第7話 侍、実の姉に風評被害を受ける
俺の姉になりたがっている変質者ことコーデとの試合を終えてからすぐにこの世界での本格的な修練が始まった。
師となったグスタブが教えてくれるのは剣術に軍略、そして、生き延びるための知識だ。
といっても、グスタブが言うには俺の剣技、特に対人の域においてはすでに教えることはないらしい。なので、指導の内容は必然、対人間以外を想定したこの世界特有の剣術に偏ることになった。
その内容とは、『対魔物の剣』。つまり、人を斬るためではなく魔物を斬るための技術を俺はグスタブから叩き込まれることになった。
さてこの、『退魔剣』とも言うべき剣の修練だが、これがなかなかに興味深く、楽しいものだった。
まず第一に、人を斬るための剣術とは狙う急所の位置が違う。
俺の知る剣術においては急所の集中する体の中央、正中線や太い血管の通る手首や太もも、もしくは相手を無力化するために手足の腱を狙うことが多い。
これは剣術が相手を無力化するための技術であり、その合理を突き詰めていったすえの結実でもある。
一方で、退魔剣において狙うのは相手の首だ。しかも、動脈を断つだけではなく一刀のもと、頸椎を断ち切ることを旨としている。あるいは、心臓を貫き、そのまま引きずり出すような荒々しい技もそこには含まれていた。
これは魔物が、通常の生物よりもはるかに頑丈かつしぶといがゆえのことだ。
重要な血管や臓器に傷を付けたところで人間のように衰弱もしなければ、怯みもしない。手足を切り落としたとしてもまた生えてくる。そういう生き物を殺すには首を刎ねるしかない。それゆえ、剣術もその方向に進化したというわけだ。
もう一つの地球の剣術の相違点は、退魔剣が基礎はともかくとして技の段階においては
この世界の貴族、戦士階級と言い換えてもいいが、に発現する天恵は多くの場合、武器や防具に関するものが多く、また、副次的に身体能力の向上をももたらす。
その強化された身体能力で鉄の塊の如き大剣や大槌、大斧などを振るうことでこの世界の戦士たちは人の身で怪物に対抗してきた。
ちなみに、母上はこの退魔剣を免許皆伝しており、相手が岩石でできた巨人『ゴーレム』であっても一刀両断してのけるという。
そんな母上曰く「『剣の極意は一に鍛錬、二に鍛錬だぞ!」とのこと。
なので、この退魔剣に関しては天恵を得るまではひたすら地味な基礎訓練を繰り返すしかなかった。
すなわち、素振りと型稽古の無限ループ。身の丈ほどの木刀を手の皮がむけて固くなるまで振り回し、存在しない相手にひたすら技を繰り出すのだ。
これが辛い。
共に修練を始めたクリスなど一時間もしないうちに手が痛いと泣き出して、しばらく俺の素振りを見てからまた戻ってきて、少しして今度は爪がはがれたと泣いていたくらいだ。
あと、時々対戦相手になってくれるコーデは妙に距離感近いし、汗の匂いとか嗅ごうとしてくるのでちょっと怖い。なのに、普段はメイドとして完璧なのがさらに怖い。
とまあ、ともかく辛いが、俺は好きだ。なにせ、前世の経験もあって、俺は基礎訓練と型稽古の重要性を理解している。
人間はいきなり強くなれるほど便利にできてはいない。ゆえに日々を積み重ねる。咄嗟に身体が動くように技の動きを日常として脳と肉体、精神に刻み込むのだ。それこそ、息をするように相手を斬れるように。
しかし、一方で、実戦なき修練は前世でもやっていたことでもある。
そのため飽きはしないが、どうにも退屈はしてくる。楽しみと言えば週に一度、グスタブやコーデと手合わせをして上達を確認することぐらいで、いい加減辟易としてくる。なにより、手合わせのたびにそれとなくおねえちゃんと呼ばせようとしてくるのに慣れてきた自分が怖い。
事件が起きたのは、そんな十一歳の秋のある日のことだった。
その事件は我が実の姉『ロザリンド・ヴェル・ロンダイン』の帰郷に伴って起きた。
◇
ロザリンドこと、ローズ姉上は俺より三つ年上で、六歳のころから王都にある『
この学校は国中の貴族の娘たちが集まる学園で教養や礼法、武芸、そして、花婿の見つけ方までこの世界で大事なことをすべてを教えてくれるのだそうだ。
……入学の際、母上はかなり渋ったらしい。それはそうだろう。母上の俺やニーナへの溺愛ぶりを見ればわかる。母上が自分の長女を卒業まで十六年もかかる寄宿学校に自発的に娘を行かせるなんてそれこそありえない。
だが、姉上の強い希望で母上も折れた。あれで意外と押しに弱いのだ、母上は。
そういうわけで、姉上がロンダインの屋敷に帰ってくるのは年に四回。季節ごとの休暇の間だけだ。
なので、ロンダイン家においては姉上の帰郷は一大イベントであり、今回も家人総出で準備していた。
特に、姉上によくなついているニーナのはしゃぎようは凄まじく、当日の朝早くから屋敷の玄関で姉さんの乗る馬車の帰りを今か今かと待ちわびていた。
姉上の馬車が到着したのは、そんなニーナが眠くなり始めた昼過ぎのことだった。
「母上! クロウ! ニーナ! ロザリンド、今帰りましたわ!」
馬車の扉が開き、ウェーブのかかった白銀の髪をなびかせて姉上が降りてくる。
そう、我が一族で唯一姉上は黒い髪ではない。なんでも亡くなった父上、フィリップが白銀の髪に赤い瞳という形質を持っていたとのことで、姉上にはその特徴がしっかり表れている。
顔立ちは美しく、俺や母上よりも部位部位が丸みを帯びている。眉尻も下がっていて、穏やかな顔つきだ。
服装も武人らしくズボンを履いて黒や紺を基調にした服装の多い母上とは対称的に、仕立てのよい明るい朱色のスカートドレスを着ていた。
スタイルは母上譲りでスラっとしている。上背もあるのでどんな服を着ても似合う。
その上、十四歳にして実に女性的な体つきをしている。このまま成長すればきっと母上並みの豊満さになることはまず間違いない。
趣味も詩作に庭いじりと実に貴族の令嬢然としており、そこも我が家では珍しい。
本人も『クロウがいてくれて本当よかった。わたくし、あまり、武芸に向いていないようだから……』と常々言っている。
この世界においては、貴族の家に男子が生まれた場合はその者は生まれた順番に関わらず、家を継ぐ嫡子となる。これは王国建国当時から続く伝統であり、政治的都合でもある。
この世界において男子は希少だ。なにせ百人に一人しか生まれない。
そのため男子が当主であったほうがいろいろと都合がいいのだ。
わかりやすいところで言えば選ぶ側になれる。どの家から嫁を取るかも、何人迎えるかも、あるいはどことは縁を結ばないかも自由に選べる。子供が生まれた場合も第二子以降の子供を養子に出せばより広い範囲に縁を結ぶことができる。
貴族社会において婚姻関係による絆と貸し借りは一生のもの。今権力を握っている大貴族の中には男子が生まれたこと、そして、それによる縁戚関係を結んだことで勢力も拡大したものも少なくない。
一方で、男子の当主はお飾りになりやすくもある。大抵の場合、実戦に出るのは姉か、妹。政治的実権も取り上げられることが多い。
無論、俺はそんな立場に甘んじるつもりはない。周囲の声も戦場での功で黙らせてくれる。
それはともかくとして、男子である俺が生まれた時点でロンダイン家の嫡子は姉上から俺になった。
そう考えると、姉上は俺を恨んでもおかしくないのだが、よくもわるくも姉上にはその気配が一切見られない。跡目争いにならないのはありがたいが、姉上の心情が心配になることもある。
そんな姉上の俺への態度だが――、
「おかえりなさい、姉う――」
「クロウ! ああ、クロウ! 九十六日と六時間ぶりですわ! わたくし、寂しかった!」
挨拶をするや否や、真っ先に走り寄ってきて俺を抱きしめる姉上。
本人は武芸は苦手というがなかなか素早い身のこなしだ。さすが幼少期に母上自ら鍛えただけのことはある。
あと、俺より頭一つ分背が高いので抱きしめられると俺は姉上の胸の谷間に押し包まれることになる。
暖かく、柔らかい。どこか安心する香りだ。身内が相手なのでやましい感情が沸くことはないが、それはそれとして屈辱的だ。
早く背が伸びてほしい。父上も母上も背が高いし、最近、どんどん伸びているので心配はしていないが、こればかりは男としての、いや、侍としての沽券の問題だ。
なので、どうにか姉上を引き離して、今度はきちんと挨拶を述べる。
「姉上。おかえりなさい。お待ちしておりました」
「あら、クロウ。そこは自分も寂しかったと答えるところでは? もう、武芸ばかりではなく女心も勉強しなくてはね?」
「いや、俺は――」
「あ、そうですわ、折角ですし、今回の休みでわたくしが手取り足取り教えて差し上げます。ついでに、詩作のいろはやダンスも! 都で流行りの服も何着か持ってきてますから、その試着も――」
「あねさま! ニーナは? ニーナには?」
苦手分野で押してくる姉上に俺が押し切られそうになったところで、ニーナが乱入してくれる。おかげで、姉上の着せ替え人形にさせられる危機は回避できた。
ニーナはまだ八才だがなにかとタイミングがよかったり、鋭い感性をしていたりする。前世の記憶で半ば反則しているような俺でさえ時折、驚かされるくらいだ。
さすがは俺の妹。
……待てよ。それこそ今がそんな時代だ。ニーナがその才能を良からぬことに使わぬよう、俺も兄として手本にならねば。
「ニーナにもたくさんお土産を買ってまいりましたとも! ニーナに似合うドレスやアクセサリーをね! でも、どんな職人の逸品も、ニーナには負けてしまうかも!」
「やったー! あねさま大好き! 毎日帰ってきて!」
「あらあら。なんて嬉しいことを言ってくれる妹なんでしょ。でも、それだと、お土産を買ってこられなくなるわ。それでもいいの?」
「いい! あねさまの香りがニーナは一番好きなのです!」
「まあ! もう、ニーナは姉様を喜ばせる天才ですこと! むぎゅーっとさせてください! むぎゅーっと!」
「ねえさま、くすぐったいよー」
ニーナを全力で抱きしめる姉上。ほおずりまでしている。いつぞやの母上を彷彿とさせるべたべたっぷりだ。
……ニーナに助けられたな。俺があれをやられてたら羞恥に耐えかねて、腹を切りたくなるところだった。
「ロ、ローズ、おかえり」
姉さんの妹へのスキンシップがひと段落したところで、母上が前に出る。
なんだかうずうずしている。
「母上! すいません、つい、クロウとニーナが可愛すぎて……」
「う、うむ、大いに気持ちは分かるぞ。ちなみに、この母にも抱き着いていいのだぞ?」
「はい! ただいま戻りました母上!」
そうして、姉上は結局家族全員を抱きしめて、満足げに笑みを浮かべる。
これがロンダイン家における年に四度の恒例行事だ。毎度毎度この調子で、男の俺としては気疲れもするが、前世では家族がおじいちゃんしか生きていなかったから新鮮で、温かくも感じている。
「ローズ様。おかえりなさいませ」
「ああ、コーデ! 貴女も来てくれたのね! うれしい!」
勢いのまま家人一同を代表して迎えに出て来ていたコーデをも抱きしめようとする姉さんだが、コーデはすっとそれをかわす。
さすがの身のこなしだが、姉さんも追う。そして、三度の攻防の末、二人はがっぷり四つに組み合った。
「もうコーデ! どうして毎回、抵抗するの!? わたくしたち家族のようなものでしょ?」
「ご勘弁を、ローズ様。私はあくまで使用人の身です。分はわきまえねば……!」
俺には隙あらば姉呼びをさせようとしてきたり、 週一で俺と手合わせる時に毎回無駄につばぜり合いに持ち込んできて押し倒そうとしてくるくせに、姉上にはそんなことを言って遠慮するコーデ。使用人としては正解の態度なのだろうが、今更では……?
「今更ですわ……! だいたい貴女、クロウにはかなりべたべたしてると聞きましたわよ! 二重の意味でズルいですわ! お詫びとして受け入れなさい……!」
組み合いは互角。姉さんにはぜひ押し切ってほしいところだ。
「がんばれ、姉上。あとちょっとだぞー!」
「若様!?」
「っ!? 頑張りますわ! なにせ、弟が応援してくれているんですもの!」
応援を受けて、徐々に押し込み始める姉上。適当な鼓舞だったが、姉上には効果てきめんだったようだ。
俺には毎回、妙な調子で抱き着いてこようとしてくるくせに、自分の時は綺麗でいたいなどと言うのは筋が通らないな、コーデ。ここは姉上の抱擁を、俺と同じ羞恥を味わうべきだ。
「くっ……! そ、そういえば、ローズ様、王都の詩の発表会で表彰されたとお聞きしました。おめでとうございます……!」
「え? ありがとう! そんなことまで知っていてくれたのね!」
……よくない流れになってきたな。
コーデは勝負の最中に無駄な話をするタイプじゃない。コーデが戦いの最中に人格が豹変するのは、こちらの動揺を誘うため、あるいは調子を崩すための戦略でもあるのだ。
なので、この会話にも姉上を動揺させるための布石とみるべきだ。
「はい……! お嬢様方のことであればなんなりと! ついでに申し上げるならば、その詩の題名と内容も存じております……!」
「ま、まさか!? だ、だめよ、コーデ! クロウの聞いている前では、やめ――」
「題名『我が麗しき弟の麗しき太もも』……! 審査員からも汗に濡れた弟の太ももの描写が秀逸だとお褒めの言葉をいただいたようで……!」
「はぅ!?」
…………は?
姉上の、弟。つまり、俺のことか。俺の太ももに関する詩で、姉上が受賞……?
……背筋が寒くなってきた。もう詳細を聞かなくても何となく内容が想像できるのが余計にたちが悪い。
そして、姉上が耳まで真っ赤になって固まっている隙にコーデが持ち直す。
なんだか、急に姉上を応援する気持ちがしぼんでいく。コーデだけではなく実の姉までこのありさまなのか……、
「しかし、あまりにも艶めかしすぎるせいで大賞は逃されたとか……! なんとも残念、いえ、もったいないことです……!」
「ち、違います! た、確かに筆が乗りすぎたきらいはありますけれど、やましい気持ちがあったわけでは……!?」
「ええ、そうでしょうとも……! コーデは信じておりますよ。ですが、ローズ様の詩の発表会以来、クロウ様への婚姻の申し込みが倍に増えた件については対策を考えませんと……!」
「そ、そうなの? た、たしかに発表会以来、会う友人すべてにクロウについて聞かれましたけど……で、でも、わたくしの
「コーデも同じ思いです!」
……もう一生やっててくれ。
母上も母上で止めるどころか、「まったくその通りだな!」とか頷いてるし、俺の癒しであるニーナは無邪気に「どっちもがんばれー!」と両方を応援している。
なんでこう俺の周りの女性はどいつもこいつもこんな感じなんだ? それとも、この世界の女はみんなこんな感じなのか? つつましくて控えめな
というか、俺の噂、王都でも広がってるのか……もう頭が痛くなってきた。俺が死んだあと、強いとか賢いとかじゃなくて、太ももが艶めかしいなんて史書に記されたら、どうしよう……、
――――
あとがき
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