第4話 侍、愛の重い従者と出会う

 成人になったら、ひいお爺様の、島左近の残した刀をもらい受ける。

 そう母上と約束した俺だが、この世界での成人は十五歳。あと九年もある。気持ちは急くが、武士に二言はない。成人するまでの間、俺にできることは知識をつけ、武芸を磨くことだ。


 しかし、そうは言っても、俺はまだ六歳。木剣の素振りならともかく真剣での本格的な修練などできるはずもないし、やったとしても逆効果。怪我でもすれば鍛錬を許してくれた母上が意見を変えかねないし、何より申し訳ない。今はよく食べ、よく休み、成長を待つべきだ。


 聞くところによれば、この世界において本格的な修練を許されるのは九歳からだという。なので、それまで俺はこの世界について理解を深めることに時間を費やすことにした。


 まずは母上の書庫の書物を端から端まで読んでいくことにした。

 そのおかげもあって、三年間でこの世界について多くを知ることができた。

 

 まず、この世界には不可思議な力が複数存在している。

 『天恵スキル』だの『魔術』だのと呼ばれるそれらの力は古来から存在し、生活や文化にも溶け込んでいる。特に前者、『天恵』は我がロンダイン侯爵家のような貴族が支配階級として成立した所以と言ってもいいし、この世界において男女の役割が逆転している理由の一つでもある。


 ロンダイン侯爵家のある『ソーディア王国』の国教『女神聖教』、天恵はその女神聖教の主神たる秩序の女神『コスモリア』が貴族に授ける力、とされている。

 神話によれば、争い続きで荒廃する現世を嘆いた女神が世を平定するために選ばれし者たちに天恵を与えたのだという。


 その選ばれしものたちの子孫が貴族。ゆえに貴族の血を分けたもののみが天恵を授かる。そして、貴族の子供は九割が女。ゆえにこの世界における戦士階級、支配者階級においては女性が主要な位置を占めることになったのだ。


 そのようにこの世界のあり方を定めた天恵にはさまざまな種類があり、武器を持つことで身体能力を増すものから矢玉を避ける加護を与えるもの、あるいは、ただただ単に幸運をもたらすだけというものもあるらしい。

 また、貴族の生まれであっても、どんな天恵を持つかは十二歳になって女神聖教の教会で『聖別の儀』を受けるまではわからない。そのため、与えられた天恵によっては出世に影響が出たりするとも書物には記されていた。


 一方で、もう一つの力『魔術』に関しての詳細な記載は母上の書斎の本にはなかった。いくつかの断片的な情報から推測するに天恵とは相対する力であり、貴族社会においては忌避されていることまではわかったが……それ以上のことは書斎の本からは読み取れなかった。

 言葉の感じや本の描写的には、前世における魔術にも近しい概念なのではないかと思う。妖術、奇術、呪術と言い換えてもいいだろう。この世界においてはこれらの技術が実在しているのだ。


 また、この世界には魔物と呼ばれる怪物たちも存在している。竜や吸血鬼、小鬼ゴブリンに始まり、実体のない幽霊ゴーストや悪魔に至るまで多くの怪物・怪異がこの世界には跋扈ばっこしているのだ。


 これらが存在しているのは魔力によるものだそうだが、俺としては喜ぶべきことだ。

 武名を高めるは侍の本懐。竜殺し、悪魔殺しとなればかの『源頼光』越えも夢じゃない。魔物退治は貴族の仕事でもあるわけだし、これから機会はいくらでもある。実に楽しみだ。


 ほかにも、この世界の歴史、我がロンダイン家の領地と政治状況なども書物からは学べたが、いい勉強になった。

 俺がこのまま長じれば侯爵家を継ぐことになる。その時に備えて領地や仕える国について知っておくことは決して無駄ではないし、いずれこの地は侍の国のいしずえになる。そのためにも己が地盤を固めるのは有益だ。

 

 しかし、書物は有益だが、本の知識だけでは限界がある。そういう時は自らの足で領地を回って、体験として学んだ。

 それで知ったことだが、我がロンダイン領の特産品は良馬と織物だという。両方ともソーディア王国内ではかなりの評判で侯爵家の財政を支える柱となっている。さらには、ロンダイン領は他国との国境に接しており、代々王国の盾とも言うべき大任を担ってきたということもわかった。


 強固な地盤と健全な財政を備えた地方領主。要約してしまえば、ロンダイン家の王国内での立ち位置はそんなところか。

 ……正直言って、理想的な立ち位置だ。多少の野心があれば、俺でなくても邪念が過るというもの。王都までの距離も徒歩で二週間ほどと近すぎもせず、遠すぎもしない。一旦ことあればより大きな権力を握るのはそう難しくない。いや、それどころか、その気になれば自ら事を起こすことも…………、


 とまあ、そんな風によからぬ企みを胸に秘めた俺だが、領民や臣下からの印象は真逆のものとなった。

 領民思いの聡明な若殿、ロンダイン家の跡を継ぐに相応しい寵児と皆は思ってくれている。騙すつもりはなかったのだが、僅か一年程度で書斎の本を読みつくし、領地の巡察を欠かさないとなれば、はたから見ればそう見えるか。


 それはいい。それはいいんだが、余計な風聞もついてきた。

 曰く『若様に微笑まれた侍女がその場で気を失った』だの『若様の顔を直視したら持病のしゃくが治った』だの、『若様がスケベすぎてやばい。えどい』だの好き勝手に言われている。ちなみに、えどいはこの世界の言葉で『天上に昇ってしまいそうなほどに美しい、または官能的』という今の流行り言葉なのだそうだ。


 ともかく、そんなことをしていると、三年はあっという間に過ぎた。そうして今日、夏真っ盛りの七の月の十一日、俺が初めて本格的な訓練を受けられる日がやってきた。


 会場となるのは、ロンダイン家の館のすぐ近くにある修練場。古い砦を改築したこの修練場は四方を石壁に囲まれており、石畳ではなく土の地面となっている。

 壁際には剣に槍、メイスなどの武具が立てかけられている。珍しいものであれば流星槌フレイルボウガンなども用意されていた。


 だが、やはり、刀はない。武士たるものありとあらゆる武器を使いこなせて当然だが、刀は武士の象徴、魂だ。

 打ち刀と脇差、大小揃って腰に差さっていなければ侍として恰好がつかない。


 ああ、はやく成人したい……侍の国を興したい…………そういえばニーナは大丈夫だろうか。最近、六歳になったことですっかり自我が出るようになって今回の訓練にもついてくるとごねて、母上に止められていた。

 それだけじゃなくて館にいる間は兄さま、兄さま、兄さまと常に後ろを付いてくる。皆、俺を美男子美男子とほめそやすが、むしろかわいいのはニーナの方だと大いに天下に喧伝したい。


「――若様、クロウ様」


 そんなことを考えて空を見上げていると、声を掛けられる。

 低く威厳のある声だ。俺はこの声を知っている。この三年間で面識を得た人物だ。


 振り返ると、そこにいたのはやはり思った通りの人物だった。


「グスタブ、久しぶりだな」


「は。年始の挨拶ぶりでございますな」


 白髪の老人。顎髭と口ひげをたくわえ、皺の刻まれた顔には右斜めに傷跡がある。黒いマントで隠されているが、その左腕が失われていることを俺は知っていた。


 彼の名は、グスタブ。

 グスタブ・ボーントゥール、またの名を赤鱗せきりん斬りのグスタブ。かつて赤い鱗をした竜をその剣で退治したことからこの異名を付けられたという、この世界では珍しい男の剣士、武芸者であり、母上の家臣だ。


 その異名は伊達ではなく今は一線を退いているが、かつては並みいる女騎士たちを差し置いてロンダイン家家中随一の武勇の持ち主として知られていた。


「このグスタブ、昨日さくじつ、お母君から若様の剣術指南役、およびもり役を仰せつかりました。どうぞこれからは気兼ねなく爺やとお呼びくだされ」


「そうか。よろしく頼むぞ」


 俺が承諾すると、グスタブは目を細めて微笑む。どこか、前世で俺を育ててくれたおじいちゃんにも似ている。


 しかし、傅役か。いずれは付けられるものとは思っていたが、このタイミングだったか。

 傅役とは上級武士の子息につけられる指導役であり、護衛であり、親代わりさえも兼ねる役目だ。この世界においてもその役割は同じで、基本的に家臣の中でも特に信用のおける人物がこの役目につく。


 俺としては傅役がいなくとも勉学にも修練にも支障はなかったから、正直、自由にやる分には不要と思っていたが、相手がグスタブともなれば話は別。

 俺は侍で、彼は騎士という違いこそあれ、練達の剣士から学ぶことは多い。この機会にこの世界特有の武術なども身をもって知っておきたいしな。


 同時に母上がグスタブを選んだ理由もわかる。常日頃から言っている通り、女では俺に対してよこしまな思いを抱くのではと心配しているのだ。困った母上だ。


 もしくは若き日の母上や、姉上のように王都の学校に通うという手もあったが、母上に全力で拒否された。姉上に続いて俺まで手放すのは絶対に嫌らしい。


 気になるのは、グスタブの背後に隠れている見知らぬ少女? いや、少年だろうか?

 人見知りをしているのか、緊張した表情でこちらを伺っていた。


「爺や、そちらは……」


「おお。すみませぬ、挨拶もせんで。わしの孫です。ほれ、自分で名乗りなさい」


 グスタブに促されて、少年? が前に出る。金色の髪と祖父譲りのはしばみ色の瞳をしている。

 年のころは俺と同じか、少し年下か。厳めしい顔をした祖父グスタブとは似ておらず、くりくりと丸い瞳の愛らしい顔立ちをしていた。


 ……しかし、どっちだ? 正直、女なのか、男なのか区別がつかん。この世界で貴族の男子は希少なので確率としては、女の可能性が高いのだろうが、髪型は短くて男の子っぽい。


 織田信長の小姓だった森蘭丸もこんな感じだったのか? 俺には衆道、同性愛の趣向はないが、客観的に見てもかなりの美少年。いや、美少女か……?


「こ、この度、若様の従者に任じられました! く、クリス・ボーントゥールと申します! 若様に置かれましてご機嫌うるわしゅ――っ!?」


 噛んだ。しかも、舌を噛んだのか、涙目になっている。

 ……かわいい。少し信長の気持ちが分かってしまった。


 そういえば、鍛錬ができる年齢になると同い年の『従者』を付けられると母上に聞いたことがある。戦国時代の小姓のようなもので秘書であり、護衛であり、身の回りの世話係でもあるそうだ。

 それにこの世界の慣習では貴族の男子につけられる従者は同性であるべしとなっているから、クリスは男子だ。多分。


「クロウ・ヴェル・ロンダインである。よろしく頼むぞ」


「は、はい! 若様、お慕い申し上げておりまする!」


 はい? 


「あ。い、いえ間違えました! えと、従者として粉骨砕身働かせていただきます! 永遠とわに!」


 俺が頷くと、クリスは満面の笑みを浮かべて両の拳を顔の前で握ってふんすと息を吐く。

 明らかに気合が空回りしている。どうにも慕われているらしいが、身に覚えがない。


 しかし、お慕い申し上げておりますと従者として働くのでは大きな違いがある。前者だと、あれだからな、色恋の話になってしまうからな。

 侍たるものあらゆる主義趣向に理解がないではないが俺にそのはないし、欲しいのは愛人ではなく忠誠心に溢れた従者だ。


 ……そういう意味ではクリスは適任かもしれない。戦国時代において小姓がそういう役割を持つのも、主君とのきずなを深めるための手段でもあるわけだし。


 まあ、衆道云々はおいておいても従者が同じ男というのは助かった。この世界に来てから周りは女性ばかりで肩の力がなかなか抜けなかったのだ。

 その上、いきなり粉骨砕身、永遠に仕えるとは頼もしい限り。大人の言葉であれば重たいが、子供であるからこちらとしても受け入れやすい。


「こやつは若様のうわさ話を聞いてというものお会いしたいとうるさくてかなわんのですよ。将来は若様のような聡明で、お美しい方にお仕えしたいと言って、寝所に若様の似顔絵まで飾る始末で――」


「お、おじいさま! それは内緒にするとの約束です!」


「すまんすまん、忘れておったわ!」

 

 グスタブに頭を撫でられながらも、抗議するクリス。孫と祖父じいの微笑ましい光景だ。

 しかし、俺に仕えたい、か。三年間の勉強三昧の思わぬ副次効果だ。ありがたい。


 いずれ俺は侯爵家を継ぐが、その際に俺に仕える家臣たちは母上の家臣であり、代々侯爵家に仕えてきたものたちでもある。

 彼女らの忠誠は疑うべくもないが、同時に彼女らは俺個人の家臣ではない。俺が当主になった後、自由に侯爵家を指揮するには俺個人の派閥が必要となる。


 そのためにも、いずれは人材を集めなければ思っていたが、こんなところで見つかるとは思ってもみなかった。

 

 もっとも、まだ九歳。あてになるかどうかはこの先次第だ。


「で、爺や。俺はなにをすればいいのだ? 素振りからか? 基礎から教えてくれるのか?」


 実際に人を斬ることこそなかったが、俺も前世においてそれなりに鍛えたつもりだ。


 なにせ他所の剣術道場から指導役として招くといわれる程度には鍛えた。結局、道場の指南役はどうにも俺の求める侍の道とは違っていて断ることにはなったが。だって、意外と人付き合いが多いし、鍛え上げようにも現代日本人は貧弱すぎた。真冬の滝行くらい余裕だろ、気合で。

 ともかく、その程度で自惚れる俺ではない。

 

 剣の世界には上には上がいる。

 言わずと知れた『天下無双・宮本武蔵』。

 その天下無双の斬撃を鍋の蓋で受け止めたとされる『一ノ太刀いちのたち塚原卜伝つかはらぼくでん』。

 さらに卜伝の弟子であり、数多の剣豪たちに技を授けた『剣聖・上泉信綱かみいずみのぶつな』。

 ほかにも柳生の一族や九州の丸目永恵まるめちょうけい。幕末であれば新撰組の面々。日本の歴史において剣豪、剣士は枚挙にいとまがない。


 歴史に名を刻んだ偉大なる彼らの伝説伝承に比べればオレなどひよっこ以下。刀で鋼の棒を両断できる程度自慢にもならない


 ならば、こうして基礎から学ぶのも恥ではない。地道に剣の握りからやり直すのもいいだろう。


「おや。若様はすでに剣術の基礎は納められておると思いましたが、違うのですかな?」


 だが、グスタブが言った。彼は髭を撫でながら、こちらを見ている。

 表情こそ好々爺だが、視線の鋭さは猛禽のそれだ。やはり、グスタブの剣は伝説の剣豪たちの域にも届いているのかもしれない。


「…………わかるのか?」


「わかりますとも。立ち姿にあらわれております。この程度のこと、天恵スキルなぞに頼らずともわかります」


 それからグスタブは失礼と声を掛けてから、俺の右腕に触れ、次に肩に軽く叩いた。おそらくだが、筋肉の付き方を見ているのだろう。


「ふむ。素振りは内緒でなさっておられたようですな。立ち方はよくできておられます。重心の位置も見事。ですが、人を斬ったことはないご様子。うむうむ、健全健全」


「…………そこまでわかるものか」


「ええ。これでも五十年以上、これを生業にしておりますからな。剣士のことは、わかります」


 そう言ってグスタブは腰に差した長剣の柄に右手を置く。


 ……これが本物の剣士か。

 前世では現代日本に生きていたから実戦経験のある剣士に会う機会はおじいちゃんを除けばなかった。ましてや、グスタブのように剣と剣で殺し合った経験がある剣士などいるはずもない。改めてこうして向かい合うと尊敬の念と感動は強くなるばかりだ。


「ですが、若様。どうやったか知りませんが、剣以外にも使えますな。槍に、弓。徒手もですか。いやはや、男だてらにこの歳でここまで心構えができておられるとは、将来が楽しみですな」


「……それは『天恵スキル』だな」


 俺が指摘すると、グスタブはますます楽しそうに笑みを深める。どうやら俺の洞察力は合格点だったようだ。


「『かんの眼』と言いましてな。見た相手の得手不得手が分かるのです。授かった時はこんなもの何の役に立つのかと腹を立てたものですが、これがなかなか便利なのですよ」


「得手不得手、つまり、強みも弱点も見えるということか。それは厄介だな」


 つい思考を口に出してしまう。そんな俺を見て、グスタブはますます楽し気に頬を緩めた。

 ……上機嫌に笑ってはいるのだが、俺の背筋には冷ややかなものが走る。さすがは超一流の剣士、笑顔ひとつとっても貫禄が現れている。


「若様、鍛錬を始める前に、一つ試してみたいことがあるのですが、よろしいですかな?」


「構わないが、なんだ?」


「なに、簡単なことです。鍛錬の前に若様の実力を試したいのです。真剣での立ち合いいかがですかな?」


「相手は?」


「私の弟子の一人。かなりの使い手です。どうされますか?」


 なるほど。寒気の正体はこれか。グスタブから漏れ出た殺気を俺は感じていたわけだ。

 いわゆる武者震いというやつ。緊張と歓喜、その二つが俺の腹の底で渦巻いている。


 上等だ。

 侍たるもの、挑まれた勝負から逃げることはありえない。これから師となるグスタブに、俺の今の実力を示すとしよう。たとえ相手が誰であったとしても……!



 

  

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