第16話 侍、故郷へ帰る
オルフェリアとの密談を終え、大広間に戻ると晩餐会はお開きの時間になっていた。
なので、惜しむオルフェリアに穏当に別れを告げた俺は母上と共に宿に戻った。
当然、母上からは晩餐会の間、何をしていたか尋ねられたので、俺は起こったことを正直に話した。
もし俺が王配になるとしたら当然、侯爵家は無関係でいられない。というか、俺個人の問題で収まる話ではない。
それにオルフェリアのことだ。俺が母上にすべてを話すことも想定済み。いや、むしろ、俺が正直に話すことまで含めて外堀を埋めてきているとみるべきだ。
なので、問題は俺の話を聞いた母上の反応なのだが――、
「――むぅ」
そううめいたかと思えば、宿のベッドに座り込んでしまった。いつものように眼帯に手を当てると、何かを考えこみ始めた。
無理からぬことだ。こんなことに巻き込んでしまって俺としても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
侍であるもののまだ幼少の俺とは違い、母上にはロンダイン家の家長という立場と責任がある。母上の肩にはロンダイン領十万の民と臣下の命が掛かっているのだ。
そんな母上にとって、俺と第三王女の婚姻など慶事の皮を被った凶事だ。この先の政治的な立ち回りの難しさや周囲からの羨望、嫉妬の量は考えるだけで頭をかきむしりたくなることだろう。
……母上は実直な武人ではあられても野心家ではない。俺の野望が母上の頭痛の種となってしまうのは、心苦し――、
「――はやい! はやすぎるぞ! クロウ! 十代のうちに婿に出すなんて私には耐えらぬ!」
……そっちだったか、思い悩んでおられたのは。
拍子抜けすぎて肩の力が抜けるのが分かる。政治的なわずらわしさより俺を婿に取られることが母上には問題らしい。
「だいたい、お前の嫁は私が選ぶつもりだったんだ! 国一番の美女をこう、十三人集めてな! 私が審査する予定だったんだ! ロンダイン家の、私の一人息子の嫁となるのだ! 美しいのは当然として、家事も学芸も一流でなくてはならん! ついでに武術もな!」
母上の弾丸トークが始まる。コーデ曰くこうなった時はなかなか止まらないので放置が一番なのだそうだ。
ここはそれにならうとしよう。戦の最中ならともかく、母上にも喋り倒したいときくらいあるだろうし。
それと、嫁の条件には俺も同意だ。武家の嫁たるもの文武両道でなければな。
「そりゃ、お前はフィリップに似て美男子だ! 社交の場に出せば女の十人や百人、いや、千人魅了しても仕方ないだろうさ! だが、理外の者ならあるいは大丈夫かなとか、安心しつつも心配してたんだ! なのに、まさか王女殿下とは! 私の息子が傾国の美男子すぎて辛い……!」
最後にベッドに倒れこむ母上。
俺の顔とオルフェリアが俺を選んだ理由に関連性はないと言いたいが、あながち間違ってないのがいろんな意味で辛い。
「…………向こうがその気なら致し方あるまい。こちらとしても準備はしておく。だが、クロウ、お前の考えはどうなのだ?」
「今の俺ではどうやっても釣り合いませぬ。なので、今はお断りました」
どうにか上体を起こした母上は、俺の答えを聞くと頷いた。
「それが一番だな。だが、今は、ということはこの先、お前としては殿下からの申し出を受ける気はあるのだな。王配など気苦労ばかりだぞ? 本当に良いのか?」
「それも含めて、考えます。母上としてはやはり反対のお立場で?」
「殿下がお前を望まれるなら私の立場では反対も賛成もない。酷な話だが、死ぬわけでもないからな。無論、感情としては大反対だがな!」
母上は俺のことを慮ってくれているが、それでも侯爵家は王家の家臣だ。
主君から未婚の子供を妻に、あるいは夫にと望まれて断ることは難しいし、断る理由もない。封建社会において恋愛結婚なんてものは夏場の雪のようなものでまずもってありえないのだ。
それは現代日本の価値観に照らせば非道なことではあるが、俺はそこまで抵抗感はない。なぜなら、この婚姻が成れば俺個人には関係なくロンダイン家にとっては慶事ではあるからだ。
「畏れ多くも、お前と殿下の間に御子が何人か生まれればロンダインの家名の存続もできる。
外戚とは国王の配偶者、もしくは両親の親族のことだ。古来よりこの立場を得た一族は強い政治基盤と力を持ち、時には王に代わって国政を司ることさえある。日本史における平安時代の藤原家による摂関政治などがいい例だろう。
そして、母上はあえて口にされなかったが、外戚になればそこから国を乗っ取り、ロンダイン王朝を起こすことさえ不可能ではない。
もっとも、俺はともかく母上は出世や栄達に価値を見出していない。領地で家族や臣下に囲まれて暮らせるのなら、それを第一の幸福とされる方だ。俺のような息子を持たなければ中央の政治に関わる機会さえ持とうとは思われなかっただろう。
……やはり、俺は親不孝だな。そのことを理解してなお、己の武士道を曲げようとは微塵たりとも思えない。
「しかし、本当にいいのか、クロウ。こう言っては不敬だが、第三王女殿下はかなりの変わり者だぞ? 器量もよく剣の腕も立つが、どうにも型にはまらん。護衛の騎士に貴族の子女ではなく冒険者やら平民やらを取り立てておられるくらいでな」
「実力主義、ということですか。よいことだと思いますが」
「まあな。私も戦場では身分に関わらず使えるものは用いる。だが、こと王族となれば話は別だ。護衛の騎士とはそのまま王位を継いだ後の側近でもある。顔が気に食わなかろうが、性根が腐ってようが、大貴族と縁を繋いでおくほうが合理的だ。王となった時に後ろ盾になるのだからな」
「……なるほど」
さすが母上だ。封建領主としての基本は当然抑えておられる。
身分の高いものが幼少期から有力家臣と縁を通じておくというのは日本だけではなく歴史上ではよくある話だ。
例えば戦国時代の小姓などがそうだ。これらの役目は次代の権力を確固たるものにすべく有力家臣の子息から選ばれる。幼少から縁を繋いでおくことで絆を強固にし、同時に裏切りを抑止するのだ。
オルフェリアはそんな定石を無視している。わざわざそんなことをするということは何か意図が、ないしはそうせざるをえない理由があると考えるべきだろう。
思い当たるのは――、
「……おそらく大公閣下の影響だろう。あの方は中央の貴族の大半に金を貸しているからな。無論、我がロンダインは健全な財政で回っているゆえ、縁のない話ではあるが、この国の貴族は見栄を張るのが趣味ゆえな」
母上の推測と俺の推測は一致している。
オルフェリアが言っていた結婚相手の選定基準にも通ずる話だ。
護衛騎士として推薦される高級貴族の子息たちにはオーラント公の息が掛かっている、少なくともその疑いがある相手は信用できない。
であれば、どこぞの馬の骨の方がまだ信じて用いることができる。オルフェリアはそう考えているのだ。
清廉潔白というべきか。兵法における疑うのならば用いず、用いるなら疑わずの原則を徹底している。
「ともかく、そんな王女殿下が己の夫として選んだのだ。大変になるのは王配になってからかもしれんな」
「心得ております」
母上は心配してくださるが、侍としては立身出世のための苦難困難は望むところだ。
血が滾る。オーラント公は王国内においては母上に並ぶ戦巧者。ぜひぜひ、一度は戦火を交えてみたいとおもっていた。
「ともかく、明日の朝一に出発だ。いろいろと根回しがいるが、細かいことは私がどうにかする。お前はよく休んでおけ。それか、私と一緒に寝るか? よいぞ、母の胸に甘えても」
「はい、母上。ありがとうございます。ですが、後者はお断りします」
ぶつくさ文句を言っている母上に感謝しながら、宿の寝室に戻る。服を着替えてベッドに寝転ぶと、すぐに眠気がやってきた。
どうやら俺も思った以上に、疲れていたらしい。確かに今日は一日でいろいろなことがあった。俺の武士道、これから一体、どうなるやら――、
◇
翌日、俺たちロンダイン家の一行は他の貴族たちより一足先に、領地に向かって出発した。
そこからの旅路は何事もなく順調で、俺達は無事ロンダイン領へとたどり着いた。
それから母上は親戚や臣下たちを集めて会議の場を設けていたが、さすがに俺の参加は許してくれなかった。残念。
だが、オルフェリア姫との婚儀はまだ先の話。シャルロッテとの重婚の件も母上には話してあるから、何とかしてくれるだろう。
なので、今自力で解決できる問題に集中すると俺は決めた。
俺の天恵、『武士道とは――』とだけ記されたその正体を確かめる。まずこれをしなければ、この先、武功を立てることも難しい。
そのためには助けがいるが、幸い俺には頼れる師がいる。今はその知恵を拝借するとしよう。
「――それはわしにはどうにもできませんな」
しかしながら、爺やであり、俺の師匠であるグスタブはそう言い放った。
俺がロンダイン家の館に帰還して次の日の朝、修練場でのことである。
「……そうか。わかった」
「おや、若様にしてはあっさりと引き下がられましたな。王都で何か心境の変化でも?」
「爺やを信用しているだけだ。貴公が無理だというなら無理なのだろうよ」
「これは何とも嬉しいお言葉。爺や冥利に尽きますな」
実際、グスタブはこの世界において有数の実力者だ。王都で他の貴族に仕える騎士たちや王族の親衛隊を見てその印象は強まった。
古株の騎士たちはそれなりに見るところがあったが、殺気も技量もグスタブには遠く及ばない。
そのグスタブが自分にはどうにもできないと言うならそれは事実だ。
しかし、困った。グスタブにはどうにもできないのだとしたら――む? グスタブにはどうにもできない?
「……つまり、どうにかする方法そのものはあるということか」
「おや、気付かれましたか、若様」
「当たり前だ。爺や、戯れが過ぎるぞ」
俺が怒ると、グスタブはますます楽しそうに口角を緩める。
まったく
「お許し召され。なに、若様が開示の儀の結果に落ち込まれておるのではないかと思いましてな。爺やなりに発奮なされるようにと考えたのですが……」
「余計な世話だ。で、己の天恵の中身を知るにはどんな方法があるのだ?」
悪戯っぽく笑うグスタブ。その笑顔がどこか前世での祖父に似ていて、一瞬、怒りを忘れてしまった。
顔立ちや表情には似たところは一つとしてない。だというのに、立ち姿や雰囲気がどこか似ている。他人の空似と言ってしまえばそれまでだが、不思議なこともあるものだ。
「なに、簡単なことです。父祖を見習って一から始める、それだけのことです」
「つまり、なにもかも手探り。武器なり技なり一つ一つ試していくしかない、そういうわけか」
頷くグスタブ。
……俺が予想した通りの答えだ。結局は地道に一歩一歩進むしかないということか。
それ自体は構わない。だが、そのやり方ではどうしても時間が掛かる。
オルフェリアの言葉が正しければ、現国王はどれだけ長く見積もっても五年後には崩御する。
そうなれば、情勢は動く。そうなる前には実力をつけ、ある程度の武功を積んでおきたい。
だが、天恵を知るだけで十年もかかるようでは間に合わない。どうにかならないものか――、
「そう気負うことはありませんぞ、若様。理外の者といってもそれは単に聖教会の坊主どもの記録にないというだけのこと。だが、かつては皆そうだったのです。何もわからぬ中から自らの手で道を開き、己を識っていったのですから」
「うむ。分かっている。だが、爺や、地道に鍛錬を積むのは構わんが、それではやはり、時間が――」
「おや、異なことを申される。このグスタブ、地道に鍛錬を積むなどとは申しておりませんぞ」
「……では、どうするのだ?」
俺が聞き返すと、爺やは楽しそうに腰に差した剣、その柄頭を叩く。
その意味を解して、俺は爺やと同じように笑みを浮かべた。
「戦え、とそういうわけだな」
「左様です。しかも、生半な相手ではなく今の若様にとって難敵といえる相手でなければなりませぬ。天恵は窮地においてこそ、力を発揮するものですからな」
つまりは、実戦を通じて己の天恵を明らかにしていくということだ。
確かにこれならば一挙両得、いや、三得だな。天恵を知りつつ、武功を上げ、俺が前世で積むことのできなかった実戦での経験をも重ねることができる。
さすがはグスタブだ。発想もそうだが、何より遠慮のなさが気に入った。侯爵家の子息に成人前に実戦を経験させる傅役などこの大陸にグスタブ以外にはいまい。
「で、爺や。具体的にはどうするのだ? 国内で戦はないし、国境を越えるのはいささか面倒だぞ」
俺がそう言うと、グスタブはにやりと笑う。そう聞かれるのを待っていたと言わんばかりに、彼はこう続けた。
「若様。ここは一つ、
その言葉に俺もまた期待に胸を躍らせる。
腕が鳴るというもの。武勇譚はこうではなくてはな。
――
あとがき
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