第11話 侍、求婚される
乗馬にトラウマを覚えてしまったシャルロッテのために、俺はドノバン卿とシャルロッテが相乗りすることを提案した、はずだった。
だというのに、なぜか俺とシャルロッテが相乗りすることになっていた。
現に俺は牧場の端で栗毛の馬の上にシャルロッテと騎乗している。
俺が前でシャルロッテが後ろだ。シャルロッテの方が身長が高いから、こうするしかないのは理解できるが、なぜこうなったのかの理由の方は未だ納得がいっていない。
「申し訳ありません、若様。ですが、私はただの騎士卿、その上、家臣の身です。そんな私が、主筋のシャルロッテ様と相乗りというのはいささか、いえ、かなりの問題があるのです……」
俺が視線を向けると、ドノバン卿がそう答える。
言わんとするところは、理解できる。
この世界においても身分ははっきりと区別されている。主君から指導役に命じられたわけでもないのに相乗りするのは君臣の道としてできないとドノバン卿は言っているのだ。
……ドノバン卿の忠誠心を甘く見ていた。俺の失態であり、ドノバン卿への無礼だ。腹を切りたいくらいだが、それをするとドノバン卿に類が及んでしまう。
ならば、別のことで償うとしよう。シャルロッテのトラウマをきちんと払拭できれば謝罪の代わりにもなる。
……クリスの視線は刺すようだが、許せ。主には主でやるべきことがあるのだ。
「シャルロッテ、大丈夫か?」
「は、はい、もも、問題ありませんん」
そして、肝心のシャルロッテだが、俺に教わることよりも、この先も馬に乗れない騎士であることの方を恥と考えて、相乗り案を呑んだ。呑んだはいいが、このありさまだ。
密着した背中から震えが伝わってくる。まるで生まれたての仔馬だ。ここまでガチガチで恐怖心で一杯だと同情心を通り越して、憐れみさえ覚える。
背面に当たる柔らかな感触もここまで相手が怯えていると気にしてもいられない。
前世での友人が言っていたが、トラウマは精神力でどうこうできるものではないそうだ。
おそらく、それは正しい。俺から見てもシャルロッテは誇り高く、根性のある人格だ。そんなシャルロッテがこれほど震えている以上、反射のようなものだと考えるべきだろう。熱い薬缶に触れた時に考えるより先に手を引っ込めるのと同じだ。自分の意志でどうにかなるものではない。
だが、シャルロッテは騎士として生きる。ならば、どれだけ辛くても、戦わねばならぬ時はある。
俺にトラウマと向き合う苦痛は理解できない。だが、己の生き方を貫きたいという信念は理解できる。武士道と騎士道、道は違えど先達として示せることもあるだろう。
「シャルロッテ、まずは深呼吸だ。五秒息を吸って、五秒吐いてみろ」
「それで……どうにかなるのですか……」
「いいからやってみろ。少しはマシになる」
呼吸のリズムを整えることは精神集中の第一歩だ。
これが簡単なようで、なかなかに難しく、また効果的だ。
最初は半信半疑だったシャルロッテも、十秒もすると少し落ち着いたようだ。
そんなシャルロッテの変化を感じ取り、馬の鼓動も落ち着いてくる。いい調子だが、まだ馬を歩かせるにはシャルロッテが固いな。
人馬一体という言葉があるように、馬は人間の機微を敏感に感じ取る生き物だ。何事も緊張しすぎてはうまくいかないように、馬をうまく走らせるには、こちらもある程度緩んでいなければならない。
「それと、シャルロッテ。今に限り、俺を主君の子とは思うな。そうだな、同年代の友人と思え」
「は、はい?」
困惑するシャルロッテ。彼女の意識が俺に向いているうちに、馬を歩かせる。
シャルロッテは緊張こそあるが、落ち着いている。俺の方に意識が向いているからだ。
まずはこの震動と感覚をシャルロッテの体に覚えさせる。これもまたおじいちゃんが俺にやってくれたことだ。
「気安く接しろ、と言っているのだ。敬語も不要だ」
「そう言われても……」
「いいから、やってみろ。まずは呼び捨てだ。俺をクロウと呼べ」
少しだけ速度を上げる。シャルロッテは気付いていない。
よしよし、この馬もいい馬だ。シャルロッテのことを気遣っているのが分かる。ブルーノは荒馬であり名馬の資質があるが、この馬もまた良馬だ。
「ク、クロウ……くん……」
「もう一越えだな。お前、俺に喧嘩を売りたかったんだろ? なら、呼び捨てくらいしてみせろ」
「――っ!?」
俺がそう指摘すると、シャルロッテが動揺する。先んじて手綱を強く握っていたおかげで、馬の動きが乱れることはなかった。
「……気付いてたってわけ」
「おお、できるじゃないか。だが、あの態度で気付かれていないと思っていたのなら、少々間抜けだぞ」
「くっ!?」
図星を突かれて、俺を睨むシャルロッテ。ふ、いい闘志だ。自分が苦手な馬の上にいることも完全に忘れている。
「なによ、無礼な女だって言いたいわけ? お生憎様、あたしはアンタの周りにいる女みたいに男が相手だからってデレデレしたり、媚びたりはしないの」
「それで、男というだけでもてはやされていたお坊ちゃまに一発かましてやろうと思ったわけだ」
シャルロッテの思い込みが事実かどうかは脇に置くとして、気持ちは分からなくもない。
生まれというものはままならぬものだが、だからこそ、腹立たしいものだ。俺も前世では過去の侍たちによく嫉妬していた。俺もその時代に生まれたかった、と。
嫉妬は暗く、重く、人を惑わせる。だが、前世でおじいちゃんはこう教えてくれた。「暗い感情も薪として燃やせば、明るい炎になる」と。葉隠にある通り、己に勝つ道こそが武士道だ。
そして、その萌芽はシャルロッテにもある。姉上のために抱く義憤こそがその証拠、シャルロッテの中にはすでに武士道が息づいている。
「え、ええ! そうですとも! ローズがいくら褒めたってあんたなんか簡単には認めてあげないんだからね!」
「その意気やよし! お前のようなものは好ましいぞ、シャルロッテ」
「なっ!?」
俺が好意を表明すると、シャルロッテが驚く。
俺からすると当然のことだが、シャルロッテには意外だったようだ。
「な、なによ、そ、そんなこと言われても懐柔なんてされないんだからね!?」
「おう。それでいい。この程度でなびかれては口説き甲斐がない」
「く、くど!?」
いちいち反応が面白いやつだな。これは臣下にしてもなかなかに楽しそうだ。
それに、この高飛車さと克己心は長ずれば高潔さとなる。そうなれば俺は全幅の信頼を置ける
「お前は俺が主君の子であると理解しながら挑みかかってきた。それは蛮勇ではあるが、勇は勇だ。価値はある。それに、今こうしてあれほど恐れていた馬にも平気で乗っている。見事なものだ」
「え……?」
言われてようやくシャルロッテは馬が歩いていることに気付く。一瞬、恐怖に全身がひきつったようだが、すぐにまたリラックスした状態に戻った。どうやら、馬の上にいても大丈夫だと心と体で理解できたらしい。
さすが優秀だ。この調子なら馬を走らせても大丈夫だろうが、それは自分で学んだ方がいいだろう。俺はゆっくりと馬の首を返して、皆の方へと駒を進めた。
「この感覚をよく覚えておくといい。手綱を通して伝わる呼吸、鞍と
「わかった。その…………ありがとう、あの、教えてくれて……」
最後の方は蚊の鳴くような音量だったが、まあ、よしとしよう。礼を口にできたということは俺へのわだかまりもすこしは溶けたということだしな。
しかし、このまま解決というのもおもしろくない。最後に一度だけからかってやるとするか。
「気にするな。俺は、お前のような奴は好きだ。周りにおもねるものばかり置いて、満足するような凡俗ではないからな」
「す……!? あ、あんたねえ、そ、そういうことばっかり言ってるとろくな男にならないんだから!」
期待通りの反応をするシャルロッテ。それを見届けてから、俺は待っていたクリスとドノバン卿の前で馬を降りた。最後に忘れず、シャルロッテに手をかしてろではないが、からかった分、騎士としての流儀に則ってやるのもやぶさかではない。
シャルロッテは耳まで赤くなりながらも俺の手を取る。なんだかんだ、
それと、クリスの視線が鋭い。下心は一切ないのだが、朝帰りを見とがめられたようなそんな感じだ。
「………若様のお傍はわたしの場所なのに」
「お前の時も俺が相乗りしてやる」
「…………はい」
先ほど言い聞かせた甲斐もあってか、とりあえずは引き下がるクリス。それでもシャルロッテに向けている視線は依然として鋭いままだ。
まあ、子供の嫉妬はかわいいもんだ。それだけ主君として慕われているということでもあるしな。
「お見事でした、若様。このドノバン、感服いたしました」
少し落ち着いたところで、ドノバン卿が騎士として
誇らしい気分だ。だが、浮かれてばかりもいられない。傲慢、増長は武士道の戒めるところではあるし、なにより、本番はこれからだ。
「ありがとう。馬のおかげだ。よく合わせてくれた。だが、あれはそう容易くはいかないだろうな」
「……一度、お試しになりますか?」
俺が遠巻きにこちらを伺っているブルーノに視線を向けると、ドノバン卿が慎重にそう口にした。彼女の茶色の瞳が俺の顔色を窺っていた。
「止めないのか。俺も落ちるかもしれないぞ」
「臣下としてはお止めすべきでしょう。ですが、私個人としては、馬に携わるものとして若様があの馬をどう乗りこなされるのかを見てみたいのです」
「不忠だな。だが、聞かなかったことにしよう。介助は任せるぞ」
「御意のままに」
俺とドノバン卿の利益は一致している。俺も自分があのひねくれた馬を御しきれるのかどうか試したくて仕方がない。
これも一つの勝負、であるからには背を向けるという選択は俺にはない。
ブルーノの背に鞍をつけ、
ブルーノが身震いをする。俺を試しているのだと直感し、手綱を強く握った。
そのまま、俺の意志を手綱を通じて伝える。「俺はお前の主。お前の命は俺の掌の内にあり、俺の命はお前の背にある」と。
数秒後、ブルーノの呼吸と俺の呼吸がピッタリと合わさる。それを感じ取って、俺は手綱を引き、愛馬に走れと命じた。
その瞬間、内臓が後ろに引っ張られるような感覚を覚える。そのまま急加速し、ブルーノは命じるまでもなく馬防柵沿いに疾走を始めた。
「――は、ははは!」
頬に当たる風、伝わる震動、過ぎ去っていく景色。その爽やかさに思わず笑い声が漏れた。
この速度、この爽快感。前世ではこれほどの気持ちよさはなかった。心境の変化ゆえか、あるいは騎乗しているのが己の馬であるという感慨ゆえか。どちらにせよ、これほど気分の良い乗馬はこれまでにない。
ああ、やはり、欲しい。この名馬は俺の馬だ。
「……お見事」
牧場を一周して戻ると、シャルロッテが妬ましさと感心が入り混じった声でそう言った。
クリスも睨むのをやめて、俺の乗馬姿に目をキラキラさせつつ、拍手をしている。ドノバン卿も俺の騎乗にあらんかぎりの賛辞を送ってきた。
だが、喜ぶのは後だ。気が重くなる頼みをシャルロッテにしないといけない。
「シャルロッテ。頼みがある。この馬を――」
「――いいわ。その馬、譲ってあげる」
口惜しさに歯噛みしながらも、シャルロッテは潔くそう言った。
「そうか。ありがとう。だが、いいのか?」
「騎士に二言はないわ。アンタの方がちゃんと乗りこなせるし、ローズの言う通りの立派な跡取りみたいだし、借りができちゃったし……あんなこと言われたし……馬に乗っている姿見惚れちゃうくらい綺麗だったし……」
シャルロッテの述べた理由の内、三つは予想通りのものだ。最後の二つは声が小さくて何言っているか、さっぱりだが、本人がきちんと納得しているなら良しとするか。
というわけで、馬から降りる。すると、シャルロッテがどこか決意を固めたような顔で近づいてくる。
「そ、その、馬は譲るけど、二つ約束して」
「なんだ。安請け合いはせんぞ」
「へ、変な願いなんてしないわよ。ひ、一つはこの子を譲るんだからちゃんと大事にしてっていうだけ。他の馬に移り気なんてしたらただじゃおかないから」
「そんなことか。侍が馬を大事にするのは当然のことだ。粗略に扱うことがあればその時は腹を切る」
「ぶし……? なんでお腹を切るの……? よ、よくわからないけど、約束してくれるならそれでいいから」
チッ、せっかくなら侍の定義から切腹の作法まで語ってやろうと思ったのに。
だが、所かまわず語ってのは逆に品位を損ねる。ここは自重するとしよう。
「で、もう一つはなんだ? 早く言え」
「も、もう一つは、そ、その、これからも、その、アタシと、あの仲良く……」
そこまで言いかけたところで、シャルロッテの耳が真っ赤になる。まるで薬缶だな、とかそんなことを考えていると、彼女は爆発するように――、
「ア、アンタの左隣は! ア、アタシが予約したから! 七回勝負するから! それまで、そ、その、身を清めて待ってなさい!」
そんなことを叫んだ。
俺には意味が分からないのだが、背後のクリスが信じられないものを見たような顔をしているし、ドノバン卿が「なんと……」とつぶやいているから結構なことを宣言したらしい。
……勝負がどうとか言っているし、あれか。ライバル宣言みたいな感じか? 前世で友人に勧められて読んだ漫画でそんなシーンがあった。あの漫画は中々によかった。登場人物がみんな山賊ではなく侍だったら、もっとよかったんだが……、
「か、覚悟することね! ア、アタシが勝つまでやるんだからね!」
「お、おう? まあ、お前のような奴は好きだ。いつでも歓迎するが……」
「ひぐっ!? 言ったわね! お、覚えてなさいよ!」
そんな捨て台詞を残して、ずんずんと去っていくシャルロッテ。背中は小さくなっていくが、一体どこに行くつもりだ……?
クリスはシャルロッテの背中を親の仇を見るかのように凝視している。その視線に不穏なものを感じつつ、俺はドノバン卿の様子を伺った。
ドノバン卿は何か微笑ましいものを見たという顔をしていた。なんだか視線が生暖かった。
どういうことだ? 俺、なにか大事なことをわかってないのか?
……いや、待てよ。さっきのシャルロッテの言葉、どこかで似たような台詞を読んだことがある気がする。
そうだ、若妻物語だ。序盤の主人公『百合姫』が夫となる『岬の王子』に婚姻を申し込む際に言った台詞だ。そっくりそのまま同じではないが、シャルロッテと同じようなことを『百合姫』は言っていた。
その『百合姫』の台詞における左隣とは婚礼の儀式において花婿を中心とした場合に花嫁が座る席のことであり、左隣をもらい受けるという言葉には婚約を申し込むという意味がある。
また、この世界には
その婿問婚においては女性が夫となる男性のもとを訪れ、七つの問いを受け、その答えが合っていれば婚約が成立する、というのが伝統の形。そして、この七つの問いは家によっては七つの試練であり、七つの勝負であることもあるという。
つまり、俺は今、シャルロッテから求婚されていたわけである。なるほど、ドノバン卿とクリスの反応も頷ける。主君の子が求婚されたとなれば大騒ぎだ。
…………なんで?
馬の乗り方を教えただけだぞ? それがなんで婚姻の話になるんだ? この世界の女は皆、恋愛脳なのか?
分からない。さっぱり分からない。俺が、俺が悪いの、か……?
――
あとがき
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