第14話 侍、誘惑される
王配とは、女王の夫を指す言葉だ。
王妃の男性版と言ってもよく、女性が王座を継ぎ一国の主となった際に婿入りした男性のことをいう。
……動揺のあまり、同じことを二度言った気がするが、ともかく王配の意味はおおむねそういうものだ。
つまり、目の前の第三王女殿下オルフェリアは、この俺に結婚を申し込んできたのだ。
…………なんで?
俺、こいつと知り合ってからまだ一時間も経ってないんだが……、
「ふふん、いい顔だ。先ほどは一本取られたが、今度はわらわの勝ちだな」
俺が思案していると、姫様がからからと笑う。小憎らしいうえに、愛らしいが、もしこのためだけに結婚を申し込んできたならこちらにも考えがある。
「む、何か勘違いしているな。王配になれという話は本気だ。そなたを驚かせるためだけにちらつかせるほどわらわの貞操は軽くないぞ」
真顔でそう付け加える姫様。
……相手は王族。確かに戯れとしては度が過ぎる。とりあえずは納得できるか。
「…………そうですか。ならば、ますます理解できませんが」
「なにがだ? これ以上なく明確な提案だと思うが」
「理由です。俺には出会って二、三言かわしただけの男に結婚を申し込む理由が思い当たりません」
「そこか。何だ、意外と
姫は艶めかしく微笑んで、テラスの柵に背を預ける。実は求婚はこれで二度目なのだが、今口にしても面倒が増えるだけだろうから黙っておく。
……それにしれも、やはり、考えが読めない。からかわれてるのか、あるいは本気なのかも判別不能だ。
理屈だけで考えれば、分からないこともない。
我が侯爵家は王都での政争にこそ関与していないが、家格も高く、領地は広い。政略結婚の相手としてとしては悪くないどころか、なかなかのものだろう。
だが、自分で言っていてもどうにも得心がいかない。この姫様はそう単純な人物ではないと俺の直感が告げていた。
「……非才の身では及びもつきません。ご教示ください」
仕方なく白旗を振る。すると、姫様は気まずそうに視線を背けて、そのまま口を噤んでしまう。
ますます不可解。だいたい自分が言い出したのだから一体何を言い淀んでいるのか。そうして、姫様は頬を朱に染めながら、早口でこう答えた。
「一目惚れだ」
一目惚れってあの一目惚れか……? なんで……?
「……えと、聞き間違いでしょうか。一目惚れと聞こえたのですか」
「そなた、存外に意地が悪いな。乙女の口から二度も言わせる気か?」
「…………聞き間違いではなかったようで」
ますます理解不能だ。少なくとも一国の姫たるものの口から出てくる婚姻の理由とは思えない。
もしや、これが噂に聞く恋愛脳というやつか……?
だとしたら、最大限の注意が必要だ。古今東西、この恋愛脳というやつは取り返しのつかない問題を引き起こしてきた。
日本であれば奈良時代における『
この姫様はそういうタイプには見えなかったのだが、人は見かけには寄らないということか。
しかし、またこの顔のせいで妙な因縁を引き寄せたか。
いっそ自ら顔を傷つけたくもなるが、それは母上が悲しむし……そうだ、仮面でも被るか?
確か歌舞伎の演目にもなっている中華の名将『
「……そなた、顔に出てるぞ。そう嫌そうな顔をするな。勘違いしているぞ、一目惚れと言っても若妻物語のように理由もなく惚れたとか、顔立ちだけで選んだとかそういう話ではないからな。ああ、いや、そなたが美しいのは認めるがな?」
……やはり読んでるのか、若妻物語。あの昼ドラ小説、基礎教養なのか? 日本のかつての貴族社会で言うところの源氏物語かなにかなのか?
「わらわの一目惚れは感情的なものではなくあくまで論理に基づいたものだ。考えてみよ。貴族の子息には男子は百人に一人。わらわたちの世代では、そなたとほかにはカールトン伯爵家の倅のみ。今日の解示式でその倅も見たが……あれはだめだ。枯れ枝のような手足で、風が吹けば倒れかねぬありさまだった。そのような男子が好みのものもいようが……わらわは生憎と違う」
「そのカールトン殿に比べれば、俺の方がお眼鏡にかなったとそういうわけですか。ですが、俺はロンダインの嫡子です。婿入りというのは少し……」
「それならどうとでもなる。わらわは王女である。 他の貴族に婿入りするのとは訳が違う。得られる名誉も地位も比較にはならぬし、侯爵家の立場も保証しよう。そなたには姉も妹もいるとヴァレリアから聞いておる。家はそちらが継げばよい。それでも不安ならそうさな。そなたとわらわに何人か子ができれば養子に出してもよいぞ?」
俺が穏便に断ろうとすると、姫様はそう食い下がってくる。
確かに俺が嫡子でなくなったしてもロンダイン家を存続可能だ。俺の侍の国を興すという野望を考えればむしろその方が家は安泰でさえある。
それに、彼女は口にしなかったが、たとえ嫡子であっても王族がぜひ婿に望めば断る親はそうはいない。
いや、母上なら断りかねないが、それはそれとして最高権力者と血縁関係になるというのは計り知れない価値があることだ。
「それに、そなた、晩餐会で使用人を助けていたな? わらわは見逃しておらぬ」
「え、ええ。まあ、手は貸しましたが」
姫様の言葉にそう言えばそんなこともしたなと思いだす。
「わらわの知る限り、男は皆傲慢だ。使用人のことなど気に掛けぬし、女はみな自分にすり寄ってくるものと考えている。それも間違いではないだろうが、わらわは王女であり、冠をいただく身だ。そして、苛烈にして玲瓏だ。であれば、夫たるものには礼節と謙虚さを求める」
「……なるほど」
礼節と謙虚さ。この二つは武士道において大事にされていることでもある。礼を失し、傲慢に振舞うものに侍たる資格はない。
……悪い気はしない。この王女は俺が何を大事にしているのか理解している。話を聞いてみてもいいかもしれない。
「まあ、後者に関してはそなたはそれだけではないだろうがな。謙虚さと野心は両立するもの。美しい顔に似合わぬその
なるほど。そちらも見抜かれていたか。
礼節と謙虚さは大事だが、同時に立身出世は侍の本懐だ。特に俺の場合は目指すは一国一城のあるじではなく、この地に侍の国を打ち立てること。そこにかける熱意と執念は常に俺の中で煌々と燃え続けている。
やはり、未熟。
前世では爺おじいちゃんから、今世ではグスタブからよく言われるが、俺は
殺意にせよ、怒りにせよ、あるいは喜びにせよ、それが気配に強く出る。時にそれは相手を圧する武器ともなるが、こういう時には相手に感情を読まれる弱点ともなる。姫君が俺の瞳に獣を見たのもそのせいだろう。
「しかし、そういうことなら同世代以外の男子を探すか、他国から婿を取ればいいだけのことでは? なにも俺でなくてはならない理由はございますまい」
「なんだ、そこが引っ掛かっているのか。であれば、答えてやろう。わらわは王族だ。国内の貴族の男子は大抵見知っておるが、正直言ってロクなものがおらん」
「……そういうものですか」
すぐそこの大広間にはこの国の大貴族の大半が揃っているというのにそんなことを言い放つ度胸には感心する。
しかし、そうか……貴族の男子には俺の好敵手になるような猛者は期待できないかもしれないな……、
「確かに我ら貴族の中で男子は稀少だ。だからといって、蝶よ花よと甘やかしすぎる。軟弱惰弱では国の中枢は担えん。ましてや、我が王配とするなど問題外だ」
…………まあ、国中の貴族の中から選ばれたと考えれば気分は悪くない。
俺も男だ。侍としても栄達の道ではあるだろう。
「他国にはそれなりの男子がいるのかもしれないが、外戚にあれこれ口を出されるのは好かん。それに
「左様ですか」
気持ちはよくわかる。
どれだけ強固な城も蟻の一穴から崩れるように、一人の裏切者は百万の敵に匹敵する脅威だ。事実、鎌倉幕府を崩壊させたのは『足利尊氏』という裏切者であり、本能寺の変で織田信長が倒れたのも『明智光秀』の裏切りのせいだ。
家名の存続のために、あるいは己の栄達のために裏切る。理屈としては理解できるし、主君を裏切ったとて己の信念に反していないのなら、必ずしも武士道にも反していないのだろうが……、
個人的には好かん。というか、許せん。裏切り、もしくは返り忠など恥知らずがやることだ。
なので当然、俺は先達の武士たちを皆尊敬し、敬愛しているが、『明智光秀』や『小早川秀秋』のようなやつらはその例外。そいつらのようになるくらいなら俺は潔く腹を切ると前世から決めている。
では、権謀術数を巡らせ、様々な勢力を渡り歩いた武士たちがどうかと言われると少し悩むが、やはり彼等と単なる裏切り者ではその行いの卑劣さが違う。恩を受けておきながら弓を引く裏切りは唾棄すべきだ。
その裏切りを未然に防ぐために、自身の身辺を信用できるもので固める。王族、つまり天下人としては当然の施策だ。
十二歳で自分が国を治めた時の想定までしているというのはこの姫様の聡明さの現れだろう。
……悪くはない。悪くはないが、まだ決め手には欠けるか。
聡明なのはよいことだが、時にはそれを隠すのも知恵だ。信長がうつけと呼ばれたのはその行動が奇抜だったためだが、能ある鷹は爪を隠すの故事に従ったとも言われている。
その点で言えば、この姫君も、俺もまだまだだ。
「まあ、油断ならぬという点では、そなたも他国の王子もそう変わらぬがな。わらわには分かる。そなたは野心を秘めている。ともすれば、わらわよりも大きな。だからこそ、そなたが欲しい」
「姫様の、野心ですか」
俺の問いに、姫様が笑う。今まで見せた妖艶な笑顔ではなく、牙をむくようなその笑みには乱世の武将が如き狂猛さが露になっていた。
なるほど、同類だったか。侍でこそがないが、彼女の中には武士道の、それも乱世に生まれた戦国の武士道の萌芽がある。
「――わらわはこの大陸を統一する。この国を継ぎ、周辺諸国を呑みこみ、ガーラント帝国を打倒し、大陸に史上初の統一王国を樹立する。それが我が野望、我が宿願だ」
姫君は堂々と己が夢を誇る。
そこには一点の迷いもなく、淀みもない。途方もない夢を、この姫君は当然のものとして口にしていた。
歴史書によれば、この
今大陸最大の勢力であるガーラント帝国でさえも二百年がかりの統一事業を経てなお、ようやく大陸の三分の一を版図に収める程度だ。それを己一代で統一を成し遂げようなどというのは痴人の夢といっても過言ではない。
だが、姫様はそんなことは承知のうえで、この夢を口にしている。ことの困難さを理解したうえで、彼女は己にならばできると確信しているのだ。
大器、なのだろう。この世界における天下人、かの『織田信長』のような特異点は彼女なのかもしれない。
……少しばかり羨ましい。
俺は侍であり、侍の国を興すと誓った身だが、この姫様のように堂々と野望を口にしてはいない。
野望の成就のためには秘するべきだと考えてのことだが、やはり、こういった清々しさには憧憬の念を抱かざるをえなかった。
「……俺は理外の者ですよ。それだけの野心に見合うとは思えませんが」
そんな感情が口を突いて出る。やはり、俺は未熟だ。侍たるもの、こんなことで心を乱していてはいけない。
「承知している。だが、王宮での暮らしで学んだことがある。それはな、天恵などというものは所詮、添え物にすぎぬということだ。どれだけ有用な力も持ち主が凡庸では凡庸な使われ方しかしない。一方で、無用に思える力も非凡なものが扱えば非凡な力となる。ゆえに、わらわはそなたを選んだのだ」
姫君はそこで言葉を切ると、右手全体で俺の頬に軽く触れ、そのまま顔を寄せてくる。それは王族から臣下への親愛の情を示す仕草であり、相手への慈しみを示すものだ。
「それに、そなたは理外の者ではない。そなた、あの文字が読めたのであろう?」
「――っ!」
俺の耳に唇を寄せ、姫様は秘密を暴く。俺があの大聖堂で見せた表情、それだけの手がかりだけで彼女は気付いたのだ。
「その上で、わらわはそなたを求める。クロウ・ヴェル・ロンダイン、そなたはわらわの夫となるのだ」
そうして、最高級の毒酒のように甘美な声が俺の心を揺らす。
大陸統一の覇業を間近で支える。それはまるで、子供の描く夢のようで――、
――
あとがき
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