第18話 侍、迷宮に挑む
俺が武具を選んだ後、グスタブは俺とクリスを領都から離れた場所にある小さな村に案内してくれた。
なんでもこの村の子供が近くの森で魔物『ゴブリン』を見たらしい。魔物が現れたということはその近くには迷宮がある可能性が高い。
そうして調べてみると、森の奥にある古い坑道が
そこで村人が侯爵家が派遣した代官に訴え出たのだが、その代官は騎士ではなく文官であったため、個人的に親交のあるグスタブに助けを求めた。
それがつい昨日のことで、ちょうどよくその迷宮を活用することになったというのが事の次第だ。
そんな経緯もあってか、俺達が村に到着すると村人たちはもろ手を挙げて歓迎してくれた。
珍しいことだ。普通、貴族やその家臣が村を訪れるなど徴税か、そうでなければ争いの調停のためだから、歓迎されることはまずない。
「――老騎士様! グスタブ様!」
「よくいらしてくださいました、グスタブ様!」
「じいじきしー! また剣みせてー!」
だが、どうにも俺達が助けに来た騎士だからという理由だけでないことは彼らの反応から分かる。
グスタブだ。村人たちは彼を心から尊敬している。いくらグスタブが高名な騎士だと言っても風聞だけや噂だけではこうはいかない。
「みな、息災なようでなにより。代官殿に頼られて魔物退治に来たぞ」
「おお! では、そちらのお二人はお弟子様かなにかで?」
「そんなところじゃ。すこし実戦を経験させようと思ってな」
俺たち二人のことを弟子として紹介するグスタブ。クリスはともかくとして俺の正体は隠しておかねばならない。
領主の息子がこんなところにいると分かれば無用な騒ぎになるし、なにより、今回の迷宮探索は母上には秘密だ。バレたら俺もグスタブも大目玉を食らうだけじゃすまない。
なにせ、俺はまだ十二歳の子供。侯爵家の跡取り息子が修行のために迷宮に潜るなどという愚行に許しが出るはずもない。子供には甘い母上もそこらへんは徹底している。
しかし、修行としてはこれが一番。俺の武士道も今回に関しては『是非もなし』と言っている。
なので、今回に限り、俺もフードで顔を隠している。訪れたことのない村で俺の正体が露見することはまずないだろうが、妙な噂が立っても面倒だ。用心に越したことはない。
「しかし、お弟子のお二人、お顔を隠されてなお、気品と麗しさが感じられます。特にフードの方など立ち姿まで優雅。さすがはグスタブ殿のお弟子ですね」
「言わてみれば、この村に似つかわしくない美男子の気配。お顔を拝見したい」
「きっとフードの方を鎧の方が守ってらっしゃって、でも、フードの方はそれを疎んじる態度をされつつも内心ではきっと、信用してらっしゃるんだわ。でも、本当に重く相手を思っているのは、鎧の方の方なのよ! そうに違いないわ、ジュルリ」
案の定顔を隠していても村娘たちがそんなうわさ話を始める。
というか、いっそ顔をさらしてしまった方がまだマシなのではないかと思える始末だ。侮られているわけでもないから手打ちにもできない、畜生め。
一方、俺と同じく憮然としてしかるべきクリスはなにやら嬉しそうにくねくねしていた。妙な奴だ。
「こらこら、村娘たちよ。弟子どもをあまり困らせないでくれ。さ、通した通した」
「ああん! グスタブ様のいけず! でも、そんなところが素敵!」
集まってくる村人たちを掻き分けて、森へと向かう。その最中、俺が村人たちの反応の理由を尋ねるとグスタブはこう答えた。
「侯爵閣下に招かれてから、腕がなまらぬように時折、領内の迷宮に一人で潜っておるのです。そうするうちに、方々の村に知己ができましてな。ここもその一つです」
なるほど。グスタブらしい話だ。
グスタブにとってはただの修行だが、村人たちにしてみれば魔物のような脅威が現れるたびに頼りになる騎士が現れて魔物を退治してくれるのだ。彼等にとってグスタブは英雄そのものなのだろう。
「お爺様、時々旅に出られると思ってましたけど、そんなことをされてたんですね」
クリスが言った。
孫でありながら本当に気付いていなかったらしく兜の上からでもわかるくらい『ほへー』という顔をしていた。
「なんじゃ、お主、気付いておらんかったのか。主君にできぬことをするのも臣下の役目ぞ。お主も若様を支えるのなら心掛けておくのだ」
「は、はい! で、でも、どうすればいいんです?」
「細かなことに目を配り、労を厭わぬことだ。領主というものは常に忙しく、行住坐臥、常に領主たるを強いられるもの。必然、どれほどの名君でも己が領地の全てを細かに知ることなどできん。そういった部分を補うことこそ臣下の役目と心得よ」
「な、なるほど! 若様! 私、頑張ります! 隅から隅まで目を光らせて!」
「そ、そうか」
『ふんす』と俺に向ってアピールしてくるクリス。今はこんな感じだが、聞くところによればクリスは武芸だけではなく勉学の方もそれなりにできるらしい。
将来的には護衛だけではなく、書記官や秘書としての役目も担ってくれるだろう。
しかし、今の説教はクリスだけではなく俺にも向けられたものだな。いずれ侯爵家を継ぎ、さらに国を興そうと欲すれば俺一人で全てを掌握することなど不可能だ。
その時に備えて、今のうちから人を使うことを覚えておけ、とグスタブは言っているのだ。
確かに重要なことだ。俺がこれからどんな道を行くにしても、臣下を扱うための心得は実践しておきたい。
「さて、ここですな」
森をしばらく進んだところで、グスタブが前方を指さす。そこにあったのはうっそうした木々に隠された坑道だった。
一見すると、迷宮というには貧相なように思えるが、近づけばわかる。
行動の入口から漏れ出る冷気、あるいは気配がここが尋常ならざる場所であることを伝えていた。
「おそらく中にいるのはゴブリン、スライムなどの低級の魔物ですが、ゆめゆめ油断などなさらぬよう。姿形がひ弱に見えたとしても魔物は魔物です。ましてや、この爺ががいるからと安心してなどしてはいけませんぞ」
ゴブリンもスライムも母上の書斎にあった魔物図鑑に載っていた魔物だし、前世でも名前くらいは聞いたことがある。
だが、それで気を緩めることはない。武士道に敵を侮るべしなどという教えはないのだから。
「承知している。爺やこそ助太刀は不要だぞ。この程度の場所で死ぬなら俺はその程度の男だったということ。母上にもそう伝えよ。爺やに咎はない」
「御意」
俺の言葉に、グスタブは臣下として応じる。
もし俺が死ねばグスタブはその責任を負わされてしまう。場合によっては死罪ということもありうる。実際、この迷宮探索を提案したのはグスタブであるわけだし、彼自身も言い訳はしないだろう。
だが、そんなことは承服できない。我が武士道にかけて、師に詰め腹を切らせはしない。
一方で、グスタブの言う通り、いざとなれば助けてもらえるなんてのは一切考えない。
俺は侍だ。この迷宮探索でグスタブの助けを借りるようなことになれば、俺は誰にも迷惑をかけないように遺言を残して腹を切る。親不孝にはなるが、武士道の問題だ。是非もない。
「しかし、若様。本当にその武器でよろしいので?」
「ああ。これでいい。迷宮の中なら、だが」
俺の言葉に、グスタブは顎鬚に触れて唸る。まあ、俺の意図は説明していないから仕方ないのだが。
「剣一振りに短剣が三振り。手斧が一つ。そして、縄……ふむ、やはり最後がわかりませんな」
「まあ、とくと
グスタブの言った通り、俺の現在の装備は主武装である
逆に、長剣より大きな両手剣や戦斧、槍は今回は採用しなかった。
平地の戦いであれば
だから、俺は比較的間合いは短くとも、振りやすく、また至近距離での白兵戦に強い武器を選択した。ここまではグスタブもわかっているだろう。
問題は縄だ。
無論、縄には使い道が山ほどあるし、荷物を縛るのにも段差を昇るのにも活用できる。あって困ることなどない。
だが、俺はこいつを武器として使う。グスタブに対してもそう断言している。
だから、グスタブも困惑しているわけだが、これに関しては戦場で魅せたい。たまにはグスタブを驚かせたいしな。
「ふ、楽しみにさせていただきましょう。若の雄姿、このグスタブ遠くから見守らせていただきますぞ」
グスタブが微笑む。好々爺を気取っているが、ハシバミ色の瞳に宿る輝きの鋭さはやはり戦士のそれだった。
「クリス、しっかりと若様をお守りするのだぞ。いざという時は己を盾とするのだ」
「は、はい! このクリス若様の手とり足とりがんばります!」
……そこは手となり足となりだろうとは言わないでおいてやる。侍の世界では誰かに恥をかかされた場合は、自分が死ぬか、相手を殺すかの二択しかないしな。
ちなみに、俺は後者派だ。真のマナー違反はマナー違反を人前で指摘することだそうだが、それと同じでわざわざ人に恥をかかせようとする輩などどうせ碌な奴ではないのだ。斬ってよし。
「参るぞ、クリス。しっかりついて来いよ」
「はい! 若様とならばどこまでも!」
そうして、俺とクリスは洞窟に、初めての迷宮へと踏み込む。
洞窟特有の冷たい空気の中、クリスが持ち込んだたいまつに火をつけようとしたその時、背後で轟音が響いた。
振り返ると、入り口が消えている。古い
これではすぐに逃げ出すこともできないし、グスタブの助太刀もあり得ない。
「そ、そんな……!?」
クリスが恐怖におののく。無理からぬことだ。
……なるほど。修行のつもりが本当の危機に陥ったというわけだ。
だが、望むところ。さながらここは俺にとっての『桶狭間』。地が滾るというものだ。
一方で、従者であるクリスはというと――、
「お爺様ー! おじいさまー! ここです!」
そんなことを出口に向かって叫んでいる。だが、返事はない。
岩で音が届いていないのか、もしくは……いや、そちらに関しては今はいい。重要なのは坑道を進むにしても、脱出するにしても俺達だけでどうにかしないといけないってことだ。
「おじいさまああああああ! ど、どうしよう……! 若様にもしものことがあったら、わたし……!」
「落ち着け、クリス。まずは深呼吸だ」
まずはパニックになっているクリスを落ち着かせる。どの選択肢をとるにしても落ち着いていなければ話にならない。
「で、でで、でも、若様、わわわたしたち閉じ込められて……!」
「いや、閉じ込められてはいない。こういう坑道には崩落した場合に備えて、複数の出入り口が用意されているものだ。探すぞ。それでだめなら、ここに戻ってグスタブが助けを呼んでくるのを待つ」
「だ、だけど、ここは迷宮なんですよ!? もし、魔物に襲われたら……若様に万が一があれば、このクリス生きてはいられません……!」
「それこそ望むところだ。お前も俺も、その魔物どもを蹴散らしにここに来たんだからな」
「け、蹴散らす……!?」
俺の言葉に、僅かに勇気を取り戻すクリス。だが、まだ足は竦んでいる。
これだけでは不十分。恐怖する兵士くらい鼓舞できないようでは将として不適格だ。
「それに、お前は一人じゃない。ここには俺もいる。それとも、お前は己の主が信じられないのか?」
「若様……! それは……いえ! 若様のおっしゃることこそクリスには真実です!」
続く激励に、気を付けの姿勢をとるクリス。兜の奥の瞳には力が戻っている。
初めての鼓舞だったが、効果はあったようだ。これで安心して背中を任せられるというものだ。
一方で、武器を手にした時のような力が湧く感覚はない。どうやら俺の天恵は武将としての統率には影響しないようだ。
よかった。
武士たるもの、威厳や統率力、尊敬と言ったものは己の生き様で勝ち取るものだ。それを得体のしれない女神に与えられたので侍に生まれた甲斐がない。
そういえば、王族の場合は個人に影響する天恵だけではなく集団、例えば臣下や国民に対して効果を持つ天恵を発現する場合もあるとグスタブが言っていた。
もっとも、どんな天恵を発現するかは血筋に大きな影響を受けるらしいから、そういう天恵を持つ者が王朝の始祖となりやすいとも言えるのだが。
それで言えば、あのオルフェリア姫が持つ『赫奕の王統』などはその代表例か。あとで知ったことだが、何でもその天恵を持つ者は声一つで軍勢の士気を左右するという。これは軍同士の戦いになれば大きなアドバンテージになる。彼女を覇者と見込んだ俺の眼に狂いはなかったわけだ。
「では、進むぞ。クリス、たいまつを」
「は、はい!」
そうして、クリスのたいまつに照らされながら俺たちは暗闇の坑道を道なりに進む。
坑道の空気は湿っていて重たい。最初は気温や環境のせいかとおもったが、どうにも違う。
魔力だ。坑道の奥から外に向かって漏れ出している巨大な力の流れを俺の体は感じていた。
これが迷宮か。
確かに何もかもが地上とは違う。進むごとに足が重たくなり、臓腑の奥底からぞわぞわと恐怖が立ち昇ってくる。ここは人間の居るべき場所ではないと本能が叫んでいるかのようだ。
上等だ。
俺が、侍がこの程度で足を止めるなどありえない。むしろ、この迷宮は侍を舐めている。
それに、襲撃者どもの気配の消し方も雑だ。侍を舐めたツケはきっちり払ってもらうとしよう。
「クリス、止まれ」
「は、はい。若様どうされ――」
「なにかいる」
クリスの足を止めさせて、たいまつで前方を確認する。
目の前の闇に
とがった耳と禿げ上がった頭、そして、苔のような緑の肌。十二歳の俺達と変わらぬ背丈をしたその怪物の名は『ゴブリン』といった。
――
あとがき
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