第3話 侍、刀を見つける

 転生してからこの方、俺はこの世界には侍は存在しないものと思い込んでいた。

 今思えば、転生した場所が中世のヨーロッパに似た土地だからといって、この世界に侍がいないとは限らないのに先走っていた。


 事実、目の前の母上の書斎の棚には日本刀が飾られている。これこそ動かぬ証拠だ。


「は、母上! あれ、あれを見せてください!」


「む? ああ、これか。男子が興味を持つのは珍しいが……まあ、よかろう。なにせ、私の息子だしな! えらいぞ! だが、あわてるな。これは大事な品なのだ」


 そう言うと母上は恭しく一礼してから、棚から刀を取り出してくれる。

 そのまましゃがむと、両手で掲げるようにして、俺に見えやすいようにしてくれた。


「おお、おお……!」


「ど、どうした、クロウ!? なぜ泣くのだ!? 埃が目に入ったか!?」


 思わず感動の声が喉から零れる。母上の言葉からするに、涙さえ流しているようだ。


 ……武士は涙を見せぬもの。すぐに引っ込めるが、感動はそのものは無理からぬことと許してほしい。


 だって、俺の目の前にあるのは間違いなく日本刀だ。

 こしらえも、重量感も、刀身の反りも間違いなく本物で現実だ。


「問題ありません! それよりあれを……!」


「少し持ってみるか? 重たいぞ」


「は、はい! ぜひに!」


 母上は嬉しそうに微笑むと打ち刀を、差しだした俺の両手にそっと置いてくれる。


 ずしりと重たい。やはり、この感覚は本身だ……! よかった、偽物じゃなくて……!


「さ、鞘から抜いてもよいでしょうか? 刃紋が、刃紋が見たいのです……!」


「わ、わかった。そうせっつくな。危ないから気を付けろ、これはよく切れるんだ」


 許可を得て、ゆっくり鯉口を切る。ガチリという喜ばしい感触と共に、刀身が露になった。


 窓からの光を美しい刀身が反射する。その怪しい輝きには万人を魅せる美しさがあった。


 澄んだ鏡のような刀身に、鈍い鉄の色をした峰。反りは浅く、刀身の長さは七十五センチほど。打ち刀にしては少し長いが、おそらくもっと長かった刀身を磨り上げて今の形にしたのだろう。


 刃紋は、波打つような逆丁子。刃は切っ先まで磨ぎあげられ、突くのにも斬るのにも十二分に力を発揮してくれるだろう。


 柄を外してなかごの銘を確認したいが、今は無理か。だが、これがいかなる刀匠の手によるものだとしても名刀であることはまず間違いない。


 なぜそれがわかるか。

 簡単だ。この刀は美しい。美しい刀は鋭く、強い。そう決まっている。


 なぜ日本刀が美術品として価値を持つのか、その答えはこの武具の持つ美しさにある。人を殺すために鍛え上げられたこの刃のきらめきは人の心にも消えない傷を残すのだ。

 すなわち、機能美。武具として完成度が高いからこそこの刀は美しいのだ。


「これまでになく瞳が輝いているな。さすがは我が息子。私もこれを初めて父上、お前のお爺様に見せてもらった時は興奮したものだ」


「ええ、はい、わかります、とても」


 当然だ。男子たるもの初めて刀を目にして高揚しないものなどいない。

 しかし、女性であり、異世界人でもある母上の中にも武士の心があるのならそれは嬉しい。


 名残惜しいが、刀を鞘にしまい、母上の手に帰す。本当に名残惜しいが、今はまだ俺のものじゃない。刀のためにも抜き身にはしていられない。


「母上、このカタ……いえ、これはどこから来たものなのですか? これも我が家に伝わる品なのですか?」


「そうだとも。お前にはまだ話してなかったな。どれ、話してやろう」


 母上は嬉しそうに話し始める。俺はその場に正座して話に耳を傾けた。


「実は、我が侯爵家には東方のある民族の血が流れているのだ。お前のひいお爺様、つまり、私の祖父が東方から流れ着いたお方でな。ほれ、我らの黒い髪はそのひいお爺様の血だ」


「東方から……! 東の果てに国があるのですか!?」


「お、おう、だが、不思議な話でな。ひいお爺様は館の近くの森にある日突然倒れておられたのだ。それも傷だらけで」


 ある日突然、傷だらけで見つかった……? 

 死んで転生した俺とはまったく違う状況だ。それに傷だらけで突然現れた、ということは、自分の意志でこの土地に現れたわけではないらしい。


 ……どういうことだ? そのひいお爺様、一体何者だ?


「お前のお爺様、私の父上が仰るには、『ヒノモト』という国のご出身だったそうだ。ひいお爺様は故郷に帰るべくいろいろ聞きまわられたそうだが、結局、何一つ分からずじまいだったらしくてな。最終的には、侯爵家に婿入りされ、この地で亡くなったのだ」


「……ヒノモト」

 

 ヒノモト……日ノひのもとか。日本の古い呼び名と一致しているのは決して偶然ではないだろう。

 

 ひいお爺様が俺と同郷、あるいはこの世界における日本に類する国の出身者であることは間違いない。

 問題は、ひいお爺様がそのどちらかだが、肝心のひいお爺様がすでに亡くなられている以上、確かめようが……いや、確かめる方法があるかもしれない。


「母上、お爺様は手記か、あるいは日記のようなものを残されませんでしたか? よろしければ、拝見したいのですが」


「おお、あるぞ。だが、読めぬと思うぞ? なにせひいお爺様が故郷の言葉で書かれた日記だからな。ある程度は言葉を習った私のお爺様でも解読できなかったようだし……」


「それでもお願いしたいのです。その、ご先祖が残されたものに触れてみたいと言いますか、なんというか……」


「そうかそうか! クロウはご先祖様思いだな! いいことだ! 私は嬉しいぞ!」


 母上は俺の頭をワシワシと撫でると、書棚の奥の方から古びた手記を引っ張り出す。

 子ども扱いされていることに悲しみやら恥ずかしさやらなくもないが、今は手記だ。その内容が俺のこれからを左右する。


「これだ。脆くなっているから気を付けてな」


「ありがとうございます」


 手記はえんじ色の表紙をしている。題名や名前などは書かれていない。分かるのはこれがかなり昔に書かれたものであるということくらいだ。


「……参る」


 覚悟を決めて表紙をめくり、最初のページに目を通す。最初の一行が視界に入った瞬間、俺は自分がこの日記を読むことができることに気付いた。


 この日記は日本語で綴られている。無論、博物館に置かれている古文書然とした文章だが、俺ならば読むことができる。

 よかった……! 結局、性に合わず研究者の道には進まなかったが、前世で勉強した甲斐があったというものだ。


 そして、俺の解読によれば日記の最初にはこうあった。

 『それがしの名は、島清興しまきよおき石田治部少輔いしだじぶしょうゆう様が家臣である。この文を読めるものに、我が手記を託す』


「――っ!」


 その最初の文章を俺は何度も読み返し、頭の中で反芻はんすうした。

 心臓が破裂しそうなほど脈打って、呼吸が上ずる。これほどまでに興奮したのはこれが初めてだ。


 島清興、またの名を島左近。

 俺はその名を知っている。いいや、知っているどころではない。鳥居元忠とりいもとただと並んで俺が尊敬する戦国武将四天王に彼は入っているのだから。


 島左近は、日記の最初の文の通り、石田治部少輔ことあの石田三成に仕えた武将だ。

 それも、ただの武将ではない。居城佐和山城と並んで三成に過ぎたるものと謳われた名将であり、三成は彼を配下に招くために己の所領の半分を差し出したという逸話も残っている。


 その上、左近は忠義の士でもある。天下分け目の関ケ原の戦いにおいてはその命尽きるまで奮戦し、東軍の兵士たちに左近がどんな姿をしていたのか記憶があいまいになるほどの恐怖を刻み付けたという。


 そんな島左近が、戦死しておらずこの異世界に来ていた……? しかも、俺の先祖でもある?

 思わず口がにんまりと緩むが、同時に、にわかには信じがたい。


 いやいや、だが、確か左近の首は見つかっていないはず。生存説も多々あって、どこそこの村に潜伏していたという伝説があちこちにあった。だとすれば、実は死んでおらずこの世界に何らかの要因で流れ着いたということも十分にありうるのでは……!?

 それに、あの島左近だぞ? 鬼の左近だぞ? それが俺の先祖!? そんなの、嬉しすぎるだろ……!


 ……いかん。冷静になれクロウ。まずは日記の内容を改めるのだ。喜ぶのは確証を得てからにしよう。


 どうにか平静を取り戻した俺は夢中になって手記を読み進めた。

 そこには左近殿自身の簡単な来歴とこの世界に来てからのことが記してあった。

 それらの記述は俺の記憶とも一致しており、がぜんこの日記が島左近当人のものであるという確信が沸いてくる。


 ページを進めると、さらに重要な記述があった。


『このえんでらんどに来てから二年の月日が流れた。日ノ本に帰るべく手を尽くしているが、一向に成果はない。よもやここは異国の地ではなく浄土ではあるまいか。 


 領主であるろんだいん殿、いや、えま殿はそれがしにいっとう親切にしてくださっている。

 えま殿はまだ二十歳にもならぬというのに女だてらに立派に領地を治めておられ、某も頭が下がる思いだ。


 先日、その恩を返すべく某はすでに齢六十なれど奉公を申し出たが、逆にえま殿は某を婿に迎えたいなどと言いだされた。四十も年上の某をだ。


 当然、お断りしたが、引き下がってくださらぬ。仔細を聞くところによると、この地では武門の家では男子が生まれにくく、しかも、えま殿の婿殿は子供を成す前に流行病はやりやまいで亡くなられたそうだ。それで困り果てていたところ、某が現れ、天の采配だと確信されたとのこと。はてさて……どう断ったものか……』


 ……なるほど。左近殿は最初ロンダイン家との縁組に乗り気ではなかったようだ。

 当然と言えば当然か。左近殿は日ノ本に帰りたがっているうえ、この時のお年は六十歳を過ぎている。嫁を迎えるにしても、婿になるにしても迷うのが当然だ。


 ちなみにだが、貴族同士の婚姻であれば老齢になってからのものというのもこの世界では珍しくない。無論、一縷の望みを託してのことではあるが、それほどまでにこの世界では男子は希少なのだ。

 ……俺も他人事ではないな。


『ついに、婚儀の日を迎えてしまった。えま殿に頭まで下げられては居候たる某には断る道理がない。

 だが、障りはあるまい。某は歳、そのうち死ぬる身だ。幸い、妻となるえま殿はまだ二十はたち。子ができるとは思えぬし、某が死した後でもよい縁談は見つかろう。


 そう思っていたのだが……なんとこのほど子が生まれてしまった。それも男子である。幼名を籐ヶ丸とうがまると名付けた。トウガ、とはえま殿曰くこの地の言葉で『丈夫』という意味だそうだ。

 

 ……某はそう長くない。こうなってしまった以上はこの地に骨をうずめるしかあるまい』


 これで左近殿がロンダイン家に婿入りした経緯が分かった。

 確かに子供までできてしまったのでは自分の都合だけで生きていくわけにもいかない。故郷に帰れぬこと、主と共に死ねなかったことはさぞ無念だったろうが、左近殿がこの地に愛着を持たれたことは日記から分かる。


 そして、手記は最後にこう結ばれていた。


『これを読む者が我が子孫であることを切に願う。そして、その者が某と同じ武士であるのならば、託したきものがある。


 それは我が宿願である。


 この老境において、某は一つの志を抱いた。それは我が主君、石田三成さまが願われたこと、太閤秀吉公が目指された国をこの地に建てることである。


 お二人が目指された国とは、皆が志を持ち、身を立てることのできる国。すなわち、誰もが武士らんとする国である。

 かつて太閤殿下が一足軽の身から天下人となられたように、身分の別なく、あるいは老若男女の別さえ問わず、皆が武士となる国をこの地に興す。それが我が志とようやく定ることができた。

  

 されど、口惜しくも我はすでに老爺ろうや。宿願の成就はこの手記を読む若き侍に託す。これを我が遺言と心得え、武門の誉れがあらんことを願う』


 誰もが侍である国を、新たな武士の国をこの地に興す……なんて壮大で、気概に満ちた夢だろうか。

 さすがは島左近。さすがは石田三成。さすがは豊臣秀吉。俺なんかとは発想のスケールが違う。同じ侍として恥ずかしくなるほどに偉大で、素晴らしい志だ。


 だが、だからこそ、俺の絶望も晴れた。この手記の言葉が俺に、志と道を示してくれた。俺はこのために、この天命を果たすために転生したのだ。

 なんと清々しいことか。二度目の人生にして俺はようやく自分の武士道を見つけたのだ。


 このエンデラントに日本に相当する国があろうとなかろうと、あるいは、俺以外に侍がいようといまいと、そして、戦場に女しかいなくとももう関係ない。

 俺は左近殿の、我が先祖の志を継ぐ。二度目の生をかけてこの地に武士の国を興す。そう決め、そう誓った。武士に二言はない。


 となれば、必要なものが一つある。


「随分熱心に見ておるな。まさか、お前その文字が――」


「――母上。いただきたいものがございます」


「な、なんだ? 急に真剣な顔をして……なんぞおもちゃか? 遠慮なく申せ、コーデには内緒だぞ。あれは無駄遣いに厳しいのだ。馬を買うにも頼み込まねばならぬほどでな」


「いえ。あの剣です。あの二振りの剣をいただきたいのです」


 俺が棚の刀を指さすと、母上は一瞬驚いた顔をして、それから困ったように眼帯を搔いた。母上が考え事をするときの癖だ。


「クロウ。憧れる気持ちは大いにわかるが、あれは武具なのだ。木剣とは違う。お前にはまだ扱えん。お前は大事な我が息子だが、だからこそ、これはまだお前にはやれんのだ」


 これまでになく真剣な、母親としての顔で母上がそう答える。

 ……やはり母上は素晴らしいお方だ。あの島左近の子孫として立派に侯爵を務めておられる。俺のような幼子にもただ甘やかすのではなく、こうしてきちんと向き合ってくださる。


 そんな母上だからこそ、俺も真剣に頼む意味がある。


「母上のお言葉、心得ました。されど、母上、このクロウがこの武具に相応しい武人になりました時はどうか……」


「お前、武人になりたいのか……? 男には険しい道だぞ」


「承知の上です。その上で、俺はあの剣に相応しいものになりたいのです」


 俺が真摯に向き合うと、母上は困ったように眼帯を掻き、それから覚悟を決めたようにうなずいた。

 やはり、母上ならばわかってくださるか。この世界において男子が武人を志すのは並大抵ことではないし、現実は厳しい。それをわかったうえで、母上は俺の意思を尊重してくれたのだ。


「……分かった。お前が成人したあかつきには、この剣はお前のものだ。約束しよう。騎士の誓いだ、決して破らぬ」


 そう言って母上は右手を俺に差し出す。その白く、だが、傷だらけの掌をしっかりと握ると、母上はより強い力で握り返してくれた。


 これがこの世界における誓いの儀式か。母上が俺に誓ってくださるなら、俺もまた誓おう。


「決して母上の期待には背きませぬ」


「うむうむ、その言やよし! いずれロンダイン家のすべてはお前のものとなるが、だからこそ、精進を忘れてはならぬぞ! では、まずは若妻物語から始めるとするか!」


 最後に俺の頭をガシガシとなでて母上は、書棚に向き直る。その背中を敬意ともに見送りつつ、俺は棚の上の刀にちらりと視線を向け、そっと左近殿の手記を書棚に戻した。


 かならずや、かの刀と左近殿の想いに相応しい真の侍になる。それまではしばしの別れだ、我が愛刀よ。


――

あとがき


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