第22話 侍、誓う

 坑道の迷宮からの脱出後、実は女であったクリスの暴走は結局、回り込んできたグスタブが俺たちを発見するまで続いた。


 凄まじい力と執念だった。グスタブの到着があと少し遅れていたら、なし崩しになっていたかもしれない。


 ……これほどの力、俺の夜伽よとぎ云々ではなく戦場で活かしてもらいたいものだ。


 それはそれとして――、


「おお、若様もクリスも無事ですな。重畳重畳」

 

 などと髭を撫でるグスタブを見て俺はやられたと確信した。


 この狸爺め。

 入り口が崩れたのは計算外だったとしても、グスタブはこの坑道の出口の位置を事前に知っていたはずだ。でなければ、これほど早く駆けつけることはできない。


 それどころか、まず間違いなくグスタブは迷宮の中でも俺たちのことを見ていたはずだ。天恵か、あるいは魔術の類か。どちらにせよ、姿を消して、いざという時には助太刀できるように傅役もりやくとして同行していたのだろう。


 それだけではない。

 グスタブは俺がクリスの秘密に気付いた上で、俺が孫をどのように遇するかも含めて見守っていたのだろう。


 百歩譲って、それは許す。

 グスタブにも臣下としての立場、祖父としての情がある。だから、陰ながら見守っていたことも文句は言わん。


 だが、俺が気付いていることをわかったうえですっとぼけている態度は許せん。一言言ってやらねば気が済まず、その夜、クリスが寝たのを確認してからグスタブと話そうと思ったのが――、


「――困った。離れん」

 

 クリスが離してくれない。俺と同じ寝床に入ってきた彼女は俺の手を抱き枕のようにすると、そのまま眠り込んでしまった。


 それがまた凄い力で、なかなか放してくれない。言いにくいが、俺の腕はクリスの胸の谷間に入っているし、だんだん掌を下半身の方に引き寄せられている気がする。いろんな意味で放してほしい。武士道には十二歳の臣下に手を出していいとは書いていない。

 ……いけないとも書いてないのが困りものだ。


 ともかく、従者として同じ天幕でお守りしますと言い出したのを許したのが間違いだった。

 いや、あれだ。迷宮での一件でクリスの心情に慮りすぎた。なので、わがままを聞いたが、このざまである。


 反省しよう。主君たるもの時には厳しさが必要だ。


 なので、しばらくクリスの頭を撫でることで、力を緩め、どうにか解放してもらえた。最初は妙な迫力に圧されていたが、こうして素直に寝息を立てている姿のかわいらしさは年相応だ。

 ……もし、前世で俺に娘が生まれていたらこんな感じだったのかもしれない。そもそも家族を作る気もなかったし、その機会もなかったが、少しだけ残念に思えた。


「…………わか、さま」


「すぐに戻る。いいな?」


 寝言で俺を呼ぶクリスにそう告げてから、どうにか腕を引き抜く。そのまま天幕を出て、グスタブの姿を探した。


 彼は天幕の側で火の番をしている。焚火の側に座ったその後ろ姿はどこか物悲しくて、なぜか前世のおじいちゃんの最期を俺に連想させた。

 

 おじいちゃんは自宅で亡くなった。

 看取ったのは俺だ。

 病気が分かった時にはもう手遅れで、山のように大きく見えていた背中が少しずつ小さくなっていくのが、ただただ悲しかった。


 そんなことを思い出したせいか、先ほどまで感じていた怒りが急速に薄れていく。


「――若様、どうされましたかな?」


「文句を言いに来ただけだ。気にするな」


 振り返らぬままのグスタブにそう答える。身振りで隣に座るように促してきた。

 

 焚火の側に腰かける。火の温かさは昂っていた精神を鎮めてくれる。穏やかな静寂が周囲を満たし、パチパチという火の粉が弾ける音だけが周囲に響いた。


「クリスから、わしの過去をお聞きになられたようで」


「うむ。やはり見ていたか」


「はい。ご無礼は承知の上で、別の入口から入り、影から見守らせていただきました」


「それは構わん。だが、主君を試すような真似は感心せんな。正直、少し腹が立ったぞ」

 

 俺はそう言うと、グスタブは申し訳なさそうに視線を伏せる。家臣として褒められた行為でないという自覚はあるらしい。


「申し訳ありません。ですが、若様の天恵を知るには実際に危機を乗り越えていただかねばなりませんでした。それに、クリスのことも正直、不安でした」

 

「……確かに天恵については知れた」


 今明らかになっている俺の天恵の力は、二つ。一つはオレが武器として認識できるものの強度や性能を向上させる力『武芸百般』、そして、窮地において引き出されるさらなる力『一所懸命』の二つだ。


 後者に関しては、まだ細かな発動条件や消耗の問題はあるが、その存在が明らかになっただけでも一歩前進だ。


「だが、クリスに関してはあれでよかったのか?」


 俺の問いに、グスタブは曖昧な表情を浮かべる。喜んでいるような、あるいは悲しんでいるような横顔は、そのまま彼の刻んできた過去を凝縮したかのようだった。


「……孫はあのように言ってくれましたが、わしは騎士としては失格なのです。この失った右腕も自業自得だと思うております」


「…………なにがあったんだ?」


 迷いはしたが、心を決めてそう尋ねる。


 先人の経験を聞く機会は貴重だ。本で学べることも大事だが、実際にそれを体験しなければ得られない感情や感覚も多い。

 それに、誰でも織田信長に本能寺の変の際の心境を聞く機会があれば打ち首覚悟で質問してみるはず。人情とはそういうものだ。


「……わしは、若く、野心に溢れていました。下級貴族の出身、そして、男であっても剣の腕さえあれば戦場で成り上がれるのだと、怖いものなどないのだと、そううぬぼれておりました。それがこの結果を招いたのです」


 そう語るグスタブの横顔に目に見える変化はない。ただ、はしばみ色の瞳の中で炎が揺れていた。


「わしが仕えていたお方は、賢明な方でした。それがゆえにわしの増長を許されなかった。家臣は家臣、己が分をわきまえねばならぬのです。わしはそんなこともわかっていなかった」


「……代替わりか。その前に、爺が邪魔になった。そんなところだな」


 俺がそう言うと、グスタブは「かないませぬな」と悲しげに笑う。


 高名な家臣、有力な家臣は必要ではあるが、時には家中を乱す癌となりうる。それが顕著に表れるのが代替わりの際だ。


 どれだけ有能な後継者でも跡目を継いだ直後の権力基盤はぜい弱で、隙が生じる。

 それに対して、有力家臣側の権力基盤は変わらない。となると、名目上はともかく実権を握るのは家臣側になるということが多い。


 鎌倉幕府を乗っ取った北条氏や豊臣秀吉の死後に天下取りに乗り出した徳川家康などはそのいい例だろう。


 これを防ぐには主君が健在の内に有力家臣の力を削いでおく、もしくは粛清を行うしかない。

 グスタブのかつての主君は後者を実行したというわけだ。


 嘆かわしいことだ。君臣の間でのいさかいなど、現実とはそういうものだと理解していてもなお、否定したい。


「この腕は戦場で負うた向こう傷ではないのです。宴の席で毒矢を受け、治療の際に切り落としました。わしは敵手ではなく己に敗れたのです。命惜しさに剣の道を捨てたのですからな」


 グスタブの声には自虐の響きがある。

 裏切られた側のはずの彼がどうしてそんな感情を抱くようになったのか、それは前世を含めても三十年程度の経験しかない俺に推し量ることはできない。


 でも、やはり、許せない。身内であるグスタブが剣士としての命を奪われたこともそうだが、それを姑息な手段で為した輩がどうしても許容できない。


「それは卑怯だ。爺の剣を恐れるなら、なればこそ正面から挑むべきだ。騙し討ち、それも毒など武士道に反する行いだ。許せん」


 俺がそう言うと、グスタブは一瞬目を見開いた後、呵々大笑を始める。

 ……主君の言葉で爆笑するのはどうかと思うが、今回は許してやろう。随分とうれしそうだしな。


「いやはや、失礼した。若様のおっしゃることが爺には痛快でしてな。騙し討つにしても正々堂々戦え、と。ですが、それでは騙し討つ意味がないのでは?」


「志の問題だ。騙し討つにしても相手に敬意を払わねばならん。いや、騙し討つからこそ、騙し討つ側は己の手を汚す覚悟を示すべきだ。でなければ、相手の恨みを背負うことにはならない。恥ずべき行為だ」


「――それが武士道というもの、ですか」


 グスタブの言葉に俺は頷く。


 分かっているのなら話が早い。


 武士道においては己の責任を重視する特に人を殺めることに関しては多大な責任が生じる。

 切り捨て御免が許されるのは戦場においてか、時代劇の中のみ。江戸時代においては無礼討ちという制度こそあったが、殺した側も切腹を命じられるのが大半だ。


 命には命をもって報いる。それが武士道だ。ゆえに仇討ちが許され、切腹が名誉の死たりうる。


 グスタブの場合、グスタブの旧主は騙し討ちをしたうえに、毒矢を用いた。相手の命を奪おうというのに己の命は懸けていない。それは武士道に反する。それゆえ、許せないのだ。


「ああ。まったくあのお方が若様のようなお方であったのなら、この爺も未練を残さずに済んだというのに。巡り合わせというのはどうにもうまくいきませぬな」


 グスタブが言った。その横顔は今までと違い、どこか涼やかで、憑き物が落ちたように見えた。 

 

 無理もない。信頼していた主君に片腕を奪われたのだ。いくらそのあとロンダイン家に拾われたとはいえ、心中から失われた信を取り戻すのは容易なことではない。


 ゆえに、グスタブは俺が孫を託すに足る器かどうか、この迷宮探索を通じて試したのだ。

 本来であれば、主を試すなど無礼千万だが、ここは目をつぶろう。臣下の尊敬を己で勝ち取れないなら主たる資格はない。


 それに、一度は裏切られてしまったグスタブに俺の武士道が少しでも道を示せたのなら、これに勝る喜びもない。左近様も冥土で頷いてくださるに違いない。


「遠い昔、若様と同じ志を持つお方とお会いしたことがあります。どなたか、お分かりになるでしょう」


 しかし、奇妙なことをグスタブが言い出す。

 俺と同じ志……? 武士道のことか? だが、この世界で武士道を知るものなど俺のほかには――、


「まさか、ひいお爺様、左近様か!?」


 左様、と頷くグスタブ。

 まさかグスタブが左近様と会ったことがあるとは……いや、意外でもないのか?

 

 グスタブの年齢は六十過ぎ、左近様が亡くなったのは今から四十年前。時間経過的には二人に接触があってもおかしくはない。


「四十年以上前のことです。わしは故郷を離れて武者修行の旅をしておりましてな。このロンダイン家に一時期お世話になっておったのです。その際に、一度だけ、あなたのひいお爺様、サコン様にお目通りする機会がありました」


「おお! どのような方であった!? お姿は!? 声は!? 話し方は!? 関が原という場所での戦いについて何か述べられたりはしなかったか!?」


「どうどう、落ち着きなされ」


 これが落ち着いていられるか! あの島左近に直接会った人物から一次情報を聞ける機会なんだぞ!?

 左近様に関しては母上でさえ直接はお会いしたことはないんだ。ましてや、現代日本においては左近様が生きていた戦国時代は四百年以上前のこと、そのお姿を直接拝見するのは不可能。せいぜいがお会いできて遺骨くらいのものだが、左近様に関してはこの世界で生きておられたのだからそれも不可能だ。


 待てよ? 王国は基本的に土葬のはず。ロンダイン家の墓を暴けば直接の対面がかな――いや、待て待て、さすがにそれは冒涜だ。慎むのだ、俺よ。

 

「若様が童らしい反応をされるのは珍しいですな。それと、セキガハラ? という場所については聞いておりませなんだ。ですが、サコン様のお姿についてはよく覚えておりますぞ」


 ……そうか。クソったれの小早川についてどう思っていたのかとか、石田三成に対してどう思っていたのかとか、そういうことは知れないか。

 でも、俺が尊敬する戦国武将四天王の一人にして、偉大なるご先祖の話を聞けるのだ。それで満足するのが侍の謙虚さというものだ。


「わしがお会いした時、サコン様はすでに病を得ておいででした。やせ細られ、髭は伸び、呼吸は弱弱しかった。しかし、わしが訪れた時はまっすぐにお立ちになり、お出迎えくださりました。そして、そのお姿にわしは――」


 そこで、グスタブは言葉を切る。彼は昔を懐かしむように瞠目すると、こう続けた。


「――武に生きるものの一つの極致を目にしました。剣の道ではなくとも、人は立ち姿だけでこれほど雄弁に語ることができるのだとわしはその時知ったのです」


「……おお」


 思わず感嘆の声が漏れる。

 偉大な武士は言葉を用いずとも佇まいだけで己の道を示す。前世での俺のおじいちゃんもそうだった。病で筋肉は落ち、痩せ細ってなお、おじいちゃんの背中は威厳に満ちていて、彼の人生が数多の苦難を乗り越えた末のものであることを示していた。


 左近様もまたそのような方であったことが、そして、それをグスタブが理解してくれていることが俺には嬉しかった。

 

「わしは尋ねずにはいられませんでした。一体どのような修練を積めば、貴方様のようになれるのか、と。サコン様は深くしゃがれた、しかしよく通る声でこうおっしゃりました、『ただ侍たれ』と」


 『ただ侍たれ』……それはつまり、ただ侍として、武士道を歩んだ末に自分がある、とそういうことではないだろうか。

 武士道を貫くのは偉大で名誉ある事、だが、それゆえに険しく困難だ。自分の姿は武士道を進んだ末だと左近様がおっしゃったのはそれゆえだろう。


 そして、それをグスタブに伝えたということは左近様は彼のうちに侍たるものの萌芽を見たということだ。

 俺もそれには同意見だ。左近様がご病気でなければきっとグスタブに武士道を伝えていただろう。

 

「若様には意味がお分かりのようですな。ですが、わしには理解できませんでした。しかし、それ以来、わしはあの立ち姿を手本として修練を積んでまいったのです。道を誤り、腕を失うことにはなりましたが、それだけは常に胸に抱いております」


「……そうか。きっと左近様もそれを聞いて喜んでおられるに違いないぞ。うむ、俺は改めてそなたが我が傅役となってくれたことに感謝している」


「それは……光栄です、若様」


 俺の言葉を受けて、グスタブは一瞬意外そうな顔をしてから少しだけ嬉しそうに笑った。

 俺もつられて少しだけ笑う。笑ってばかりで侮られてはいけないが、別に武士道は喜びを禁じてはいない。


「若様。どうかクリスをお願いいたします。至らぬところの多く、なんとも真面目すぎる孫娘ですが、かならずや若様のお役に立ちましょう。どうか最期までお見限りのなきよう」


 その言葉は、グスタブなりの最大限の信頼の表明だ。俺をただの主君の子としてだけではなく、最愛の孫を託すことのできる相手だと認めてくれたのだ。

 かつて主君に裏切られたグスタブにとってそれがどれだけ難しいことか俺には分かる。ならば、応えねばなるまい。


「承知した。俺も爺やクリスが仕えるにたる主であり続けることを誓おう。武士に二言はない」


 最後に、グスタブは微笑みと共に深く頷く。その顔はこれまでになく満足げで、穏やかだった。


 対するオレの心は強い決意で満たされていた。

 俺は必ずこの地に侍の国を興す。だが、それは俺だけのためでも、左近様の遺言のためだけでもなくなった。俺を信じてくれている臣下のためにも、俺はこの志を成し遂げるのだ。


――

あとがき

次の更新は明日の18時ごろです!


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