」


 警戒している俺たちをしり目に、母上は少女と握手を交わす。口ぶりからして、概ねの事情が察せられる。


 騎士学校というのは姉上の通う花嫁学校に並ぶ名門の学院で、名前の通り騎士を目指すものたちを養育する教育機関だ。確か母上もその学校の卒業生だが、俺にはその話をしたがらない。おそらく俺が行きたいと言い出して自分のもとを去るのを警戒しているのだろう。困った母上だ。


「クロウ! よろこべ! この子は我が妹エリーザの娘で、お前の従姉いとこだ!」


「シャルロッテ・ヴェル・カーセルと申します。若様、お会いできる日を楽しみにしておりました」


 少女、シャルロッテが名乗る。

 カーセル家はロンダイン家の一門衆、つまり、親戚筋の家臣だ。母上の妹、つまり、俺の叔母がそこには嫁いでおり、必然的に目の前の少女は俺の従姉ということになる。


 そういえば母上からは今はまだ会わせられないが、俺には従姉がいる、という話を何度か聞かされていた。

 それに母上の妹であるエリーザ殿、叔母上とは何度か顔を合わせている。母上と同じ黒髪で、母上より穏やかかつふくよかな顔つきをしていた。


「クロウだ。こっちは俺の従者のクリス。よろしく頼む」


「はい。クロウ殿とお呼びしても?」


 おどおどと頭を下げるクリスを一瞥してから、シャルロッテは俺の方に一歩ほど間合いを詰めてくる。

 いわゆる一足一刀の間合いだ。互いに剣を抜けば相手を切り殺せる。


 ……この足取り、貼り付けたような微笑み。どうやら最初に感じた挑戦的な気配は俺の気のせいではなかったらしい。

 理由は不明だが、シャルロッテは俺に対抗意識を持っているようだ。


「構わん。俺は君のことはシャルロッテと呼ばせてもらうが、構わないか?」


「はい、クロウ殿。お噂はお姉君、いえ、ローズからかねがね伺っております」


 姉上と親しいことをアピールして俺の動揺を狙おうというのだろうが、無駄なことだ。侍は動じない。


 だが、解せない。

 主君の子を相手にここまで対抗意識を燃やす理由が思い当たらない。ただの負けず嫌いにしては、どうにも、違う感じがする。


「ん? どうかしたか、二人とも」


 母上が暢気にそう尋ねてくる。俺とシャルロッテは計ったように「なんでもない」とほとんど同時に答えた。


 シャルロッテがどういう理由で俺に対抗意識を燃やしているのかは知らないが、母上に出張られては勝負にならない。売られた喧嘩の決着はあくまで俺の手で着けたい。


「だが、シャルロッテよ。ここで何をしておるのだ? 私に会いに来たのか?」


「いえ、ご当主様。ここへは馬を選びに来たのです」


「馬を……おお、そうかそうか! エリーザもとうとう折れたか!」


「はい。先日ようやく騎士への叙任を許されました。戦場に出るのはまだ先ですが、備えとして馬を選びにまいったのです」


 シャルロッテの話を聞いていて、この世界の特有の事情を思い出した。


 この世界においては、男子の出生率は女子の百分の一。それゆえ、女性であっても家を継ぐ権利を持ち、当主となることができる。できるのだが、そのためには騎士として誓いを立てて、王家から叙勲を受ける必要がある。


 しかも、そうした上で、成人した後で騎士として王家と王国のために数年間の兵役をこなさなければ相続権を認めてもらえない。それゆえの騎士叙任だ。騎士卿という貴族としては最下位の位階に自ら降りることで忠誠を示すのだ。

 国境を守る『白璧はくへき騎士団』に入団させられるか、あるいは国内における諸問題の調停を担う『蒼旗そうき騎士団』に配属されるかは運しだいだが、どちらも聞き及ぶ限り、形ばかりで時間を空費させられるだけだ。

 

 江戸時代における参勤交代と同じようなものだ。臣下に時間と金を空費させることで反乱を抑止するという目的がそこには含まれている。

 

 一方で、男子が当主となる場合や他家に嫁ぐ、婿を取る場合はこのような制約はない。こういった点においても、この世界において男子は優遇されていると言ってもよい。


 シャルロッテの母が騎士への叙任に反対したというのもこの制度ゆえだ。貴族の娘にとって十代後半の数年間は大事だ。婿を取るにしても、嫁入りするにしても、大抵の場合は十八歳までに方針が決まる。その大事な時期を兵役で使ってしまうのを厭うのは、叔母上なりの親心なのだろう。


 ……なるほど。そうか。

 シャルロッテは俺に対して嫉妬から怒りを覚えているのだ。

 男でありながら自由に、当たり前のように武人として振舞っている俺と自由には動けず、馬を買うにさえ許可のいる己。その二つを比べて、俺と競わずにはいられないのだろう。


 姉上とも親しい故の義憤もある。

 姉上自身が気にしておられないでも、俺が生まれたことで姉上がロンダインの嫡子でなくなったことは事実。親しい友人としては腹を立ててやるのも友情だ。


 理解はできる。いや、むしろ納得。子供の嫉妬だと思えばいっそ可愛らしく、義憤と考えれば好感さえも持てる。姉上はいい友人を持った。


「――そして、先日、あの馬を見初めました。あの、青鹿毛あおかげの馬です」


「そうだったのか。それゆえ、そなたは待てと言ったのか」


 シャルロッテが指さしているのは、確かに件の馬だ。自分がこれと決めていた馬に俺が興味を示していたから、乱入したというのが彼女の主張だ。

 母上はそれを聞いて眼帯を撫でる。考え事をするときの母上の癖だ。ガストン卿は「先に申し上げておくべきでした」と頭を下げていた。


 まあ、道理は通っているか。

 この世界においても、物の所有権は基本的には早い者勝ちだ。


 といっても、シャルロッテは臣下であり、俺は主君の子。譲れと命じればそれで解決する話ではあるのだが……そのやり方は好かん。武士道は君臣関係を尊重するが、身分が上だからと強権的に振舞っていいとは説いていない。


 それに母上は子煩悩だが、オレに馬を譲るように命じることはしない。子供に対して駄々甘なところはあるが、領主としては公平かつ公正な人だ。


「うーむ、クロウよ。残念だが、その馬は――」


「申されるまでもありません、母上。そういうことであれば、今回は身を引きましょう」


 俺がそう答えると、母上にシャルロッテ、クリスまでもが意外そうな顔をする。クリスに至っては信じられないものを目にしたと顔に書いてあった。


 失礼な。俺は侍だぞ。

 諦めを知らず、退くことを良しとしないが、同じくらい道理を重んじてもいる。筋の通らない真似をするくらいなら今一度腹を切る。


 それに、ここで引きさがることで得られるものが一つある。

 

「……ありがとうございます、クロウ殿」


 困惑に、驚き、葛藤。その三段階を経て、シャルロッテは俺に対して礼を述べる。馬のことで俺に喧嘩を売って言い負かしてやろうとでも思っていたのだろうが、当てが外れたのだ。


 ふ、意趣返しだ。

 喧嘩の買い方は何も一つではない。謙遜さを弱さと解釈するような下種には通じない手だが、やる気満々の相手にこちらの器を示してやることは実際に攻撃する以上の効果を発揮する。


 これで決着はついた。感服して改めて臣下として忠誠を誓うのならそれでよし。まだ挑んでくるようならば今度は武威をもって示すまでだ。


「では、失礼して」


 やはり感情を飲み下す理性を持ち合わせていたシャルロッテは礼儀正しく頭を下げて、青鹿毛の馬『ブルーノ』に近づいていく。慌てて付いて行ったドノバン卿から鞍を受け取ると、手ずから馬に装着する。

 そのまま彼女はドノバン卿の手も借りずに、さっそうと馬に跨り、手綱を握った。


「――っ!」


 その瞬間、俺は走り出していた。

 侍として姉の友人、そして、未来の臣下の危機を見過ごすわけにはいかない。


 鞍にまたがったシャルロッテの重心が安定していない。不安と恐怖が両脚と手綱から馬に伝わっているのが分かった。


 前世で一度だけ人が馬から落ちるのを見たことがある。その時と同じだ。シャルロッテの恐怖心が馬の心を乱している。


 ブルーノが上体を持ち上げ、大きくいななく。シャルロッテの体が傾いて、かじかんだ両の手が手綱を掴み損ねた。


「きゃっ!?」


 そうして馬から落ちたシャルロッテの身体を俺はすんでのところで抱き留める。相手は十二歳の少女だ。今の俺の腕力でも十分に受け止められた。

 危ないところだった。あのまま落ちていたら、後ろ頭をぶつけていたかもしれない。


「――大事ないか?」


 ちょうどお姫様抱っこのような形になったまま、シャルロッテにそう尋ねる。

 彼女は一瞬何が起こったかわからないという顔をした後、羞恥からか、耳まで真っ赤にしながら消え入るような声で「はい」とだけ答えた。


 そのまま降ろそうとするが、シャルロッテは縋るような強さで俺にしがみついてくる。


「も、もう少し待って……!」


「わかった。まずは深呼吸だ。俺に合わせるんだ」


「え、ええ、わかった」


 意外にも素直に従うシャルロッテ。

 どうやら先ほどの落馬がかなり堪えたらしい。こんなところは年相応の少女なのだなと思うと、途端に俺の腕の中にいる少女が可愛らしく見えた。


「すこし、落ち着いたか?」


「………はい」


「降ろすぞ。足腰はもう大丈夫か?」


「は、はい。お手数をおかけします」


 シャルロッテを地面に降ろすが、一瞬ふらついて俺の方に寄り掛かってくる。慌てて受け止めるが、正面から向き合ったせいで、シャルロッテが俺に抱き着くような形になってしまった。


 しかも、シャルロッテのほうが背が高いせいで、俺の顔面が彼女の胸に覆われた。

 柔らかな感触が顔全体に当たる。なんというかでかいな。この世界の女性は総じて大きいが、シャルロッテはその中でも特別かもしれない。

 

 胸以外の肉体も肉付きがいいだけでなく、鍛えられているだけあって適度な硬さがあり、実に抱き心地が――いや、煩悩滅すべし!


「す、すまん!」


 慌てて押しのけようとするが、それはそれで今のシャルロッテではしりもちをついてしまうだろうから、冷静に離れて肩を貸すことにする。


 ……今のは事故だ。

 俺にやましい気持ちはない、断じて。それを証明するように、シャルロッテも怒ってはいない。だから、武士道にも反していない。そう自分に言い聞かせた。


「二人とも、無事か!?」


「はい。大事ありませぬ母上」


 追いついてきた母上に、そう答える。背後にはグスタブとクリスの姿も見えた。

 相当な速度で走ってきたのに、息一つ切らしていない。さすが母上だ。


「ご迷惑をおかけしました、ご当主様、クロウ様」


「う、うむ。乗馬の際は注意を払わねばならんぞ。頭をぶつけては大ごとだ」


 シャルロッテの謝罪に母上がいつもの調子で応じる。母上らしい素朴なお言葉だ。

 

「も、申し訳ありません……! きちんと介添えも務められず……!」


「ドノバン卿。貴方のせいではありません。これは、わたしの責任です」


 臣下として、この牧場の管理人として謝罪を述べるドノバン卿だが、それを遮ってシャルロッテが前に出る。彼女なりにドノバン卿に咎が及ばぬように慮っての行動だ。


「ドノバン卿に介添えは不要と申し上げたのはわたしです。その、わたしならば乗りこなせるとそう慢心しておりました。ですが、実を申しますと、わたし……」


 急に口ごもるシャルロッテ。彼女は一度瞼を閉じ、腹を切る侍のような悲痛な表情でこう言った。


「実は、わたし、馬に乗るのは今日が初めてなのです。なので、その、勝手がわからなくて…………」


 なるほど。

 意外なようではあるが、納得でもある。最初にブルーノの鞍に跨ったシャルロッテの姿には不安と恐怖が滲んでいた。馬の高さに足が竦んだのだと思っていたが、それも初めてのこととなれば恐ろしくて当然だ。


 初めての乗馬ならばもう少し周りを頼ればいいものを。見栄っ張り、いや、意固地と言うべきか。

 しかし、他に累を及ぼさないために己の恥を告白する姿勢やよし。

 武士道にも適う行いだ。


「そういえば、クロウ。素晴らしい判断だったぞ。さすがは我が息子だ。だが、お前、なぜシャルロッテが落ちると分かった?」


「勘です。なんとなくそんな予感がしました」


 俺の誤魔化しにも母上は上機嫌に笑って頭をガシガシと撫でてくる。母上特有の愛情表現だが、子供としては逆らえない。


「この調子なら今日中に馬を乗りこなせそうだな! さすが、我が息子! えらいぞ!」


 さらにエスカレートしてそう褒めたたえてくれる母上。


 さて、俺が馬に乗れるかどうかだが、当然、乗れる。前世でも馬術はおじいちゃんに習ったし、転生してからもグスタブから馬の扱いは教示されている。


 だが、どうしたものか。

 ここで俺が馬術を披露するのは簡単だ。障害物競走も突撃も馬上戦も十全にこなしてみせる自信がある。


 しかし、今、己の技量を見せびらかすことはシャルロッテに恥をかかせることになり余計な諍いを生みかねない。


「――母上。せっかくの機会です。シャルロッテと親交を深めたいのですが、よいでしょうか? その、俺も馬の扱いにはまだ自信がありませんので」


「そうなのか? まあ、従姉同士だ。ここでよしみを通じておくのも悪くはなかろう」


 俺の提案に母上は少し考えてから頷いた。

 政治的な均衡は大事だが、母上は親族間での友好も大事にされている。婚姻関係にならずとも俺とシャルロッテが親しくなっておけば代替わりした後の統治もやりやすいだろうという親心もあるだろう。


「では、ドノバン。今度こそ頼むぞ。私とグスタブは所用を片付けてくるゆえな」


「は、はい! お任せを!」


 そうして先ほどの一件を気にしてか気合に溢れすぎているドノバン卿と俺達、つまり、俺、クリス、シャルロッテの三人が残された。

 母上たちとしては、子供の同士のほうが気安かろうという気遣いでもあるのだろう。


 その後は、重たい空気のまま、ドノバン卿による乗馬初心者講座が始まった。

 馬へのまたがり方に始まり、手綱の握り方や乗った後の姿勢。さすが牧場の管理を任されているだけあって、どれも有意義な講義ではあった。

 

 俺としても学ぶことはあったが、まあ、前世の時点で骨身に刻んでいることではあるので退屈ではあった。実技の方もドノバン卿が穏やかな馬を連れて来てくれたこともあって、容易く手綱を握れた。

 グスタブから鍛えられているクリスもそれは同じで、実技での訓練に移っても問題なく馬を制御していた。


 問題はシャルロッテだ。それはもう目を覆いたくなるほどの無残な有様だった。


「シャ、シャルロッテ様、今日はこのくらいに――」


「いえ、まだやれます。お願いします、ドノバン卿」


 言葉は勇ましく態度も堂々としているが、膝の震えを隠しきれていない。馬に乗る前からこの有様では今回も結果は見えている。

 

 最初のブルーノへの騎乗と落馬、その恐怖が心身に刻まれたせいだ。

 どれだけ意識を強く持っても、トラウマというものはそれ以上に強固だ。似たような状況に出くわせば自然と体が竦んでしまう。


「――っきゃあ!?」

 

 案の定、シャルロッテが落馬しそうになり、ドノバン卿が慌てて支えた。

 ふーむ、あの調子では日暮れまで続けたところで上達はすまい。ドノバン卿も手詰まりのようだし、そろそろ、助け舟を出すか。


 ドノバン卿は優秀だが、その優秀さゆえにシャルロッテがなぜ馬を恐れているのか理解できていない。

 人は自分が当たり前にできていることには疑問を持たない。それゆえ、問題が技術ではなく感情だと気づけていないのだ。


「――諦めればいいのに」


 クリスがそんなことを呟いたのはその時だった。

 

 クリスにしては珍しい恨み言のような一言に、俺は驚きつつも、彼に視線を向ける。

 すると、クリスはどこか気まずそうに、拗ねたように俯いた。


 男の嫉妬は見苦しい、と言いたいところだが、クリスの場合は中性的な外見も相まってどうにも憎めないところがある。

 俺に衆道そっちはないはずなんだが、まあ、子供の嫉妬だ。可愛らしく見えるものだろうと結論付ける。


 けれど、放置はできない。嫉妬心による不和が蟻の一穴となった例は枚挙に暇がない。

 日本においては、お家のために働きながら讒言によって殺された関東の名将『太田道灌おおたどうかん』がいい例だろう。彼が最期に叫んだ『当方滅亡!』という言葉には長い間主君に仕えるも、嫉妬といわれのない中傷、讒言ざんげんによって死なねばならないことに対する無念さが現れている……、


 と、太田道灌の最期に思いを馳せている場合じゃない。


「クリスよ。そういうことはあまり口に出すものではない。妬くなとは言わんが、それをあらわにするのは侍の道に反する」


「……わたしは騎士ですけど」


「騎士であってもそれは変わるまい。清濁併せ呑め。暗い感情も薪として燃やし、研鑽に励むのならそれも善しだ」


 侍としての心得を告げて、クリスの頭をくしゃくしゃと撫でる。すると、少しだけ機嫌を直したようで、視線を上げた。


 俺とクリスの関係性はあくまで主と従者だが、心情としては竹馬の友であり、年の離れた弟のようなものだ。

 なので、主としては時に厳しく振舞わなければいけないのだが、こう、どうしても甘くなってしまう。前世では兄弟いなかったしな、俺。

 

「ともかく、誰が俺の臣下になろうとも、俺の従者はお前だ。それとも、お前は俺が前言を翻すような不義理な男に見えているのか?」


「ち、違います! そのようなことは決して……!」


「ならばいいではないか。それに、結果が出ていないとしても、努力し研鑽を積むことには価値がある。嘲笑うことは許さん。そのことはわかるな?」


「……はい。若様の恥となるようなことはこのクリス、絶対にいたしません」


 俺の言葉に納得して、クリスが頷く。幼い彼なりに自分の嫉妬心に折り合いが付けられたのだろう。こちらを見る瞳に陰はなかった。

 

「であれば、ついてこい。シャルロッテを助けてやるぞ」


「は、はい!」


 そうして二人で、困り果てているドノバン卿とシャルロッテに近づく。

 そのことに気付くと、シャルロッテは悔しそうに視線を逸らす。無様なところを見られたと思っているのだ。


 事実、無様ではある。だが、それがなんだ。簡単には諦めない彼女の姿勢は武士道に適っている。


「ドノバン卿。少しいいだろうか」


「お、おお、若様。もう休憩は良いのですか?」


「ああ。少し見ていて気付いたことがあるのだが……」


 そう口火を切ると、ドノバン卿が目を輝かせる。他人の領分に口を出すのは好みではないが、現状手詰まりだ。今は子供の言葉でも歓迎なのだろう。


「シャルロッテにはどうにも言葉より、体で覚えたほうががよいように思える。どうだろう、相乗りして感覚を伝えるというのは」


「ほう! それは妙案かもしれませんな!」


 俺の提案に、ドノバン卿が膝を打つ。この数時間でドノバン卿が試していない方法と言えば、これくらいのものだ。


 実際、俺が前世で乗馬を習った時も最初はおじいちゃんと相乗りだった。

 俺が前に座り、おじいちゃんが後ろから手綱をとって馬を操る時の感覚や感情の置き所、馬との付き合い方も全て教えてくれた。


 今の俺と同じ十一歳の頃だ。いや、懐かしい。その時の馬の名前は確か『疾風丸はやてまる』と言って――、


「では、若様。シャルロッテ様の前にお座りください。シャルロッテ様は若様の後ろに――」


 ――はい?


 なぜだか知らないが、ドノバン卿ではなく俺が相乗りすることになっている。

 ……機嫌を直していたクリスが凄い目でドノバン卿とシャルロッテをにらんでいる。


 どうしてくれるんだ、ドノバン卿。えらいことになったぞ。



――

あとがき

次の更新は明日の18時ごろです!

 

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