第17話 侍、己を知る

 迷宮とは、この世界特有の怪物『魔物』の巣であり、発生源であるとされている場所の総称だ。

 必然、迷宮の内部には無数の魔物がうごめき、この世界でも有数の危険地帯となっている。


 加えて、迷宮となるのは決まって古い地下墓や人の寄り付かない入り組んだ洞窟などの僻地だ。それらの場所には大抵罠や放置された魔術の仕掛けなどが存在し、侵入者を阻む造りになっている。


 一方で、迷宮の内部には古い宝や生態系を歪ませた魔力の発生源となる魔力結晶も存在しており、それらを目当てに迷宮に潜るものもいる。市井ではそういった者たちを『冒険者』と呼ぶ。

 くわえて、その冒険者たちの組合ギルドは数多くの都市に拠点を持ち、国家にも匹敵する力を持つという。


 そんな冒険者組合でさえ迷宮の攻略には慎重を要する。

 つまり、迷宮とは虎穴だ。危険だが、もし無事に踏破することができれば得るものは大きい。

 

 そんな魅力的な場所である迷宮だが、これに貴族の子息が近づくなどということはまずもってありえない。

 迷宮から這い出した魔物を討伐し、領民の暮らしを守ることは貴族の務めではあるが、すでに領地を持ちながらわざわざ危険な迷宮にまで足を踏み入れるものは愚か者はいない。配下の騎士を派遣すれば済む話だからだ。


 もっとも、俺はこれからその愚か者になるわけだが、それにあたって一つ問題があった。

 その問題はフルフェイスの兜を被って身の丈ほどの大きさの盾を手にしていた。


 グスタブによって案内された修練所傍の武器庫でのことである。

 周囲には刃を潰していない本物の武具の数々が立ち並び、鋭い金属が鈍い光を放っていた。


「……お前、クリス、だよな?」


 俺の問いに、目の前の甲冑小僧がぶんぶんと首を縦に振る。

 武器庫に来た時から俺の後ろに付いてきている妖怪みたいなやつだが、その正体はグスタブの孫であり、俺の従者であるクリスで間違いないらしい。


 こうして会うのは三か月ぶりか? 

 背もだいぶ伸びて俺に追いついてきていて、胸甲を付けている。なぜ兜で顔を隠しているのかはさっぱりわからないが、この姿のまま迷宮探索にまで付いてくるつもりだろうか。


「は、はい! 従者としてお供させていただきます!」


 そのつもりだった。

 声変わりはまだしていない。その割には重たい甲冑を着て、大盾まで持って苦も無く動いている。

 おそらく天恵の効果だ。推測するに防具を装備をしている時は筋力が増すような天恵をクリスは得たのだろう。


 有用な天恵だ。クリスが従者であれば、戦場で文字通りの盾役として活躍してくれるだろう。


「祖父からは荷物持ちとして同行せよ言われておりますので遠慮なく! こう見えて、力には自信があります!」


「頼もしいな。よろしく頼むぞ」


「は、はい!」


 兜を揺らしながら喜ぶクリス。顔は見えないが表情は容易に想像できる。満面の笑みだ。

 クリスの笑みは同性の俺でもドキリとするくらいには溌溂はつらつとしていて、それが見られないと思うと少し残念ではあった。

 

 だが、これから迷宮に潜ることを考えるなら、ある程度の重装備は構わない。くわえて、重装備でありながら身軽に動けるのならば、主としては文句のつけようがなかった。


 それに今は楽しい武器選びの時間だ。刀や薙刀、金砕棒かなさいぼうがないのは残念だが、せっかくの機会。前世では扱う機会のなかった武器を使うのもいいかもしれない。


「では、クリス。端から見て回るぞ」


「は、はい! こ、このクリス、全力でお供させていただきます! ところで、若様」


 武器選びを始めようとした途端、なぜかクリスの雰囲気が変わる。急に周囲の空気がじめじめとしてきたような、あるいは重くなったようなそんな感じだ。


「王都で、なにかあったのでは?」


「ど、どうしたいきなり」


「若様から知らぬ匂いがいたします。侯爵様やローズ様、ニーナ様、コーデ殿とも違う匂いです。どなたでしょうか?」


 ギクリ、と心の中で音がした、気がする。

 オルフェリアに婚約を申し込まれたことは母上以外には誰にも話していない。当然、クリスにも話すつもりはなかったが、兜越しに見える瞳は何かを確信しているような輝きを灯していた。


「さ、さあな。王都ではいろんな方とお会いしたゆえな。俺にもわからん。だが、特に面白いことはなかったぞ」


「……そうですか。申し訳ありません。何だか、若様に不埒な考えを抱くものの臭いのようなそんな気がいたしまして」


 なんという勘の鋭さ。間違いなくオルフェリアの匂いだ。俺の貞操やら身柄を狙っているという点ではある意味的中と言ってもいい。


「そ、そうか。お前の天恵にはそんな効果もあるのか?」


「いえ。従者として勘でございます。若様に関わることは全て知っておかねばなりませんので」


 ……恐るべし従者の勘。別にやましいことはないが、クリスにはあまり隠し事はしないようにしよう。


「そ、そういえば、お前の天恵はどんなものだったんだ?」


「はい。わたしの天恵は『騎士のほまれ』といいます。このように大楯や甲冑を身に着けている時に加護を授かる天恵です。本当はもっと、希少で強力な天恵であれば、さらに若様のお役に立てたのですが……申し訳ありません」


「謝ることはない。どんな天恵も使いようだ。それに、天恵は時折成長して新たな力をこともあるのだろう? ダメだと決めつけるのは早いぞ」


 俺がそう励ますと、クリスは兜越しでもわかるほどに感動した様子で首を縦に振る。大きめな兜が一緒に揺れるせいで会津土産のあかべこみたいだな。


 それはともかくとして、母上の書斎の書物によれば天恵は成長するものだ。

 大きな試練を乗り越えたり、強敵を倒したり、何らかの偉業を成し遂げたものに女神は新たな祝福を授ける。その祝福がどのようなものであるかは女神を驚嘆させた偉業の内容にもよるらしいが、授かった天恵がすべてではないというのは大事なことだ。俺の今世での師であるグスタブも竜を切ったことで新たな力を得たと言っていた。


 考えてみると、俺の天恵が『武士道とは――』と未完に終わっているのもその天恵の成長と関係しているのかもしれない。

 それを確かめるためにも、まずは迷宮を踏破せねばなるまい。


「でも、若様であれば、わたしの力は不要かもしれませんね。だって、若様は完璧なお方ですから!」


「それは違うぞ。クリス」


 俺がそう否定すると、クリスは意外そうな顔をする。慕ってくれるのは嬉しいし、ありがたいが、それだけではいけない。ましてや、主を完璧だと考えるのは間違いのもとだ。


「クリス。俺は決して完璧じゃない。むしろ、道半ばの半端者だ。間違いもするし、しくじることもあるだろう」


「で、ですが、若様。わたしごときが若様の間違いに気づくことなど……」

 

 本心からの言葉に、俺はなおも否と首を振る。クリスは本心で俺を信じて、評価してくれている。だからこそ、正さねばならない。


「実際に間違っているか、いないかはこの際どうでもよいのだ。お前が間違っていると感じたのならそれを迷いなく口にすることが大事なんだ」


「間違いと感じれば……でも、それは不敬です。いえ、主を疑うなど不忠にも通じます」


 クリスは戸惑っている。それでいい。クリスは騎士としての矜持、道を骨身にまで刻んでいる。そこに間違いはない。間違いはないが、道は一つではない。


「お前の忠節はよくわかっている。だが、忠節の形は一つではない。主を疑わずに信ずるのもまた一つの忠節。一方で、主におもねらず容赦なく諫言かんげんするのもまた忠節だ。どちらもなくてはならぬ。鳥の翼と同じだ、片方では羽ばたけぬ」


「……あ!」


 俺の言葉にはっとした様子のクリス。どうやら俺がいつもしている話をあらためて思い出したようだ。


 諫言こそが主従の要だ。主がこれを聞き入れず、臣下が務めを怠れば必ず、よくないことが起こる。


 例えば晩年の豊臣秀吉だ。権力の絶頂を極めた彼はその死の間際、周囲が止めるにも関わず甥の豊臣秀次に謀反の疑いをかけて切腹させてしまった。


 この『秀次切腹事件』の余波は凄まじい。豊臣家の政治的基盤を弱めただけではなく、連座制によって嫁いだばかりの姫までも巻き添えで処刑されたことで多くの人物の恨みを買った。

 それによりこの事件は豊臣政権崩壊の遠因ともなった。秀吉が猜疑心で周囲の諫言を聞かなかったせいで、起こった事件といってもよい。


 逆に、織田信長の最期『本能寺の変』も家臣の誰かが支配地域とはいえ信長が軍勢も引き連れずに行動することを諫めていれば避けられたかもしれない。


 そんな失敗をしないためにも、俺はいつでも諫言に耳を傾けて吟味せねばならぬし、きちんと俺を注意できる家臣は必要なのだ。

 クリスにはぜひ俺の重臣としてそんな人物になってほしい。


「……主に間違えあればこれをただす。いつも若様のおっしゃられている武士道の教えですね。であれば、間違っていたのはクリスでした……」


「お前もわかってきたではないか。えらいぞ」


 出会ってからこの方、会うたびに武士道を説いてきたかいがあった。クリスの骨身にもだいぶ武士道が染みついてきている。そのうちきっと自分も侍になりたいと言い出してくれるかもしれない……!


 そんなことを考えるとつい、嬉しくなって兜越しにクリスの頭を撫でてしまう。

 ……邪魔だな、兜!


「わ、若様……! は、激しすぎます……!」


「ふははは! そうかそうか!」


 そうして俺はクリスと共に武器庫を見て回った。

 ここに入るのはしばらくぶりだ。俺もその間に背丈が伸びたし、以前、グスタブと立ち合った時に比べても扱える武器の種類も増えた。


 例えばこの両刃の戦斧いくさおの。以前は重すぎて扱えなかったが、今はどうだろうか。


「――む?」

 

 試しに持ち上げてみると、重厚な刃を持つ斧が意外なほどに軽いことに気付く。

 柄が空洞化されているのか? でも、そんなことをすれば武器としての強度が……いや、違う。


 武器が軽いんじゃない。俺の筋力が想定よりも増している。それも十二歳の子供の基準では考えられないレベルに。

 意識を集中してみれば体の内側から何か熱のようなものが沸き上がってくるのが分かる。その熱が原動機エンジンを動かすように俺の肉体に力を与えているようだ。


 これが天恵か? 

 なるほど、強力だ。確かに、この力があれば重たい甲冑を着た状態で飛んだり跳ねたりも十分にできる。

 いや、それどころか、グスタブのように斬撃を飛ばすこともできるかもしれない。


「――やはり、武具に反応しましたか。重畳重畳。これで少しは楽ができますぞ、若様」


 そんなことを考えていると威厳のある声が狭い武器庫に響く。

 グスタブだ。武器庫の入り口に立っている。俺は斧を肩に担ぐと、そちらを振り向いた。


「貴族の持つ天恵の多くは武具にまつわるものです。これがあるとないとでは天と地ほどの差があります。我が孫クリスの場合は盾と鎧、若様の場合は、さて何でしょうな」


「試してみよう。いずれにせよ、それしかないのだろう?」


 俺がそう答えると、グスタブが頷く。

 地道な作業は嫌いじゃない。そのうえ、武具は好きだ。まずは片っ端から試してみるとしよう。



 そうして、一時間後、悲しい事実が発覚した。

 

 俺の天恵はこの武器庫にあるすべての武具に対して反応を示した。

 つまり、俺はこの世界に存在するあらゆる武器や防具を使いこなせるということになる。


 一見すると、武芸者としてそれこそ天の恵みが如きものだが、これがどうして困りものだった。


「――不幸は重なるものと言いますが、いやはや、珍しいことも重なるものですな」


 武器庫の武器をすべて試した後、グスタブが言った。彼にしては珍しく、どうにも考え込んでいるようだった。


 ……まあ、当然の反応か。これでは俺の師であるグスタブとしても方針の立てようがない。


「ここにはこの大陸に存在する武具のうちほとんどが揃えられています。若様の天恵がそのうちのどれに反応し、どれに反応しないかを知ることができれば天恵の中身を少しは絞れるかと思うたのですが。弱りました」


「まったくだ。何でもできると言われると、逆に何をしていいか分からなくなる」


 進路相談で『君はどこの学校に進学してもいいです、でも、進学できるかはわかりません』と言われるようなものだ。あるいは『どの家にも仕官できますが、結果は保証しません』と言われるようなものだ。こちらの方が分かりやすいな。いや、俺だけか?


 ともかく、自分の得意不得意を知ることは強くなるための第一歩だ。

 この場合は、天恵が何に反応し、反応しないかはこれから武を高めるためには必要なことだった。


 だが、結果はこのざまだ。俺はどんな武器でも使えるが、どれに向いているのか分からない。これでは鍛えるにも方針が立たない。


 どうしたものか。いっそどれに向いているかではなくどれを使いたいかで考えてみるか? 

 となると、答えは母上の書斎にある『島左近』殿の刀になるわけだが……うーむ、困った。


「でも、すごいですよ、若様! どれだけ強力な天恵でも大抵、反応する武具の種類は一つか、二つ! それが若様は全部だなんて! その上若様は美男子! まるで神話の英雄のようです! クリス、感激です!」


 甲冑をがちゃがちゃ言わせながら飛び跳ねて喜ぶクリス。美男子は余計だ。

 ……大分、テンションが上がってるな、こいつ。というか、三年前のグスタブとの立ち合い以来、クリスは俺と会う時は終始こんな感じだ。

 

 少し危うい感じがしないでもないが、クリスの精神年齢は外見通りの十二歳。俺も前世で憧れの史跡とかを巡っているときはこんな感じだったし。


「……そういうものなのか?」


 しかし、念のため、グスタブにそう尋ねる。今のクリスの話を鵜呑みにするのはやめておいた方がよさそうだ。


「神話の英雄ですか? 確かに彼らの中には数多の武具を使いこなすものもいますが――」


「いや、そっちじゃなくて。反応する武具の種類の話だ」


「そちらでしたか。確かにそうです。天恵が反応するのは大抵一、二種類です。剣であれば剣、槍であれば槍、弓であれば弓。二種類に反応する天恵であっても大抵の場合は、一つ目の武器に近しいものになります。剣の使い手であれば短剣も使いこなせる、そんな具合ですな」


 なるほど。

 その点は、日本の武術と似ているのか。流派にもよるが剣術には短刀術や体術、時には手裏剣なども含まれる。それは使う技術に共通性があったり、根幹である心構えが同じであったりするためだ。


 いや、そもそも、武術はそもそも武士道の一部であり、戦場において生き残るための技術だ。

 だから、武器の如何いかんを問わない。例え、素手あるいは縄のような一見武器には見えないものも――ああ、なるほど、そういうことか。


 俺の天恵は文字通りの『武士道』なのだ。ゆえに、武器であればすべてを使いこなせる。だから、鍛えるにしても武器の種類を絞るのではなく、その武器を扱う自分自身を高めるべきなのだ。


 名は体を表す。まったくこの俺ともあろうものがそんなことを見落としていたとは、いやはや、士道不覚悟だ。面目ない。

 だが、これでいい。俺は侍だ。秩序の女神とやらは俺のために最高の天恵を用意してくれたらしい。


「爺や。道が拓けたぞ」


 俺がそう言うと、グスタブが嬉しそうに『ほう』と顎鬚を撫でる。


 今理解できた俺の天恵の内容と迷宮という戦場。その二つから導き出される、最適な武器とは――、


――

あとがき

次の更新は明日の18時ごろです!

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