第13話 侍、また求婚される

 俺の天恵の一件を除けば、『天恵解示の儀』は、夕方にはつつがなく終了した。

 後に残る公式行事は貴族たちが揃う晩餐会のみ、これが終わればもう王都に留まる理由はない。


 その晩餐会までの間、休憩場所として宛がわれた宿で母上と俺は話をする機会を持った。己の天恵の名を読めたことについて母上にだけは教えておくべきだと考えたからだ。


 嫡子である俺の天恵がどのようなものであるかは侯爵家の命運にもかかわること。

 黙っているわけにはいかない。ご先祖の、島左近の日記を読めたことも含めて打ち明けねばならない。


 部屋には俺と母上の二人きりだ。他のものにはこの話は聞かせられない。


「――そうか。そなた、あの字が読めるのか」


 俺の懺悔にも等しい告白を聞いた後、母上はそう言って複雑な表情を浮かべた。

 喜んでいるような、あるいは悲しんでいるような顔だ。


 ……親になったことのない俺では母上がどのような想いでいらっしゃるのかは計り知れない。

 侯爵家の跡取りが、いわゆる『理外の者』であったことに失望されているのではないだろうか。だとすれば、胸が痛む。息子として不甲斐ない限りだ。


「私はな、お前の天恵スキルが理外にあると知った時、実は安堵したのだ」


「安堵、ですか」


 だが、帰ってきたのはまったくもって予想外の答えだった。

 

「うむ。我ら貴族は戦となれば最前線で戦わねばならぬ。たとえ男であったとしても、ロンダインの歴代の当主は皆そうしてきた。それが貴族たるものの義務であり、使命と信じずるがゆえだ。それを果たせぬものに民から税を取り立てる資格はない。これは父祖より伝わる我がロンダイン家の家訓でもある。だが――」


 そこで母上は言葉を切ると、深々と息を吐いた。額に刻まれた皺は封建領主としての生き方と別の生き方の間の苦悩を物語っているかのようだった。


「優れた天恵を持つ者はそれだけ責任を負う。私であればそれは望むところだ。実際、そうして侯爵家の名誉とこの国を守ってきた。だが、それをお前に強いたくはない」


 母上とは思えぬほどに感傷的なお言葉だった。

 領主としての側面が消えて、そこには子を想う母親の強さと弱さが同居していた。


「……お前が理外の者であれば軽んじられはするが、殿しんがりや先駆けのような困難な役割を押し付けられることもない。結婚相手も自由に選べるやもしれん。武人としては恥ずべきことではあるが、それもよかろうと思っていたのだ」


 殿しんがりとは、軍勢が撤退する際の最後尾を指す言葉だ。

 この殿は追ってくる敵を迎え撃ち、食い止めねばならない。この役目を担う軍勢の死亡率は他と比較して抜きんでている。勝ち戦で勢いに乗った敵と正面から、それもその場に踏み止まって戦わねばならないからだ。


 先駆けは逆に会戦の際に敵勢に真っ先に突っ込んでいく役目でこれもまた死亡率が高い。


 つまり、母上が例に出した二つは死傷率が高く、それゆえ、名誉ある役目とされてきたものだ。

 そんなものを我が子に担わせたくないという母上の親心は確かに武人としては失格かもしれないが、親としては当然のものだろう。


 問題があるとすれば、当の俺は、侍としてそんな役目こそ担いたいと望んでいることだ。


 ……さて、困った。

 出世は侍の本懐であり、そのためには戦に出て武功を上げねばならない。そして、武功は苛烈な戦場にこそあるもの。安全な場所で安穏としていては、武士として面目が立たない。


 一方で、親への孝行は武士道の基本。これをないがしろにするわけにはいかないし、前世では両親がいなかった分、母上には孝行したい。


 あの夜、姉上が言い当てた俺の矛盾がとうとう現実として現れたというわけだ。

 ……どうしたものか。


「しかし、どうやらお前の望みはかつての私と同じようだ。グスタブからも聞いていたが、お前のは武人の瞳だ。今だ成人もせぬというのにな。ふ、遠い日の自分を見ているようだよ」


「母上……」


 母上の瞳はどこか悲しげであり、誇らしげでもある。


 ……俺は武士だ、侍だ。これから何が起こるとしてもそれが変わることはない。

 だが、そのことがこのように愛してくれる母上に苦悩を抱かせてしまうのだとしたら、今更ながら胸が痛む。解決しようのない葛藤は刺さってぬけぬ棘のようなもの。ふとした時に痛み、いつまでも気にかかる。


「しかも、お前は儀式で現れたあの文字を読めたという。あれは間違いなくひいお爺様の、サコン様の残された手記に記されたものと同じだった。つまり、お前はあの時あの手記を読むことができていたのだな。違うか、クロウよ」


 母上の問いに、俺はゆっくりと跪き、頭を下げる。

 武士の嘘は方便。聞かれたなかったから答えなかっただけ。言い訳はいくらでも思いつくが、それを口にするのは武士道に反する。


 真実を話したところで信じてもらえない上に、誰のためにもならぬと考えて文字を読めることも、転生のことを黙っていたのも、結局、保身のためだ。

 けれど、今更すべての真実を話そうというのも身勝手。であれば、俺にできるのは頭を下げることのみだ。


 だが、母上が俺に『何故』と問うことはない。 

 母上はそういうお方だ。今はその優しさがどんな刃よりも鋭く臓腑を抉った。


「……あれには、何が書いてあった?」


「……左近様ご自身に関してのこと、そして、その大望について記してありました」


 俺は跪いたまま、島左近の残した手記の内容についてかいつまんで説明する。

 

 母上は話が進むごとに眼帯を撫でたり、感心したり、目を潤ませたりしていた。

 そうして、全てを聞き終えると、一度瞠目どうもくし、天を仰いだ。


「……ご先祖様はお前に大望を託したか。そして、お前はそれを受け入れた。容易い道ではないぞ。お前と同じ志を持つ者はこの国には一人としておらん。それを承知のうえで、申しておるのだな?」


「……はい。クロウは侍たると決めました。これは俺の望みです」


 顔だけを上げ、母上の眼を見てそう答える。

 嘘ばかりの俺だが、この答えに嘘はない。俺の望みは侍として生き、侍として死ぬこと。栄達も、幸福も、その過程に生まれる付随物でしかない。


「…………そうか」


 俺の答えを聞いた母上の顔に憂いの色が浮かぶ。

 しかし、それもすぐに消え、あとにはいつも通りの母上があらわれた。


「『武士ぶし』、『侍』。サコン様がそう称せられたことは私も父から聞かされていた。そして、その意味するところは、遥か東方の地の誇り高き戦士のことだという。であるならば、お前の天恵は戦うためのものだろう。まあ、私の息子なのだから、それも当然だがな」


「おそらくは……」


 ふふんと笑う母上。その笑顔に救われつつ、予想に同意する。


 俺の天恵は『武士道とは――』。武士、侍そのものが戦いとは切り離せないものであるのは言うまでもない。

 それに、大聖堂で涙石に触れて以来、俺は自らのうちに渦巻く力を感じている。この滾りは間違いなく戦いのためのものだ。


 仮に天恵が戦い向きじゃないものだとしても、あるいは、天恵がなかったとしても、戦場には出ると決めていた。

 だが、天恵が有用なものであるならそれに越したことはない。ましてや、『武士道』の名を冠するなんて、天の采配に感謝だ。


 無論疑問がないわけではない。


 あの解示式で見た俺の天恵の名は『武士道とは――』だった。

 本来ならば葉隠れにもある有名な文言『武士道とは死ぬことと見つけたり』とでもなりそうなものだが、俺の場合はその前半部分のみが記されていた。


 なぜ、そのような形になったのか。続く文言は一体なんだったのか。考えたいことは山ほどある。

 

 あるいは俺自身がまだ己の武士道を完全には見いだせていないことの証左ということもありうる。

 俺が武士道に邁進し、己の道を歩み切った時にその名もまた現れるのではないか。そんな考えが脳裏をよぎった。

 

「よい顔だ。水を得た魚のようにきらめている。その顔を見せられては母である私が止めるわけにはいくまい。お前がロンダインの家を継いだなら、サコン様の、いや、お前の大望のためにすべてを使うがいい。お前にはそれが許されている」


「母上……」


 母上の言葉に、思わず目じりが熱くなる。だが、侍は人前で涙を見せぬもの。必死でこらえて、母上に深く感謝し、頭を下げた。


「まったく、困った子だ。嬉しそうな顔をしよって。お前はまだ地盤を得ただけなのだぞ、気が早すぎるのではないか」


「いえ、母上のお言葉、このクロウ、百万の援軍を得た想いです」


「口の上手い孝行息子め。だが、子が大事を成そうというのだ。この母も骨折りをせねばなるまい」


 そう言うと母上はすぐさま立ち上がり、同行している騎士の一人を呼んだ。

 俺の願望かもしれないが、母上の後ろ姿は今までにまして生き生きしているように見えた。


「よし、クロウ。晩餐会に向かうぞ。本当は適当に理由をつけて帰るつもりだったが、お前のためにいろいろ縁を結ばねばならん」


「は、はい。母上、晩餐会を欠席するおつもりだったのですか……?」


 今日の晩餐会は大貴族たちにとっては貴重な社交の場だ。領地に緊急事態でもあれば話は別だが、特段の理由がなければ出席しないということはない。

 その点、ロンダイン家は領地の経営も順調で、喫緊の問題もないはずだが……、


「うむ。そのことを話す前にお前が話したいことがあるというのでな、話しそびれておった」


「なるほど。理由をお聞きしても?」


晩餐会あんなところはお前の教育に悪い。それに、女どもがお前に群がってきたときに我慢できる自信がない。だが、今夜ばかりは堪えるとしよう」


 何か自分はおかしなことを言っているか? と書かれた顔で母上はそう言い放った。

 …………母上らしいと言えば母上らしいか。因習と前例で膠着しきった貴族社会で己を貫いていると考えれば、いっそ頼もしくもあった。



 今夜の晩餐会の会場となるのは白剣城の大広間だ。


 大広間は巨大な水晶製のシャンデリアに照らされており、美術に疎い俺でもはっきりそうと分かるほどの最高級の調度品で飾られている。

 天井には『古の昔、王国の父祖が岩に刺さった白い剣を引き抜いた』というソーディア王国の建国神話が描かれ、床の大理石は輝くほどに磨かれていた。


 これがこの国の中枢。決して侮れぬ、そう思わせるだけの威厳が城の大広間にはあった。


 俺たちが入城した時、そんな大広間にはほとんどの貴族とその子女たちが出そろっていた。

 大聖堂では見当たらなかった面子も多い。おそらく俺より年上のものや年下のものたちだ。親たちとしては、この機会に子供を社交界に慣れてさせておくつもりなのだろう。


 それら貴族たちの間を給仕の使用人たちが忙しく歩き回っている。肩身の狭そうな彼女らに同情していると、一人の給仕がこちらに近づいてきた。

 茶色の髪をした少女だ。俺よりは少し年上か。右手の盆のうえには発泡酒を注いだワイングラスが二つ置かれていた。


「――あ」

 

 だが、足元が怪しい。このままでは転ぶなと思った時には体が動いていた。


「――大事ないか?」


 倒れかけた体を支えてやる。そのまままっすぐに立たせてやると、少女は動揺した様子で半歩下がった。


「お、お許しください! このようなお手間を……」

 

 盆の上の酒を動かさないようにしつつ、器用に頭を下げる少女。そんな少女に俺はこう声を掛けた。


「かまわん。その酒は我らのだな? 受け取ろう」


「は、はい! どうぞ!」


 俺が盆から酒を受け取ると、少女は再び頭を下げてから、すぐさま駆けていく。

 羞恥からか耳まで真っ赤になっている。失敗は誰にでもあるもの気にせずとも好いものを。


 ……あの様子からするに、王城では使用人によい扱いをしているとは言えないようだ。仕事中に怪我をした使用人の手当てを当主自らがするロンダイン家とはまるで違う。


 ……これは付け入る隙か? 

 仁政を施す賢君と特権意識に凝り固まった暴君とでは付け入る隙が多いのは当然後者だ。

 今のソーディア王国はそう悪い噂を聞くわけでもないし、使用人の扱い一つで判断はできないが――、


「国王陛下より、祝賀のお言葉! 皆さま、平に、平に!」


 従者の声が響く。俺は慌てて跪きつつ、大広間の奥、上階へと続く階段を盗み見た。


 そこにいたのは紅いケープを身にまとい、王冠を被った、やせ細った老人だった。

 立っているのもやっという様子で杖を突いている。その上、露台に立つとせき込み始めてなかなか挨拶が始まらない。


 ……とてもじゃないが一国の王が務まる状態とは思えない。若い頃は賢君だったのかもしれないが、少なくとも今の王は威厳を失っているようだ。

 実際、挨拶の方も短いというのに要領を得ないもので、唯一きちんと聞き取れたのは乾杯という一言だけだった。


 王がこの有様では代替わりは近い。これは俺だけの推測ではなく、衆目の一致するところだろう。


 そして、代替わりにはそれがどれほど円満なものであっても混乱が伴う。

 これは……俺の動く機会は意外と早く訪れるかもしれないな。


 それはそれとして、晩餐会自体は問題なく始まった。

 俺は宴が始まってすぐに母上に連れられ、親族であるウォーダイン伯爵とその娘、南方の重鎮カルマンド子爵の双子の姉妹、隣国『メイラント』からの使者であるゴーント卿とその妹君などなどと挨拶を交わした。


 どれも王国の重要人物であり、俺と彼女たちの間で顔合わせをしておきたいという母上の意図はわかるのだが、やはり、全員が女子だ。


 ……正直、少し疲れた。

 礼儀作法に関してグスタブや母上のおかげで問題ないが、前世の頃から刀の扱いならともかく女子の扱いは苦手だ。

 何を考えているのかわからないし、どんな話題を選べばいいのかもわからない。武功話や武器の話をしても喜ばれるとは思えないし、俺が知っている色恋の話など母上の書斎で読んだ『若妻物語』くらいのものだ。

 しかも、あれはあれで不倫やら三角関係やら隠し子やらの話しかしないからこんな場で話題にするのははばかられる。


 今回はどうにか乗り切れたが、気兼ねなく話せるクリスやグスタブがだいぶ恋しくなってきた。

 姉上はほぼ毎日こういうことをしているのだと思うと、ますます頭が下がる。俺には絶対に無理だ。


 ちなみに、俺が理外の者であるうえに話下手にも関わらず、相手をした娘たちは皆目を輝かせて、話の節のたびに頷き、手を握ってきた。

 というか、全員話を聞いているようで聞いてなかった。


 彼女たちが見ていたのは俺の顔。これから騎士になろうという武門の娘がまつ毛の長さがどうだの、顎の輪郭がどうだのそんなことばかり気にしている。

 恥ずべきことだ。今すぐにでも士道不覚悟として切腹を命じたいくらいだが、こいつらは侍ではないからそれもできない。


 ついでにいえば、俺が明らかに失望しているのにもうっとりした顔で気付かず、全員最後には親愛の情の証であるハンカチを渡してきた。

 しかも、もれなく名前の刺繍入り。その意味するところは『お手紙待ってます』もしくは『交際の申し込み』だ。


 ……いい加減にしてほしい。家臣ならまだしも恋人、愛人、許嫁、妻等々の募集などしていない。

 いや、こうして縁を繋いでおくことで何か役に立つ日が来るということは理解しているのだが、侍としては顔で女性の関心を買うなど恥だ。


 考えていたら、余計に気が滅入ってきた。すこし気分を変えたほうがよさそうだ。侍とて時には休まねば。


「母上。すこし夜風に当たって参ります」


「さすがのそなたもこういう場にはまだ慣れぬか。重要な挨拶はすでに済んでおるし、構わんぞ。行ってまいれ」


「ありがとうございます」


 そうして母上の許可を得て、窓際のテラスへ。夜風は冷たく気分を変えさせてくれた。


 自分にこんな苦手分野があるとは思ってもみなかった。前世では先人を見習って茶道や華道もたしなんだが、こういう社交界的なものとは縁がなかった。

 欠席するつもりだった母上の気持ちがよくわかる。面倒なうえに疲れるとは、まさしく苦行だ。


 だが、侯爵家を継ぐなら少しずつでも慣れていかないといけない。一流の侍とは一流の武と一流の教養を兼ね備えているものだ。


「そこにいるのはロンダインの嫡子ではないか」


 不意に背後から声を掛けられる。すぐに振り返ると、そこには昼間大聖堂で見たあの第三王女オルフェリアが立っていた。


「で、殿下! ご機嫌麗しゅう」


 慌てて跪いて、口上を述べる。しかし、一瞬目にした王女は奇妙な服装をしていた。


 金の胸甲を身に着け、腰には剣。足元には靴ではなく鎧の足甲を履いていた。

 実に勇壮で、また似合っているが晩餐会に姫君がする服装ではない。


 しかも、そんな服装にも関わらず、オルフェリア姫は脳を揺らすような強烈な色気を纏っている。

 俺を見つめる瞳の熱。微かに笑みを浮かべた口元。風になびく焔のごとき髪。なにもかもが一度目にしたらそれだけで記憶に焼き付くような鮮烈さだった。


 鎧の下にある肢体も同じく。俺と同い年とは思えないほどに完成されており、見惚れるほどに均整がとれている。

 モデル体型、とでも言えばいいのか、すらっとした立ち姿には姉上のような女性らしい女性とはまた別の魅力があった。


「面を上げよ。そして、名乗れ。美しきものよ、わらわはそなたの名が知りたい」


「ロンダイン家が嫡子、ヴァレリアが息子。クロウでございます、殿下」


「オルフェリアである。ふむ、今日は太ももは隠しているのか。残念だ。それに顔の方も美しいには美しいが、あの詩文よりも少し厳めしいな。だが、実物のほうが好みだ。ますます気に入ったぞ」


 俺の顔をまじまじと眺めて、オルフェリア姫はそんなことを言う。

 ……姉上の書いた俺の詩、王族にまで広まってるのか。


「そなたのことは、クロウと呼ぼう。そなたはわらわのことをオルフェリア様と呼べ。殿下ではつまらん」


「そ、そういうわけには……」


 奇妙なことを言い出す王女殿下。俺が辞すると、彼女は不機嫌そうに眉を上げ、こう言った。


「オルフェリアだ。そう呼べと命じたのだからそう呼べばよい。それとも、そなた、王族の命に背く気か」


「…………ふむ」


 従えば無礼だが、従わなければ不忠になる。なるほど、この論理であれば俺は彼女を名で呼ばねばならなくなるし、呼んだところでとがめは受けない。


 幼ないながら自分の言葉の意味をよく理解しているお姫様だ。


 だが、気に食わない。

 俺は侍であり、使える主は自分で選ぶと決めている。恩もゆかりもない相手に従うつもりはない。これは侍としての面目の問題だ。


 侍たるもの面目は保たねばならん。すなわち、なめられたらやり返せ、である。例外はない。


「では、呼び捨てにいたしますが、それでよろしいか?」


 俺の返しに、姫君は興味深そうな表情を浮かべた。やはり、俺を試しているのだろうが、ただ試されるだけの俺ではない。


「そこまでは許していないぞ。どういうつもりだ?」


「簡単なことです。このクロウは王家の臣下。臣は君主の名をみだりには呼ばぬもの。つまり、わたくしめが殿下の御名を口にするということは、わたくしは王家の臣ではないということになってしまいます。であれば、敬称を付けるいわれもなし。わたくしが名を呼ぶのは友か、敵か、臣下のみですので」


「……屁理屈だな」


「ええ。ですが、わたくしめには重要なことです」


 俺がそう述べると、王女は憤慨し、眉根を釣り上げたかと思うと、一転、落ち着きを取り戻して笑みを浮かべた。私見だが、心底楽しそうな笑みで、俺には余計に理解できない。


「無礼だが、許そう。王族だからと言っていきなりそなたに命じようとしたわらわにも非があるゆえな。だが、そなたも物言いが直截にすぎるぞ。わらわは器が広いゆえ聞き入れたが、ほかの王族ではこうはいかんと覚えておけ」


「……肝に銘じます」

 

 言い分としては明確だし、正しい。そう言われてはこちらも意地を張れない。こちらがただ従う相手ではないと理解してくれたようだし、ここは良しとするか。


「ならば、姫様と呼べ。殿下と呼ばれるのは好かん」


「承知いたしました。姫様」


「うむ。それでよい」


 そう言ってフッと微笑む王女改め姫様。一転して上機嫌な彼女に俺の困惑は深まるばかりだ。


 やはり、女はわからん。この王女が俺を試しているのか、あるいは喧嘩を売りに来たのか、さっぱり見当がつかない。世間話などするタイプには見えないが……、 


「で、クロウよ。そなたに一つ提案があるのだ。聞け」


「はあ。なんでございましょうか」


 一体何を言い出すつもりだ? あれか? 話し相手になれとかそういうあれか? まあ、ほかの女子よりは、話が合いそうだし、俺もやぶさかでは――、


「そなた、我が『王配』となる気はないか?」


 はい? 王配とは確か、女王の夫をさす言葉のはず。それがなぜ、今この姫君の口から出てきた?


「む? 理解できなかったか? 我が夫になる気はないか、とそう聞いたのだが?」


 いや、理解できないのはそれをなんで俺に言ってくるというのかという点と、アンタの頭の中身なんだが……?


 待てよ、これと似たような状況が若妻物語にもあったような……ああ、あれだ、『灰被り王子』! 王女が市井で美男子と出会い、身分違いの大恋愛の末結ばれる話で、あとから実は美男子が古の王族の血を継ぐ身分であることが分かるくだりが都合がよすぎて記憶に残っている!


 またか! また若妻物語か! この世界の女どもあれが好きすぎるぞ!


 というか、俺、この前求婚されたばかりなんだが……!?



――

あとがき

次の更新は明日の18時ごろです!


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