第6話 侍、自称おねえちゃんを倒す
目の前のコーデ、修練場に立つメイド服の少女がレイピアを鞘から抜く。
訓練用に刃は潰してあるものの、金属の凶器が放つ輝き。その威圧感には息を呑むものがあった。
おねえちゃんを自称するなど理解できないところもあるが、コーデの実力は本物。剣士としては一流と見た。
「――はじめ!」
グスタブの声が修練所に轟く。
同時に俺は右方向に走りながら、背中の矢筒から矢を三本引き抜いた。
その瞬間、心の奥に微かに存在していた躊躇が消え去る。人の形をしたもの、それも女に対して凶器を振るうということへの嫌悪感を、血に宿る熱が焼き尽くした。
姿勢を落としての、三本継ぎ矢。矢じりを潰した訓練用の矢を三本、それぞれをコーデの頭、手、足を狙って放った。
今の俺の膂力でも矢の速度は十分。
「――甘い、砂糖菓子のように甘いですよ! 若様ぁ!」
コーデがレイピアを振るう。その一撃に俺の射った矢は空中で切断され、勢いを失って地に落ちた。
細身の剣だが切れ味は十分。その上、切っ先の速度は目にも止まらない。コーデの間合いでの剣戟はこちらには不利だ。
「せいっ!」
背負った斧を、踏み込みと同時に投げる。必中を期して投げたものだが、これも本命ではない。だが、矢よりもはるかに重い戦斧は細身の剣では落とせない。
コーデは大きく後ろに飛んで斧を回避。その隙に背負っていた手槍を構える。
槍の長さは2メートルほど。俺の体格でもコーデの間合いの外から仕掛けられる。
狙うはコーデの胸元。
全身を一つのばねのようにして力を伝達し、右腕を突きだす。槍の穂先は吸い込まれるようにコーデの心臓目掛けて奔った。
「――なんて情熱的な! ここまで強引に迫っていただけるとはこのコーデ感激でございます!」
だが、会心の一撃も容易く防がれる。素早く剣を翻して、槍の穂先を切り落としたのだ。
やはり、速い。速いが想定内。今度は逆に間合いを詰めねばならない。
そして、コーデのテンションがおかしい。戦闘の高揚と何か別のものでコーデの頬が火照っている。そのくせ剣筋は見惚れそうになるほど美しく、鋭いのだからたちが悪い。
「おおっ!」
穂先の切り落とされた槍の柄を大上段で叩きつける。容易くを身をかわされ、地面を叩く。木製の柄が砕けた。
残る得物は、長剣とショートソードの二振りのみ。両方を鞘から抜き、地を這うように姿勢を落とす。
俺は前世から両利きだ。両手で武器を操るのに支障は一切ない。
そのまま間合いを詰める。右足を軸に回転し、両の剣を逆袈裟に叩きつけた。
「ぐっ――!」
捉えた。
攻撃を受け止められた瞬間に、全身で押し込み鍔迫り合いに持ち込む。
相手は片手、こちらは両手。しかし、体格差もあって互角だ。女子相手に互角というのもなかなかに沽券に触るが、今はそんなことも言ってられない。
せっかく詰めた間合い。ここで引き離されるわけにはいかない。
「――っ!」
「若様!?」
鍔迫り合いの最中、両手の剣から力を抜く。
当然、抑えを失ったコーデの剣が奔る。その冷たさを間近に感じながら、白刃の下を潜った。
柳生新陰流における『無刀取り』、あるいは柔術や忍術における体捌きにも似たこの技を、前世における俺の師であるおじいちゃんは『
鍔迫り合いの最中に、力を抜き、敵の懐に飛び込むこの技の要は相手の意識の
しかして、その術理は異世界の女剣士コーデにも通じた。俺の体は伸びる影のようにコーデの細剣、その間合いの内に入り込んだ。
どんな強力な武器でも、間合いの外、あるいは内側に入り込んだ相手には用をなさない。
右手のロングソードは投げ捨てる。今用をなすのは俺の左手にあるショートソードのみ。低く構えての刺突。この間合いならば必ず届く――!
「っ――!」
しかし、剣を突きだそうとした瞬間、奇妙な感覚に襲われる。
剣先が歪み、地面がせりあがってくる。刹那に理解する、歪んでいるのは剣ではない。俺の視界だ。
だが、俺は侍。普通の人間ならば即座に膝を屈してしまうような状況でも、決してあきらめることはない。
「――おおおおおおお!」
あらん限りの力でショートソードを突き出す。
しかし、僅かに好機を逃した。繰り出した切っ先はひるがえったコーデのスカート、その裾の端を掠めただけだった。
そして、無念なるかな。そのまま前のめりになっていく体を止められない。
そんな俺を誰かが抱き留めるが、勢い余って地面に押し倒してしまう。
コーデだ。身をかわしてすぐさま文字通り、俺のために
それはありがたいのだが――、
「若様!? ご無事ですか!?」
コーデがそう聞いてくるが、いろいろとそれどころではない。
まず、すぐに立ち上がれそうにない。強烈な酩酊感こそ消えたものの、先ほどの奇妙な感覚の影響で足に力が入らない。
次に、今の体勢だ。俺は前のめりに倒れて、コーデを押し倒した。
つまり、俺の顔のすぐ下にはコーデの体がある。しかも、コーデの方が頭一つ分身長が高いので必然的に俺はコーデの胸、その谷間部分に顔を突っ込む羽目になっているのである。
柔らかい。あと、暖かくていい匂いがするが、そんなことはどうでもいい。
侍としてあるまじき屈辱的な状況だ。女子に負かされて足腰が立たないなんて、もう死ぬしかない。今すぐ腹を切ろう。そうしよう。
腹を切るにも、今はここから動かないと。そう思い身体を動かそうとするが――、
「あん……若様……そんな、大胆すぎます」
動けば動こうとするほど、コーデという沼にはまり込んでいくようだ。
手やら足やらが柔らかい肉をまさぐり、その度にコーデが熱っぽい声を上げる。
具体的に言えば、俺の右ひざがコーデの足の間に入っているし、地面についた左手は彼女の顔のそばにあった。
そして右手は彼女の胸をもみしだいてしまっており、コーデは熱っぽい潤んだ瞳で期待するように俺を見ていた。
周りから見れば、俺がコーデを押し倒しているように見えなくもない。
「わ、若様、このコーデ。いついかなる時でも若様に身を捧げる覚悟です。で、ですが、そ、その、どうせでしたら、最初は『おねえちゃん』と呼んでいただけませんか……?」
というか、誰よりも先にコーデがその気になってやがる。
こ、このままではまずい……! 一刻も早く立ち上がらなければ――、
「――そこまで!」
俺が起き上がるより先に、グスタブの声が響く。
五分の制限時間はまだ来ていないはずだが、二人とも地面に倒れこんでしまっているのだから、それも当然か。
……助かった。勝敗について考えたおかげで、少し正気に戻れた。
根性で足に力を入れて、立ち上がる。
無念ではあるが、勝敗がすでに出ている以上、そこに物言いをつけるのは侍のすることではない。
負けは負け。しかも、このように無様な負け方ではもはや、腹を切るしか――、
「――この勝負、若様の勝ちである!」
しかし、グスタブが告げた裁断は俺の予想とは真逆のもの。勝者であるはずのコーデも観念したような顔で頷いている。
武器を落とし、倒れ伏してしまった以上は俺の負けのはず。
勝敗を忖度によって覆されるなど敗北する以上の屈辱。そんな無様をさらすくらいならば、それこそ腹を切るべきだ。
「じいや。情けは無用だぞ」
「情けではありませぬ。このグスタブ、剣に関して決して嘘偽りは申しませぬゆえ。こちらをご覧を」
そう言って、グスタブが指さしたのはコーデのロングスカートの
……なるほど。この切れ目は確かに最後の一撃で俺が付けたものだ。
「この勝負における若様の勝利条件は、五分以内にコーデに一太刀入れること。剣士にとって帯びたる甲冑、衣服もまた身体の一部。それを裂いたということは若様の勝ちです」
理屈としては、分からなくもない。分からなくもないが、やはり、屁理屈だ。そんなので勝ちを譲られてもうれしくもなんともない。
「それだけではございませんぞ、若様。最後の一撃の時に、視界がゆがんで足元がおぼつかなくなられたのでは?」
俺が納得していないのを見透かして、グスタブが言った。
確かにそんなこともあったが……ああ、そういうことか。
「……もしや、あれが勝負の前に言っていた術か?」
「ええ。こやつは実は『魔術師』なのです。若様が掛けられたのは『
そう言ってグスタブは気まずそうにしているコーデの額を指で弾く。
額を抑えて痛がるコーデを横目に、試合を観戦していたクリスを見ると慄いたような青い顔をしていた。
……なるほど。先ほどのが魔術で、やはり、魔術は貴族社会でタブー視されているようだ。
なんと勿体ない。戦に用いればどれだけ有用だろう、考えるだけで心が躍るというものだ。
例えば、敵の弓兵の視界を歪められれば矢は見当違いの方向に飛んでいくし、騎馬の突撃も距離感を見誤らせることができれば無力化できる。
「咄嗟に出てしまったのでしょう。この一点だけでもコーデの敗けです。若様、どうかお許しを」
「…………若様、いかようにもお裁きください」
一方で、グスタブもコーデも真剣そのものな態度でそう詫びてくる。
どうやら本当に咄嗟のことで、その上、魔術を貴族に対して使うのは罪深いことでもあるらしい。
だが、武士道には反していない。『武士は犬や畜生と罵られても勝つことこそ本分』だ。コーデが勝つためにやったことなら、俺はそれを責める気はしない。
「かまわん。魔術なるもの一度は経験してみたかった。礼を言うぞ、コーデ」
「若様……!」
俺がそう答えると、コーデが目を見開く。驚きと喜び、戸惑いが瞳の中でないまぜになって、鉄面皮が崩れた。
年相応の花の咲くような笑顔。その顔に『してやったり』と俺も内心ほくそ笑む。
グスタブも驚いているし、クリスも驚いている。やはり、この世界の常識からしてはだいぶ外れた言葉だったらしいが、構うものか。
魔術は使える。だというのに、下らぬ偏見にとらわれてそれを忌避するようではそれこそ武士道に反する。
だが、それはそれとして――、
「――そういうことであれば、この勝負は俺の勝ちだな」
俺は制限時間内にコーデに一撃を与え、その上、コーデは禁止されていた魔術を使った。
であれば、酷く無様ではあるが、確かに試合に勝ったのは俺だ。
これが殺し合いの勝負であれば話は別だが、理屈としては納得がいく。
「はい、若様。コーデもよいな?」
「も、もちろんです! そもそも、魔術を使ったのも若様の一撃が真に迫るものであったからこそなのです! あの時の、若様の剣幕、殺気、必死なお顔、このコーデときめきのあまりにしとどにぬれ――」
コーデがこれ以上ヤバいことを口走る前に、グスタブが彼女の脇腹を小突く。
剣の師匠に制されたのが効いたのか、さすがのコーデも一時的に口をつぐんだ。
「しかし、驚きましたぞ。若様が使われたあれは戦場の技。生半なことでは学べますまい。どこで学ばれたので?」
「お、おう、あの技か。あれはな、母上の部屋にあった書物で見たのだ。『
「ほう、サムライ。なるほどなるほど、しかし、書物で読んだだけでそれを使いこなされるとはまさしく天性の才。鍛えがいがあるというものです」
「お、おう。そのようなものだな」
天才とほめつつも、グスタブの眼には好奇の色が浮かんでいる。特に、侍と口にした時など瞳が怪しく輝いたようにも見えた。
まさか転生者であることまで見抜かれたわけではないだろうが……、
侍であることはともかくとして俺が転生者であることは誰にも明かしていない。皆を信用していないわけではなく、俺自身今の俺がどういう状態なのかはっきりと説明できないし、この世界において転生者がどんな存在なのかわからないためだ。
「――若様!」
ひと段落したところでクリスが声を上げる。クリスは俺の傍まで走りよってくると、そのまま抱き着いてきた。
「若様! お見事でした! やはり若様こそクリスの生涯の主! この命、存分にお使いくださいませ!」
「お、おう」
クリスが慕ってくれるのは嬉しいが、やはり、どうにもその内容が重い。
いや、侍の忠誠も命懸けのものではあるが、まだ子供の身にしては覚悟が決まりすぎている。俺が死ねと命じれば、本当に死にかねない勢いだ。
確かに『武士道とは死ぬことと見つけたり』という有名な言葉はあるが、それは命を粗末してもよいという意味ではない。
本当は、どんな物事にも死ぬ気で真剣に臨めという意味だ。確かに命を捨てねばならぬ場面もあるが、命を粗末にしてはそれこそ武士道不覚悟だ。そこらへんのことも俺が教育していかねばなるまい。
「若様! あの技、あの剣から力を抜く技はなんというのです!? クリスにも教えてください!」
「お、おお、あの技はな。侍の技でな、無拍子といって――」
「下がりなさい、クリス。無礼ですよ。若様。お疲れでしょう? おねえちゃ――わたくしがお茶を用意いたしますので、休憩といたしませんか?」
今度は逆側から、コーデが抱きついてくる。さりげない俺の左腕を自分の胸の谷間に収めてくるあたり抜け目ない。しかも、振り払おうにもかなりの力で固定されている。
コーデよ、普段の慎み深さはどこにいった?
「い、いや、俺はお前の弟になる気は――」
「若様!」
「若様」
どうやら少し武士道の素晴らしさを見せつけすぎてしまったようだ。クリスもコーデもかなり真剣に俺を取り合っている。
「そういえば、若様。若様が勝たれた場合はわたくしがなんでも一つお望みを聞くという約束だったはずでは?」
コーデに言われて思い出す。そういえばそんな約束をしていた。
だが、肝心の頼みの中身を考えるのを忘れていた。どうしたものか……、
「膝枕ですか? 添い寝ですか? あるいは、耳掃除? それとも、お風呂はどうでしょう? 汗をかかれたかと思いますし。今なら足の指の間から、髪の毛の一本まで、このコーデが丁寧に清めさせていただきます、よ?」
「お、おう。今はいい。願いの内容は考えておく」
「そんな殺生な……! このコーデ、いつでも若様にこの身をおささげするつもりですのに……!」
「わ、わたしも! わたしも若様がお命じになるなら、なんでもします! 命も捧げます! お命じになられるのなら、お、お風呂にも一緒に入ります!」
コーデが左を引っ張れば、クリスが右を引っ張る。どちらも全力で引っ張るので腕と肩がギリギリといっている。はは、いた……くないぞ。俺は侍だからな。
こういうのを両手に華というらしいが、実際にそういう状況になってみると分かることがある。
別段、嬉しくない。いや、ちょっとだけおもはゆい。
なんにせよ、喜ぶのもやぶさかではない。なにせ、前世では終始、活躍の場がなかった技がようやく日の目を見て、その上それを評価してくれる相手と出会えたのだ。
『士は己を知るもののために死す』。古代中国の史記という書物に記された言葉だ。
意味としては、『士は己を信じて、評価してくれる相手のために命を懸ける』ということになる。
士には『さむらい』という読みもある。ゆえに、俺も俺という侍を信じてくれる誰かのために命を懸けたい。前世のころからそう思っていた。
そして、今世ではそんな人たちに出会えた。
それも、母上、姉上、ニーナ。コーデにクリス、グスタブといま思い浮かぶだけで六人もいる。まだ九年しか生きていないにも限らず、もうそれだけの俺を『知るもの』に出会えた。
最初はとんでもない世界に転生したものだと思っていたが、こうして生きてみると生き甲斐はいくらでもあるものだ。
少なくとも人に恵まれたという点では、俺という侍は幸運なのかもしれないな……!
――――
あとがき
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