第19話 侍、魔物を斬る
『ゴブリン』は大陸全土に生息する最下級の魔物だ。
緑色の肌に小さな体を持ち、知性も低い。一対一であれば
事実、我がロンダインの領地においても発見され次第、その巣穴ごと騎士たちが殲滅戦を行っている。
だが、魔物は魔物だ。その生命力、ずるがしこさは侮ってはいけない。
ましてや、ゴブリンはその特徴として必ず集団を形成する。敵が目の前の一体だけだと決めつければ痛い目を目ることになる。
「ご、ゴブリン……! わ、若様、おさがりを! 露払いはわたしが……!」
「いや、二人でやるぞ。合図をしたら動け」
「は、はい……で、でも」
「問答は後だ。俺を信じろ」
クリスに指示を出しながら、左手でゆっくりとベルトに差した短剣を抜く。
……まず間違いなく、俺達は囲まれている。正面の一体が姿を現したのはそのことから意識を逸らすため。知性が低いとは言っても、魔物は本能でそれくらいのことはやってのける。
であれば、こちらから仕掛けて、不意を突く。戦いを制するのは、常に主導権を握る側だ。
「――はっ!」
振り向きざま、背後の暗闇、そこにある気配に向けて短剣を投擲する。
すぐさま『ギャッ!』という悲鳴が上がった。
まずは一手目。俺は間髪入れず、右手で長剣を抜き、両の手で上段に構える。
「ゲギャアアアアアアア!」
獣のような唸り声をあげながら、前方の暗所からゴブリンがとびかかってくる。その呼吸を読んで、一歩先にこちらから踏み込んだ。
「フッ!」
放ったのは大上段の兜割り。
振り下ろした剣に手ごたえがある。硬い頭蓋を砕き、柔らかい脳を切り裂いたのだと掌で理解した。
これで一匹。だが、まだ終わりじゃない。
「クリス! 後ろだ! 盾を構えろ!」
「は、はい!」
クリスが振り向き、慌てて盾を構える。
遅れて響く、金属がぶつかり合う甲高い音。それに驚きながらもクリスは盾を構えたまま、もう一匹のゴブリンに体当たりをぶちかました。
ゴブリンが後ずさり、次の行動が遅れる。
「――おおおおお!」
俺はその隙に、間合いを詰める。慣性と体重を乗せた剣の一突きはゴブリンの喉元を貫通した。
脳幹を切断した手ごたえがある。人間なら即死だが――、
「ゲギャ! ゲギャギャギャ!」
目の前の魔物、『ゴブリン』はまだ動いている。短い手足で錆びた武器を振るって俺を遠ざけようとしている。
小鬼とも呼ばれる通り、十二歳の俺よりも一回りほど背が小さい。
緑色の肌に、乱杭歯。なにより、この臭い息からして間違いなくゴブリンだ。
このサイズにしてこの生命力。魔物おそるべしと言ったところだが――、
「ふん!」
剣を横なぎに振るって、ゴブリンの首を刎ねる。主を失った胴体はその場に崩れ落ちた。
やはり、首を
人型の魔物に限った話かもしれないが、その点で言えば首を刎ねて放置しても死因は餓死だというとある昆虫に比べればまだかわいげがある。
もう一体の方も確認するが、確実に死んでいる。
先ほどの一撃はゴブリンの頭蓋を砕き、そのまま顔の中ほどにまで達していた。
縦一閃の両断、唐竹割りだ。大上段からの一撃にはこれほどの威力がある。前世では人間相手に試す機会がなかったが、想定通りの結果をもたらしてくれた。
重畳重畳。俺の武芸はこの世界の魔物相手でも使えると分かった。
もっとも、得物がこのロングソードではなく日本刀であれば完全に両断できていた。やはり、あの左近様の刀が欲しい。すごく、欲しい。
「わ、若様……」
そんなことを考えていると、クリスが遠慮がちに声を掛けてくる。兜の向こうの申し訳なさそうな顔が目に浮かぶような声色だった。
「なんだ、手柄を上げたというのになぜ落ち込んでいる」
「手柄を上げられたのは若様です。わたしは従者であるというのに見ていただけで……」
「そんなことか」
思わず笑いだしそうになり、ぐっとこらえる。魔物を殺して経験を積むのは望むところだが、大声を上げれば余計な困難を呼び込むことにもなる。
それに、クリスを無用にからかうのもよくない。本当に落ち込んでいるときには優しい言葉をかけてやるのも、主君の務めだ。
「気にするな。お前は初陣だ。体が動かぬのも、気配に気付けなかったのも次に改めればよい。それだけのことだ」
何事も初めての経験というのは理想通りにはいかないものだ。
俺も最初に刀を握った時は重さに振り回されて、思うように――、
「でも、若様も初陣です。だというのに、そんなにも落ち着いておられます。それに比べて、わたしは…………」
「む? そういえば、そうか」
忘れていたが、確かにそうだ。前世ではそんな機会はなかったし、今世でも刃物で生き物を、それもこれほどの大きさの、人間によく似た生き物を殺すのはこれが初めてのことだ。
……思っていたような感慨は、ない。喜ばしさもなければ、命を奪うことへの嫌悪感もない。
なんというか、普通だ。まるで息をするように、あるいは食事でもするかのように、自然と俺はゴブリンを殺していた。実際、クリスに指摘されるまで自分が初陣であることなど完全に忘れていた。
困った。この感覚を俺をどう評価すればいいのだろう。
侍たるもの、敵を殺すことに喜びを覚えるべきなのか、あるいは情けを感じて憐れむべきなのか。難しい問題だ。
だが、初陣に際して動じなかった理由はわかる。その心得をクリスにも伝えておこう。
「クリス。『常在戦場』という言葉を知っているか?」
「い、いえ、すみません……」
「いや、気にするな。武士道の教えだ。常に戦場にいると思い、気を引き締め、自らを律する心構えを『常在戦場』と言う。俺はこれを肝に銘じて毎日を過ごしている」
「常に戦場に……だから、若様は初陣を迎えても動揺なさらなかったと、そういうことですか?」
「そうだ。お前もこれからはその心構えを持て。そうすれば、俺の従者として十全に働けよう」
「はい。クリス、魂に刻みます」
「それでよい」
俺が拳で甲冑の胸の辺りを軽く叩くと、クリスが微笑む。
俺とクリスは主従ではあるが、同時に幼少期から共に過ごしてきた竹馬の友でもある。互いに気心も知れた仲、それこそ裸の付き合い……ん? 待てよ? 一緒に遠乗りや剣の稽古をしたが、川遊びをしたり、一緒に風呂に入ったりしたことはないな。というか、上も下も裸になったクリスを見たことがない。着替えの時も一人で着替えたがるし……なぜだろう? 恥ずかしがりなのか?
いや、今はいい。まずはこの迷宮からの脱出だ。
それから俺たちは迷宮を慎重かつ迅速に進んだ。途中、再びゴブリンとの遭遇があったり、スライムをたいまつで焼き殺したりもしたが、ほかには特筆すべき事件もなかった。
なにせ、気を持ち直したクリスは俺の想像よりもはるかに優秀だった。
魔物の気配に気付くと同時に大楯で突撃し、動きを抑える。その隙に俺が首を刎ねる。複数相手であれば、盾を叩いて注意を引き付け、俺が動きやすいようにしてくれる。
まさしく阿吽の呼吸。おかげで俺がこの洞窟内で挙げた首級は二十にも及んだ。
前世で友人からクリスのような役割をする者を『タンク』と呼ぶと聞いたことがある。
タンク、つまり、戦車。しかも、クリスは
一方で、俺の天恵に関しては『武士道』の名の通り、どんな武器でも使いこなせること以上のことはわかっていない。
どうやら、この程度の敵が相手では天恵も奮ってはくれないらしい。
というわけで、迷宮探索自体は順調だ。注意して進んでいるが、罠の類も見つけてはいない。
事前にグスタブから聞いたこの坑道の広さはそれほどでもない。もう出口付近まで進んだと思うのだが――、
「――若様、ここがお爺様の言っていた最深部かと」
クリスの言う通り、坑道を進んでいくと開けた場所に出る。
おそらく坑道内で物資の集積場として利用されていた空間だろう。壁際には置き去りにされた木箱があり、さらに端の方にはおそらく食料にされたであろう白骨が積み上がっていた。
しかし、この重苦しい気配、血生臭さ。途中で横穴や横道はなかったからここを進むしかないのだが、さて、一筋縄ではいくまいな。
「若様……これは……」
「うむ。大将首だ。ようやくらしくなってきたぞ」
俺たちの声を聞きつけて、広場の奥にあった大きな影がのそりと起き上がる。
身の丈
この巨体、白い肌。間違いない『オーク』だ。この迷宮にいるはずのない中級の魔物がそこには立っていた。
――
あとがき
次の更新は明日の18時ごろです!
評価、ブクマ、応援、感想など頂けると励みになります!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます