第20話 侍、真実を知る

 オークはその巨体と怪力で恐れられる中級の魔物だ。

 知能は低いが、棍棒を振るえば砦の壁さえも打ち崩す。冒険者たちの間では単独ではなく四人一組、いわゆるパーティーで戦うべき相手とされていた。


 書斎の本やグスタブの話によれば、オークは大食漢で好物は人間の肉だが、腹が減れば同族を貪ることもあるそうだ。しかも、この魔物はその暴力でゴブリンやコボルトなどの格下の魔物を従えていることも多いという。


 迷宮の最深部、この広間にこいつがいるのはそれゆえだろう。格下の魔物、ゴブリンの巣であったこの迷宮をこいつが無理やり乗っ取ったのだ。


 しかし、でかいな。八尺2メートル半はある。今の俺の背丈では正面からでは剣が首に届かない。


 さて、どうやって殺したものか。持ってきた縄が早速役に立ちそうだが、まずは動きを止めねばなるまい。


「……若様、お逃げを。あれは強力な魔物です。わやそが時間を稼ぎます」


「ならん。このクロウ、配下を置いて逃げることなどせぬ。それに、なぜ逃げる? あれは手柄首だ。侍たるもの勝ち目のある戦から逃げる道理はない」


 俺の言葉に、クリスは一瞬、俺の顔をまじまじと見つめる。そうして、何を確信したのか、覚悟を決めたように深く頷いた。


「……若様、ご指示を。このクリス、望んで若様の盾となります」


「今まで通りだ。だが、正面からは受けるな。できるだけ注意を集めて、隙を作れ」


「はい!」

 

 指示に従ってクリスが盾を叩いて、威嚇する。オークはその甲高い音に反応して、殺意をむき出しにした。


 クリスが言うには、彼の使う大楯には『聖鉄鋼オリハル』という希少な金属が使われており、それらが発する音には魔物を苛立たせる効果があるという。


 ゆえに、盾を叩くことで魔物を引き寄せ、味方を守ることができるのだ。


「ブゴオオオオオオオオオオオ!」


 オークが吠える。怪物が巨体を振り回しながら迫ってくる。

 さながら、雪崩か山崩れだ。人間に受け止められるものじゃない。掠めるだけで致命傷だ。


「かわせ!」


「はい!」


 俺は右に、クリスは左に回避する。オークは勢い余って壁に激突して止まるが、すぐさま、俺ではなくクリスの方を追い始めた。


 オークが棍棒を振り下ろす。クリスはそれを辛うじて避けるが、衝撃に坑道全体が揺れた。

 聞いた通りの怪力だ。もしあの剛腕に捕まれば俺たちなど容易く引き裂かれてしまうだろう。


「――ふっ」


 死の予感に背筋に冷たいものが走る。それと同時に、死地に立っていることへの昂揚を覚えた。

 全力で地面を蹴って、間合いを詰める。狙いは両足の腱、斬りつけたところですぐに回復されるだろうが、少しでも動きが止まればそれで機会は作れる。


 一足一刀の間合いへ。しかし――、


「――オオオオ!」


 突如として振り返ったオークが俺に向かって棍棒を横凪ぎに振るう。


 こちらの意図に気付いていたのか、それとも、野生の勘か。オークを侮っていたわけではないが、この反応速度はまずい。


 だが、こちらも止まる気はない。当たれば死ぬが、それがなんだ。

 死地にこそ活あり。武士道とは死ぬことと見つけたり、だ。

 

 瞬間、全身に。踏み抜いた右足が、体をぐんと加速させる。俺は今までにない速度で振り回された棍棒の下を掻い潜った。


 一閃。一太刀でオークの両足、そのアキレス腱を切断した。


 オークが跪く。それでも頭の位置は俺たちよりはるかに高いが、これなら届く。


「クリス! 頭を狙え!」


「はい!」


 俺の合図に、クリスが奔る。


 大楯突撃シールドバッシュ。重装備とは思えない速度で、しかしてその重量感をそのままで、クリスは跳躍した。


 さながら人間大の鉄球のようなものだ。そんなものが顔面に衝突すればいかにオークと言えども昏倒する。


 はずだった。


「ゴオオオオオオ!」


 クリスの大楯突撃がさく裂する直前、オークは咆哮を上げて自らの頭を振り大きく振りかぶる。


 頭突きだ。

 オークは飛来してくるクリスの大楯へと自らの頭を叩きつける。両者が空中でぶつかり合い、同時に吹き飛ばされた。


 鋼鉄の大楯と激突したことでオークの頭蓋は完全に砕けた。人間なら致命的だが、魔物であればこの程度はすぐに再生する。

 あと十秒もあれば、両足の腱も治る。そうなれば、全快だ。


「――っは!?」


 対して、クリスは……あれはまずい。吹き飛ばされた時に背中を強打している。

 呼吸を整えるまでにはあと数分。戦線復帰は無理だ。


 想定外の事態。知性は低いと聞いて侮っていたわけではないが、野生の本能だけでここまでやるとは、魔物おそるべしだ。


 クリスの前に立ち、オークと向かい合う。すでにオークは再生を終えかけている。大したものだ。

 これでは心臓を潰したとしても損傷の大きさ次第では復活しかねない。


 となれば、首を落とすしかないわけだが、先ほど両足の腱を切りつけた時に分かったことがある。

 この剣ではオークの骨は断てない。少なくとも普通に斬ったのでは無理だ。ではどうするべきか――、

 

「――クリス。俺を信じて動くな。いいな?」

 

「わ、若様、ひ、一人で逃げて……」


 クリスを無視して、剣を右手で握り、左手で短剣の柄に触れる。

 構えは低く、重心を限界まで地面に近づける。ゆっくりと息を吐いて、意識を絞り込んでいく。


 注視するのは、オークの呼吸。そこから生じる動きの兆しだ。

 達人であればこの兆しを隠したり、偽装に使ったりするものだが、オークにそれはない。本能による反応は厄介だが、素直で直線的だ。読むことはできる。

 

 あとは、どう詰めるか。俺一人で、この怪力無双の動きを止め、首を刎ねる。そのための手段は今、俺の左手にあった。


「――ゴアアアアアア!」


 オークが咆哮と共に、再び突っ込んでくる。

 巨体での突進には壁が迫ってくるような圧力があるが、それで怯む俺ではない。


 クリスには被害の及ばない位置に誘導しつつ、冷静に、迷わず、その瞬間を待つ。

 刹那、時間が限界まで引き伸ばされるような錯覚に陥る。意識と肉体を合一させる極限の集中は、前世において祖父より授けられた奥義の一つだ。


「オオオオオ!」


 オークが走りながら、棍棒を振り下ろす。腰の入っていない一撃だが、オークの剛力で放てば人間程度は簡単にすり潰せる。


 それを俺は限界まで引き付けてから、紙一重でかわす。

 そのまま地を這うようにして、間合いの内へ。


「一つ!」


 オークとすれ違いざま、右足の甲に投擲用の短剣を突き刺す。その柄には縄が結んである。

 

「ギャオオオオオ!」


 当然、オークは棍棒を振るって俺を振り払おうとするが、姿勢を下げて回避。そのままオークの股下を潜り、縄を引いたまま左足の周りを一周、そのまま背後へと駆け抜けた。


 間合いから逃れたところで、思い切り縄を引っ張る。すると、オークの足に絡みついた縄がピンと張って、怪物の両足を見事に絡めとった。


 くくり罠と足払いの合わせ技。前世で祖父から習った武術の中には縄による捕縛術も含まれていた、その応用だ。


「ゲギャっ!?」


 オークはバランスを崩し、その場で転倒する。こちらの力は非力だが、オークは人の形をしている。であれば、人体構造上、こうして両足に縄を掛けられれば転倒は不可避だ。


 オークの怪力でもこの縄をすぐさま引きちぎることもまた不可能。縄の強度は俺の天恵によって強化されている。


 俺の予想通りなら我が『天恵スキル』、『武士道とは――』の効果、その一つは使用する武具の強度を増すというもの。この効果は身体能力の向上と合わせて、できるものすべてに適応される。


 名付けて、『武芸百般ぶげいひゃっぱん』。一流の侍たるもの、どんな武器でも相手を屠ることができるのだ。


 俺は前世で祖父から縄を使った捕縛術を武術の一つとして教わった。ゆえに、俺にとっては縄は武具だ。天恵の効果の対象になる。


 オークの姿勢は崩れ、獲物はこうべを垂れている。ならば、あとはその首を刎ねるだけだ。


「――はっ!」


 壁を足場に跳躍。宙を舞い、両手で剣を握る。


 天恵による強化と、俺の体重、重力による加速。そのすべてを味方につけて、俺はオークのくびに斬撃を見舞った。

 もしこれが通じなければ、俺にオークを殺す手段はない。この一撃にすべてを懸けるのだ。


 掌に伝わるのは硬い感触。頸椎がゴブリンなどとは比較にならないほどの強固で、まるで鋼鉄の棒を切りつけているようだった。


 ならば、斬れる。

 祖父から伝えられた魂、グスタブから学んだ技術、島左近から受け継いだ血。これらすべてがたかだか鋼鉄などに阻めようはずがない。


 そう確信した瞬間、俺の全身に炎が灯る。そんな錯覚の直後、剣はするとすり抜けるように鋼の頸椎を両断した。


 オークの頭部が地面に落ちる。続けて、立ち上がろうとしていた体も崩れ落ちた。

 完全に死んでいる。俺の一撃は確実にオークを屠ったのだ。


「――ふぅ」


 残心の後、強烈な虚脱感に座り込みたくなるが、両の手で頬を叩いて気を引き締めた。


 周囲にほかの魔物がいないとも限らない。だが、しばらく気を張っていても、何かが近づいてくる気配はなかった。


 そして、理解できた。

 先ほどの一撃。あの時の感覚こそが俺の天恵の第二の効果だ。

 

 効果はおそらく、『これを成すと一心に定めた時に平時よりさらに強力な力を引き出すというもの』。先ほどは俺が自分の命を顧みずに、オークの首を刎ねるというただ一事に集中したことで発動したのだ。


 名付けて、『一所懸命いっしょけんめい』。

 これは一生懸命という言葉の語源になった言葉であり、侍が己の領地を命をがけで守るという意味から転じて、一つ所に命を懸けるという意味がある。まさしく『武士道とは死ぬことと見つけたり』。武器を持つことで発動する『武芸百般』と併せて俺の天恵の神髄と言える。


 無論、万能ではない。『一所懸命』、だいぶ体力を消耗するようだ。全力で数百メートルを走ったような疲労感が確かにある。

 だが、これは俺の根性でどうにかなる。武士は食わねど高楊枝、いざとなれば死んでも戦えばいいのだ。


「クリス、無事か?」


 周囲の安全を確保してから、クリスに声を掛ける。致命的な怪我でないのは確かだが、まだ動けぬということはダメージは大きいはずだ。


「は、はい、で、でも、まだ息が苦しくて……それより、若様、おひとりでオークを倒してしまわれるなんて……すごい……」


「そう褒めるな。それより、今はお前だ。あばらが折れているかもしれん。甲冑を脱がして確かめるぞ」


「そ、そうですね、脱ぎま――甲冑を脱ぐ!?」


 至極当たり前な俺からの提案に、あからさまに動揺するクリス。

 ……よほど傷が痛むのか? もしくは、衝撃で脳が揺れて混乱してるとか? だとしたら、なおのこと甲冑を脱がさないと。


「いいから脱がすぞ! 大人しくしろ!」


「いや! やめてください! 若様、自分で、自分で脱ぎますから! それだけは! ご無体な!」


 謎の抵抗をするクリスから強引に甲冑を引っぺがしていく。

 強引に胸当てとその下の鎖帷子を外し、背部を確認すると苦しさの原因が分かった。


 背部の鉄板が凹んで背中を圧迫してしまっている。吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたせいだろう。


 金属製の甲冑は斬撃に対しては鉄壁だが、強い衝撃を受けると変形して逆に装着者の害になることがある。西洋においてメイスなどの打撃武器が発展したのもそのためだ。


 だが、妙だ。この甲冑はクリスの体格的には少し余裕があるはず。この程度の凹みでは呼吸は圧迫されない。それこそ、俺が知っているより、クリスの胸が大きくでもないかぎりは――、


「――お前まさか」


 そこまで考えたところで、目の前のクリスに視線を向ける。両手で隠そうとしているが胸甲と鎖帷子を外しているから、彼女の本当の体格がよく見て取れた。


 キュッとしまった腹部ウエスト肌着シャツの下からでも最大限に自己主張する乳房バスト。たぶん、年上のコーデやオルフェリア姫よりも大きい、姉上並だ。破れた布地の隙間から垣間見える素肌は純白で、きめも細かい。

 

 間違いなく、女性の体だ。それも存分に艶めかしく、成熟し始めた少女が目の前にいた。


 そのことを理解した俺は、思わずこう叫んだ。


「お前、女になったのか!?」


「元から女です!」


 クリスの魂の叫びが迷宮に響き渡る。

 …………マジかよ、こんなことってある?


 ――

あとがき

次の更新は明日の18時ごろです!


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