第23話 侍、夜這いされる
迷宮を踏破し、森で一夜を明かした俺たちは件の村に迷宮が解消したことを報告した。
村人たちは心底喜んで、俺たちに感謝していた。武芸によって何かを成し遂げ、感謝されるのはこれが初めてのこと。自分が侍として生きているのだという実感はこれ以上ないほどに俺を満たしてくれた。
村人たちは俺達のために宴席を設けると言ってくれたが、それを断り、俺たちはすぐにロンダインの屋敷へと戻った。
事前に母上にはグスタブと共に泊りがけの修行をしてくると伝えて了承を得てはいたが、長引くと怪しまれかねない。
親に嘘を吐くのは不孝で心が痛むが、母上に『迷宮に入ってオークと戦いました』などと真実を告げたらまず間違いなくその場で卒倒してしまうだろうし、内緒にするしかない。
武士の嘘は方便、過ぎたことは仕方がないと自分に言い聞かせることで何とか耐えた。
しかし、そんな心の痛みをわきに置けば、今回の迷宮探索で得たものは多い。
俺の天恵の正体についてもある程度は目測が立ったし、クリスという忠臣を得て、グスタブの過去を知ることもできた。その上、ご存命の頃の左近様の話も聞けた。
そして、俺はこの地に侍の国を興すという決意をより強くした。俺の生涯をかけて成し遂げてみせる、と改めて誓いを立てたのだ。
だが、真に大事なのはその誓いの成就のためにどう道筋をつけるか。つまりは、これからの俺の行いが重要になる。
以前、俺が定めた方針は、武芸を磨き名を上げて機会を待つというものだ。
漠然としてはいるが、未だ年端のいかぬ小僧である以上、俺にできることはそう多くない。国盗りに動くのは成人してからでも遅くはない、そう考えてのことだ。
その考え自体に変わりはない。いずれ王都で政変があることは間違いない。今俺がすべきことはその時に備えること。己を知り、敵を知り、百戦に勝利するのだ。
一方、今までは力を蓄えるための具体案がなかった。
ここ十五年の間、ソーディア王国は平和を享受している。
周辺諸国と和平を結び、国境での小競り合いも起こっていない。国内での叛乱の兆しもなし。盗賊、山賊、魔物による被害はあるが程度は知れているし、
そんなわけで国内では実戦経験と武功の積みようがないと難儀していたのだが、グスタブの話がヒントになった。
若き日のグスタブは諸国を巡る『武者修行』をしていた。
さまざまな国や戦場、迷宮などを訪れ、実戦を通じて剣技を磨き、己を高めたのだ。
俺はそれにならいたい。
無論、戦場を求めてのことではあるが、ほかにも求めるものはある。母上の書庫にある書物は貴重なもので多くの知識をくれたが、やはり、ソーディア王国以外の外国について知るには実際に旅をしてみるしかない。
そのためにも武者修行の旅はぜひ実現させたい。問題があるとすれば、母上の了承を得られるかどうかだが――、
「――いやだ! お前を旅に出すなどありえん! この母を寂し死にさせる気か!」
取り付く島もなかった。
館の居間、夕食の席でのことである。母上だけではなく隣にいるニーナもコーデも頷いていた。
まあ、理由はともかく反対されるのは予想していた。
あの『
なにせ、旅とは基本的に危険なものだ。徒歩での移動には時間がかかり、道中では盗賊に襲われるかもしれないし、風土病にかかれば命に関わる。緊急事態が起きて連絡を取ろうにも相手の居場所でさえ定かではない。
そんなわけで旅をするのは平民や兵士、騎士であって俺のような侯爵家の男子が旅に、それも武者修行に出るなんてことは常識的にはありえないことだ。
しかし、俺も侍だ。
武士道のためには退けぬ時もある。さて、どうやって説得したものか。俺も出来れば黙って旅に出て母上に心労を掛けるようなことはしたくない。
というわけで、俺はそれから一月の間、母上を拝み倒すことにした。
廊下ですれ違うたびに――、
「母上、お願いいたします。当主となる前にこの国や大陸のことを見聞したいのです。どうか……」
と頼みこみ、再三断られても、引き下がらずにこう続ける。
「ですが、母上……私は旅に出たいのです……強くなりたいのです……」
「母上、どうか」
「母上、お願いします」
「母上ぇ……」
そうやって何度もお願いを繰り返していると、母上の態度はだんだんと軟化していく。三顧の礼ならぬ百八顧の礼ふたたびだ。
母上との付き合いも六年になる。どう頼みごとをすればいいかは心得ている。
そう、母上は押しに弱い。
気丈で優しく、良妻賢母を体現されたような方なのだが、いや、だからこそというべきか、子供にねだられると弱いところがある。
これは息子である俺や、身内である姉上、ニーナに限った話じゃない。
母上の趣味は領内の巡察なのだが、その度に子供たちに懐に忍ばせたお菓子を配ったり、手習いを教える学校の設立を考えたりするほどだ。とかく子供想いで、そこが母上の弱点でもある。
今回はそこをついた。
『
……身内に、それも母上にこのような計略を用いるのはどうかとは自分でも思うのだが、武士道とは常在戦場の心得。家庭内の関係性もまた戦なのだ。
そうして、俺は母上にどうにか条件付きだが、修行の旅に出ることを許してもらった。
その条件とは、十五歳になること。成人して大人と認められる年齢になれば旅に出ることを許すとそう言われた。
また、旅の期間は一年。それが過ぎれば必ず家に帰る、これが母上の出した条件だ。
俺はその条件を呑んだ。
元から今すぐに旅に出られるとは思っていなかったし、成人後であれば旅先でも色々と自由が利く。俺が焦りを飲み下せさえすれば問題はない。
それに、十五歳の誕生日を迎えれば、あの刀を譲り受けられる。
島左近殿の愛刀。夢にまで見た武士の魂がとうとう俺のものになる。その刀を腰に
◇
それから三年間は瞬く間に過ぎた。
その間も俺はグスタブ、クリスと共に修行に励み、領内に発生した迷宮を踏破したりと忙しくしていた。
一方で、ロンダイン侯爵家も、またソーディア王国全体も穏やかで平和な日々を過ごしていた。
政変は訪れず、王の容体にも急変はなし。嵐の前触れかのようになにもかもが凪いでいた。
そうして、大陸暦千五百九十年、六の月の最初の週の最初の日、俺の十五歳の誕生日が訪れた。
成人の祝いということもあって、その日の祝宴はこれまでにないほど盛大なものだった。
コーデが指揮を執り、三日の時間をかけて作られたケーキを筆頭とした豪勢な料理。家臣たちからの祝いの品々なども長机に並び、方々からの使者も祝賀を述べに訪れた。
「――この者、クロウ・ヴェル・ロンダインを成人として認め、ここにロンダイン家伝来の
屋敷の広間。居並ぶ女騎士たちの前で、母上がそう宣言する。その両手はかの島左近の愛刀を天高く掲げていた。
それに合わせて騎士たちが
ちなみに、成人の儀式には大仰な文言や儀式が付き物だが、質実剛健を旨とするロンダイン家においてはできる限りの簡略化がされている。
なので、今日の祝い事は極めて短く、端的なものだったのだが、実は十数回のリハーサルが行われたことを俺は知っている。
母上のためだ。
なんでも一応リハーサルを行った際、母上は感極まって涙が止まらなくなってしまったとのことで、
「こぉのぉも、のぐひぃグロウぐすヴぇるロンダインにぃぃ」
みたいな感じだったらしい。
本人曰く「今までの息子との思い出が脳裏によぎりすぎていろいろ無理」とのこと。
本番においても、列席の家臣たちの何割かは「あの若様がご立派に……! 美しくなられて……!」とか「こんなにも凛々しくなられて……! これまでとはまた別の魅力が……!」とか「ご立派になられた若様……滾る!」とか母上に釣られて泣いてた。勘弁してくれ。
息子として母上の愛情の深さに感謝すべきなのだが、そのままでは儀式が成り立たないし、なにより侯爵家の面目が立たない。
ともかく、コーデとその養母である家令のソネッタが知恵を絞り、何度も予行演習を行い母上を慣れさせ、なおかつ、涙を枯らしておくことでこの儀式をどうにか成立させた。
そんなコーデもおかげもあって、俺の成人の儀もつつがなく終わったのだが、事件はその夜に起こった。
俺は武者修行の旅への出発を翌日に控え、床に着く前に風呂に入っていた。
我がロンダインの屋敷にはこの国は珍しい大浴場が備えられている。転生した当初はこの風呂に入るのが数少ない慰みだったが、よくよく話を聞いてみるとこの大浴場は我が先祖『島左近』殿がロンダイン家に婿入りした際に増設されたものとのこと。左近殿も風呂に入りたいと思ってこの場所を造られたのだと思うと、俺としても毎回風呂に入るたびに先祖への尊崇が強まった。
もっとも、その時の俺はいつも以上に上機嫌で鼻歌まで歌っていた。
理由は三つある。
一つは、母上から賜った島左近の愛刀。
もう一つはさぷらいず? として用意されていた紺色の『陣羽織』だ。
そして、忘れてならないのが三つめの贈り物、ニーナのくれた『お守り』だ。
刀に関して以前から約束していたものだが、残り二つは違う。
陣羽織に関しては、なんでも左近殿の遺品にあったものをできるだけ再現したもので、母上と姉上がこの日のために用意してくれていたのだ。
形は王都の職人が半年がかりで戦国時代のものを忠実に再現しており、防寒性も素晴らしい。さらにいえば、ロンダイン家特産の織物を使用した布地には姉上が王都で特別に購入した『
一度袖を通させてもらったが、着心地も抜群だった。
さすがは俺のためにあつらえられた品だ。丈も形状も俺の身体に合わせているというのに、この先の成長を見越してゆとりのある造りをしてある。これなら俺の身長がもっと伸びても問題ない。いや、そのときこそ、俺はこの陣羽織を完璧に着こなせるようになるのだ。
今からその日が待ち遠しい……!
この陣羽織を着て戦場に立つ俺の姿が目に浮かぶようだ……! しかも、その時、俺の腰にあるのは島左近の愛刀であり、騎馬となるのはあのブルーノだ。きっと、かの独眼竜『伊達政宗』や甲斐の虎『武田信玄』にも劣らぬ勇壮な姿を皆に見せることができるはずだ。
ありがとう、母上、姉上。この陣羽織を着て、真の侍に俺はなる!
そして、忘れてならぬのが我が美妹ニーナのくれたお守り袋だ。
今年十二歳になり、天恵解示を控えたニーナは俺が武者修行に出ると一月前に知って以来、完全に臍を曲げていた。
最初は連れて行けと癇癪を起こし、次に俺とは口をきかないと宣言し孝と思えば、泣き落としにかかって、最終的には部屋で拗ねていた。
それでも、俺の成人式にはきちんと正装で現れ、祝いの席ではこのお守り袋をこっそり俺に手渡してきた。なんて健気でいい妹なのだろう。兄は侍ゆえ人前で涙は流さぬが、心では感涙していたぞ。
中身は内緒だそうだが、渡す時に「これをニーナだと思い肌身離さず身につけてくださいましね? いいですか、肌身離さずです、よ?」と念押ししてきたのできっと霊験あらたかな何かが入っているのに違いない。
ありがとう、妹よ。兄は嬉しいぞ。
とまあ、そんなふうに湯船の中で今日一日を思い返している時に、ことは起きた。
「――っ!」
まず感じたのは気配だ。大浴場の扉、その向こうに誰かが立っているのがわかった。
それに気付けたのは、天恵を発動していたおかげだ。
三年前の
天恵の発動と行使には体力の消耗が伴う。あの迷宮での戦いにおいて顕著だったように、鍛えていてもかなりの消耗があった。
その消耗を軽減するには天恵を使用した状態に慣れるのが一番だとグスタブは言っていた。天恵が発動している状態に体が慣れていくことで少しずつではあるが負担を軽減することができるのだ、と。
そこで俺は飯を食う時も、眠る時も、風呂に入る時も、
俺の天恵の発動条件は何らかの武器を手にすること。より正確に言えば俺が武器だと認識できるなにかを手にすること。
正直言ってこんな緩い条件でいいのかと自問自答したくなるくらいだ。
俺は侍。武芸百般を極めた戦士の中の戦士だ。
そんな俺の手に掛れば毛布で人を絞め殺すことができるし、食事に使うナイフで喉を裂くことも、風呂桶で頭蓋を砕くこともできるのだ。
そして、今俺の手には風呂桶が握られている。
そういうわけで、常に天恵を発動させておくのはそう難しくはない。
疲労感や消耗も半年もするころには平気になり、三年が経った今ではもはや平時と何も変わらぬまでに体を慣らすことができた。
ちなみに、このことをグスタブに話したら「まさしく天賦の才。正気の沙汰ではありませんな」と口をあんぐり開けてほめちぎっていた。これも武士道の賜物だ。
それはともかくとして、浴室のドアの前に誰かが立っている。しかも、息遣いや気配は明らかに平時のものではない。
刺客の類か? ありえる。
跡取り、それも男子である俺を始末すればロンダイン侯爵家の勢力を大きくそぐことができる。暗殺する動機はいくらでもある。
まさか風呂桶の威力を試すことになろうとはな。だが、これもまた――、
「若様。わたくしでございます」
俺が風呂桶を構えた瞬間、ドア越しに声が響く。
コーデの声だ。しかし、いつもの冷静沈着で落ち着いた感じの彼女のものではなく、どこか熱に浮かされたようなそんな響きがあった。
…………急にいやな予感がしてきた。いっそ刺客であれば討ち取れば済むだけだが、身内ではそうもいかない。例えその身内が度し難い性癖を持っていたとしてもであったとしても。
「……コーデか?」
「はい、失礼いたしますね」
止める間もなく扉が開く。
果たしてそこに立っていたのは、普段とは違うコーデだった。
肌色に
慌てて視線を逸らしたが、一瞬全てが見えてしまった……! 桃色だった。
どういうつもりなんだ、一体……! い、いや、予想はつく、予想はつくが、さすがのコーデもこれは――、
「若様、いえ、クロウ様。このコーデ、お背中を流しに、いえ、夜這いに参りました」
畜生! とうとうやりやがったな、こいつ!
――
あとがき
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