第5話 侍、メイドと立ち合う
指導役グスタブから提案された大人との真剣での立ち合いに俺は応じた。
理由は二つ。
一つは俺が侍だからだ。侍たるもの挑まれた勝負に背を向けることはありえない。逃げ傷を負うくらいならば、死を選ぶ。それが侍というものだ。
次に、この世界における女騎士たちの実力を知っておきたいというのもある。
国を建てるには手柄がいる。女首を手柄とするかしないかは脇に置いておくとしても、戦場に立たなければ手柄は上げられない。侍たるもの自らの武功で道を切り開くのが理想だ。
この世界の男女の偏りを鑑みれば男の剣士は希少。グスタブのような使い手はそうそういないはずだ。なので、相手は女剣士とみてまず間違いはない。
同時にこれは今の俺の実力を確かめるいい機会でもある。前世で磨いた剣術、武術がこの世界でも通用するのか、知っておきたい。
敵を知り、己を知れば百戦して負けることはない。かの孫子の兵法の初歩を実践するのだ。
「立ち合いの時間は五分。その間、一太刀でも若様が相手に入れられたなら、勝負は若様の勝ちといたしましょう。どうですか? 受けられますかな?」
城壁に囲まれた修練所でグスタブが言った。その挑戦的な笑みに、俺もまた勇んで応じる。
「無論だ。どんな相手か楽しみにしているぞ」
俺の答えに満足したのか、グスタブが笑う。しかし、今度の笑みは好々爺のそれではなく狂猛な剣士のそれだった。
「では、若様。好きな武具を選ばれよ。使いにくいのならば柄を短くしても構いませんぞ」
「おう」
「クリス。若様の手伝いをしなさい。そして、学びなさい」
「は、はい!」
グスタブに言われて、孫のクリスが俺の後ろをトコトコと付いてくる。そんなクリスを引き連れて、俺は壁際に並べてある武器を改めて観察する。
剣に槍に、
しかし、今の俺の体の大きさでは少々持て余す。武器を振るのではなく武器に振られていては本末転倒だ。
となると、使う武器は短剣や槌、小盾などになるが、これだけではやはり攻撃力に欠ける。さて、どうしたものか……、
「あ、あの、若様、一つお聞きしたいのですが……」
武器をとっかえひっかえ、ああでもないこうでもないとやっていると、クリスが背後から声を掛けてくる。
「なんだ?」
「若様は、その……本当に、勝つおつもりなのでしょうか……?」
聞いてきたのは、当然と言えば当然の疑問。しかし、自分でもこんなことを聞くのは失礼だと自覚しているようでクリスは委縮しきっていた。
羞恥と申し訳なさに耳まで真っ赤になっている。なんというか加虐心をそそる姿だ。柄にもなく少しいじわるをしたくなってしまう。
「なんだ、失礼な物言いだな。俺には勝ち目がないと言うのか?」
「す、すいません! で、でも、お爺様は大陸でも随一と呼ばれた方です……お弟子の
「妙なことを言うな。お前も男子であろう。男子だからと言って剣をとるなというのは矛盾ではないか? それに、男だ女だをいうならお前の祖父も男であろう?」
俺の言葉にはっとなるクリス。「そ、そうでした!」などと言っている。まあ、この世界では男女の立ち位置が逆になっているからこんな認識でもおかしくはないだろう。
それを踏まえたうえで、俺はこの勝負から逃げるつもりはない。
「まあ、グスタブは我が母上の師匠。母上の腕前をかんがみればその妹弟子がかなりの腕前なのは明らか。少なくとも今の俺では勝てない相手であることは確かだろうな」
「そ、そこまで、わかっていらっしゃったのですか……!」
言ってすぐに失言を察知するクリス。だが、主君をほめそやすばかりで、道を誤まらせる
けれど、やはり、まだ侍ではない。クリスは良い心根をしているが、武士道は解してはいない。
ここからだ。俺という侍の生き様を通して、武士道を伝えるのもまた俺の使命だ。
「確かに勝ち目は薄い。だが、それだけだ。俺が、侍が退く理由にならない」
「さ、サムライ……?」
「知らないか。まあ、当然だな」
俺がそう言うと、クリスは頭の上に疑問符を浮かべる。この感じだと侍のことを見知らぬ異国の食べ物か何かだと思っているかもしれない。
それも、今は許そう。知らぬことは罪ではない。なにせ、この世界では今のところ侍は異世界転移をしてしまった我がご先祖島左近殿と俺しかいないのだから。
「侍というのは、遥か東方の地に住まう誇り高い戦士たちのことだ。武士とも、もののふとも言う」
「な、なるほど。そ、そういえばおじいさまからロンダインのお家にはそういう方がいらしたと聞いたことがあります……!」
「そうだ。我がひいおじいさま、左近殿がその侍であったのだ」
我がひいおじいさま……か。自分で言っていて誇らしさで胸が一杯になる。前世の家である山田家も武士の家系ではあったが、やはり、今世ではそれほどの方がたった三世代前の先祖だと思うと身が引き締まった。
「若様の艶やかな黒髪は東方より贈り物だったのですね……!」
「そんなこところだ。だが、受け継いだのは髪だけではないぞ。俺は左近様より侍としての志をも受け継いでいる」
「侍の志……!」
俺の答えに目を輝かせて、先を急かすように頷くクリス。ここまで熱心に聞いてくれるとこちらも楽しくなってくる。
武士道は言葉ではなく行動でこそ伝えるべきもののではあるが、ここは一つ教えを授けるとしよう。
「侍には守らねばならぬ道、武士道と呼ばれる道がある。これは騎士道とも似ているが、違うものなのだ。例えば、これが修練の一環ではなく本物の戦であり、敗れればお家が滅ぶとしよう。その場合、お前はどうする?」
「それは……最後まで戦います、騎士として、若様のお傍で最期まで……」
なぜか最期と口にするときだけ、ちょっと恍惚とした表情を浮かべているのは気になるが………まあ、心構えとしてはよい。
武士道的にもかなりの高得点だ。主と共に枕を並べて討ち死にする覚悟は必要だ。同時に、主が間違っていたのならそれを命懸けで糺す覚悟も必要ではあるが。
「心構えはよい。だが、武士道によれば、それは正しくもあり、間違ってもいる。時には戦いを避け、勝ち目を得るまで逃げることもまた正しい。三十六計逃げるに
一時の逃げや敗北は決して恥ではない、それは多くの武士の生きざまが物語るところだ。
俺とて正々堂々を善しとはするが、それに拘泥する気はない。『武士は犬といわれても、畜生ともいわれても、勝つ事が本分である』、戦国大名朝倉家の中興の祖、『
つまり、武士はまず勝つことこそが最優先。戦い方に拘ってそれをおろそかにしていては本末転倒だ。
だが――、
「で、でしたら、勝ち目のない危険な戦いは避けるべきなのでは……? 若様の言われる武士道にも反さないかと……」
「うむ。その方が賢い選択ではあるし、間違ってもいない。だが、侍たるもの。たとえ一時逃げても、勝負そのものから逃げることはない。たとえそれで死ぬことになっても、勝負には挑むのだ。ゆえに、今回も全力で戦う」
武士は勝ってこそ。だが、勝つためには勝負をせねばならない。戦であれ、生き方であれ、勝負そのものから逃げるのは侍ではない。
「な、なるほど……?」
多少は納得がいったのだろうが、それでもまだクリスは完全には理解できていない。
だからこそ、俺が示す必要がある。
侍とはいかようなものか、いかに勇敢で猛々しいか。クロウ・ヴァン・ロンダインがこの世界の歴史に刻むのだ。
「よし、決まったぞ。準備をする。クリス、手伝え」
「は、はい!」
となれば、俺がとるべき戦い方も一つ。
俺は剣士だが、それ以前に侍だ。侍らしいやり方で全力で戦うとしよう。
◇
「爺や、待たせたな」
そうして十数分後、すべての準備を整えた俺は改めてグスタブの前に立った。
「若様、ずいぶんと欲張られましたな。いやはや、なんともまぁ、ハリネズミのようで」
「そこは弁慶に例えてほしいものだな」
「ベンケイ?」
やはり理解できない様子のグスタブ。我ながらよい例えだと思うのだが、まあ、仕方がないか。
かつてかの『源義経』に仕えた『武蔵坊弁慶』は伝説に曰く平家との戦のために千本の武具を集めようとし、それら全てを身に帯びていたという。
そして、こうして立ち合いに挑む俺は槍と斧、ついでに矢筒を背負い、左腰には
今の俺に使える武具をすべて装備したのぎ、この姿。そのシルエットは伝説における弁慶にも酷似しているはず。いいや、間違いなくそうだ。
武を追求した結果、かの弁慶と同じ姿に至るとは俺の才も捨てたものではないらしい。
だが、それも当然か。武士の武とはなにもその象徴たる刀のみに留まらない。
武芸百般。刀に始まり槍や弓、あるいは徒手空拳。時には縄による捕縛術や馬を操る馬術にいたるまで、真の武士たるもの武に関するものはすべてに通じてなければならない。
ゆえに、この俺も前世において高名な剣術家だったおじいちゃんからの指導以外にも通える道場にすべて通い、ありとあらゆる武術を修めることを目指した。このクロウに扱えぬ武器はない。
そのすべてをぶつけるのが、侍としての礼儀。相手が何ものであったとしても、それに変わりはない。
「なんにせよ、面白いものが見れそうですな。よし、参れ!」
だが、グスタブの合図に応え、試合場となる修練場に現れたのは――、
「――では、若様。よろしくお願いいたします、ね」
メイド服の女性が、恭しく頭を下げる。
コーデだ。母上の侍女であるコーデがいつものロングスカートのメイド服で細身の剣、レイピアを腰に差し、反対側の門から入場した。
……なるほど。そういうことか。
だが、これでいい。相手が女、あるいは身内だとしても全力で戦う。それができなければこの世界に侍の国を興すことなどできはしないのだから。
…………だけど、なんだ、コーデの瞳になにか邪なものを感じるのは気のせい、か?
こう、武者震いとは別の寒さを背筋に感じる。俺、狙われてる……?
◇
コーデがかなりの使い手であることは、立ち姿の綺麗さから分かっていた。
修めている武術の練度はその者の立ち姿、歩く姿に現れる。これは前世においておじいちゃんから教わったことだ。具体的には体重移動の滑らかさなどがいい基準になる。
その点で言えば、俺が知る限り、我がロンダイン家においてはグスタブ、母上、コーデの順で歩き方が美しい。ほかにも十人以上の女騎士と面識があるが、それら全員よりもまだ十五歳になったばかりのコーデの方がはるかに熟達している。
メイドとしての作法が体幹にまでしみつているがゆえの美しさもあるのだが、聞くところによれば、コーデは母上の従者としてすでに初陣を済ませている。
その際には、手練れの鎧騎士を三人切り捨てたというから実力に疑うところはない。
なので、こうしてコーデが俺の立ち合いの相手として選ばれ、この修練場に立っていることに驚きはない。俺が戸惑っているのはそこではなく――、
「若様……そう見つめられては、このコーデ、恥じらってしまいます」
いつもの鉄面皮はどこへやら、そう言って微笑むコーデの瞳はどうにも笑っていない。むしろ、何かの炎がぎらついているようだ。その爛々たる輝きは狂暴な、飢えた獣を連想させた。
これだけならばコーデが闘志を燃やしているのだと解釈できなくもないが、どうにも違う。
何が具体的に違うのかと問わると困るが、どうにも前世の試合で向けられていた闘志や敵意とは感触が違うのだ。
「このたび、わが師グスタブ卿より若様のお相手をつかまつれ、と命じられました。若様は真剣での立ち合いは『初めて』。その『初めて』の相手を務められるというのは、このコーデ、歓びが溢れてしまいます」
コーデは率直に俺への敬意を表してくれている、ようにも思えるが、いちいち言葉の選び方が変で、妙な引っかかりを覚える。
その上、声もなんか熱っぽい。艶やかとでも言えばいいのか……? 祭りで浮かされているような、酒にでも酔っているようなそんな感じだ。
……いや、待てよ。似たような出来事を俺は知っている。それもそのできごとは前世で経験したことでも、今世で経験したことでもない。最近、本で読んだことだ。
不本意ながら母上とコーデに薦められて読んだ『若妻物語』、外伝も含めて五十三巻。そこには男女の色恋のイロハから倒錯した性癖をした変態の話まで幅広い『愛』に関する物語が描かれていた。
そんな若妻物語のあるエピソードに、今のコーデのような目つきをした人物が登場していた。
その人物の名は『
幼いころに亡くした弟のことが忘れられず、それ以来、年下の男子に極端な執着を持つようになってしまった悲しき愛の女と作中では描写されており、その狼姫が年下の男子、特に美男子に対して向ける燃えるような獣の瞳とコーデのそれはかなり似ていた。
というか、それそのものだ。つまり、コーデが俺に対して向けている
「――ところで若様。せっかくの勝負ですし、一つわたくしと賭けをいたしませんか?」
「……賭け?」
「はい。といっても、金銭などという無粋なものは賭けません。ただ、若様がわたくしに負けた場合、一つお願いがあるのです」
「…………なんだろうか」
すごい、嫌な予感がする。
なんというか侍として許容できない、あるいは、男としての尊厳を傷つけられそうな何かを命じられる、そんな予感があった。
「この勝負にわたくしが勝った場合、若様にはわたくしのことをこう呼んでいただきたいのです。そう、『おねえちゃん』と……!」
恍惚とした表情で、そんなことを言い出すコーデ。
………へ、変態だ。しかも、若妻物語に登場したとおりの変態だ。
押しも押されぬ見事な変質者だ。
未成年の男子の姉になりたがるなんて現代日本じゃなくても即通報案件。
母上はこんなのを側近にしていたのか……いや、俺もこうして向かい合うまでは気付けなかったのだが。
実際、メイドとしてのコーデ、従者としてのコーデは極めて優秀だ。母上の眼がある場所ではこの本性を完璧に隠していたのだろう。
だが、今はその母上の眼もない。それで本性を現したというわけだ。
……俺も侍。他人の趣味趣向に対していちいち干渉するような野暮な真似はしないが、惚れただの腫れただの、そういう熱情を向けられると正直、複雑な気分だ。
怖いような、嫌なような、それでいて、嬉しいような、こそばゆいような。ともかくこんな一言で言い表せない感情になるのは前世でも、今世でも初めてのことだ。
だいたい、そもそも俺にはちゃんと姉がいる。普段は領地を離れて王都の学園で過ごされているが、温厚な姉上でも勝手に姉が増えてたら怒るぞ、たぶん。
……いや、「あらあら家族が増えてしまったのだわ」と喜ぶな。姉上にはそういうおおらかなところがある。
「……俺が勝った場合は?」
「若様のお願いをなんでも一つお聞きしましょう。無論、このコーデにできる範疇にはなりますが」
「…………わかった」
だが、はっきりしていることが一つある。
それは俺が実際には姉でも何でもない相手をおねえちゃんなどと呼ぶ気は毛頭ないという点だ。
いや、確かに関係性で言えば姉に近しい相手であることは間違いない。コーデは
まあ、その尊敬の念は今しがた揺らいでいるわけだが……いや、もういい。この勝負に俺が負けなければいいだけの話だ。
ちなみに、ことここに至って勝負から逃げるという選択肢は俺にはない。一度、勝負を受けると決めた以上は武士に二言はないのだ。
「コーデ……おぬしまだ若様にそんなことを言っておるのか……幼少の若様の就寝中に枕元で同じようなことを囁いでるのがバレて、ソネッタに尻を叩かれていたが……治らなかったか……」
さすがにグスタブが苦言を呈する。従者であるクリスも俺を守るように前に出て、コーデをにらみつけている。だが、短剣の柄に手をかけているのはやりすぎなので、とりあえず俺が前に出ることで制止する。
クリスの忠誠心、心構えは素晴らしいものがあるが、子供ゆえの暴走には注意が必要だな。
というか、そんなことしてたのか、コーデ。やばいだろ、こいつ。
「師匠は黙っていてください。仔細はわたくしに任せると仰られたのですから、二言はないはずです。それに、
「おぬし、いつのまにそこまでの業を……と、ともかく、相手は若様であるぞ、控えよ」
「若様だからこそです。常にお傍にあり、成長を見守ってきた、大恩人のご子息だからこそ、滾るのです……!」
思っていたよりも、十倍ほど理解不能な発言だ。
そして、コーデの変態性は俺に限った話らしい。特別感は確かにあるが、でも、今回に限ってはそうじゃない方がよかった。
「ともかく、若様はお受けになられました。であれば、勝負! 勝負です!」
「…………まあ、これもよい試練か。しかし、コーデ、そなたの術は使ってはならぬぞ? あれがあっては勝負にならん」
「無論、このコーデも剣士です。勝負には常に誠実さをもって臨みます」
そう言ってコーデは佇まいをなおす。彼女が剣の柄に手を掛けると、気配が変わった。
こちらを圧する強い剣気。驚いた。実力者だとはわかっていたが、ここまでとは思ってなかった。前世で試合をした大人の、免許皆伝を許された剣士たちでもこれほどではなかった。
こんな剣気を出されてはこちらも
侍たるもの、強者に打ち勝ってこそ名が上がる。俄然、やる気が出てきた。
しかも、グスタブの言によればコーデはただの剣士じゃない。今回は剣士としてだけ戦うつもりのようだが、せっかくの機会だ。その本領、俺が引き出してみせよう。
「勝負の時間は五分間。それまでの間に若様がコーデに一太刀でも浴びせれば若様の勝ち。コーデは五分の間、逃げ切れば勝ち。条件はこれでよろしいな?」
「おう」
「はい。では、若様。初めての
グスタブの確認に、俺とコーデが頷く。
彼女の態度は従者としてもメイドとしても一個人としてもいろいろと問題だが、戦士としては正解でもある。
こちらの戦意をそぎ、自らを高めるための本気の
だが、勝ち筋は見えている。剣の術理だけではなく侍の武芸、とくと見せてくれようぞ。
――――
あとがき
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